ポケッチのアラームで目覚めた私は、手早く朝食をとってテントを仕舞うと、意を決して大空洞へのはしごを下りた。
昨晩は思い悩む私を心配そうに見つめていたゴーストだが、今日は私の後を黙ってついてきてくれている。おそらく、私の決意を尊重してくれているのだと思う。
昨晩、テントの中で私なりに霧の大空洞を進む方法を考えた。うまくいくかはわからないけれど、とにかく一度この方法で挑戦してみようと思う。
私は大空洞に降り立つと、まずフワライドにお願いして霧を晴らしてもらう。それから、ロトムに辺りを照らしてもらって、周囲を見渡した。昨日見つけた電灯が、左手に見えた。
私は進路を確認してから、サマヨールとゴルダックをボールから呼び出した。そして、今朝テントを仕舞う時に手元に残したロープを彼らの手に結ぶ。1本目でサマヨールとゴルダックを、2本目でゴルダックと私をしっかりと繋いだ。
そして、みんなに私の考えた方法を伝えた。
フワライドが霧を晴らして、ロトムに辺りを照らしてもらうまでは昨日と一緒。昨晩私が考えたのは、サマヨールとゴルダックと私をロープで繋ぐことだった。
まず、サマヨールには起点の位置に残ってもらう。そしてフワライドの霧払いとロトムのフラッシュで進んでいくと、サマヨールと繋がったロープが伸びきるはずだ。そうしたら、今度はゴルダックに第二起点としてその場に残ってもらって、私はフワライドたちと進んで目印を探す。ロープの範囲に目印がなければ、ロープを辿ってゴルダックの所まで戻り第二起点の位置を変え、もう一度私が道を探すのだ。目印が見つかればゴルダックとサマヨールをロープを引いて呼ぶ。万が一道が見つかれなければ、起点のサマヨールのところまで戻れば迷うことはない。
「ロープを離さなければ、絶対に離れ離れになることはないの。
特に霧の中に残されるサマヨールとゴルダックは不安が大きいと思うけど、……やってくれる?」
サマヨールとゴルダックは自分の手に結ばれた命綱をじっと見て、それからお互いに視線を合わせる。彼らはどちらともなく頷き合うと、「任せて」と言うように力強く鳴いて応えてくれた。
その向こうで不意にゴーストが声を上げた。「で、俺は何をすればいいんだ?」と言うように気合い充分に尋ねてくる。
「ゴーストには、ゴルダックとサマヨールを守ってほしいの」
もしも野生のポケモンが現れてゴルダックやサマヨールとバトルになり、ロープが解けてしまったら大変だ。ゴーストにはロープから離れないように辺りを見回ってもらわなければならなかった。
責任重大な役割だったが、ゴーストはにやりと笑って自信たっぷりに頷いてくれた。私は本当に頼もしい彼のその姿に背中を押されながら、道を探して霧の大空洞へ踏み出した。
私の考えた方法は、思っていたよりうまくいった。
目印の電灯を見つけたところで、紐を引いてゴルダックとサマヨールを呼ぶ。そしてまたそこを起点に道を探す。それを数度繰り返したところで、私はこの大空洞に広がる巨大な地底湖にたどり着いた。
フワライドに霧払いをお願いする。彼がいっとう強く風を吹かして霧を払っても、湖の全貌は見えなかった。それだけ広い湖ということなのだろう。私はロトムの明かりで照らしながら湖を覗き込んでみる。水は青く澄んでいるが、その湖底は明かりが届かないほど深いようだ。ただ濃紺の暗闇が静かに揺蕩っている。
気を抜けば永遠に私を閉じ込めてしまう天然の迷路の中にあって、その湖はその危険を忘れさせるくらい美しかった。私はしばしの間、時を忘れてその湖面を覗き込んでいた。
その時だった。その湖の底に、なにか赤い輝きが見えた気がした。
コイキングの鱗だろうか。そう思った私は、ぐっと身を乗り出して美しい赤い軌跡の行方を追おうとする。優雅に体をくねらせるように水中を泳ぐそのシルエットが光の届く範囲に浮かび上がったのは一瞬だった。そのポケモンはすぐに光の届かない湖底へその姿を隠してしまう。
ああ、見えなくなってしまった。あの美しい赤い軌跡の正体を掴み損ねたことを残念に思いながら顔を上げた私は、そうしてはじめて払ったはずの霧があたりに立ち込め始めていることに気が付いた。
しまった、のんびりしすぎてしまった! そう思った私は慌ててフワライドに霧払いをお願いしようとしたのだが。ふと、その霧の流れに小さな違和感を覚えた私はとっさに口を噤んだ。そして、湖の岸に佇んだまま、ゆるゆると流れる霧に注目した。
霧は小さな水の粒だ。これだけ大きな湖があるのだから、霧は当然にこの湖から立ち上っているのだと思っていた。しかし、フワライドが霧を払った空白地帯に流れ込んでくる霧は湖の方ではなく、湖を背にして立つ私の右手側の方からゆっくりと流れてきていた。つまり、この大空洞を埋める霧を作っているのは湖ではない。あの方向に、霧を作るなにかがある。
その瞬間、私はひとつの仮定にたどり着いた。ここは、本来ならば地熱で暖かいはずのテンガン山。そのキッサキに繋がる洞窟の、おそらく一番低いところにある大空洞。
霧は暖かい空気が急激に冷やされて発生する。冷たい空気は暖かい空気よりも比重が重いから下に下に流れ込んでいく。――キッサキ側から流れ込んできた冷たい空気のせいで、水蒸気を含んだ洞窟の空気が冷やされて霧が発生しているのだとしたら。この霧が流れてくる方向に出口があるのではないだろうか。
きっとそうだ。私は霧の流れ込んでくる方へ歩きだしながら、キッサキ方面への道を教えてくれたやまおとこさんの言葉を思い出していた。
赤い印を曲がったら、あとの道はおのずと分かる。その言葉の意味を、私はようやく理解した。キッサキの方から流れ込んでくる冷たい空気。それを頼りに進めということだったんだ。
私はフワライドの払った霧が再度流れ込んでくる、その流れに逆らって進んだ。その方向には必ず目印になる電灯があって、私は自分の仮定が正しいことを確信した。
下り勾配だった大空洞の地面は次第に平坦になり、そしてついには緩やかな上り坂に転じた。大空洞の終わりが近付いているのだとわかった。私ははやる気持ちをおさえながら、最後まで慎重に進んでいく。そして、霧の大空洞に下りてきたときとよく似た急傾斜の上り坂が現れた。その向こうから冷たい空気が絶えず流れ込んできているようで、はしごはすっかり冷え切っていた。
私はここまで頑張ってくれたみんなと喜びを分かち合ってから、ロープを解いて彼らをボールに戻す。それから、鞄から防寒のための手袋を取り出した。それを両手にしっかりはめると、急傾斜に打ち込まれたはしごを登っていく。そんな私の背後にある霧の向こうの湖から、高らかな水音が私のことを送り出すように響いたような気がした。
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