ミオの港には、世界中からやって来る船が昼も夜もなく入港してくるようだ。
港の方から低い汽笛と、跳ね橋が上下する際の軋むような音が波の間に聞こえてくる。それを子守歌のように聞きながら一夜を明かし、翌朝。私は日課のランニングと身支度を終えて、ここに来た目的であるミオ図書館に向かった。
昨日の跳ね橋を渡ってすぐのところに、ミオ図書館は建っていた。
歴史を感じさせるレンガ造りの図書館は、背の高い建物ながら運河の周りに立ち並ぶ倉庫と調和してミオの街並みによく馴染んでいる。
ポケモンセンターで手に取ったミオシティのガイドブックによると、ミオのレンガ建築はその骨組みが木材で出来ているらしい。
木骨レンガ造と表現されるその建物は、木のしなやかさとレンガの力強さのおかげで適切な手入れを欠かさなければ長期にわたって利用することができるのだという。また、火にも湿気にも強いレンガの特性もあって、大昔からの書物をこれからもずっと保存していかなければならない図書館には最適な建築構造なのだ。
昔から、そしてこれからもシンオウの歴史を守ってくれるであろう建物に敬意を感じながら、私はアーチ型の木製扉をそっと押し開けて図書館に足を踏み入れる。
まず感じたのは、本のにおい。古い本の独特のにおいが、そっと私の鼻腔をくすぐる。
受付のお姉さんに挨拶をして、神話の本がどこにあるのかを尋ねた。
「神話の本なら、3階にありますよ」
天井まで届こうかという本棚いっぱいに、様々なジャンルの本が並んでいる。その間をぬって進むと、建物の奥に重厚な印象の木造階段が現れた。
図書館では静かに。そんな当たり前の標語を頭の隅に思い浮かべながら、なるべく足音を立てないように階段を登ってゆく。
3階の本棚の森の中を抜けると、不意に背の低い本棚と、靴を脱いで上がれる読書スペースのある一角に辿り着いた。試しに本棚の本を一冊手に取ってみる。イラスト入りの本で、表紙には「シンオウちほうのおはなし」と書かれていた。私でも読みやすい、こども向けの神話の本だった。
私は少し考えて他にも数冊の本を抜き取ると、靴を脱いで先程の読書スペースにあがる。
この中に、あの水色の髪の男に通じるものがあるかもしれない。心臓がどきどきと大きな音をたてているのをはっきりと感じながら、私は少し緊張した指先でページをめくった。
はじまりのしんわ、という話が、本を読み進めていた私の視線をとめた。
はじめにあったのは、混沌のうねりだけだった。そんな書き出しで語られる神話には、混沌から生まれた『はじまりのもの』が、2つの分身と3つの命を生み出したことが綴られていた。
2つの分身が祈ると時間がまわり、空間が広がり、『もの』がうまれた。
3つの命が祈ると、『心』がうまれた。
世界が作り出されたので、はじまりのものは深い眠りについた。
私はしおりを挟んで、本を閉じる。
時間と空間の神様なら、その影をシンオウ地方に色濃く落としている。カンナギの壁画。ハクタイのポケモン像。しかし、その2柱を生み出した『はじまりのもの』がいたなんて考えたこともなかった。
はじまりのもの。それは一体なんだろう。ポケモンだろうか。それとも、本当に神様なんだろうか。
私は神話の一節を脳裏に思い浮かべながら考える。
はじまりのものは、自身の分身として時間と空間を司る存在を生み出した。
だとすると、時間と空間を手に入れようとしているあの男は、はじまりのものと全く同じ力を手に入れようとしているのではないか。それこそ、本当に世界を創れてしまうような途方もない力を。
シロナさんのおばあさんが言っていた。この世界のバランスは、鼎のように保たれていると。
3つの柱で支えられる世界。はじまりのものが生みだした、ものと心が満ちる世界。
――心。不意に、その言葉が私の思考に引っかかった。
人の心が不完全だから世界から争いがなくならない。確かあの人は、テンガン山で会ったときにそう言っていなかっただろうか。
青い髪の男がたびたび口にしていた、この世界は不完全だという言葉。そして、私が「あなたに会えて嬉しい」と言った時に言われた、感情は無意味だという言葉。あの人は争いのない理想の世界を創るのだと言っていた。これまでは、その理想が何を意味するのかはかりかねていたけれど。
もしも、それらが繋がるのだとしたら。
争いの種となる心なんてない世界を、あの人は作ろうとしている?
そう思い至った私は、ふるふると頭を左右に振ってその考えを無理矢理追い出した。
こんなの、私のただの思い付きだ。なんの根拠もない、悪い想像だ。
私は隣で退屈そうに時間を持て余していたゴーストに手を伸ばす。曖昧なガスの輪郭に指を絡ませると、その冷たい温度が指先からしみ込んで、私の乱れた心を落ち着けてくれた。
なんだか様子がおかしい私を心配するようにゴーストが鳴く。私は何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、「ありがとう、もう大丈夫」と言って小さく笑った。
心がなければ、こんなふうに動揺することもないのだろう。あの暗い瞳の奥にあるものを思って、鬱々とすることもないのだろう。
心があるから悲しく、つらい。
でも、心があるからあの人に会う喜びを感じられる。
そのごく当たり前の事実が、今ばかりは重く私の胸にのしかかっていた。
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