マーズさんの作戦は、単純だが効果的だった。
飛び出したゴーストに向かって、ニャルマーたちが一斉に誘惑をしかけたのだ。甲高いような甘い鳴き声には異性のポケモンの集中力を乱す波長が含まれているようで、ゴーストの技の威力はがくっと落ちてしまった。試しに放ったシャドーボールは、ブニャットのシャドークローであっけなく相殺された。一方サマヨールの攻撃はブニャットのしなやかな身のこなしに翻弄されてしまい、簡単には当たりそうにない。
一旦ゴーストを引いて体勢を立て直そうとしたが、それもマーズさんの繰り出したゴルバットの黒い眼差しによって阻止されてしまった。
「はい、これでゴーストはおしまい」
ゴルバットのけたたましい鳴き声を背景にして、これでもう手も足も出ないでしょう、とほくそ笑むようにマーズさんが言う。
悔しいけれどそれは間違いではなかった。実際、ゴーストの攻撃はブニャットに通用しなくなってしまっていたし、交代も封じられてしまっていた。このまま正攻法ではマーズさんに勝つことはできないだろう。
だが、私は気付けば返す刀で彼女に反論していた。
「そんなことない。ゴーストはまだ戦えます!」
有体に言えば、私の大切な仲間のことを馬鹿にされた気がして、彼女のその口調に腹をたててしまったのだ。ゴーストのことをもう役に立たないと一蹴した彼女を、なんとしても見返してやりたかった。
「ゴースト、呪い」
私がそう言うと同時に、ゴーストの双眸が紫黒に揺らめく。そして次の瞬間、淀みなく羽ばたいていたゴルバットの翼が一瞬強張るように引き攣った。
呪いは、自分の体力と引き換えに相手にダメージを与え続ける技だ。ゴーストが傷付くから普段はあまり使わないようにしているけれど、今だけは別。マーズさんに馬鹿にされたまま引き下がることが、どうしてだかできなかった。
「ゴーストを役立たずみたいに言ったの、取り消してください」
「ふん。あんたの思い通りにするのだけは絶対にイヤ!」
マーズさんはそう言うが早いか、すぐに私から視線を外してゴルバットに指示を飛ばす。
「ゴルバット、振り切るのよ!」
「逃がさないで!」
ゴルバットはゴーストの呪いを振り切ろうと素早く鋭い軌道でシンジ湖の上空を飛び回る。ゴーストはそれを逃さないように自慢のスピードで同じく宙を舞った。ゴルバットが時折放つエアカッターを器用に躱して、少しずつではあるが距離を詰めていくゴースト。
ちょっと攻撃力を下げられたくらいで役立たずにはならないってことを証明したいのは、きっと私よりもきみの方だよね。闘志を隠さずに空を滑るゴーストに空中戦を任せた私は、サマヨールの背中越しにブニャットに向き直る。サマヨールにはブニャットを倒すためにゴーストの補助をしてもらおうと思っていたけれど、攻守交代だ。
ゴーストに追い立てられるゴルバットから視線を外して、マーズさんがこちらに向き直る。そして小さく舌打ちをしてから、ブニャットにシャドークローを指示した。
ブニャットは前足の爪先に体重を乗せて構えを作る。おそらくはしなやかな身のこなしで一気に距離を詰めてくるはずだ。その直線的な軌道を思い描きながら、私はサマヨールに鬼火をお願いした。
サマヨールの赤い瞳が怪しく揺らめくと同時に、彼の正面に現れた鬼火がブニャットに向かって滑空していく。攻撃の勢いに乗っていたブニャットはそのまま鬼火の中を突き進み、鋭いシャドークローを放った。その気迫に押されないように私は声を張り上げた。
「受け止めて!」
ブニャットの爪がサマヨールに届く。サマヨールは体の軸を少しだけ後ろに逸らして攻撃の間合いをずらし、ダメージを軽減した。そのまま右足を踏み出して大きな手でブニャットの両肩を捕まえる。ブニャットがけたたましい声を上げてサマヨールを威嚇する。柔らかい体を左右に捩じって逃れようとするが、それよりもサマヨールが次の攻撃に移る方が僅かに早かった。
「そのまま怪力よ!」
サマヨールは私の声を受けて、全身に力を込めるように低く短く鳴く。そして溢れる怪力でブニャットをぐっと持ち上げると、そのままマーズさんの足元へ投げ飛ばした。
ブニャットは軽やかな身のこなしで空中を一回転して着地をしてみせる。しかしそこに息をつかせぬようにサマヨールの追い打ちが炸裂した。ブニャットの体が弾き飛ばされ、マーズさんの横を抜けて背後の木に打ち付けられる。
マーズさんは悲鳴に近い声を上げると、ブニャットに駆け寄った。そして、木にぶつかった拍子に樹上から落ちてきた雪を手早く払ってブニャットのことを呼ぶ。
ブニャットはふるふると頭を振りながら立ち上がると、主の思いに応えるように短く鳴いて彼女の前に出た。
そして、サマヨールと睨み合うこと数秒。不意に、ブニャットが甲高く鳴いた。それを合図にして、私たちの周りに控えていたニャルマーたちが一斉にこちらに向かって駆け出した。先程の反省を踏まえてか、直線的な軌道ではなくランダムに左右に切り返しながら、警戒を怠らずに徐々に距離を詰めてくる。
確かに、普通であればサマヨール1体でこれだけのニャルマーとブニャットを全て相手にすることはできない。数の利を活かして徐々にこちらを追いつめる、容赦のない作戦だった。
私の背後でコウキくんが「卑怯だぞ!」と声を上げる。
マーズさんはそんな非難はもろともしていないようで、「うるさいわね、勝てばいいのよ!」と彼の言葉を一蹴すると、ブニャットたちにシャドークローを指示した。
迫りくるブニャットとニャルマーたちの爪。そんな中で私は、自分でも驚くほど落ち着いてその様子を見ていた。理由は単純だ。私とサマヨールは、この状況をひっくり返せると確信できるだけの選択肢を持っていたから。
サマヨールも同じように感じているのだろう。迫る爪を見ながら、慌てる様子もなく静かに私の指示を待っている。
私は少しだけ後ろを振り返ると、コウキくんに小さく「大丈夫」と呟いた。彼は私の言葉の意味を図りかねたのか、眉間に苦しそうな皺を刻みながらその瞳を丸くして私を見つめている。
私は少しでも彼に安心してほしくて、なるべく穏やかな声でもう一度「大丈夫」と囁いてから、視線で背後を――ギンガ団の男たちに拘束されているナナカマド博士の方を示した。
「博士をお願い」
私のその短い言葉から全てを察してくれたコウキくんは、はっとしたように小さく頷いて、それからすぐに博士の方に踵を返してくれた。
私はそれを視界の隅で見送りながら、マーズさんの方に向き直る。勝つために手段を選ばなかったマーズさんの、その瞳の奥に宿る強い輝きが私の意識を惹きつけたのは刹那。
私はすぐに視線を彼女からサマヨールへと移すと、その背中に向かって小さな声で「地震」と呟いた。
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