ユキワラシが心を開いてくれたのを見て、私のすぐ後ろに控えていたゴーストが「よかったな」と言うように軽やかに鳴く。私はそれに小さく頷いてから、ユキワラシの方に向き直った。

「驚かせて本当にごめんね。それじゃあ、気を付けて」

私は笑顔でそう言って小さく手を振ってから、ユキワラシから視線を外した。本当は彼がオレンの実を食べてくれるところを見ていたかったけれど、吹雪から身を守るための雪洞を急いで完成させなければならなかったからだ。
私はユキワラシがオレンの実を口にしていることを視界の隅で確信してから作業に戻る。木の脇に置いておいた枝の山は、短い間であったにもかかわらず雪に埋もれかけてしまっていた。私は慌てて雪を払うと、両手で枝を抱えるように持ち上げる。そして、ゴルダックが掘ってくれた雪洞へ戻ると、それを小さな入り口から1本ずつ中へ入れていく。

その時だった。それまでも充分に強く吹き付けていた吹雪が、不意にその勢いを増した。

ごおっと吹いた突風の中で、私とゴーストはとっさに体制を低くして身を寄せ合った。辺りの木々が大きな音をたててしなっているのを聞きながら、吹き飛ばされないようになんとか持ちこたえる。

そんな私の鼓膜に、ふと、風の音とは違う甲高い音が届いた。
それは吹雪の中にあって美しく、しかしどこか切なく響く、泣き声のような音だった。なんだか胸が痛くなるようなその声に弾かれる様に顔を上げる。
声のした方向に視線をやると、そこには先程のユキワラシと、その隣にふわりと舞い降りた白いポケモンの姿があった。吹雪に揺れる振袖のような手と、おなか周りの鮮やかな赤い模様が印象的なポケモン。私は記憶の中でメリッサさんから貰ったゴーストタイプの指南書をめくる。
たしかあれは、ユキメノコだ。マイナス50度の冷気で全てを一瞬で凍らせる、氷の女王。

彼女はその氷のように澄んだ水色の瞳を物憂げに細めて、ユキワラシの頭をそっとなでる。そして、ユキワラシの手の中にあったオレンの実に気付き、不思議そうな声を上げた。それに応えるようにユキワラシが小さな声で囁くように鳴く。

初めて目にするゴーストポケモンに、私の好奇心がむくりと持ち上がった。その気持ちのまま、私は思わず少しだけ頭を上げて彼らのその様子を観察する。
すると、私の気配に気付いたのか、ユキメノコがくるりとこちらを振り返った。水色の瞳と、視線がかち合う。

つい先ほど、ユキワラシと少しだけ気持ちが通じ合ったような気がした私は、ユキメノコとも仲良くなれるのではないかと漠然と思っていたのだけれど。
結論から言うと、そうはならなかった。彼女は私の姿に気が付くと、その眼差しをぐっと険しくして私を睨みつけた。その瞬間、また吹雪が強くなる。ユキワラシが彼女に向って何か言ったが、ユキメノコは聞く耳を貸そうとしなかった。代わりにその手から小さな歯型がついたオレンの実をかすめるように奪うと、それを私の足元に向かって勢いよく投げ捨てた。

降り積もった雪の上に、音もなく落ちたオレンの実。私はそれを呆然と見つめてから、ゆっくりとユキメノコの方に向き直る。
敵意を隠さない眼差しが、私のことを射抜いた。私の心臓が、大きく一度鼓動する。

野生のポケモンから敵意を向けられたことは今までにもあった。しかし、彼女の眼差しはそのどれにも似ていなかった。警戒や敵意を通り越した、憎悪に近い激しい拒絶の炎が、その奥で燃えていた。それに呼応するかのように、吹雪が強くなる。ややあって、この吹雪は今年一番の寒波に加えて、このユキメノコの力で強くなっているのだということを私は理解した。

どうしてあのユキメノコがこんなに激しい憎悪を燃やしているのかはわからない。もしかすると、かつて彼女と人間の間になにかしらのいさかいがあったのかもしれない。
できるなら、ユキワラシと絆を結んだように、何とかしてその蟠りを解きたかった。でも、私は私のことを拒絶するように吹き荒れる吹雪の中で、思った。――無理だ、と。
今、私の生死はこの吹雪に――言い換えれば、ユキメノコに握られている。もしも下手を打ったら、私はゴルダックの作ってくれた雪洞に駆け込む暇もなく、彼女の渾身の冷気で一瞬で氷漬けにされてしまうことだろう。……私の足元に転がる、このオレンの実の様に。

私はユキメノコのことを警戒するように睨み付けていたゴーストに、小さく首を横に振って合図を出す。ここは逆らわない方がいい。ゴーストは視界の隅で私の動きをとらえ、小さく頷くことでそれに応えてくれた。

ユキメノコと和解できなかった心残りを感じながら、ゆっくりと後ろへ下がる。吹雪で視界の悪い中、足元に気を配りながら後退するのは思ったよりも大変で、すぐ近くにあるはずの雪洞までの距離が遠く感じられた。
なんとか神経を集中して後ずさり、あと少しで雪洞に着く、と思ったその時だった。
不意に、私の足元で吹雪にさらされていたオレンの実が、強風にあおられるように吹き飛ばされた。遮るもののない雪原の中で青い軌跡がぶわっと舞い上がり、そして私の背後へあっという間に消えていく。

その瞬間、私を睨み付けるユキメノコの足元で、小さな声が上がった。ユキワラシの目が青い軌跡を追った、と思った刹那、彼の体が自然とそれを追うように伸びあがる。重心が上がった彼の体は、吹きすさぶ吹雪に容赦なく煽られた。彼の足が、僅かに浮く。

足をけがしていたユキワラシは、そこから体勢を立て直すことができなかった。そのまま吹雪に吹き飛ばされて、風下のこちらの方に、正確には、私たちの作った雪洞に向かって一直線に飛んできた。

位置関係もあって、それに一番に気付いたのは私だった。
このままだと、ユキワラシの体はかたい雪洞にぶつかってしまう。彼の状態が万全なら受け身くらい簡単に取れるだろう。でも、彼は今、足をけがしている。もしも打ち所が悪かったら大変なことになってしまうかもしれないと思った私は、次の瞬間には雪の中で懸命に足を動かして、彼を受け止めるために走り出していた。

このままいけば、ユキワラシを抱きとめた私は雪洞に倒れ込むことになるだろう。かちこちに凍ったその表面はぶつかるときっと痛いだろうな。もしかしたら、ぶつかった衝撃で雪洞が壊れてしまうかもしれない。私は一瞬で、そんなことを考えた。

これから吹雪の中を生き延びるためには、足を止めるべきなのだろう。でも、私は動き出した足を止めることができなかった。
極限の状況の中で私を突き動かしたのは、理性や論理ではなかった。ただ目の前にある命を守りたいという、原始的な衝動。それが私の足を動かしたのだ。

私を睨み付けていたユキメノコと彼女のことを警戒するように見つめていたゴーストは、吹き飛ばされたユキワラシの甲高い悲鳴を聞いて初めて状況を把握したようで、吹雪の向こうからユキメノコの焦ったような声が響いてくる。
私はそれを聞きながら、ただ雪を蹴って大きく手を伸ばした。ユキワラシの澄んだ瞳が、私の目を真っ直ぐに見つめている。さっきは私のことを警戒するばかりだった彼の小さな手が、私の指先を掴んだ。

私はユキワラシごとその手を胸の方に引き付けると、彼を守るように抱きかかえて、その勢いのまま肩から雪洞にぶつかる。昂ぶっていた感覚のせいか、痛みはあまりなかった。ただ、想像した通り、雪洞はその衝撃に耐えることができなかった。ぶつかったところから雪洞は崩れ、私はその残骸の上に倒れ込んだ。

ゴーストが慌ててこちらに近寄ってくる。私は雪の中から体を起こすと、彼に「大丈夫」と返事をしてから腕の中のユキワラシをそっと離した。
彼はもう逃げなかった。代わりに、オレンの実が飛んでいった方をちらりと見てから、悲しそうな声で鳴く。せっかく貰ったのにごめんなさい、と言っているような気がして、私は小さく微笑むと鞄の中からもうひとつオレンの実を取り出した。
ユキワラシは、今度は私の手から直接きのみを受け取ってくれた。そして雪帽子の下で笑みを浮かべ、軽やかな声で鳴いた。

私はユキワラシに「どういたしまして」と言ってから、おもむろに立ち上がって手足を軽く動かしてみる。幸い、どこにも痛みはなかった。私は小さく安堵の息をついてから、周囲を見渡す。期待を込めて確認したが、天気が回復しそうな兆しはなかった。ということは、私はこの吹雪をやり過ごすために急いで雪洞を作り直さなければないようだ。
ユキワラシのことを助けられた代わりに失ったものの大きさを思って途方に暮れそうになった私は、自分に気合を入れるように大きく頭を振った。――後悔も反省も、するにしても今じゃない。
そして私は、再び雪洞を作るための場所を探しに行こうと足を踏み出しかけたのだが。

そんな私の前に、ユキメノコがゆらりと立ちはだかった。また強烈な吹雪にさらされるのでは、と思わず身構えた私。その正面で、彼女は私の意に反してただ静かに佇んでいた。
見つめ合うこと数秒。ややあって、私は彼女のその眼差しから先程までの憎悪に近い色が消えていることに気付く。

ユキメノコはその氷の様な瞳で私と、私の背後で無残に崩れた雪洞を交互に見る。それから私の足元に佇みオレンの実を握りしめるユキワラシに優しげな視線をやってから、私の方に向き直った。
私のことを値踏みをするような、あるいは胸中を探ろうとするかのような視線が、こちらに注がれる。私はそれを黙ったまま正面から受け止めた。

しばしの沈黙の後、先に動いたのはユキメノコの方だった。
彼女は顔の前で奥ゆかしげに合わせていた両手をそっと解くと、北風の様な細い声で鳴きながら私に向かって手招きをしたのだった。
こちらへいらっしゃい、と言うかのように怪しげな手つきでもって手招きをしながら、その体勢のまま少しずつ吹雪の中を後ろ向きに進んでいく。

私は彼女の真意をはかりかねて、助け舟を求めるようにゴーストに視線をやる。すると彼は先程までの警戒した様子はどこへやら、飄々とした様子でユキメノコのことを指差すと、彼女の後をついて行きはじめた。
……どうやら、危険はないらしい。私は少し考えてから、その後を追うことにした。ユキメノコの後をよたよたとついて行こうとしていたユキワラシをそっと抱き上げて胸に抱えて、吹雪の中を進んでいった。


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