花の香りに包まれた街で一夜を明かした。
翌朝の寝覚めはばっちり。私は手早く身支度を整えて、朝露で湿った芝生を踏みしめながらソノオの町を散策する。
立ち寄ったフラワーショップでは、気さくな女性店員と会話に花を咲かせた。聞けば、昔はただの荒れ地だったこの土地に、感謝の気持ちを伝えながら花を植え続けた結果、徐々に人が集まって今の町が出来たらしい。
感謝の心を貰っているから、ここの花は一段と美しいのかもしれない。私が店員さんに思ったままそう伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んで、「ソノオの花を気に入ってもらえてとっても嬉しいわ」と声を弾ませた。
「よかったらこれでお花に水をあげて」
私が店を出る直前に、彼女はそう言って私にじょうろを差し出した。礼を述べて受け取ったそれは、なんと黄色いコダックの形をしていた。ちょうど嘴のところからシャワー状の水が流れ出る仕組みになっている。造形の巧みさと可愛らしさに、思わず笑みが零れた。
私ははやる気持ちをおさえられず、早速コダックじょうろを使ってソノオの花たちに水をあげてみた。この町の人々と同じように、『美しい姿を見せてくれてありがとう』と心の中で感謝の気持ちを伝えながらじょうろを傾ける。きらきらと光る飛沫を浴びた花たちが、私の呼びかけに応えるように谷から流れてくる風に小さくそよいだ。
『この先、ソノオのお花畑
甘いミツおわけします』
そんな看板を見付けたのは、町の西側にある花畑を歩いていた時だった。小さな木の板に達者な筆使いで綴られたその文字が、私の意識を引きつける。
甘いミツか。デンジに送ったら喜ぶかな。一瞬そう思いかけた私は、しかしすぐに頭を振ってその考えを打ち消す。彼は好んで甘いものを食べたりしない。どちらかと言うと、雷の石とか、ジム改造の部品とか、はっきり役に立つものをもらいたがる性格だ。
それよりも、私がかつて勤めていた花屋の甘いもの好きの主人の方が、甘いミツのお土産を喜んでくれる気がした。ソノオを訪れてから頭の隅に浮かんで消えなかった、店長の笑み。また旅から帰ったらいつでも戻っておいでと言ってくれた時の優しい笑顔は、今でもはっきり思い出せる。彼のその言葉と気持ちに感謝を示すとしたら、これ以上の品はない。きっと喜んでくれるだろう。私はその期待のままに、看板の示す方へ走り出した。
花畑の中の細い小路を進んでゆくと、町の北奥に更に広大な花畑が続いているのが見えてきた。町と奥部の花園を繋ぐ立派な木のアーチがどんどん迫ってくる。
私はそれを認めて走る速度を上げようとしたのだが、アーチの下にいるふたり組の男を認めた途端、ぱたりと歩みが止まった。そこにいたのは、浅葱色の切り揃えられた髪の毛と奇妙なデザインの白い服が印象的な男たちだった。
間違いない、ギンガ団だ。
私は静かに息を吸って、吐いて、ざわめく心を落ち着ける。
あのふたり組は、昨日私やコウキくんと戦ったうちの誰かだろうか。だとしたら、これは危険なことかもしれない。でも、私はこの衝動を抑えることができなかった。
「あの、すみません」
アーチの下で何やらこそこそと密談を交わしていたふたりが、ばっとこちらを振り向いた。私の姿を認めて、そこにいたのが子供だったことに安堵したのか、ほっと息をつく。
彼らの反応からして、昨日の男たちとは別人だと判断した私は、用意していた言葉を投げかける。はじめは、何も知らないの女の子を装って。
「私、ミツを貰いに行きたいんです。通してくれませんか?」
ふたりの男は私が子供だということに安心しているようで、まるで小学校に入る前の幼子を諭すようにこう言った。
「悪いけど、今ここは通れないんだよ〜」
「ギンガ団がお花畑を調べているからね」
「ぎんがだん?」
私はたった今はじめてその言葉を耳にしたようなたどたどしい口調で尋ねる、
「ギンガ団ってなに?」
「ギンガ団はね、人間にもポケモンにも優しい新しいエネルギーをつくるっていうね、とっても大切な仕事をしているんだよ」
それは誰もが知っている答えだった。私が知りたいのは、その先だ。私は小首を傾げて彼らに続きを促した。
「……どうして?」
「その方が、みんな幸せだからだよ」
「幸せ?」
「そうだよ。君もポケモンも笑っていたら、とってもうれしいだろう?」
「そうだけど……エネルギーと花畑になんの関係があるの?」
「それは、……とにかく、調べるんだよ!」
無知な子供の好奇心に応えることに疲れてきたのか、男達に苛立ちが垣間見える。
これを言ったら戻れない。だが、言わないと進めない気がした。シンジ湖で出会った男の碧い瞳が脳内にフラッシュバックする。どうにかして、私はあそこに辿り着きたい。辿り着かねばならない。私は意を決して口を開く。
「他人のものを奪う事は、調べるとは言わない」
ぴん、と空気が張り詰めた。
男たちの顔から私を小ばかにしていた表情が一気に失われ、能面のようになった。男のひとりが小さく「お前、先に行ってろ」と言って、私から視線を外すことなくベルトからモンスターボールを取り出す。
「片付けてからすぐに行く」
もうひとりの男は、ああ、と短く頷いた。そのまま、日の光を浴びて緑タマのように輝くアーチの中を花畑の奥部目指して駆けてゆく。私はその背中を臍を噛む思いで見送りながら、ベルトからボールをひとつ外して構えた。
「新しいエネルギーってなに?」
私の満足する返答が得られるとは思わなかったが、そう尋ねずにはいられなかった。
「そんなの、俺の知ったことか!」
彼は私の想像と違わない言葉を吐いて、ボールを投げた。
やはりそうなのか。末端の団員は何も知らない。
宙を舞う彼のボールを見ながら、私もコダックのボールを投げた。赤と白の鮮やかなボールがふたつ、花畑の中を舞って、鋭い光を吐き出した。
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