コウキくんのお父さんと話すうちに、ハクタイの名所の話題になった。私は彼に勧められたポケモン像というのを見るために、北の高台を目指して歩いていた。
ハクタイシティのポケモン像はとても有名なものらしい。なんでも、シンオウ神話に出てくる大昔のポケモンを象っていて、これを見るために遠方から訪れる人も多くいるのだという。
南の端から、北の高台。
これで、街の外周はぐるっと一周したことになるだろう。今日もたくさん歩いたなあ。横にいるゴースを見遣ると、彼はふわふわ飛んでいるからか、疲れなんてないよと言うようにすいっと私の先を行ってしまう。
私はそれを小走りで追いかけた。高台が見えてくる頃には、傾きはじめていた太陽が濃いオレンジ色の光を投げかけていた。ゴースと追いかけっこをしながら高台を登りきった私は、そこにある光景に思わず言葉を失って見入ってしまった。
夕日を受けて輝くポケモン像の荘厳さも、もちろんその一端を担っている。
しかしそれよりも私の目を釘付けにしたのは、あの水色の髪の男の存在だった。
ずっと会いたかった彼が、そこにいた。
私は言葉を失ったまま、男を凝視する。私の視線に気付いたのか、彼がこちらにじろりと視線を寄越した。
あの時と全く変わらない、威圧的な眼差し。冷たい暗碧の瞳が、私のそれとかちあった。
本当は、私はこの人にたくさんのことを尋ねなければいけなかったのだと思う。あなたの名前は? 何をしている人なの? ギンガ団と関係があるの? だとしたら、宇宙を創り出すってどういうこと?
しかし私は、ようやくこの人に出会えただけで胸がいっぱいになってしまった。頭でいろいろなことを考えるよりも先に、私の顔がにっこりとその喜びを表現する。
「お久しぶりですね」
シンジ湖のときと同じ、月並みな挨拶が口から紡がれた。
彼は私を視界の中央におさめたまま、何も言わなかった。私は続けた。
「覚えていますか? 私のこと」
私のその問いに彼はあまり血色のよくない唇を開きかけ、しかし何も言うことなく、そのまま口を閉じてしまった。
彼の声が聞けなかったのは少し残念な気もしたが、同時に、なんとなくだけど、これは肯定を意味しているように思えて。私はまた、自分の口元がやんわりと喜びに染まってゆくのを感じた。
どうして私はこんなにこの人に会いたかったのか、わからない。
ただ、会ってしまえば、そんなのはどうでもいいことのように思われた。
「私、あれから考えたんです、時間と空間のこと」
彼の眉間が、微かに動いた。
私はゆっくりと、慎重に一歩、彼との距離を縮める。
彼は私から視線を外してしまったが、この場を去ることはしなかった。威圧的な雰囲気をまとったまま、ポケモン像をじっと見つめる。私はもう一歩だけ距離を縮めて、同じくポケモン像に向き直った。
私と彼の間にはまだまだ距離があったが、しかしそれは前回に比べればいくらか近くなったような気がする。……気のせいかもしれないけれど、そう思うことにする。
私が隣に並んでも、彼は何も言わなかった。その沈黙は、私の言葉を待っているのだと、解釈することにした。
「当たり前すぎて今まで考えたこともなかったけど、どちらが欠けても世界は成り立たない」
視線の先のポケモン像が、私たちを静かに見ていた。
空間がなければ、時間は流れない。時間がなければ、空間は広がらない。双方が互いに互いを支え合って、この世界は広がっている。
「そう、」と、小さく私の言葉を肯定する声が聞こえた。思わずどきり、と心臓が震えて、私は彼の方を振り向けなくなる。
「この世界を形作るのは、時間と空間の二重螺旋」
ポケモン像の大きな左目の中に私が映り込んでいるのが見えた。
二重螺旋、それは私たちの体の設計図の構造。だとしたら時間と空間の二重螺旋は、この世界の設計図、と言ってもいいのかもしれない。
「……それは、人の手には大きすぎる気がする」
「果たして本当にそうか」
強い口調に弾かれるように振り向けば、彼は真っ直ぐに私を見下ろしていた。落ち窪んだ冷たい目。私は、ただそれを見上げる。
私と同じ碧い瞳の奥に垣間見えたのは、とても強い光だった。他人に否定を許さず、己の道を進む者だけが持ちえた鋭い眼差し。
「私は、」
咄嗟に言いかけて、しかし同時に、自分の中に続けるべき言葉がないことに気付く。
しかし、時間は戻せない。私は焦がれる思いで彼の瞳を見つめた。私は、私には、あなたに言いたいことがある。しかし、幼い私の持っている言葉でそれをどう表現していいのかわからない。
「私は、……」
やはり言葉は続かなかった。
それでも、瞳だけは逸らさなかった。言葉にはできないけれど、私の言いたいことはこの奥にあるの。
彼はしばらく私の瞳を見つめた後、冷たく「失礼」と言い残して、私の横をすり抜けて高台から去っていった。
私の横をすり抜ける刹那、私たちの距離は今までで最も近くなり、しかしすぐにそれは離別に転じた。
彼が居なくなった後、私はその場にへたりとしゃがみ込んだ。
彼に会えた嬉しさと、言葉にできなかったもどかしさと、彼が去っていた淋しさが胸の中でぐちゃぐちゃに跳ね回っておかしくなりそうだった。
今までどこにいたのかゴースが薄闇の中から現れて、私のそばにやってきた。私の頬にやんわり擦り寄って、小さく一度、労るように鳴いた。
私は実体のない彼を抱きしめて、しばらくその場に留まった。
時間と空間の二重螺旋の中で生きていくために必要な全てを、私たちは世界から与えられているのだ。なぜ世界そのものを欲する必要があるのかと、私はそれを否定したかった。
しかし同時に、あの人が頑なにそれを目指すのなら、私はそれを心から肯定したくもあったのだ。
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