ヘリコプターの轟音が去ったシンジ湖に、静けさが戻ってくる。テンガン山の向こうから昇ってきた朝日が静かな湖面を照らす中、私は博士とコウキくんの方を振り返った。
コウキくんはハヤシガメの背中を撫でて彼をボールに収めてからすくっと立ち上がる。そして私の方へ駆け寄ってきた。
私は少し迷って、「ごめんなさい」と言った。彼から託された湖のポケモンのことを守れなかったから。
コウキくんはその優しい双眸を少しだけ辛そうに細めてから、その首を左右に振る。そして、「いや、僕の方こそ、ごめん」と言った。何故彼が謝るのかうまく理解できなかった私は小さく首を傾げたが、彼が私の問いに答えをくれることはなかった。代わりに、少しだけ微笑んで「ナマエちゃんが無事でよかった」と言ってくれた。
そんな私たちを向こうで見守ってくれていたナナカマド博士が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。そして、「そう、みなが無事で本当によかった」と言い、私とコウキくんの肩にそっと手を置いた。
「疲れただろう。研究所に帰ろう」
私とコウキくんは、博士のその言葉にただ心から頷いた。昨晩から騒動の連続で、もうすっかり身も心も疲れ切っていた。
そんな私たちのことを労うように、博士の筋張った手が私とコウキくんの背中を撫でてくれる。私たちはその優しさに小さく息をついてから、マサゴタウンを目指して歩き始めた。
研究所に着く頃には、もうすっかり日が昇っていた。今すぐベッドに入って眠りたいくらいに疲れてしまっていたけれど、私たちにはまだいくつかやらなくてはならないことがある。
まずは、シンジ湖に取り残されたギンガ団の残党。博士が研究所からジュンサーさんに連絡して、簡単に事情を説明してくれた。リッシ湖の爆破事件は既にシンオウ中に知れ渡っているようで、関連事案の参考人として身柄を確保する方向で警察が動いてくれることになった。
次に、湖のポケモンのいなくなってしまったシンジ湖の調査のために、博士は研究所の職員数人にてきぱきと指示を出していく。
その間に私は、ノモセシティのポケモンセンターに電話をかけていた。まだ早い時間だから繋がらないかも、と思っていたけれど、画面にはすぐにジョーイさんが現れた。聞けば、リッシ湖から運ばれてきた野生のポケモンたちの手当てが今しがた一段落したところなのだという。傷付いたポケモンがみんな治療を受けられたことにほっとしながら「そちらにヒカリちゃんというトレーナーはいますか?」と尋ねると、ジョーイさんは「いるわ。マサゴタウンから連絡があったらすぐに繋いで欲しいって言われていたのよ。ちょっと待ってて」と言って画面を保留にする。
少し待って再び点灯した画面には、煤で頬のあたりを黒く汚したヒカリちゃんの姿があった。私たちはお互いの名前を呼び合い、まずは無事を喜んだ。そして、博士も加わったところで現状を報告し合う。
リッシ湖の火災は、爆発の音を聞いて駆けつけてくれたマキシさんをはじめとしたノモセジムのトレーナーたちの協力もあり、あの後すぐに鎮火したそうだ。それから彼らと一緒に傷付いたポケモンをノモセのポケモンセンターに運び、その治療の手伝いをしていたのだという。
荒廃した湖については、ノモセの大湿原を爆破から復旧した経験のあるマキシさんたちの手で復元する計画が持ち上がっているらしい。
私はリッシ湖が一日でも早く元の姿に戻ることを祈りながら、今度はシンジ湖のことを話し始めたコウキくんの言葉に耳を傾ける。
リッシ湖での爆発から少し経った頃、博士とコウキくんは小さな地震で目が覚めたらしい。震源を確認すると、シンジ湖の真ん中だった。湖になにかあったのだろうか。そう思ったコウキくんたちは準備を整えて湖に向かい、そこでギンガ団と鉢合わせをしたそうだ。
「湖の真ん中に見たことのない小島が浮かんでいて、その中からとても苦しそうなポケモンの声が聞こえてきた。なんとかしないと、と思って無我夢中で戦ったんだけど、僕じゃ歯が立たなくて……そこにナマエちゃんが来てくれたんだ」
コウキくんの視線を受けて、今度は私が話しだす。ギンガ団の幹部と戦ったこと。湖のポケモンは取り返せず、生け捕りにされてしまったこと。
「……私の知ってることは、ここまでです」
私のその言葉を受けて、博士が咳払いをしてからこう続けた。
「まずは、みなが無事でいてくれて本当によかった。ヒカリも、コウキもナマエも、よくがんばってくれたな。ありがとう」
そして、湖の調査はここまでにしようと静かな声で続けた。私としても心残りがないわけではないけれど、でも、こんなことになってしまってはもう私たちで湖の調査なんて言っていられない。あとのことは警察に任せて、私たちはそれぞれの旅に戻った方がよさそうだ。
そんな中、ヒカリちゃんが思い出したように幼馴染の名前を呟いた。
「そう言えば、ジュンは……?」
そうだった。彼は一番道のりの険しい北端のエイチ湖を目指して飛び出して行っていたのだった。
博士はすぐにもう一台の通信端末でキッサキシティのポケモンセンターに電話をかける。しかし通信状況が悪いのか、画面は砂嵐のままだ。コウキくんがパソコンで調べたところによると、どうやらキッサキには今年一番の寒波が訪れているようだった。連日に渡って吹き荒れている猛吹雪のせいで通信状態がよくないのだろう。寒波がいつまで居座るかわからない状況では、通信の方もいつ回復するか見込みが立たない……。
ギンガ団がエイチ湖にも現れるかどうかは分からない。現れたとして、そのタイミングがジュンくんが湖に行くのと同じかどうかも分からない。冷静に考えればジュンくんがギンガ団と鉢合わせる可能性はずっと低い。しかし彼に万が一のことがあったらと思うと、私たちはその可能性を捨てきれない。
この沈黙を破るのは私しかいないと思った。
「私、ジュンくんを追いかけます」
幸いにも、私はつい先日エイチ湖に行くつもりで装備を整えたばかりだった。そのことを説明して、「もともとエイチ湖に行ってみたいと思っていたところだから、丁度いいです」と付け加える。
私の言葉に一番に反応したのはヒカリちゃんだった。彼女は幼馴染のことを心の底から心配してるようで、「ジュンをお願い」と言って私に真剣な眼差しを向ける。
博士はそんな私たちを見て少し考え込んでから、「ナマエ、ジュンを頼む。だが、くれぐれも無理はしないでくれ」と言って私の肩に手を置いた。
私はふたりの思いを受け取って、深く深く頷いた。
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