腰のホルダーを見るに、この人にはもう戦えるポケモンはいないようだった。丸腰になった彼に私はゆっくりと近付いていく。
この人に聞かなければならないことが山ほどあった。爆弾を使った理由。ギンガ団の目的。創り出したい世界について。それからなにより、碧い瞳の男のこと。争いをなくしたいと言いながら争いの種を蒔く彼の真意が知りたかった。

ゴーストを引き連れた私を見て、男が奥歯をぎりっと噛みしめたような表情を作ったその時だった。

「サターン様! 例のポケモンの捕獲及び収容、完了しました!」

私の視線の向こうから、そんな声が聞こえてきた。
サターンと呼ばれた男はそれを聞いて、僅かに逡巡するように視線を下に落とす。そして、私がその言葉の意味に気が付くより先に顔を上げると、ドクロッグたちをボールに収めて私に向き直った。

「私が時間稼ぎにしかならなかったとは……きみが強いことは認めよう。
だが、流れる時間を止められないようにギンガ団を止めることはできない!」

彼が声高にそう言った矢先、湖底洞窟の外から激しい物音が聞こえてきた。それに合わせて、彼の背後で作業をしていたギンガ団員たちが一斉に撤退を始める。
私はヒカリちゃんと顔を見合わせて頷くと、ギンガ団を追って外に出た。その瞬間、ばたばたと何かがはためくような騒音が大きくなり、激しい旋風が私たちの顔に吹き付けた。私は腕で顔を庇うようにしながら辺りを見回す。
私達の周囲を取り囲むように赤い光が点々と灯っている。その光と音の示すものを記憶から探り、あの赤い光はヘリコプターの灯火なのだということに気付いた。

目的を達したらしいギンガ団が湖から撤退しようとしている。そのことに気付いた私は、やや遅れて、先程の幹部の男の言葉の意味を理解した。
この湖で『例のポケモン』と呼ばれるポケモンを、私はたった1体しか思い浮かべることができなかった。私達がここに来る目的であった、湖の神様。彼らは、それを捕獲したと言った。
にわかに信じがたいが……この惨状を見るに、それは事実なのだろう。爆弾を使って湖を吹き飛ばすことでそこにいた意志の神を眠りから呼び覚まし、そして捕まえた。鋼鉄島で彼らが使っていた怪しげな機械から想像するに、湖の神様を捕まえるだけの科学力を持っていても不思議はないように思われた。

今度は私が奥歯を噛みしめる番だった。もしも私たちがあと一日でも早く湖に来ていたら。もしかしたら湖の爆破も、湖の神様を奪われることも、阻止できていたかもしれない。その事実が私の胸を苛む。焦る気持ちのまま私はサターンさんに問いかけた。

「ま、待って! あなたたち、何をするつもりなの!?」

彼は既にヘリコプターに乗り込んでいた。そこからこちらを振り返り、揺るぎない自信に満ちた声でこう言った。

「我々は湖のポケモンを使って新たな宇宙を生み出す。
次はシンジ湖だ。止められるというなら止めてみろ」

吹き荒れる風が一層強くなって、ヘリコプターが浮き上がる。ギンガ団員たちは激しい乱気流と荒廃した湖を残して、夜の空へ消えていった。

静寂が戻ってくると同時に、私ははっと我に返る。
爆弾によって荒れ果てた湖。この惨状を、このままにしておいてはいけないと思った。
湖のあちこちで力なく跳ねているコイキングたち。爆破でできたクレーターのふちで消え残っている火種。まずはこれらを何とかしなければ。
そのためには、水タイプであるゴルダックの力が必要だ。私は腰のホルダーに手を伸ばしかけ、そうして彼を森林火災の現場に残してきたことを思い出した。そうだ、彼を呼びに戻らないと。
私は焦る気持ちのままヒカリちゃんに向き直り、自分の考えを説明する。サターンさんが最後に言い残したシンジ湖の件は気になるが……今はまずこの惨状を何とかすることが優先だと思う。

私の話を頷きながら聞いていたヒカリちゃんは、「私もおおむねは賛成」と前置きしてから、「でも、ポッチャマたちを呼びに行く必要はないわ」と言って南の空を指差した。
そこには、星空の中をこちらに飛んでくるチルタリスの姿があった。その背には、ゴルダックとポッチャマが乗っている。聞けば、湖の惨状を見た時に直にゴルダックたちの力が必要になると思ったヒカリちゃんが彼らを呼び戻すよう手を回してくれていたようだ。私は目の前のギンガ団のことで頭がいっぱいだったけれど、ヒカリちゃんはもっと広い視野で物事を見ていたようだ。

私はヒカリちゃんの機転に心から感謝しながら、ゴルダックと一緒にまずは消え残った火を消しに行こうとする。しかし、それは叶わなかった。ヒカリちゃんが駆け出そうとした私の手を引いて私のことを引き止めたからだ。
彼女は月の光をその大きな瞳いっぱいに受け止めながらこう言った。

「ナマエちゃんは、シンジ湖に行ってくれない?」

彼女は変わり果てたリッシ湖を見渡して、こう続けた、「シンジ湖を調べるって言ってた博士たちが心配なの」

確かに、彼女の言うことも正しいと思った。もしもシンジ湖でも爆弾が使われたとしたら。更にその場に博士やコウキくんが居合わせたとしたら。

「あたしが心配しすぎてるだけかもしれない……でも、ギンガ団は何をするかわからないから。博士たちにここでのことを伝えて、何かあったらみんなを守ってほしいの。それが出来るのは、あたしじゃなくてバトルの強いナマエちゃんだと思う」

そう言いながらヒカリちゃんは腰のホルダーからボールを抜き出すと、ギャロップを繰り出した。美しい炎の鬣をなびかせながら、ギャロップが高くいななく。ヒカリちゃんはその背中を大きくなでながら続けた。

「フワライドは風向きが逆風だし、チルタリスは夜の飛行に慣れてないから……たぶん、ギャロップに乗っていくのがいちばん早いと思う。
リッシ湖はあたしでなんとかするから、お願い。シンジ湖を守って」

フタバタウン出身のヒカリちゃんにとって、シンジ湖はきっと身近で、思い出もたくさんある特別な場所なのだろう。それを守ってと彼女に言われた私の返事は決まっていた。

「……うん。わかった」

ヒカリちゃんに促されて、ギャロップがその頭を私に垂れる。私はその首元をそっと撫でて「お願いします」と言ってから、ヒカリちゃんに手伝ってもらってその背に跨った。
ギャロップの鬣は煌々と燃えているが、不思議と熱くない。私はもう一度その首を撫でてから、ヒカリちゃんに向き直った。彼女と別れる前に、ひとつ言っておかなければならないことがあった。

私はギャロップに乗るのを手伝ってくれたヒカリちゃんの手をそっと握る。そして、「ヒカリちゃん、大丈夫」と言った。

ついさっき、サターンさんの言葉を受けてあと一日早くここに来ていれば、と思った時に、私はヒカリちゃんのことを考えた。
もしも私と同じことをヒカリちゃんが考えていたとしたら。優しくて真面目な彼女は、きっとコンテストのためにヨスガシティに寄ったことを強く後悔するだろうと思ったのだ。この惨状が自分のせいで起きたんだと思って、全部を抱え込んでしまわないか心配だった。

「リッシ湖、きっともとに戻るから」

だから、自分を責めないで欲しい。後悔を背負い込んで無理をするようなことはしないで欲しい。
私の視線の先で、ヒカリちゃんは少し驚いたような表情を作る。それから、月の光を浴びてきらきらと輝くその瞳に涙をいっぱいに浮かべて大きく二度、頷いた。

「うん。ありがとう、ナマエちゃん」

私の言葉で彼女がどれほど救われたのかはわからない。絶望に打ちひしがれていた私の心を彼女の掌が救ってくれたように、私が彼女の負担を軽くできていればいいのだけれど。そう思いながら、私は馬上から伸ばした手で彼女の目尻をそっと拭う。そうして湿った指先で、ギャロップの背中に掴まった。

そんな私の背中にぴったりと寄り添うようにして、ゴーストがギャロップの背に乗る。ガスの体を縮こまらせるようにして私の影に隠れて、吹き飛ばされないように気を付けているようだ。
彼のその姿に、私とヒカリちゃんの口元が僅かに緩む。焦りと緊張で張りつめていた胸に生まれた少しのゆとりが、今はただありがたかった。私とヒカリちゃんはもう一度視線を合わせると、小さく頷き合う。

「……それじゃあ、行ってくる」
「うん。こっちは任せて」

ヒカリちゃんの「ギャロップ、行って!」というかけ声を受けて、ギャロップが駆け出した。その軽快なリズムは次第にテンポを上げて、あっという間にリッシ湖の森を抜けてしまう。
夜の暗闇をその鬣で照らしながら、ギャロップは走った。激しく上下する背中にはじめは苦労したが、ゴルダックと一緒に波乗りの練習をした時のことを思い出しながら、そのリズムに同期するように体を預ける。徐々にギャロップと息が合っていくのがわかった。彼女の足取りが次第に軽くなっていく。街を抜け、草むらを駆け、テンガン山の洞窟もほとんどトップスピードのまま駆け抜けた。

次第に背後から迫ってくる朝焼けを置き去りにするように、ギャロップはそのまま西へ駆け続ける。
そうしてシンジ湖のほとりに着いたときには、辺りは薄明るくなっていた。

「ギャロップ、そのまま湖のそばまで行ってくれる?」

走る彼女は返事の代わりにその速度を上げることで応えてくれた。最高速で湖にたどり着いたギャロップは、湖の縁に沿うように円状の軌道を描いて徐々にその速度を落としていく。
そのまま湖の奥に進む。私がかつて青い髪の男と出会った湖畔に差しかかったところで、私ははっと息を呑んだ。そこには博士とコウキくん、そして忘れるはずがない、真っ赤な髪をしたギンガ団幹部の女――マーズさんの姿があったのだ。
ヒカリちゃんの心配はどうやら正しかったようだ。私は自分の背中がぐっと緊張でかたくなるのを感じながら、ギャロップの進むに任せて彼らの間に躍り出た。


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