私は少しの羞恥心を押さえて、一階へ戻ってきた。
つい先程自信たっぷりに倒したばかりのふたり組がどこかに行っていたのが、不幸中の幸いだ。私は何事もなかったように来た道を戻り、貼紙のある階段を慎重に登った。
機材と段ボールで雑然とした部屋とも廊下ともつかない空間を進んでゆくと、再びふたつの階段が現れた。やはり一方には貼紙があり、もう一方には貼紙がない。
私は迷ってゴースに視線をやると、彼はふたつの階段を見比べてから、貼紙のない方へ飛んで行った。確かに、二度も同じ方法を使うとは思えない。私はゴースの直感に何度も救われていたこともあって、この階段は正しい道に違いないと確信しながら三階へと登って行った。
しかし、その先は、またもや行き止まりだった。
この建物の機器を全て制御しているとおぼしき大きな演算装置と、それを手入れするギンガ団の女性がいるのみだった。
彼女は何やら熱心に機械に向かっていたので、私は彼女に気付かれることなく今来た階段をゆっくりと下りることが出来た。
階段を下りきった所で、ゴースが一度小さく鳴いた。なんだか申し訳なさそうに俯いている彼が珍しくて、私はくすりと笑ってから彼を撫でた。
それから私たちは、深く考えるのをやめた。ここでは、私たちの常識は通じない。そう再認識した。
自分たちの感覚の赴くままに階段を上り下りして進んでいく。下っ端の幾人かからは話を聞くことができた。しかし、彼らの言葉は抽象的で、ハンサムさんのメモの通り全く要領を得ない。
ただ、彼らがギンガ団の進む未来を盲信していることは嫌というほどわかった。詳しくはわからないが、とにかく凄くて偉大なボスのもと、とにかく新しい世界を創り出すために、それぞれに与えられた役割をこなしているようだ。
何度も階段を上り下りしてここが何階かわからなくなってきた頃、私は白衣を着た研究員と出会った。たくさんの機械やパソコンに囲まれた研究室にいた彼は、他の団員がしている揃いの髪型も服装もしておらず、その思想も「とにかくすごいギンガ団」を謳う下っ端たちとは違っていた。自分のやりたい研究のためにここにいるのだということを、彼はややねっとりとした口調で私に語った。
研究員の男は、自分のベルトからモンスターボールを取り出し軽く放った。
中から現れたのはユンゲラーだった。ユンゲラーはスプーン越しに私たちを睨み据える。それを見た男は、本当に心から愉快そうに笑って言った。
「これが他人から奪ったポケモンだと思えるか?」
彼のどこか熱っぽい口調に、私ははっとさせられた。
前々から疑問だった、何故通信機器を通すことなく奪ったポケモンがギンガ団の命令だけをきくのか。その答えが、目の前にあるのだ。
「……なにか秘密があるんですね」
私がそう言うと、彼は小さく鼻で笑ってから続けた、「秘密もなにも、君はモンスターボールの構造を知らないのか?」
確か、1世紀近く前、瀕死のポケモンに体を縮める能力があることが偶然発見された。それを利用してモンスターボールの開発が進められたのだと、学校の授業で軽く触れた。
私がそのことを告げても、彼は不敵に笑むばかり。
「それはニシノモリの眼鏡ケースの話だろう。現代のモンスターボールは、ただのケースではない。
……君では話にならんな」
研究員の男は私との会話に興味を急速に失ってしまったようで、ユンゲラーに念力を指示した。
しかし私の思考は、彼の言葉に囚われていた。モンスターボールはポケモンを捕獲し格納するだけのケースではない。ということは、モンスターボールならではの構造があり、それをギンガ団は利用しているのだろう。しかし、その本質がわからない。
思考が追い付かない。私は眼前までユンゲラーの念力が迫っているにも関わらず、ボールを投げられないでいた。モンスターボールという存在が、少しだけわからなくなってしまっていた。
そんな私の眼前に、突然ゴースがひらりと踊り出た。
彼は私の指示もないままにナイトヘッドを放つ。それは念力の波と正面からぶつかって、互いを相殺した。
ゴースが高く鳴いた。しっかりしろと言われた気がした。
研究員の眼鏡が、ぎらりと輝く。
「たまにいるんだよ、自律的な行動をとるポケモンが。そのゴース、ボールを嫌がるだろう」
私が小さく頷くと、彼は懐からスペシャルアップを取り出して、それをユンゲラーに与えた。ユンゲラーが漲る力を発散させるように大きく鳴く。
「ボールに抗う力を持ったポケモン。是非とも、研究材料に欲しい」
彼は再び念力を命じた。
先程ナイトヘッドで相殺されていた念力は、今はスペシャルアップで強化されている。……しかし、避ける方法もない。ゴース、いける? 視線の先のゴースは、こちらを振り向かずに小さく頷いた。
私はナイトヘッドを指示する。闇色の光線が再び念力とぶつかり、やや辛くはあったが、なんとか相殺することに成功した。
私はそのままゴースに催眠術を命じる。
闘志を剥き出しにしてゴースを睨みつけていたユンゲラーは、催眠術を正面から受けて眠ってしまった。
「……まだ、やりますか?」
私がそう尋ねると、彼は静かにユンゲラーをボールにおさめた。
「そのゴース、本当に惜しい……」
眼鏡の奥の黒い瞳が、その視界にゴースを捉え続けている。不敵な笑みを浮かべる口元が、今は悔しさからか微かに歪んでいた。
ゴースが、研究員にあかんべーをするようにその長い舌を突き出す。
それから私の肩にすいっと舞い戻ってきた。
私はゴースを連れて階段を登ってゆく。
ちらりと振り返った先の研究員は、まだ真っ直ぐにゴースを見ていた。
[ 58/209]← →