博士に貰ったばかりのナエトルを持って、僕はナマエちゃんと研究所を出た。
博士は野生のポケモンを捕まえた方が彼女にとっていいだろう、と言っていたけれど、本当はナマエちゃんにあげる筈だったポケモンをヒカリちゃんと、名前を聞く間もなく行ってしまった元気な男の子にあげてしまったからだということを、僕は知っていた。もちろん、博士の名誉のために内緒にした。

ナマエちゃんは、はるばるナギサシティからやって来たらしい。どうやってマサゴまで来たのか尋ねると、ナギサのジムリーダーに送って貰ったのだと、彼女は控え目に答えた。
言われて見れば、以前なにかの雑誌で目にしたナギサのジムリーダーと彼女の瞳の色は、同じ碧をしている。二人は兄妹なのかという問いには、否定の言葉が返ってきた。僕はナギサシティの人はもしかしたらみんな碧眼なのかもしれないなと頭の隅で思った。

と、こんな雑談ばかりもしていられない。

「マサゴは南に行けば海、北に行けば草むらがあるんだ」

僕のナエトルだと水ポケモンに対して有利だからそれとなく海を勧めたが、彼女は「でも水タイプってちょっと弱くないですか?」とさも当然のことように言ってのけた。
僕はそれに猛然と反対しそうになって、ふと大切なことを思い出す。ナギサのジムリーダーは電気タイプの使い手ではなかったか。僕は落ち着いて、諭すように彼女に言う。

「そんなことないよ、水ポケモンは電気には弱いけど、炎や地面にはとっても強いんだ」
「え! 地面に強いんですか!?」

それはすごいね! と、ナマエちゃんは碧色の瞳をきらきらと輝かせた。

「タイプには相性があって、みんな得意も不得意も両方あるんだよ」

彼女はそうだったんだ、と二度、神妙な顔つきで大きく頷いてから、
「じゃあ草むらにはどんなポケモンがいるんですか?」と僕に尋ねる。

「向こうには、虫とか飛行とか電気とかいろいろ……」

僕が言い終わらないうちに、ナマエちゃんは「いろいろいるの?」とそのきらきらした瞳で食いついてきた。
早く色んなポケモンに会いたくて堪らないのだろう、興奮や緊張のせいで僅かに頬が赤くなっている。つい先程博士と向き合っていた彼女からは歳の割にしっかりした印象を受けたけれど……やっぱり彼女はまだまだ無邪気な年頃の女の子らしい。年相応の表情に、僕は少し安心した。

よし、じゃあ202番道路に行こう。と僕が言うと、彼女は大きく頷きながら「はい!」と言った。彼女の柔らかな髪の毛が、空気を纏ってひらりと舞う。
駆けるように202番道路に向かう足取りは、まるでポニータのように軽やかだった。



マサゴの町を出てすぐの草むらにはビッパが数匹隠れていたが、ナマエちゃんがあげた「わあ!」という嬉しそうな声に驚いて、散り散りに逃げていってしまった。
僕がじとりと視線をやると、彼女は溢れる楽しさを抑え切れないらしく、一応「ごめんなさい」と謝ってはいるのだが、その顔は笑顔そのもので。やれやれ、と思いながらも、僕も自然と、やや苦笑っぽくはあったが笑顔になる。

「ナマエちゃんは野生のポケモン見たことないの?」
「何度かあります。でも、いつもデンジがすぐに倒しちゃうから」

この歳まで野生のポケモンを数えるほどしか見たことがないことに驚いた。
聞けば、生まれて今日まで一度しかナギサシティを出たことがないのだという。ナギサの海辺でかろうじて目にした水棲の野生ポケモンも、一緒にいたジムリーダーによって瞬時に退治されていたらしい。
まるで箱入り娘だと僕は思った。

「次は静かにします」

そう言って彼女ははにかむようにこりと笑う。
僕は「うん、よろしくね」と微笑んで、草むらを進んだ。



「あ、」

コリンクを見付けたのはそれからすぐのことだった。
僕は咄嗟にナエトルの入ったモンスターボールを構えようとしたのだが、それは何故だかナマエちゃんによって阻止されてしまった。僕の腕を服の上からぱっと掴み、ふるふると首を横に振ったのだ。

コリンクは僕らに視線を寄越して、しかしすぐに木々の奥に駆けて行く。ああ、逃げられてしまった。

「コリンクはまだだめなの」

水色の小さな獣が去ったその先を見つめながら、彼女は小さな声でそう言った。微かに震えた語尾は、頭上の梢が触れ合う音にすぐに掻き消されてしまう。
つい先程まできらきらと輝いていた瞳が恐ろしい程澄んでいて、僕の心臓は一度だけ大きく跳ねた。こんな目をする人を、僕は知らない。

「コウキくん、ごめんなさい」

僕より少しだけ年下の少女は、ポケモンの相性は知らなくても、僕の知らないもっと多くのことを知っているのではないだろうか。
僕の腕を掴んだままの彼女の掌のあたたかさが洋服を通して微かに伝わってくる。僕は彼女に何か伝えようと口を開いたが、その澄んだ瞳にかけるべき言葉はひとつも出てこなかった。

流れた沈黙を破ったのはナマエちゃんだった。林の奥を見つめていたナマエちゃんが、小さく「あ、」と呟いのだ。
つられてそちらに視線を流して、僕は驚愕した。

そこにいたのは、ゴースだった。林の影から、こちらを窺うように姿を出したり、隠したりしている。ゴースがふわりと動く度に、ガス状の体は怪しく揺らめいた。
僕はずっとマサゴタウンに住んでいるけれど、ここでゴースを見たことはなかったし、なにより今はまだ日があんなに高いのだ、まさかゴースに出会うだなんて。

「ナマエちゃん、」
僕はゴースから視線をそらすことなく呼び掛けた。多分、あいつは202番道路のポケモンじゃない。もしかしたら、僕のナエトルじゃ敵わないかもしれない、
「ゆっくり、下がって」

ゴースはゆらりゆらりと漂いながら下がってゆく僕らを感情の読めない瞳で見ていたのだが、
不意に、林の木々をすり抜けてこちらに近付いてきた。木々の間を滑るように飛び、一気に距離をつめてくる。

なんとしてもナマエちゃんを守らなければ。僕は彼女に逃げろと叫び、覚悟を決めてナエトルのボールを掴んだ。しかし、その覚悟は無駄に終わった。僕がナエトルを繰り出すよりも、彼女が博士に貰っていた空のモンスターボールを投げる方が僅かに早かったからである。
ボールは不思議な程真っ直ぐとゴースに向かって飛んだ。ゴースがボールに向かって飛んでいるように見えた程だった。コツン、とゴースの額に当たり、ゴースはボールに吸い込まれる。
全く弱らせていないゴースは絶対にボールから出て来ると確信していた僕は緊張をとかなかったのだが、予想に反してボールはすぐに大人しくなった。

彼女は小走りでボールに近付いて、静かにそれを拾う。
そして、ナマエちゃんは僕に微笑みかけ、とんでもないことを言った。

「この子、私に捕まりたそうでした」

出会ったばかりの野生のポケモンが、特定の人間に懐くなんてありえない。
けれども、彼女がボールから出したゴースは捕獲したばかりとは思えないくらい彼女に懐いていた。ゴースを可愛がるナマエちゃんの瞳は、いつの間にか普段の輝きを取り戻していた。

ゴースがボールに向かって飛んだように見えたのは、間違いではなかったのかもしれない、と僕は思った。


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