その晩は、鋼鉄島の船着き場の近くにある山小屋で一夜を明かした。
翌朝、ゲンさんは私を定期便まで見送りに来てくれた。暗い鉱山の中では分からなかったけれど、彼の服はルカリオの体の様な深く美しい青色をしていた。それは彼の知的な眼差しによく似合っていると思った。

私たちは橋げたのたもとで分かれの挨拶をする。
その最後に、ゲンさんは「ナマエ、よかったらこれを貰ってくれないか」と言って、怪力の秘伝マシンを差し出した。
彼の穏やかな笑みに促されるまま、私はそれを受け取る。

「もっとも、使うにはミオのジムバッジが必要だけどね」
「ミオジム……」

私がゲンさんの言葉を反芻すると、彼はミオのジムリーダーが堅固な鋼タイプの使い手であることと、彼がよくこの鋼鉄島で鋼タイプのポケモンを相手に修行をしているのだということを教えてくれた。
ジムリーダーについて話すゲンさんの眦が、いつもよりも少し柔らかいような気がする。きっとゲンさんにとって、そのジムリーダーはとても尊敬できる人なのだろう。

私はゲンさんに、ミオに戻ったらジムに挑戦すると約束した。怪力の秘伝技のこともあったけど、なにより。彼の信頼厚いジムリーダーとのバトルは、きっと私になにかを与えてくれると思ったのだ。

「ゲンさん、本当に、いろいろありがとうございました」
「私の方こそ。きみと一緒にいてとても面白かったよ。ありがとう」

その時、わたしの背後で高らかな汽笛が鳴った。出航の合図だった。

――お別れだ。
ゲンさんはもう少し鉱山に残って、ギンガ団の影響がないかを調査するのだという。
私は最後に一度ぺこりとお辞儀をしてから、桟橋を駆け渡って船に乗り込んだ。そして船の柵から身を乗り出すようにして彼に手を振る。ゲンさんは優しく微笑んで、「またね」と言って小さく手を振り返してくれた。
私はゲンさんが、そして鋼鉄島が見えなくなるまで、船尾のデッキに佇んでいた。




お昼過ぎに鋼鉄島を出発した定期便は、夕方近くにミオに戻ってきた。
鋼鉄島でバトルを繰り返したゴーストたちは、少しお疲れ気味だ。今日はポケモンセンターで早めに休んで、明日、ミオジムに挑戦しよう。

私はタイル張りの港をゆっくりと歩いてポケモンセンターに向かう。そのうちに日が傾いて、港を濃いオレンジ色に染め上げた。

港の北端近く、外洋と港を隔てる跳ね橋から、どこまでも続いていく海を眺める。
船を下りたときには海から吹いてきていた風が、いつの間にか止んでいた。波の音が、少しだけ大きくなったような気がする。
故郷のナギサでは、夕日ははるか向こうのテンガン山に向かって沈んでいくから、複雑な陰影を落としながら水平線の彼方に沈んでいく太陽は私にとってとても珍しく感じられた。

私の隣をふよふよと浮かぶゴーストとは、そう言えばテンガン山の西側で出会ったことをふと思い出す。
ゴーストは、テンガン山の東側で山の稜線に沈んでゆく太陽を見てどう思ったんだろう。私と同じく感慨深い気持ちになって、それからちょっと故郷のことを思い出したりしたんだろうか。

私の視線に気付いたゴーストが、なんだい? というように首を傾げる。
私は少し笑って「なんでもないよ」と言ってから、止めていた足をゆっくりと動かしてポケモンセンターへ向かった。




私がその建物に気が付いたのは、太陽がミオの沖にすっかり沈んだ頃のことだった。夕闇が忍び寄るミオの街並みの北東側、海にほど近いエリアに、ぽつんと建っている古めかしい旅館があった。
タウンマップを見た時は、こんなところに宿泊施設の標示はなかった気がする。しかし、ミオの海を背負って建つその建物は、ところどころ剥がれてぼやけた文字で「波止場の宿」と書かれた看板をはっきりと掲げていた。

いつから忘れられているのかわからないが……、ドアや木枠は長年塗り替えられていないせいで、もうすっかり朽ちている。潮風の影響で蝶番は見るも無残に錆びていて、少しでも触れればぼろぼろに崩れてしまいそうだ。
にもかかわらずこの宿が崩れずに立ち続けていられるのは、ひとえにその強固なレンガ造りのおかげだとすぐにわかった。風雨でもうすっかり角は丸くなってしまっているが、漆喰で固められたレンガはしっかりとかみ合って、建物の形を今に留めている。

ポケモンセンターに向かっていた足が、なぜか止まる。
どうしてだかは分からない。しかし、その宿に私は強く惹かれた。あそこに入ってみたい。そう思い宿に向けて足を出しかけた矢先。

私につられて立ち止まったゴーストが小さく、そして低く鳴いたのを聞いて、私ははっと我に返った。何かを警戒するような、或いは忌避しているような声。
あそこは危ない。私は直感的にそう確信した。建物が古くなっているからというのももちろんだが、私がこの宿を危ないと思ったのには他の理由があった。かつて足を踏み入れて大変な目にあった、森の洋館。それによく似た雰囲気を、この宿は濃厚に発していたのだ。

私はその場でじりっと後ずさると、そのまま踵を返して歩きだした。いつの間にか凪を終わらせる陸風が吹いていて、並んで歩く私とゴーストの背をそっと押してくれているようだった。


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