ジュピターさんは私に意味深長な眼差しを残して、背後に控えていたヘリコプターに乗り込んだ。
ヘリコプターの羽根が大きな音を立てて回転し、湖に乱気流を生じさせる。
徐々に浮き上がり始めたヘリコプターの中に白衣を着た数人の男女がいるのを見付けた私は、シンジ湖で半透明のケースに捕らえられたポケモンのことをはたと思い出した。そうだ、私はジュンくんと、湖のポケモンの無事を確かめに来たのだった。今ならまだ間に合うかもしれない。
そう思って駆け出そうとした瞬間、私の背後の茂みから、何体ものユキカブリとユキノオーが現れた。驚いて思わず足を止めてしまった私の視線の先で、彼らはヘリコプターに向かって粉雪を放つ。間を置かずに反対側の茂みからニューラの群れが現れて、凍える風を放った。
湖の守り神が連れ去られると悟った野生のポケモンたちが、彼のことを連れ戻そうとみんなで力を合わせているのだとすぐにわかった。
見上げた先のヘリコプターは、凍える風の気流に翻弄され、粉雪で視界を奪われてしまっているようだった。ふらふらと危なっかしく飛ぶヘリコプターが飛行を諦めて着陸するのは、時間の問題だと思われた。
その時だった。ヘリコプターの扉が僅かに開いて、そこからいくつかの球体がこちらに向けて落とされた。
本能的に危険を感じ取った私は、慌ててこれを放り投げたヘリコプターを見上げる。したっぱの男が扉の隙間からまるで無機物を見るような目で私たちを見ていた。
そのさえざえと冷たい瞳もさることながら、私の視線を惹きつけたのは彼の手に握られていた小さな四角い機械だった。すぐに扉は閉じられて例の機械は見えなくなってしまったけれど、その形と質感に見覚えがあったのだ。
記憶を遡るまでもなかった。カフェやまごやでコダックの群れをギンガ爆弾で吹き飛ばそうとしていた下っ端の男が持っていた起爆装置が、丁度あんな形をしていた。
「……ギンガ爆弾」
私の言葉は短かったけれど、その意図はジュンくんにしっかりと伝わったらしい。
私の声が届いたジュンくんはこちらめがけて降ってくる銀色の球体を見て、即座に湖と私たちを守るための指示をゴウカザルに出した。
「ゴウカザル、爆発する前に上に放り投げるんだ!」
ゴウカザルは素早い身のこなしで四肢を伸びやかに動かし、爆弾の落下地点に向かってゆく。
しかしゴウカザルが落下地点にたどり着くより先に、爆弾のインジケータランプが赤く点滅しはじめたのが見えた。爆発が近いのだとわかった。
その赤い光は私のすぐ隣に来ていたジュンくんにも見えたようで、彼は「ここを大湿原みたいにはさせないぞ、ゴウカザル!」と叫んで彼に激を飛ばす。それに応えるようにゴウカザルは力強く跳躍して爆弾に向かって手を伸ばした。
私は小さな赤いランプが見えるほど爆弾に近いことに思わず顔をしかめた。これではせっかくゴウカザルが爆弾を空中に投げたとしても爆風と熱が私たちを、そして誰より爆弾の近くにいるゴウカザルを襲うだろう。
私はかつてカフェやまごやの脇でギンガ爆弾の爆発を念力で抑え込んだ時のことを思い出しながらゴルダックのボールに手を伸ばし、――そうして、つい先程ジュピターさんと対話をするためにホルダーを外してしまっていたことを思い出した。私の顔が苦々しく歪む。
「ナマエ、湖のポケモンたちと逃げろ!」
ジュンくんはそう言って私の肩を押す。数歩よろけて振り返った先のジュンくんは、まっすぐにゴウカザルのことを見つめながら腰のボールホルダーを少しだけずらしていた。ボールのついている部分を背中側、つまり爆弾とは反対側へ、これから自分を襲うであろう爆発から守るようにぐいっと押しやる。
彼の行動の意味を理解した刹那、心臓が嫌な音を立てて鼓動した。
私もトレーナーだから、もしも彼の立場だったら同じことをしただろう。ジュンくんの気持ちが、その覚悟が痛いほどわかるから私はその選択をした彼を責められなかった。
でも同時に、彼の言う通りに自分だけ逃げることもできなかった。だって、私もトレーナーだから。ジュンくんと同じように自分にできることをしなければならないと思った。
「みんな、逃げて!」
私はユキノオーたちに湖と反対側を示してそう言うと、雪の積もった湖畔を蹴ってジュンくんの向こうへ――そこに落ちていた自分のボールホルダーを目指して駆け出した。
「ナマエ!? だめだ逃げろ!」
「気持ちはわかるけど、だめ!」
私とジュンくんと、ゴーストとゴウカザル、それから湖のポケモンたち全員が生き残る起死回生の一手を探したけれど、たった一度まばたきをする程の短い時間でそんな奇跡みたいな方法を見付けることはできなかった。
なら、できるだけのことをやるしかない。どんなに時間がなくても、私はトレーナーとしてやるべきことを精一杯やろう。みんなが生き残る確率を少しでも上げるためには、ゴルダックの力が必要だ。
私は微かに震える手でなんとかボールホルダーを拾い上げる。よし、と小さく呟いて振り仰いだ視線の先で、ギンガ爆弾のインジケータランプが無情にも一際眩く発光した。ああ、爆発する。
その時だった。
私の耳に、心が安らぐような涼しい鈴の音が聞こえた気がした。
次の瞬間、体の芯まで一瞬で凍ってしまいそうなほどの冷気がエイチ湖に満ちた。
ヘリコプターの起こす乱気流で波立った湖の表面がその躍動感のままぴんと凍りつめる。そして一瞬の後、その氷の上にいくつかの金属片が――破片になった爆弾のかけらが、甲高い音を立てて次々と落下した。
突然の出来事に驚いて、ユキノオーたちは思わず技を止めてしまう。その一瞬の隙をついて、ヘリコプターは一気に上昇して南の空へ消えていった。
遠ざかるプロペラの音をなすすべなく聞いていた私たちの耳に、またさっきの鈴の音が届く。今度は、さっきよりもいくぶんかはっきりと。
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。私はあたりをきょろきょろと見渡して、高台の南側に柔らかな銀色の鈴を持ったユキメノコと、立派な角の生えたオニゴーリがいるのを見付けた。
見間違えるはずがない、それは私がモミさんから貰ったあの鈴だった。それを持っているユキメノコは、世界に1体しかいない。
「ユキメノコ……」
私の呼びかけに、彼女は静かに一度瞑目して答える。
昨晩のユキメノコが湖の危機を感じて駆けつけてくれて、私たちを助けてくれたのだとすぐにわかった。
「……なんだってんだよ?」
いまいち状況の飲み込めていないジュンくんに、私はユキメノコのことを簡単に説明する。
するとジュンくんはユキメノコと、その大きな口から冷たい息を吐きながら佇むオニゴーリ、それからものすごい冷気で凍りついた湖と爆弾の残骸を交互に見て、「わかったぞ」と言った。
「オニゴーリの絶対零度だな!」
私は彼の言葉を聞いて、なるほどと頷いた。確かにそうかもしれない。起爆したものの、オニゴーリの技のあまりの冷気で爆発の熱が一瞬で冷やされて無力化されてしまったのだとしたら、ばらばらの破片にも納得がいく。
「オニゴーリたちが、オレや湖のポケモンを助けてくれたんだな……」
ジュンくんは隣に戻ってきたゴウカザルの背中を労うように撫でてから、感慨深そうな声でそう呟いた。
ユキメノコはそんなジュンくんのことを一瞥してから、空を滑るように飛んでユキノオーたちの前に躍り出る。ユキノオーたちと少し言葉を交わしてから、オニゴーリの方をその小さな手でそっと示した。するとユキノオーたちがオニゴーリに挨拶をするように声をかける。それに応えるように、オニゴーリが頼もしい声で鳴く。それを聞いたユキノオーたちはなにかに納得したように頷き合ってから、それぞれの縄張りにゆっくりと帰っていった。
崖の南端に控えていたオニゴーリはエイチ湖のほとりのポケモンたちを見送ってから、おもむろに私の方に近付いてくる。そして私と、私の持っている鞄を見比べてから、小さな声で鳴いた。
その声の響きが、私の脳裏に1体のユキワラシの姿を思い起こさせた。吹雪の中で出会って、オレンの実を気に入ってくれたあのユキワラシ。
私はもしかしてと思いながら鞄からオレンの実を取り出すと、それを彼の前に差し出す。彼は私の手からそれを一口で食べて、満足そうに鳴いた。声はずいぶんと逞しくなったけれど、その語尾の柔らかさは変わっていない。
私を助けてくれたのは、きみだったんだね。
「……進化したんだね。助けてくれてありがとう」
オニゴーリは冷たい空気の中をふわふわと浮かんで移動していくので、ユキワラシの頃の足の怪我はもう気にならないようだ。私は彼がもう怪我に悩まなくていいことが嬉しくてふっと笑う。するとオニゴーリもつられたようにその氷の様に透き通った瞳を細めて笑ってくれたのだった。
オニゴーリとの再会をひとしきり喜んで一段落ついたところで、私はジュンくんにリッシ湖とシンジ湖で起きたことを伝えた。ギンガ団が危ない集団だということと、湖の調査はおしまいになったことを告げると、ジュンくんはばつが悪そうに視線を逸らして黙り込んでしまった。
いつも元気いっぱいの彼らしくないその様子に戸惑いを覚えた私は、なにも声をかけることができないまま、そのつむじを見つめる。
しばしの沈黙の後、彼は自身の頭をがしがしとかいてから、「くそーーー!!!」と声を張り上げた。私たち以外に誰もいないエイチ湖のほとりに、彼の声がこだまする。
「ギンガ団相手になにも出来なかった!」
その琥珀色の瞳に悔しさを滲ませて、地団駄を踏むジュンくん。全く気持ちを隠さない真っ直ぐなその様子に、私は少し面食らってしまう。
振り返ってみると、悔しい時や、悲しい時、私はそれを自分の中でなんとか押さえつけるようにしてここまで進んできたように思う。だからこうやって悔しさやマイナスの気持ちを真っ直ぐに口にする彼の姿に、少しびっくりしてしまったのだ。
私の視線の先で、彼はぎゅっとその手を固く握る。そして、大きく息を吸って、吐いて。私の方に向き直るやいなやこう続けた。
「オレ、もっと強くなるぞ!」
悔しさを吐き出しきったジュンくんは、どこか晴れ晴れとしたような顔つきで私にそう宣言した。
「勝ち負けじゃない、折れない強い心を持ったトレーナーになる!」
彼のその姿は、私の心を強く引きつけた。今までは、苦しいときや悲しいときでも普段と変わらない気持ちを保てることが強さだと思っていた。でも、強さのかたちってきっとそれだけじゃない。悔しさを隠さず口にしていち早く気持ちを切り替えることもまた強さのひとつのかたちなのだということを、ジュンくんは私に教えてくれたのだ。
……そうだよね。悔しいときは悔しいって、辛いときは辛いって言ってもいいんだ。大切なのは、その悔しさからいかに早く立ち上がれるかなんだろう。
「……私も、強くなりたい」
今回、私はシンオウの3つの湖を全て巡りながら、結局どの神様も守ることができなかった。特にリッシ湖とそのほとりのポケモンたちは少なくないダメージを受けてしまった。
ジュンくんたちが無事だった。あの碧い瞳の男への道も繋がっている。それらの成果を差し引いても、失ったものの方があまりにも大きかった。その悔しさのまま、私は声を荒げた。
「みんなの大切なものを守れるように、強くなりたい!」
慣れない大声を出した私に、今度はジュンくんの方が面食らったような顔をする。しかし彼はすぐににやりと笑うと、「『なりたい』じゃなくて、『なる!』だろ?」と言って私の背中をばしんと叩いた。その容赦のない掌は、私のことを友人として、そしてひとりのライバルとして認めてくれた証しのように思えて。私はぐっと背中に力を込めて背筋を伸ばしながら、ありったけの声で「守れるように、なる!!」と叫んだのだった。
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