緊張で少し強張った手でジムの扉を開ける。
ジムの中は起伏の多い山を模した装飾がされており、その頂きにヒョウタさんがいるのが見えた。
彼に挑戦するには、ジムのトレーナーと戦って実力を認められる必要があるらしい。私の前に数人のジムトレーナーが立ちはだかったが、岩タイプのポケモン達ではタイプ相性で有利なコダックには敵わなかった。
バトルを重ねていくうちに、だんだん緊張がほぐれていく。ゆっくりと坂を上りヒョウタさんの正面に立つ頃には、体の奥に残った火照りが心地よく感じられるようになっていた。

「ようこそ! クロガネシティのポケモンジムへ。僕はジムリーダーのヒョウタ」

はっきりとした口調で挨拶してから、彼はにこりと笑って私のコートを差し出した。

「まずはこれを返そうかな」

昨日彼の手に渡った時には煤けてくすんでしまっていたコートが、新品のような輝きを取り戻していた。
私は丁寧に礼を述べてから、それに袖を通した。

「昨日はよく眠れたかい?」

紳士的な笑みのヒョウタさんに、私は笑顔で頷いた。
本当は少しだけ寝不足だったけれど、これから対等に戦う相手にそれを悟られたくはなかった。

「それはよかった。手加減なしで君とポケモンの実力、試させてもらうよ」
「よろしくお願いします!」

ぺこりと頭を下げてから、私たちはボールを構えた。
ジム付き審判の声が響く。

「使用ポケモンは3体」

……どうやら、ジム戦は3対3で戦うようだ。それを知らなかった今の私のホルダーにあるボールはふたつ。
不利な状況ではあるけれど、やれることをやろう。私は意を決するように短く息を吐いてから、きゅっと唇を引き結んだ。

「試合開始!」

互いのボールが勢いよく放たれる。
私は見慣れた黄色い背中越しに、野生のそれよりも一回り大きな立派なイシツブテをはっきりと見た。

コダックは相変わらず頭を抱えて掴み所のない表情をしている。
何度かトレーナーと戦ってわかったのだが、これはこのコダックの長所だと思う。そのとぼけた表情からはこちらの意図が読めず、相手が一手目を迷う。

「コダック、ひっかく!」

先手を取ったのはコダックだった。私の声を聞いたコダックは即座にイシツブテに向かってゆく。
しかしイシツブテがそれを回避する方が早かった。イシツブテは水タイプであるコダックを警戒しているのか、十分な距離をとりつつその背後に回り込む。

「イシツブテ、体当たりだ」

回避から攻撃に転じて素早く身をひるがえしたイシツブテは、岩のフィールドの中、砂埃を巻き上げながらこちらに真っ直ぐ向かってきた。
あの体当たりの勢い、もしも当たればかなりのダメージを負ってしまうに違いない。でも、イシツブテがひっかくの回避にかなりの距離をとったことは、私とコダックにとって有利にはたらいた。それだけ時間があれば、

「振り返って水鉄砲!」

ぴったり180度振り返って、コダックは即座に水を吐き出した。クロガネ炭鉱とジムのトレーナーとのバトルで鍛えられた水鉄砲は、イシツブテの体当たりの軌道とぴったり重なった。真正面からぶつかった水鉄砲は、その威力が本来よりも高くなったに違いない。弱点をつかれたイシツブテは、為す術なくその場で倒れた。

「イシツブテ、戦闘不能!」

イシツブテをボールに戻したヒョウタさんは、そのボールを労るように一撫でして、私に言った、
「いいコダックだね。よく育てられている」

コダックは褒められていることがわかっていないのか、いつもと同じぼんやり顔でヒョウタさんを見つめている。
彼はそんなコダックにくすりと笑って、「さあ、次はどうかな?」とふたつ目のボールを放った。

中から現れたのは、炭鉱でも目にした巨大なイワークだった。

既にコダックの必殺技が水鉄砲だと見切ったヒョウタさんは、今度は先制攻撃を仕掛けてきた。

「イワーク、締め付ける」
「水鉄砲!」

私の声にコダックは大きく息を吸い込み水鉄砲を発射しようとしたのだが、イワークの素早さがコダックを上回っていた。その巨体を信じられない素早さで操り、小さなコダックを的確に絡めとった。
黄色い柔らかな体が、無骨な岩にぎゅうぎゅうと締め上げられる。
ダメージは受けないに越したことはないけれど……私のコダックはダメージを受けることで使える力もあるのだ。私はぎゅっと両手を固く握りしめて、かつてクロガネゲートでゴースを追いつめた技を指示した。

「コダック、念力!」

コダックの双眸が薄青の光を帯びる。
と同時に、イワークが自身の体の異変を感じ取ったのか、その目を大きく見開いて低く鳴いた。コダックを締め付けていた岩の巨体がじりじりと引きはがされていく。そして、ついにコダックは締め付ける攻撃から解放され、イワークは念力によって動きを封じられて空中に縫いとめられてしまった。想像以上の効果だった。

まさかそこまでの力が出るとは思っていなかった私は思わず唖然としてしまった。一瞬思考が止まり、次にどんな指示を出すべきかわからなくなって慌ててしまう。一方、ヒョウタさんは冷静だった。感心したように深く息をついてから、すぐさま大きな声で「振り払え!」と命じた。イワークはその巨体をよじり、なんとか念力から逃れようと暴れはじめる。
コダックの念力をねじふせて暴れるイワークの怪力ぶりに、私はひるんでしまいそうになる。しかし、鬼気迫る様子のイワークに間近で相対してなお力を緩めないコダックの背中が、そんな私を奮い立たせてくれた。そうだ、せっかくコダックが作ってくれたチャンスなんだから。私がそれを無駄にしちゃいけない。

思考を始めた私の脳裏に、ヒョウタさんのイシツブテの素早い身のこなしがふと思い浮かんだ。正確には、その身のこなしによって起こされた、岩のフィールドの砂煙が。

私はとっさに、宙に浮いているイワークをそのまま地面にたたき付けるよう指示を出した。
次の瞬間、大きな地響きとともにその巨体がフィールドに沈んだ。落下の勢いと、イワーク自身の重みも手伝って、激しい土煙が周囲を包んだ。

「そこから水鉄砲!」

いくら砂煙がひどくても、あの大きな的を外すことはないだろう。逆にイワークは砂煙に邪魔されてコダックの姿が見付けられないのではないか。
私はそう考えて指示を出したし、実際に水鉄砲は命中したようで、イワークの低い唸り声が砂塵の中から聞こえてきた。

だが、私はイワークの体力と、この岩場のフィールドで日々戦っているイワークのことを見誤っていた。

「イワーク、捨て身タックルだ」

自信に満ちたヒョウタさんの声。まずい、と思った瞬間には、砂煙の中から現れた巨体が正確にコダックを襲っていた。

「コダック!」

傷だらけの黄色い体が私の前に転がってくる。

「イワーク、砂煙で姿をくらませ」

イワークはその巨体を即座に反転させて、再び砂煙りの中にその身を隠してしまう。どうやらこの程度の砂煙は、このバトル場に慣れているイワークにとって目くらましにはならないようだ。
私の指示が裏目に出てしまった。また、あの不意をつく捨て身タックルがくるのか。私は自身の顔が強張るのを感じた。もう負けてしまうかもしれない、そんな考えが頭をよぎった時だった。

そんな私の視線の先で、コダックはややよろめきながら、しかししっかりと立ち上がったのだった。いつもののらりくらりとした彼とは違う、逞しい背中。
それに私ははっと息をのんだ。彼の背中が、なによりも饒舌にトレーナーとして私がすべきことを教えてくれた気がした。トレーナーは、負けるかも、なんて考えちゃいけないんだ。その身をかけてくれているポケモンのために、常に次の作戦を考えないといけないんだ。

「……そうだ。コダック、水遊びして」

私の声を聞いたコダックは傷ついた体で、しかし眩しい飛沫を散らしながら楽しそうにフィールドを駆け回った。
砂煙りが急速に引いてゆき、イワークの姿が露になる。

ヒョウタさんは低く「なるほど、」と呟いて、しかしすぐに不敵な笑みを浮かべて言う、
「不利になるとわかってすぐに砂煙を消したんだね。いい判断だ。でも、視界は良好、次は外さないよ」

砂煙がない今、イワークはコダックに攻撃の照準をしっかり合わせることができる。
もうあの捨て身タックルをかわすことはできないだろう。――この場がイワークにとって万全のコンディションであれば。

「イワーク、もう一度捨て身タックル!」

ヒョウタさんの声を合図にして、派手に水飛沫を散らして踊り続けるコダックに狙いを定めてイワークが飛び出した瞬間、
ぬかるんだ地面に胴体をとられ、イワークはその初速を欠いた。

「コダック、かわして念力!」

コダックがそれを避けられるかどうかがこの作戦の肝だったが、彼は私の期待に見事に応えてくれた。
ヒョウタさんは即座に指示を修正して岩落としを繰り出そうとしたが、既にイワークは空中で自由を奪われてしまっていた。

「そのまま水鉄砲!」

空中に放り出されたイワークに、正面から渾身の水鉄砲を浴びせかける。
イワークはぬかるんだ地面にたたき付けられ、泥を盛大に跳ね上げて動かなくなった。


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