それからも数冊の神話の本を読んだが、重く沈んだ心が晴れることはなく。
そのまま夜を過ごした私は、一夜明けて、街の人に勧められるままミオ唯一の定期船乗り場にやって来ていた。
乗り場でチケットを買って、人の流れに従って船に乗り込む。行き先は、鋼鉄島というらしい。かつては良質の磁鉄鉱がとれる鉱山であったが、今はもう鉱山としての役目は終え、トレーナーがポケモンを鍛えるために訪れる秘境の島となっているそうだ。
鉱山、という言葉が、私を惹きつけた。
かつてクロガネ炭鉱で化石を掘ったときのことはよく覚えている。ギンガ団の男のことで思い悩んでいた私のことを包み込んでくれたシンオウの大地。
今もまた同じように落ち込んだ気持ちを、鋼鉄島が慰めてくれるかもしれないと思ったのだ。
ミオシティを出た船は荒い波を裂いて北上し、やがてハクタイシティの沖合に浮かぶ鋼鉄島に停泊した。
ポケモンセンターもなければ民家もない、視界いっぱいに広がる荒い岩肌が私を迎えてくれた。岩と土の地面を踏みながら少し歩くと、簡易宿泊用の山小屋と、その向こうに坑道に続く急勾配の石階段が見えてきた。
その石段に圧倒された私の背後で、今しがた私たちを運んできた小型船がエンジンを吹かす。振り返り見れば、私たちが下船して空になったその船に、旧鉱山の砂埃で汚れた服を着たトレーナーたちが続々と乗り込んでいくところだった。
聞けば、この定期便の往路と復路は1日1便ずつであるらしい。つまり、この便に乗らなければ、今夜はこの島で一夜を明かすことになるということだ。私は背負った鞄の中身を思い浮かべて野宿をしても問題ないことを確認してから、ゴーストの方を見やる。
……どうしようか。そう視線で尋ねると、彼はその笑みを一層深くして高らかに一声鳴いた。行きたいんだろう? 付き合うよ。そう言われた気がした。
私は鞄を背負い直すと、急峻な石階段に向き直る。
そして、意を決して石段に足をかけた。
急な階段を登り切ったところで少し休んで、鉱山に足を踏み入れる。
内部は今までに経験してきた洞窟と同じく、湿度が高くてじとりと暖かく、濃い土のにおいが立ち込めていた。
鋼鉄島の洞窟は、鉱山時代に鉄鉱石を求めて下へ下へ複雑に掘り進めていったようで、山の地下の四方に斜坑が伸びていた。とりあえず一番右の穴を下って進んでいくと、鉄鉱石を地上に運ぶために設置されたらしい古めかしい昇降機が現れた。下におりるには、これを使わなければならないようだ。制御盤を触ってみると、機動音がした。どうやら電源は生きているらしい。
がたがたと激しい揺れに耐えながら縦穴を下り、坑道を歩いて、また次の昇降機を下り。そんなことを繰り返しながら、私は鋼鉄島の最下層へ下っていった。
岩陰から飛び出して来るゴローンやイワークをゴルダックの水の波動で退けながら進んでゆく。鉱山内には、様々なトレーナーがいて、時にはバトルも挑まれた。
トレーナーの中には作業員の男性が数人いて、鉱道内の照明や電源設備、それに昇降機をメンテナンスしてくれていた。もう採掘されていない鉱山の設備を保守しているのは何故なのだろう。作業員のヨシミツさんは、ヘルメットの下の眼差しを和らげて「これはな、おじさんたちの趣味なんだよ」と教えてくれた。
「昔ね、ここで働いていたんだ。
ソノオ近くの製鉄所でも働いていたこともあるし。
……おじさん、鉄が好きなんだ」
鋼鉄島には長生きしてほしいからね。ヨシミツさんはそう言って昇降機の部品を交換する。
もうここで仕事はないけれど、休みの度にかつての仲間と大好きだった鉱山に入って機械の整備をしているその姿は私の記憶に印象深く残った。
ここを訪れるトレーナーが安全に行き来できるように。そして、この山と人の繋がりがこれからも続いていくように。そんな願いのおかげで私はこの坑道を進むことができる。
ここに来たときは、トレーナーの修行の場になっている廃鉱山でしかなかったこの島が、その印象を一気に変えた。
ここにはもっと長い歴史と、そこに携わってきた人の深い想いがあったのだ。
私は整備を続けるおじさんにお礼を述べて、鉱山の奥を目指して歩き始めた。
鋼鉄島に踏み入れたときに感じていた鬱々とした気持ちはいつの間にか影を潜めて、代わりにこの愛される鉱山のことをもっと知りたい気持ちが胸に広がっていく。
ゴーストは私の足取りが軽くなったことに気付いているのだろう。私の周りをひゅっと飛び回って、大きな笑い声をあげた。ゴーストの声が斜坑の奥に響いて消えてゆく。私はその声を追うように、斜坑を下へ進んでいった。
坑道を下ってゆくと、地下に広がる広大な空間にたどり着いた。想像するに、おそらくここから大量の磁鉄鉱を掘り出したのだろう。鉄を掘りつくした切羽を散策していると、不意にがらんとした空間に歪んだ金属音のような音が響き渡った。
音のした方に体を向ける。一拍置いて現れたのは、イワークよりも二回りは大きいであろうハガネールだった。彼は巨体を器用にくねらせて土煙を巻き上げながらこちらに近付いてくる。私はその硬そうな体を見ながら考えた。私の手持ちのポケモンでは、鋼タイプのポケモンに対して有効な技がない。まだまだ先は長そうだし、洞窟から出ることも考えると、ここで無理に戦って体力を消耗することは避けた方が無難だろう。
ハガネールの足元に、ゴーストのナイトヘッドを浴びせかけてその足を止める。
それから、立ち上った砂煙に紛れてゆっくりと後ずさり、縄張りをあとにしようとしたのだが。
これまでの感覚からすれば、充分に逃げられる距離だったと思う。
だが、結果から言うと逃走は失敗した。ハガネールはその強靭な顎を大きく開いて威嚇するように鳴くと、こちらに向けてでたらめに尻尾を振り下ろしてきた。
ゴーストは即座にシャドーボールを放って尻尾を弾き飛ばそうとしたが、効果はいまひとつ。少し勢いが弱まっただけで、鋼の尾は私から数メートル離れたところに打ち付けられた。足元がぐらぐら揺れて立っていられない。私がその場に倒れ込んだところに、またも尾が振り上げられた。逃げられない。
「ルカリオ、はっけい」
そのときだった。そんな涼しい声と共に、青い風が私の横を駆け抜けた。
私とハガネールの間に颯爽と現れたのはルカリオだった。軽く腰を落として独特の構えを作ると、その右手をハガネールの尾に向かって押し出した。一陣の風が吹いて、辺りに舞っていた砂煙が晴れる。そして、一瞬の後、ハガネールの体が宙に浮いた。
ハガネールの巨体がその場に沈み、動かなくなる。どうやらはっけいのあまりの威力に一撃で目を回してしまったようだった。
「大丈夫かい?」
私とゴーストが声のした方を振り返る。そこには、独特の飾りつばをした青い帽子をかぶった青年の姿があった。落ち着いた印象の青い瞳が、暗がりの中で力強く輝いている。
彼は無駄のない動きでこちらに近付くと、私に手を差し出して助け起こしてくれた。
「あの、ありがとうございました」
彼とルカリオに、助けてもらった礼を述べる。彼は「どういたしまして」と笑ってから、ハガネールの方に視線をやった。
「……それより、気付いたかい?」
眉間に皺を寄せて真剣な眼差しでハガネールを見つめる横顔。彼はなにについて尋ねているのかを明確に口にしなかったが、彼の意図ははっきりわかった。私も同じく違和感を感じていたからだ。
普段なら逃げられた状況だった。だけどこのハガネールは私たちに執拗に攻撃を加えてきた。
「このハガネール、なんだかすごく攻撃的でした」
「そうだね。ハガネールだけじゃない。さっきからこの辺りのポケモンたちがなにか騒がしいんだ……」
そこで口を噤んだ彼は、私とゴーストを交互に見て、唐突に「私はゲン」と自己紹介をした。
私は慌てて、「私は、ナギサシティのナマエです。こっちはゴースト」と自己紹介を返す。
ゲンさんは周囲を見渡してから、静かに笑ってこう続けた。
「ここは危険だ。よかったらいっしょに行こう」
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