ユキメノコの案内に従って針葉樹の森を進んでいく。少し歩いたところで、私たち一行は吹雪の向こうから急に現れた崖に行き当たった。崖と言っても、その表面は厚い雪に覆われており、土や岩の表面は少しも見えない。
ユキメノコは進路をその断崖に沿うように変え、もう少し進むと、不意に立ち止まった。周囲をきょろきょろと見渡して私たち以外に誰もいないことを確認する。それから彼女は、崖の雪が少し窪んでいる所に向かっておもむろに凍える風を放った。崖を覆っていた雪が風に巻き上げられて散ってゆく。雪の下から現れた岩の斜面には、私の胸の高さほどの小さな穴が開いていた。……洞窟の入口だった。
私の腕の中に収まっていたユキワラシが、その身を捩って私の腕から飛び出す。彼は少し脚を引きずりながらも慣れた様子でその小さな洞窟の中へ入っていった。ユキメノコがそれに続く。
私はゴーストと顔を見合わせてから、意を決して洞窟に入ってみることにした。身をかがめて入口部分をくぐると、先はもう少し広い通路の様になっていた。私は手早くワカンを外すと、懐中電灯を取り出して凍った土の地面を照らしながら中腰のまま先へ進んでいく。
少し進んだところで、空間が開けた場所に出た。天井は、私が背伸びをして両手を伸ばしても届かないくらいには高い。懐中電灯では少し暗い。そう思った私は、ロトムを呼び出すと辺りを照らしてもらうようお願いした。
ロトムを覆うプラズマの被膜が薄青く発光する。その光に照らされて、オレンの実を持った先程のユキワラシと、それから他に数体のユキワラシの姿がぼんやりと浮かび上がった。
彼らははじめ、突然現れたロトムにびっくりしたように飛び上がったのだが、オレンの実を持ったユキワラシだけがこちらにとことこと近付いてきた。ロトムの隣に私がいるので安全だと判断したらしい。初めて見るロトムを興味深そうに見つめる彼につられるように、他のユキワラシたちもロトムの方に集まってくる。
ロトムは注目されてまんざらでもないのか、その被膜をぱちぱちと弾けさせた。淡いプラズマが弾けて、花火のように散る。その輝きが珍しいようで、ユキワラシたちから歓声が上がった。
彼らのそんな様子を微笑ましく見ていた私の隣に、ユキメノコがやって来た。彼女は物憂げな視線を私に寄越してから、ついさっき私たちが入ってきた狭い通路を少し戻る。そして、そこに粉雪を吹きつけた。小さな出入口はあっという間に雪で塞がれて、その姿を雪の中に隠してしまう。
……どうやらここは、人にもポケモンにも見つけられない、ユキメノコたちだけの隠れ家のようだ。
見れば、ユキワラシたちの向こうに氷漬けにされたきのみが積まれている。その生活の証しは、ここが吹雪から身を隠すだけの応急的な隠れ家ではなく、彼らの生活の拠点であることを物語っていた。
そのまま視線を奥に転じると、そこにはきのみと同じく氷に閉じ込められた様々なものが几帳面に陳列されていた。水の石や元気のかけらのような旅人の鞄からこぼれたと思しき道具に交じって、美しい細工の施された銀のカップや、ステンドグラス調のランプシェード、金剛玉が細かく散りばめられた髪飾りなど、旅人の荷物とは少し風合いの違うものも並べられている。
そういえば、ユキメノコというポケモンには気に入ったものを氷漬けにして棲み処に飾る習性があったっけ。そんなことを頭の隅で思い出しながら、私はその調度品の数々を眺めていく。最近作られたであろう大量生産品のピッピ人形から、博物館で見るような古めかしい文様が彫り込まれた首飾りまで、古今東西の品が整然と並んでいるのを見ながら、私は思った。これは217番道路を歩んだ人の歴史そのものなんだ、と。それらの歴史の断片はその当時の姿のまま氷に閉じ込められて、人知れず洞窟の中に飾られている。意図せず目の前に現れた悠久の時間。それに、思わず私の唇から深いため息がもれた。
洞窟の出入口を閉ざして戻ってきたユキメノコは、私が自分のコレクションを見ていることに気付いたようで、すいっとこちらに寄ってくる。そして、私と愛蔵品の間に体を差し入れて、こちらに意味深長な眼差しを投げかけた。
どうやら、これ以上奥に進んでほしくなさそうだ。彼女の行動をそう解釈した私は、奥に続く氷の芸術を見ることを諦め、数歩下がることでこれ以上彼女の愛蔵品に近付かない意思を示した。私のその様子を見たユキメノコは、安堵したようにゆっくりとまばたきをする。どうやら、私の言いたいことはうまく伝わったらしい。今度は私がほっと息をつく番だった。
安心したことで、心に少し余裕ができる。私は吐き出した息が白く霞んで消えていくのをぼんやりと眺めながら、ユキメノコとこの洞窟のこと思う。
……これは私の想像でしかないけれど。ユキメノコが人間を異様に警戒していた原因のひとつは、もしかしたらこの洞窟の愛蔵品が関係あるのかもしれない。骨董品に疎い私にはわからないけれど、きっとこの中には価値があるものも数多くあるはずだ。ここのことが明るみになると、彼女が長い時間をかけてひとりで集めたであろう宝物も、ユキワラシとひっそり暮らしているこの洞窟も、きっと簡単に暴かれてしまうだろう。
ここでのことは私だけの秘密にしよう。そう深く誓いながら、私はユキメノコにお礼を述べた。
「大事な隠れ家に入れてくれて、本当にありがとう。おかげで、安全に吹雪をやり過ごせそうだよ」
私の思いがどれだけ彼女に伝わったのかはわからない。ただ、ユキメノコはその氷のような瞳を物憂げに伏せると、着物の袖に似た手で口元を隠しながら澄んだ声で鳴いたのだった。
それから私はユキワラシたちとロトムが遊ぶのをしばらく眺めてから、洞窟の隅を借りてテントを張らせてもらった。
ロトムと遊び疲れたユキワラシたちが、ひとところに集まって静かに目を閉じている。その傍らで、ユキメノコが冷たい吐息をユキワラシたちに吹きかけながら、独特の節をつけた優しい声で鳴いていた。人間で言うところの子守歌だろうか。私はテントの向こうから聞こえてくるそのか細い声に耳を傾けながらそっと寝袋にもぐり込む。
洞窟の中は外の吹雪の様子が全くわからないくらいに静かで、吹雪の中でも安心して休むことができた。ゴルダックが作ってくれた雪洞を壊してしまったことは本当に申し訳なかったけれど、でも、雪洞を犠牲にしてユキワラシを助けたから私はユキメノコの信頼を得ることができたのだと思う。ゴルダックがいなかったら、きっと私は今、ここでこうして安全に吹雪の夜を越せなかっただろう。私は彼の入っているボールをそっと撫でてありがとうと呟いてから、懐中電灯の明かりを消して目を閉じた。
テントの向こうから聞こえてくる、ユキメノコの冬の夜風のような歌声。それは吹雪の中で肉体的にも精神的にも疲れ切っていた私をあっという間に眠りへと誘っていく。
そして、目が覚めた時には朝になっていた。ユキメノコが出入口の雪を凍える風で吹き飛ばすと、外から冷たい空気が一気に流れ込んできた。私は防寒着の前を合わせながら低い穴から顔を出して、217番道路の様子を確認する。
空を厚く覆っていた雪雲は、昨晩の間に雪をほとんど吐き出してしまったようで、今は薄いヴェールのような雪雲が淡い水色の空に広くたなびいていた。その空の東の方にある雲の切れ間から、朝日が僅かに差し込んでくる。その薄光を受けて、217番道路に音もなく降り続く細かな粉雪がきらきらと輝いていた。
私は思わず洞窟から出て、その景色の中に飛び込んだ。昨日は私の命を奪いかけた雪原が見せる幻想的で美しい光景の中で、私は息をするのも忘れてそれに見とれてしまう。
私の後に続いて洞窟から出てきたゴーストが、すうっと空を滑って私の隣に並ぶ。
彼は大自然の見せる美しい景色に小さくため息をつくと、黙ったまま私の肩にそっとその頬を寄せた。私はそんな彼の方に少しだけ首を傾けて、同じく黙ったままこの景色を見つめる。
言いたいことはたくさんある様な気がした。綺麗な景色だね、とか、無事に夜が明けてよかった、とか、みんなに感謝しないとね、とか。今ここで彼と共有したい話題はきっと尽きない。
でも、今の私たちに言葉は必要なかった。こうして極北の地で身を寄せ合って雪景色を見ているだけで、お互いの気持ちが重なってひとつになっていくのがわかったから。
生きているって、なんて素敵なことなんだろう。
朝が来て、日が昇って、隣にゴーストがいる。もうすっかり当たり前にも思えるそんなことが、今はただ愛おしかった。
私たちは次第に濃くなっていく雪雲の向こうに朝日が隠れてしまうまで、しばらくそのまま舞い踊る光の中に佇んでいた。
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