その小山は、私の足元にある湿った泥状の土とは違う、もっと硬そうな岩石でできているようだった。どことなくテンガン山に似た雰囲気のある岩肌。よく見ると、少し離れた向こうの岩肌に、洞窟の入り口のような亀裂が走っている。
なんだろう、と思った私がそちらに近付くと、その中からひとりのギンガ団員の女が現れた。彼女は私をこの洞窟に入れたくないようで、仲間を呼び、一斉にポケモンを繰り出してこう言った。
「あんたみたいなお子様に、幹部様の邪魔はさせない!」
その瞬間、私の心臓が大きく一度鼓動した。
この中に、ギンガ団の幹部がいる。絶対に会って、話を聞かなければならないと思った。どうしてこんな酷いことをするのか。そうまでして彼らが――いや、あの碧い瞳の男が目指す『新しい世界』とは何なのか。それを知らなければならないと思った。
彼らが繰り出したポケモンたちは、小柄な体でこちらに剥き出しの敵意を向けている。これまでに出会ってきたギンガ団のポケモンたちのほとんどと同じく、育てが足りていないのだと一目でわかった。
ボールから出したままになっていたフワライドに怪しい風をお願いする。そのおどろおどろしい旋風にまかれて、彼らはすぐに目を回してしまった。はじめの女性に呼ばれて集まった団員たちは散り散りに逃げていく。その中で、彼女はがっくりと膝をついて項垂れた。そして、その瞳だけを爛々と輝かせてこう言ったのだった。
「……行けばいいわよ。あんたひとりじゃ、絶対にあたしたちは止められない。ギンガ団は必ず新しい世界にたどり着く!」
その眩しいほどの熱を帯びた眼差しに、私は何かを返すことができなかった。
口を噤んだままフワライドをボールに戻すと、その視線を背中に感じながら、リッシ湖の湖底洞窟へ静かに足を踏み入れた。
中は、思ったよりも広い空間だった。一歩進むごとに空気が清められて、だんだんと冷たくなっていく気がする。肺に流れ込んでくる静謐な空気は、これまでの出来事で昂ぶっていた私の気持ちを少し落ち着けてくれた。
冷静さを取り戻しつつ辺りを見渡した私は、ふと、足元の地面(おそらくこれもこの小山と同じ硬い岩石質の地面に、砂塵が薄く積もったものと思われた)が、全く湿っていないことに気が付いた。その空気も、今まで経験してきたクロガネゲートやテンガン山のような砂っぽさやこもった感じはなく、とても澄んでいる。
地面も、空気も、ずっと湖底に沈んでいたはずの洞窟とは思えないほどに静謐で。なにか神聖な力で閉ざされていたとしか思えない。ここは、そんな不思議な空間だった。
私は自然と背筋が伸びるのを感じながら、この空洞を奥へと進んでいく。
そして、私の靴が澄んだ水溜りを踏んでぱしゃりと小さな水音を立てた時、私はその先に揃いの浅葱色の髪をしたギンガ団員たちの姿と、その中心でひとり異彩を放つ、深い紺色の髪の男を見つけて、はっと息をのんだ。
彼らはあちこちに広がる澄んだ水溜りを遠慮なく踏み荒らしながら、おそらく彼らが持ち込んだであろう機械の間をせわしなく動き回っていた。そんな下っ端団員たちに、紺色の髪の男はてきぱきと指示を出していたのだが。
ふと、団員のひとりが私の姿に気付いて声を上げた。それを受けて、紺色の髪の男がこちらを振り返る。
彼は、同じく深い紺色の瞳で私を見た。それから、私のすぐ後ろをついて来ていたゴーストを認めて、その双眸を警戒するようにきゅっと細める。
「……作業を続けてくれ。くれぐれもぬかるな」
彼は隣に控えた団員に冷静な声でそう言うと、静かな足取りで私の方に歩み寄ってきた。瞼の上で真っ直ぐに切り詰めた前髪を僅かに揺らして、男は私に対峙する。
その立ち振る舞いや、他の団員とは異なる意匠の服装から、私は彼がかつて戦ったマーズさんやジュピターさんと同じギンガ団の幹部であることを確信した。この湖の爆破を指揮したのも、彼に違いない。
幹部の男はその双眸を眇めながら、「なんの用だ」と嫌悪の滲む声で言った。
私はリッシ湖の空洞の空気を肺に満たすように深呼吸をする。この場の不思議な力を借りて決意を固めた私は、目の前の男にこう尋ねた。
「私たち、リッシ湖の神様について調べるために近くまで来ていたんです。そしたら、大きな音がして……。慌てて湖にきたら、湖はなくなっていて、あなたたちがいた。
あなたたちこそ、ここでなにをしているんですか?」
私がリッシ湖の神様のことを口にした時、男はその双眸を僅かに見開いて驚いたような表情を作った。しかしその瞳にはすぐに嫌悪の色が戻ってくる。そして、男はやや視線を落として「……リッシ湖の神を調べる、か」と呟くように言ってからその視線を持ち上げる。
「お前は我々の前に何度も現れているようだが、なにが目的なんだ? 誰かの指示か? そうでなければこうも毎回同じ子供に邪魔をされることの説明がつかない」
その手を後ろでゆるく組んで、その首を僅かに傾けて、ギンガ団幹部の男ははっきりとした口調でそう詰問した。その動作が、私が会いたいと願ってやまない水色の髪の男によく似ているのに気が付いた私の脳裏に、ひとつの仮定が浮かぶ。
これが意識してのことか、無意識なのかは分からないが、もしもその動作の端々で敬愛する者を真似ているのだとしたら。あの水色の髪の男は、幹部にまで慕われる立場ということにならないだろうか。組織内で幹部に慕われる立場といえば、もうその組織のリーダーしかいないように思われた。
これはなんの根拠もない私の直感に過ぎなかったが、しかし、これまでのあの人の言動を思い返せば返すほど、私の直感が肯定されていくような気がした。
今まで出会ってきたギンガ団の関係者の中で、あの人だけが具体的なヴィジョンを持っていた。世界を創りかえると言う時に、他の下っ端団員や幹部たちが『私たち』という複数形の一人称を使う中で、あの人だけは『私』と言い切っていた。
――やっぱりあの人は、ギンガ団のトップなのだろうな。あの人のことがまたひとつわかって嬉しいのと同時に、こうして爆弾を使う集団のトップにあの人がいる事実が私の胸を激しく苛んだ。
私は脳裏に蘇るあの人の眼差しを、その暗く冷たい碧をはっきりと思い出しながら「誰かの指示なんかじゃない」と言い放った。溢れ出す想いのせいか、意図せず語気が強くなる。私はその勢いのまま続けた。
「私はただ、会いたい人がいるだけ。会って、話して、その真意を知りたいと思う人がいるだけです」
あえてそれが誰かは言わなかった。幹部の男は私の回答が不服だったようで、目尻の持ち上がった双眸を不快そうに眇めた。
「そんな理由でギンガ団の崇高な理念を邪魔していたとはな」
ギンガ団の崇高な理念。それはあの人の頭の中にある『新しい世界』のことをさしているのだとわかった。
――もしかしたら、この幹部の男は知っているのだろうか。あの人の言う新しい世界のことを。心があるせいで争いが起こるのだと言っていたあの暗い瞳の奥にあるものを。
可能性があるなら、尋ねずにはいられない。私は彼と対話を続けるために慎重に言葉を選んだ。あの人が、ギンガ団が破壊を行おうとするのを私は止めようとしているけれど、それはあの人の邪魔をしたいからではない。まずはそれを伝えなければならないと思った。
「邪魔をする気はありません。私はあの人が本当に望んでいることのためなら、自分にできることをしたいと思ってる」
これは私の本心だったのだけれど、幹部の男の信用を得るには足りなかったようだ。
彼はその瞳の奥に冷たい拒絶の色を湛えて「見え透いた嘘をつくな」と吐き捨てるように言う。そして、一呼吸置いてから、静かな、しかし敵意を隠さない声でこう続けた。
「お前の顔なら知っている」
聞けば、ハクタイのアジトで私と会敵したジュピターさんの報告により、私のことはあの人――即ち彼らのボスをはじめ、すべての団員に共有されているようだった。もちろん、彼らの敵として。
それは違う。と言いそうになって私は慌てて口を噤む。一方的な否定をしては、幹部の男と分かり合えるはずもないと思ったからだ。私はなんとか自分の想いを伝えるための言葉を探す。
……しかし、そんな都合のいい魔法の呪文のような言葉なんてあるはずもなくて。私は自分の無力さに打ちひしがれながら、小さく唇をかみしめる。
せっかく幹部に会えたのに、黙っていてはだめだ。そう思った私は、思い浮かばない友和の言葉の代わりに彼らに当初の疑問をぶつけることにした。
このリッシ湖で何をしていたのか。リッシ湖を、そこに住むポケモンたちを傷付けることは、あの人が本当に望んでいることなのか。
どうか、そうでないと言って欲しい。
そんな私の胸中なんて知るはずない幹部の男は、ごく当たり前のことのように「これは全てボスの指示だ」と言い放った。
事実を受け入れる心構えはしていたけれど、やはり心臓が嫌な音をたてて鼓動することは止められない。
なるべくゆっくり呼吸をして平静を保とうとする私に、幹部の男は嗜虐的な微笑みを浮かべてこう付け加えた。
「それから、私が受けた指示はもうひとつある。
ゴーストを連れた子供と出会ったら、その子供が二度と私の前に現れることがないようにしろ。……そう言われている」
その言葉の意味を理解した私は、自分の顔から表情が失われていくのをはっきりと感じた。
考えたくない、と思えば思うほど、私の脳はこの幹部の言葉をリフレインする。ゴーストを連れた子供が二度と自分の前に現れないようにしろ、と指示したということは、つまり。あの人は、私に二度と会いたくないと言っているということだ。
一瞬が永遠にも引き伸ばされたような時間の中で私は、これから自分の心の中に湧き上がってくるであろう悲しみの、その大きさを思って途方に暮れていた。
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