ギャロップに乗って現れた私を見たマーズさんは、その眉間にぐっと皺を寄せた。不快感を隠さないその鋭い眼差しにひるまないように、こちらもそれをぐっと受け止めて彼女のことを正面から見つめ返す。

私の背後から、コウキくんが私の名前を呼ぶ声がする。
つい先程、ギャロップの馬上からちらりと見えたけれど、彼の足元でハヤシガメと、それから彼のポケモンであろうユンゲラーが膝をついていた。彼がギンガ団を止めようと戦っていたのだと、すぐにわかった。
遅くなってごめんなさい。私はそう思いながらギャロップの背を下りる。両膝を軽く曲げてシンジ湖のほとりに着地した私は、ギャロップの首元を撫でてここまで休みなく走ってくれた彼女にお礼を言ってから、まずはコウキくんとナナカマド博士の方を振り返った。

博士はギンガ団の下っ端団員に両脇をかためられていた。腕を拘束されてしまってはいるが、見たところ怪我はなさそうだ。ただ、いつも精悍な顔が、今は狼狽に歪んでしまっている。

「ナマエ……ヒカリは無事なのか?」

博士は震える声でそう尋ねた。恐らく、ギンガ団からリッシ湖のことを断片的に聞かされたのだろう。爆弾で湖を吹き飛ばしたと聞かされては、そこに向かった私とヒカリちゃんのことを心配しないわけにはいかないはずだ。
私は自分とヒカリちゃんは無事であることを手短に伝える。すると博士は張りつめていた目元を少しだけ和らげて「そうか……」と言って肩の力を抜いた。

ナナカマド博士のその様子を見てわずかに安堵した私に、か細い声がかけられた。

「ナマエちゃん、湖のポケモンが……」

声のした方に視線をやる。ユンゲラーをボールに収め、うずくまるハヤシガメに寄り添ったコウキくんが、顔を上げて私を見つめていた。
湖のポケモン、と聞いて、私ははっとしてシンジ湖に目をやる。滔々と水を湛えた湖の真ん中に、つい先程リッシ湖の湖底で見たものとよく似た岩石質の小島が現れていた。かつて水色の髪の男とここで出会った時にはなかったはずのその小島には、洞窟の入り口のような亀裂が走っており、今まさにそこからギンガ団の小型艇が出発したところだった。
あの船にシンジ湖の神様が捉えられているのだということがすぐにわかった。私は慌ててコウキくんの方を振り返る。彼は悔しさからかその唇を真横に引き結んで、私にその眼差しでこう訴えかけていた。ギンガ団を倒してくれ。倒して、湖のポケモンを取り返してくれ。

「なによ、そんな見つめ合って。仲良しカップルのつもりで助けに来たわけ?」

苛立ちを隠さない声が、そんな私とコウキくんの間に割り込んでくる。
私は「任せて」と言うようにコウキくんに小さく、しかししっかりと頷いてから、マーズさんの方に向き直る。私が初めて出会ったギンガ団の幹部。忘れもしない深紅の瞳が鋭く細められて、私を射抜いていた。
戦う前から負けてはいけない。私はそう自分を鼓舞して、彼女のその嫌悪の眼差しを正面から受け止める。すると彼女の表情が一層険しくなった。

「その顔ッ」

吐き捨てるようにそう言った彼女は、素早い手つきでボールを抜き出す。そしてまるで手負いのグラエナの様に敵意を剥き出しにしてこう続けた。

「二度とそんな顔ができないように、あたしたちの前に現れないようにしてやる!」

ギンガ団の前に私が現れないようにする、というその言葉は、つい先程リッシ湖でサターンさんに言われたギンガ団のボスの言葉を思い出させた。おそらく彼女はボスのその指示を遂行するために、私を全力で叩き潰すつもりであるらしい。
私はどうしようもなくちくりと痛む胸の内を悟られないように、短く息を吸い込んだ。そして覚悟を決めるように息を整えて身構える。

彼女が繰り出したのは、かつて谷間の発電所で戦ったブニャットだった。
あの時と同じふてぶてしい表情でこちらを見つめるブニャットが甲高く一声鳴く。すると、私たちを取り囲んでいた下っ端数人が一斉にボールを投げた。現れたのは小柄なニャルマーたち。正直なことろ、ニャルマーが数体増えたところでゴーストの敵になるとは思えない。
……しかし。マーズさんはかつてブニャットでゴースを相手にし、敗れている。もしも私だったら、なんの作戦もないまま再戦を挑んだりしない。とすると、この数体のニャルマーはマーズさんにとって戦況を変え得る切り札であると考えるべきではないだろうか。
そんな私の仮定を裏付けるように、背後のコウキくんがはっと息をのむ。その息遣いから、彼が相手のこの布陣に覚えがあることがわかった。コウキくんを負かすだけの仕掛けが、この布陣にはあるのだと確信した。

私は少し考えてゴーストとサマヨールを繰り出した。
攻撃の得意なゴーストと、守りの固いサマヨール。相手のどんな作戦にも彼らとならきっと対応できる。してみせる。

マーズさんがボスのために私を絶対に倒さなければならないように、私もあの人に会うために絶対に負けられない。

「ふたりとも、お願い!」

夜明け前の澄んだ空気に、私の声が小さく響く。
私の声を受けてゴーストが勢いよく飛び出し、その後にサマヨールが続いた。

視線の先のマーズさんは眉間に深い皺を刻んでその眉を吊り上げたまま、形の整った唇を開いて鋭く息を吸い込む。
そして、「いくよ、ブニャット!」とよく通る声を響かせた。


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