今年一番の寒波が来ているというシンオウの空は突き刺す様な寒さだった。私は白いコートの前を掻き合わせて少しでも体温を失わないようにしながら、辺りを見渡す。
はじめてフワライドに乗って空を飛んだときはアゲハントの群れやムクバードとムックルの親子と遭遇したのだけれど、こんなに寒くては彼らも空を飛ぶ気になれないのだろう。ポケモンのいない静かな空を、私たちは風に乗って北へ進んでいく。
吐き出した息は、地上のように白く霞む前に、澄んだ上空の空気に溶けるように消えていく。こんなに寒いのに吐息が白くならないのは、どうしてなんだろう。旅を続けていると、疑問ばかりが増えていくなあ。私はそんなことをぼんやりと考えながら、現在地を確認するように地上の方に視線を転じる。
遥か下方の大地に、色とりどりの花畑が見えた。どうやら、今はソノオの花畑のあたりを飛んでいるようだ。
ポケッチで時間を確認すると、そろそろ夕暮れ時に差し掛かろうかという時間だった。このペースでいけば、今夜遅くにはハクタイシティに着けるだろう。長時間の飛行になってしまうことを心配した私がフワライドにこのまま飛び続けられそうかを尋ねると、仲間の中で一番体力のある彼は「大丈夫、任せて!」と言うように自信たっぷりにぷわりと鳴いてみせた。
「うん、ありがとう。ハクタイまでよろしくね、フワライド」
私はそう言ってから、おもむろに視線を左手側に滑らせる。
今日は朝から厚い灰色の雲に覆われていたシンオウの空。その雲の僅かな切れ間から、ミツハニーの集める甘いミツのような色の淡い光が差し込んでいた。どうやら、この厚い雲の上で西の空はもうすっかり夕焼け模様になっていたようだ。わずかに漏れてくる陽光が雲の周辺にある水蒸気に反射して、柔らかな光のカーテンを描いている。
……そういえば、フワライドと出会ったのは、夕暮れのソノオだったなあ。
私は雲の動きに合わせてゆっくりと揺らめくようにその形を変える淡い光を見ながら、かつてフワンテだった彼と出会った時のことを思い出していた。
たしかあの日の夕空は、沈みゆく太陽の濃い橙色からテンガン山の向こうからやってくる紫紺の闇夜までが壮大なグラデーションを描いていた。そんな鮮やかな夕焼けの中からフワンテがやってきて、私の腕にしがみついたんだっけ。
どうして当時フワンテだった彼が私にすぐに懐いてくれたのか、それは今でもよくわからない。
でも、あの時のきみが私を選んでくれたから、フワライドとの旅が始まったのだと思う。楽しいことばかりじゃなかったけど、いろんなことを一緒に乗り越えて、こうしてまた一緒にソノオの夕暮れを見られたことが今はただ嬉しく、また誇らしくもあった。
「フワライド、見て」
私は、私のことをしっかりと支えてくれている彼の手をブランコの鎖よろしくぎゅっと握りながら、頭上にいる彼に向かって話しかける。
「今日の夕暮れも、きれいだね」
私のその声に、彼は小さく、しかしはっきりとした声で一度鳴いて答えてくれた。
私は彼の手をそっと握りながら、また彼とソノオに来たいな、と強く思った。きっとその時には今とはまた少し違う私とあなたになれていて、どの日とも似ていないソノオの夕焼けが私たちを迎えてくれる気がするのだ。
ソノオの空に消え残る黄金色の光を惜しむようにフワライドが速度を落としたのは数秒のこと。彼は気分を変えるようにぷわっと鳴くと、軽い空気を吸い込んで一段と高く舞い上がった。どうやら上空に吹いていた気流をうまく捕まえたらしい。北へ向かう彼の速度がぐんと早くなる。
暖かな夕焼けは次第にその姿を消して、辺りには薄闇が立ち込め始めていた。どうやらフワライドは、少しでも早く私をハクタイに降ろそうとしてくれているようだ。
私は彼のことを労う様に「ありがとう」と言ってから、月も星もない曇天の夜空をまっすぐに見据える。どこまでも続くような寂しい空の只中を、フワライドは黙々と飛び続けてくれた。
私たちがハクタイに着いた頃には、街全体が今にも眠りに着こうとしていた。ポケモンセンターの夜間通用口から中に入ると、まだお仕事中だったジョーイさんが私に明るい声をかけてくれた。
「あら、遅くまでお疲れ様です。ポケモンを休ませてあげますか?」
疲れを労うような優しい笑顔に癒されながら、私は今日一日頑張ってくれたフワライドだけでなく、すべてのボールを取り出して彼女に預かってもらう。明日からはキッサキを目指してテンガン山に入る。だからみんなにはしっかり休んで体力を回復してもらいたかったのだ。
私はひらひらと手を振るゴーストにお休みを言って別れると、手早くシャワーと夕食をすませ、そのままベッドに潜り込んだ。
連日の寝不足を解消するようにぐっすり眠って、朝はすぐにやって来た。
私はハクタイの街を軽く流すように走ってから(余談だが、カンナギタウンで聞いた通り、ハクタイの街にはそのあちこちにカンナギにあったのと同じ白い幹の木がたくさん自生していた。その幹は冬の街並みによく馴染んでいて、この木々がもうずっと昔からこの街と一緒にあるのだとわかった)、身支度を整えてジョーイさんからボールを受け取った。
そして、ポケモンセンターに併設されているレストランでみんなと朝食をとっていると、不意にジョーイさんが私を呼んだ。
「ナマエさん、昨日おっしゃっていたお荷物が届いていますよ」
私はレストランの給仕さんに断って席を立つと、急いでポケモンセンターの正面玄関の方へ向かう。
そこには、見慣れた私の鞄と、それを守るようにそばに控えるムクバードの姿があった。その首元には、テレビのCMで見慣れたムクバード便のマークが書かれた青いスカーフが巻かれている。
私は配達をしてくれたムクバードにお礼を言って鞄を受取ろうとしたのだが、その瞬間、鞄の隣にいたムクバードが鋭い声で鳴いてそのくちばしをこちらに向けて構えてきた。
鋭いくちばしにひるんだ私は、思わず悲鳴じみた声を漏らして後ずさる。ど、どうして私の荷物なのに威嚇されているんだろう。そう困惑する私に、ジョーイさんははきはきとした声でこう教えてくれた。
「あら、ムクバード便を使うのは初めて? 本人確認をしないと荷物は受け取れませんよ」
私はジョーイさんに言われるがまま懐から自身の身分証であるトレーナーカードを取り出すと、ムクバードの左足についている小さな足輪状の機械にそれをかざす。すると高い機械音が独特のリズムで数回鳴った。それを聞いたムクバードは私に会釈をするように頭を下げると、一歩下がって荷物を引き渡してくれた。
聞けば、ムクバード便は誤配送防止のために受け取り前の本人確認が必須となっているらしい。今回であれば、私のトレーナーカードに入っている名前などの情報が、差出人の記載した伝票と合っているかをあの小さな機械で確認したようだ。そして本人確認音を聞いたムクバードは、私を届け先の本人と認めて荷物を渡してくれたのだろう。
ムクバードはその豊かな翼を額にかざして凛々しく挨拶をすると、そのままこちらに背を向けて颯爽と飛び上がる。そして力強い羽ばたきを残して、空の向こうへ消えていった。
全く無駄のないその仕事ぶりと、最後に彼が残した精悍な挨拶から、あのムクバードが高いプライドを持って仕事をしていることが伺えた。私はあっという間に見えなくなったその背中に深くお辞儀をして感謝を示してから、鞄を手に取る。
二日ぶりに戻ってきた鞄には、ヒカリちゃんがまとめてくれたであろうテントなどが綺麗に整理されて入っていた。私はヒカリちゃんと、それからこれをここまで大切に届けてくれたムクバードに心の中でもう一度お礼を言ってから、大切な鞄をそっと胸に抱いた。
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