彼の名前は、ヒョウタさんというらしい。若くしてジムリーダーと炭鉱のまとめ役を兼任していると聞いて、私は感嘆の声をもらした。
私も自己紹介をして、ナギサからきたことを伝える。すると、彼は目を丸くして「もしかして、デンジの?」と尋ねて、眼鏡をずりあげた。私はそれに小さく頷く。ヒョウタさんは「そうか」となにかを思案するように頷いてから、その口角を僅かに持ち上げて、どこか愉快そうに「君がか」と呟いた。
ポケモンセンターの前まで送ってくれたヒョウタさんは、私にコートを渡すように言った。
疑問に思いながらもコートを脱いで彼に渡すと、「クリーニングして明日返すよ」と、爽やかな笑顔でそう言われた。
確かに、今日一日炭鉱を歩いたために白いコートはくすんでしまっていた。
しかし、だ。私は「そんな、悪いです!」と反論したのだが、彼はにこにこと笑ったまま、「いいんだよ、それじゃあ」と別れを告げて、さっさと帰路についてしまった。
……シンオウの夜にコートなしで彼を追う気にはなれなくて。私は諦めてポケモンセンターに入っていった。
日暮れ時のポケモンセンターは混雑する。暖房の効いた室内に頬を緩めつつ、順番待ちのためにソファーに腰掛けた。
隣にいた初老の紳士が新聞を見ながら、「うーむ」と低く唸る。難しい記事でも読んでいるのだろうか。
私はポケッチのアラームを明日の朝にセットしながら明日の予定について思案していたのだが、不意に、隣の紳士から「つかぬ事を伺いますが、」と話しかけられてその手を止めた。
彼が読んでいた新聞は丁寧に折り畳まれ、その膝の上に置かれていた。私が「はい、」と返事をすると、彼は少しだけ声を低くして話を始めた。
「ギンガ団を知っていますかな?」
ギンガ団。
聞き覚えのある単語だった。私は頭の中の引き出しをいくつか開けて、比較的新しい記憶の中にそれを見付けた。確か、国際警察のハンサムさんが追っていた組織の名前だ。
私が名前なら知っていますと答えると、彼は再び「うーむ」と唸って難しい顔をした。
この人は、ギンガ団についてなにか知っているのだろうか。私が教えを請うと、彼はその口をゆっくりと開いた。
「ギンガ団は、夢のエネルギー開発をうたっている謎の組織だ。
しかし裏では人のポケモンを盗んだり、悪事を働いているらしい。
そしていちばん謎なのは、」
そこで彼は言葉を切り、自身の膝の上にある新聞に視線を落として続けた、
「メディアがそれを全く報じないことだ」
ポケモンセンターの待合室に置かれたテレビは、テレビコトブキ制作の楽しげなバラエティー番組を流している。待合室の人々は、それを見て微かに、しかし無邪気に笑っていた。
「謎だ。謎めいておる」
ほとんど嘆くように、初老の紳士はそう口にした。
「……ほんとか嘘かはわからないんですけど、」
私は白の混じった眉を僅かに持ち上げてこちらを見た男性に、周りの人に聞こえない声でこっそりと耳打ちをした。
「国際警察がギンガ団を追ってるらしいです」
ハンサムさんのことを言ってもいいのかわからなかったけれど……。でも、心配そうな様子のこの人に秘密にしておくのもはばかられて、私は国際警察のことをそっと彼に打ち明けた。噂ということにすれば大丈夫だろう。そう自分を納得させる。
初老の男性は『国際警察』という言葉に面食らったように目を丸くする。それから「そうか。本当だといいがなあ」と少し笑ってから、「お嬢さん、妙なことを訊いてすまなかったな」と言って私に不思議なアメをくれた。
それから彼は待合室のテレビに視線を移して、無機質な瞳でそれを眺め続けていた。
その夜、私はポケモンセンターの片隅に設置されている自由に使える共用のパソコンで、ギンガ団について調べてみることにした。
悪いことをしているわけではないのだけれど、肩身の狭い気持ちになってしまうのはどうしてなんだろう。私は周囲に誰もいないことを確認してからパソコンに『ギンガ団』と打ち込む。検索のボタンを押すと、数えきれない程のページがヒットした。私が知らなかっただけで、また公のメディアが報じないだけで、その噂は水面下でまことしやかに囁かれているようだった。
あの紳士が言っていたようにエネルギー開発を行う科学組織という見解から、窃盗や生物実験を行う闇の組織だという恐ろしい意見まで幅広い情報があったが、それはどれも想像の域を出ていない。
エネルギー開発の利権が欲しいんじゃない?
いや、そのエネルギーを使って生物実験しまくってるんだよ。
生物実験やってるってみんな言ってるけど証拠あるん?
てかそもそもギンガ団ってなんのために活動してんだろ。
そんな風に、画面の向こうにいるであろういろんな人たちがギンガ団についての情報や、疑問、思うところなどをそれぞれの口調で書き連ねている。そのほとんどが犯罪をにおわせるような内容を含んでいて、私は思わず眉間に皺を寄せてしまう。
なにが本当でなにが嘘かわからない私は、とりとめのない情報と悪意の波に飲まれて、なんだか少し疲れてしまった。
今日はこれで最後にしようと開いたページで、私は聞き覚えのある文章を見付けて背筋が凍りつくのを感じた。
『流れる時間、広がる空間、
それを手に入れようとしているらしい』
シンジ湖のほとりで出会った碧い瞳の男が脳裏に蘇る。
時間と空間を自分のものにすると言い、暗い瞳で湖面を眺めていたあの人。
まさか。そう思いつつ、しかし私はそれをうまく否定できないままパソコンを閉じた。
重い足取りでベッドに入り、目を閉じる。
明日は初めてのジム戦だから。私はあの男の狂人めいた笑みを頭の隅に追いやって、なんとか眠りについた。
[ 18/209]← →