ゴースは、あのソノオの花畑での一件以来、モンスターボールに入ることを徹底的に拒否するようになった。
いろいろと思うところがないわけじゃないけれど……。ゴースが入っていたくないなら、無理に押し込める事もないか。最終的にそういう結論に至った私は、かつてゴースが入っていたボールを彼が不在のままベルトのホルダーに収める。するとゴースは満足そうに笑って、私にガス状の体を擦り付けた。
私もゴースが一緒にいてくれる方が楽しいし心強い。まあ、多少悪戯される心配はあるけれど、それもパートナーのいる旅の楽しさなのかもしれない。
私は発電所事件の翌日、ソノオの花畑の主人にお願いしていた件のギンガ団の男を訪ねて、小さな診療所にやって来た。
花畑の主人はかなり気を回してくれたようで、彼の知り合いが営んでいるこの診療所に、いろいろ口を利いて男を運んでくれたらしい。
花畑のお花が飾られている受付で男の病室を尋ねると、彼はなんと2階の個室を割り当てられていた。病院側の配慮なのか、それとも容態がよくないのか、私は少し心配しながらリノリウムの階段を登り、扉を開ける。
そこにいたのは、ベッドに横たわり上体を起こしている、頭を丸めた男性だった。
あれ? 確か私のゴースが襲ったのは、あの独特な髪型をしたギンガ団員だったはず……。
私は小さく「すみません間違えました」と口にして薄く笑い、会釈をして病室を出ようとしたのだが。
私を「待てよ」と呼び止めた声は、昨日の男のそれだった。
おずおずと近寄って顔を見れば、やはり昨日の彼、のような、気がしなくもない、ような。
髪型ひとつで人の印象ってここまで変わるのだろうか。そう思いながらその正体を訝しむ私に、彼は事の成り行きを説明してくれた。
私が駆け去ったあと、花畑の主人は診療所への電話を終えてから一度姿を消し、すぐに戻ってきたその手にはなんとバリカンが握られていたらしい。その頭だと目立つから、と、彼の抵抗も聞かずにあっという間に丸刈りにされてしまったのだという。
なるほど、これならこの男がギンガ団の一員だとは誰も思うまい。
彼はひどくさっぱりした頭を一撫でして、小さく「もうギンガ団には戻れないな」と呟いた。その顔に私を責める色はなかったが(この人は大人だな、と思った)、それでもその瞳の奥に僅かに郷愁めいた光が宿ったのを、私ははっきりと見た。
自分の行いが、結果的にこの人から生き方の一つを奪ってしまった。そのことに、首筋のあたりがひやりとした。
「……カツラとかじゃ、だめですか?」
おずおずとそう尋ねると、彼はお得意の人を小馬鹿にするような視線を私に向けた。どうやら、そういう問題ではないらしい。
「戻ってもな、ポケモンを取り上げられて、今より酷い仕事を振られて、終わりなんだよ」
彼の言った"終わり"という言葉が何を指すのか、未熟な私ではうまく想像ができなかった。感覚的に、すごく嫌なことがあるんだろうな、と解釈する。
男は天井の一点を見つめながら続けた。
「なにより、ボスに会わせる顔がない」
ボス。私は声に出さずにその言葉を反復する。
マーズさんも、自分に命令を下せるのはボスただひとりだと言っていた。ここまで部下に慕われ、宇宙を創りだそうとしている、ギンガ団のボス。
私はそのボスについて訪ねようと口を開きかけたのだが、それよりも彼が、
「それでお前、オトコには会えたのか?」
と、やや下世話なにやり笑いで口にする方が早かった。
咄嗟に私の口から「男だなんて言ってません」という否定が勢いよく滑り出す。
しかし彼は私のその反応にふんっと鼻で笑ってから、「で?」と返答を促した。
白いベッドに横たわる男に、首を横に振って答えた。会えなかったどころが、その手がかりすらも掴めなかった。
「でも、諦めません」
彼はふうっと肺の空気を吐き出してから、改まった調子で私に尋ねた、「なんでそんなにこだわるんだ?」
心底理解できない、という顔だった。
私はそれに答えようと口を開き、……しかし言葉に窮した。
あの夕暮れの湖で少し言葉を交わしただけの男の人。何かをしてもらったわけではない、狂人のような言葉と僅かな笑み、冷たい瞳を残して去っていっただけ。
でもどうしてだか、あの碧い瞳を思い出す度に胸の奥がさざ波をたてる。あの碧の奥にあるものを、私は知らなければならない。そんな気がした。どんな危険が待っていても、私の行動が大切な人を悲しませる結果になっても、それでも私は。
私はやや間をおいてから、小さく言った。
「そうしなければならないと思ったんです」
ベッドの彼はやや怪訝そうに眉をひそめてから、しかしそういうものかもしれないと納得してくれたのか、短く「そうか」とだけ言った。
そうだ、この胸のざわめきが私を急かし続ける限り、私は進み続けよう。いろんなことを振り返るのは、全てが終わってからでいい。
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