リーシャンたちを見送ってから再び眠りについて、翌朝。私はセットしていたポケッチの音で目覚めた。
洞窟内には当然朝日は昇らず、夜が明けたという実感はいまいちわかない。しかし、日課のランニング……というほどしっかり走ることはできなかったが、洞窟内の少し開けた場所で軽く体を動かすと、毎日の習慣のおかげで朝がきたんだなという感覚になることができた。

それからみんなでしっかり朝食をとって、昨日と似たような景色が続く洞窟を進んだ。



その場所にたどり着いたのは、お昼を過ぎた頃のことだった。
無彩色の岩石でできた洞窟内。その中で目を引く鮮やかな赤色が私の目に留まった。懐中電灯で足元を照らしながら小走りに駆け寄ったそれは、青みがかった岩にくさびで打ち付けられたシンプルな赤いリボンだった。
その瞬間、テンガン山の入り口でやまおとこさんに教えてもらったキッサキ方面への道しるべのことを思い出す。赤い印のある岩を見えたら、それを左に曲がるように言われたんだった。私は周囲を見渡して、赤い印のやや奥側に、細いが人の通れそうな亀裂が走っているのを見つけた。
おずおずと覗き込むと、狭く薄暗い道が続いていた。その奥の方に、ぽつん、と淡い電球色の明かりが灯っている。どうやら、キッサキ方面への道はこちらで間違いないようだ。

私は少し考えて、ここで休憩をしてからこの細い道を進んでいくことにした。この細い道がどのくらい続いているかはわからないけれど、この狭さでは途中で疲れてしまったとしても満足に休めないだろうと思ったからだ。

私は目印の岩の向かいにあった白っぽい石に腰かけて、鞄からチョコレートを取り出した。それをひとかけら口に含む。その甘さに頬を緩めながら、私はふと思い至って方位磁石を取り出してみる。やはり磁石は機能しなかった。この辺りは特に磁場が不安定なようで、針は右に左に不規則に揺れ続ける。

私は磁北を示すはずの赤い針が困ったように揺れているのをしばらく見てから、ふと顔を上げる。迷い続ける針とは対照的に、薄青い岩に打ち込まれた赤い印はそよとも動かない。
この赤い印も、そして洞窟内に点々と灯る明かりも、きっと昔はなかったのだと思う。テンガン山を行く人が少しでも安全であるようにという願いが、長い時間をかけて少しずつ形になっていったのだろう。そうしてたくさんの人が心を砕いてきた結果、私は今、道に迷うことなくテンガン山を進めている。

私はキッサキ方面――つまりは北を示す赤い印を見ながら、なんとなくノズパスに似ているな、とそんなことを思った。
地球の磁気を感じ取って常に北を向いているというノズパス。その赤い鼻と、微動だにしない赤いリボンが重なって見えたのはきっと偶然じゃない。ここにこの目印を打ち込んだ人も、きっと同じことを考えたんじゃないだろうか。旅人に方位を教えてくれるノズパスのように、この目印がたくさんの人の助けになりますように。そう願いを込めて青みがかったこの岩に赤いリボンを選んで打ち付けたんじゃないだろうか。

いつ、どんな人が残したかわからない目印だが、そこに残した思いは、その優しさの痕跡は、いつまでも残り続けるのだと思った。
私ははるか昔にこの印を刻んでくれた誰かのことを思いながら、小さく頭を下げる。それと同時に、いつか私もこんなふうに何かを残したいな、と漠然と思った。私にできることがあるのか、それがどんなことなのかはまだ分からないけれど……。いつか、どんな小さなことでもいいから、誰かの役に立つような何かを残したい。

私の胸の中に芽生えたそんな小さな願望を知ってか知らずか、私の周りをふわふわと漂っていたゴーストが低く鳴く。もうそろそろ出発しない? 暇を持て余した彼は、そう目で訴えてくる。

私は口の中に溶け残っていた小さなチョコレートを飲み込むと、漠然とした願望を振り払うように立ち上がった。確かに何かを残して誰かの役に立ちたいとは思うけれど、でも、それはたぶん今じゃない。今はただ、自分のために前に進まなくちゃ。

「そうだね、行こうか」

私はお尻についた砂粒をぱっと払って立ち上がると、ゴーストと一緒に細く暗い横穴へ足を踏み入れた。



その細い横穴は、僅かに下り勾配になっていた。少しずつテンガン山の下へ下へとおりていくにつれて、だんだん体感温度が下がっていく。
地熱の恩恵のあるテンガン山だから、地下に潜れば潜るほど暖かくなりそうなものだが、どうやらそうではないらしい。私はそれを不思議に思いながら道を進んだ。

はじめは真っ直ぐ北に進んでいると思っていたのだが、次第に道は曲がりくねって複雑になっていく。それに従って、ぽつりぽつりと灯っていた電灯の数が徐々に減っていった。見れば、壁面に取り付けられた照明器具のうちいくつかが明かりを放つことなく静まり返っている。たぶん、洞窟の奥に行けば行くほどそのメンテナンスも大変なのだろう。壊れたままの照明器具があっても不思議はない。

私はロトムをボールから出して辺りを照らしてもらいながら、電灯の導きを見失わないように歩き続ける。
そうして私たちは、この下り勾配の道の終わりにたどり着いた。急な傾斜にはしごが打ち込まれた、ほぼ垂直な下り坂。その向こうに、丁度この細道に入った時とよく似た亀裂が口を開けていた。この細いトンネルの出口だ。そう確信した私は白い息を吐きながらはしごを下りて、その亀裂から向こう側へ飛び出して行く。

その先に広がっていた光景に、私は言葉を失った。
ここは洞窟の中だったはず。しかし目の前には、一面霧で覆われた広い空間が広がっていた。
ロトムの投げかける光は霧に乱反射して拡散してしまい、逆に遠くを見えにくくしてしまう。

私はフワライドに霧払いをお願いした。彼は冷たい空気を吸って大きく膨らむと、勢いよくそれを吐き出して霧を晴らす。しかし、この空間があまりに広大なため、全ての霧を晴らすことは叶わなかった。
視界が開けたところまでをロトムに照らしてもらう。はじめは道を誤ったのかとも思ったが、ロトムの照らしてくれた壁に弱い光を投げかける照明器具があるので、道を間違ったわけではないようだ。

……どうやら、ここを進まないといけないらしい。
こんなに広大な空間で、小さな明かりを探して進むのは至難の業だ。それに、霧もある。あの大空洞の霧の全てを一度に晴らすことが難しい以上、道を探すのは手探りになる。しかし道を誤ったことに気付いた時にはまた霧が立ち込めていて、戻る道を見失ってしまう危険もあった。
テンガン山の入り口で出会ったやまおとこさんは、道は行けばわかると言っていたけれど……。どうやって行けばいいんだろう。唐突に障壁にぶち当たってしまって、私は思わずぎゅっと唇をかみしめた。
見れば、先程フワライドが晴らしてくれた霧もゆるゆると流れてもとに戻ろうとしている。

私はポケッチで時間を確認して、今日はとりあえずもう休むことにした。

この大空洞は、時間が経てばまた霧に覆われてしまうだろう。そんな中にテントを張る気になれなくて、私ははしごを登って先程の細い道に戻った。来た道を少し戻って、僅かに開けた場所にテントを張った。

そして、就寝の支度をした私は寝袋の中で目を閉じて考える。あの霧の大空洞を進むには、どうすればいいんだろう。


[ 190/209]



ALICE+