一階の散策を終えて、ふと食堂の窓に目をやると、窓から差し込む光が段々と茜色を帯びはじめていた。
なるべく早く見て回っているつもりだったのだが、どうやら思いのほか時間が過ぎていたらしい。このままのペースでは、日が暮れるまでに調査を終えられないかもしれない。私は暗い洋館に私とゴースがふたりきりで取り残されている様子を想像してしまって、思わず身震いをする。できれば、それは避けたい。

私はやや歩調を早めて食堂を出た。不気味な彫刻をやり過ごし、二階へ続く階段を登ってゆく。一段ずつ踏む度に、ぎぃっ、と嫌な音をたてた。近くにゴースがいてくれるから大丈夫だけど、やはりこういうのは少し、不気味だ。
なるべく気にしないように階段を上りきって、周囲の様子を確認する。二階は、一階のエントランスホールから吹き抜けになっている手前側と、食堂の上にあたる奥側に分かれているようだ。

手前側の空間には、左右対称に部屋がひとつずつ作られている。
正面玄関扉に向かって右側の部屋は、大量の本が並ぶ書庫のようだった。
反対側の部屋も大量の本に埋もれていたが、重厚な造りの机が正面の壁に突き当たるように置かれていることから、こちらはどうやら書庫ではなく書斎だったであろうことがうかがえた。

私は本や紙が雑多に散乱する机に近付いて、そこにある本を無造作に手に取ってみる。それは、ポケモン学会の冊子だった。50年前のポケモン博士たちが書き連ねた論文がいくつも掲載されている。ぱらぱらとめくってみたが、今では使われない難しい文字がたくさん使われていて、私はそれを読むことを断念した。

最後のページには、色褪せた便箋が挟まれていた。これも難しい文字に加えて崩し字が多く、詳細な内容はわからなかったが、今年の論文集を送ったことと、新しい論文を早く提出するよう催促していることは読み取れた。
机の上に視線を転じる。どうやら論文の構想とおぼしき走り書きのあるメモが、いくつも散乱していた。

私は食堂にあった大きな肖像画を思い出す。厳格そうな雰囲気のあのご老人は、ポケモン博士だったのだろうか。
だとしたら、彼は書きかけの論文をここに残して、どこへ行ってしまったのだろう。

解決しようのない疑問を残したまま、私はこの部屋を後にした。
それから、今度は二階の奥側に向かう。

二階奥の扉の向こうは、左右に続く長い廊下になっていた。廊下の壁には、5つの扉が並んでいる。
この廊下には、建物の構造上窓が設けられていないらしく、今まで歩いたどの部屋よりも薄暗く不気味だった。

私は、左側から全ての部屋を足早に確認して、完全に日が暮れる前にこの洋館を立ち去ることにした。

一番左の部屋には、初歩的な学問書の詰まった本棚と、勉強用らしい机がふたつ置かれていた。どうやらここは、あの肖像画に描かれていた二人の子供の勉強部屋のようだ。

その隣の部屋は、家族団欒のための部屋のような印象を覚えた。壁際に置かれた一台のテレビを中心に、革張りのソファなど上品そうな調度品が置かれている。
そんな中、私の目を引き付けたのは、脚のついた旧型のテレビだった。窓の下にぽつんと佇み、何かの映像を映すでもなくぼんやりとした白藍色の光を放ち続けているそれを、私はなんとも言えない気持ちで見つめた。
日が傾き始めたせいで薄暗い部屋の中、ブラウン管の規則的なまたたきが私の顔を照らし出す。なんだか、こちらが見られているような感覚に陥る、そんな怪しげなテレビだった。

……そんなわけないか。
私は若干の不気味さを断ち切るように深呼吸してこの部屋を出た。

次に足を踏み入れたのは、2階の中央に位置する部屋だった。ここはどうやら、ふたりの子供の寝室だったようだ。
今までの部屋よりもやや大きなそこには、左右対称にベッドと本棚、それから小さな机とおもちゃ箱がそれぞれ置かれていた。壁には日に焼けてしまっている子供の落書きのような絵がたくさん貼られており、彼らがここでのびのびと過ごしていたことが窺えた。

ふたつの本棚は全く同じつくりをしていたが、一方にはお姫様が出てくるような童話やポケモンの絵本が並び、もう一方には子供向けの機械の本や英雄譚の童話が並べられていた。それぞれの隣に置かれていたおもちゃ箱も、前者は人形やおままごとのセットが、後者にはロボットやブロックが収められている。

私は、男の子が使っていたでらしい本棚の中から一冊の本を取り出す。
それは、日記帳だった。たどたどしい字で綴られた洋館の日常は、彼らにとってはとても楽しいものであったようだ。特にこの少年は機械が好きだったらしい。父親が目新しい物好きで、彼の買う新型の冷蔵庫やテレビ、芝刈機などをとても喜んでいたことがうかがえた。

私は微笑ましく思いながらページをめくっていたのだが、ある日付を境に日記は途切れていた。最後の日記には、おもちゃのロボットと友達になった、という旨の記述がされており、奇妙なことにそれは途中で途切れているようだった。よく見ると、ページを破り取ったような跡が見受けられる。
こんな子供の日記、誰が何のために破ったのだろう。疑問に思った私はゴースに目配せして肩をすくめようとしたのだが。
ふと、私は辺りを見回して、ゴースがいなくなっていることに気付いた。

「……ゴース?」

呼び掛けても、返事はない。
どきり、と心臓が冷やかに鼓動する。私は手にしていた日記帳をゆっくりと本棚に戻し、周囲を警戒しながら部屋を出た。

「ゴース……?」

廊下に向かって、控え目に問い掛ける。大きな声を上げる勇気はなかった。私の小さな声は薄暗い廊下に吸い込まれて消えた。返事は無かった。
いつまでもここで待っていても仕方がない。洋館の探索を終える頃には彼の方から戻って来るだろう。ゆらりといなくなってふらりと戻ってくるなんて、よくあることじゃない。そう思うことにした私は背筋に冷たいものを感じつつも廊下をゆっくりと進み、次の部屋の扉のドアノブを慎重に回す。

まず感じたのは、視線だった。ゴースがいるのかと思い部屋にざっと視線を走らせたが、彼の影は見当たらなかった。
私は少し落胆してから、改めて部屋を眺める。そこは、ひとつのベッドと小さな棚が置かれているだけのシンプルな寝室だった。
壁にはいくつかの絵がかけられていたが、どれも変色してしまっていて元がなんの絵だったかは判然としない。とくに、棚の左側にかけられた絵が恐ろしかった。元は人の胸像が描かれていたのだろうがその輪郭はぼやけ、全体が紫色に変色してしまっていて、まるで死人のようだった。

……ナタネさんには調査を頼まれたけれど、私にはわからないことが多すぎる。
そう思って小さく溜息をついた時だった。

突然、大きな物音が聞こえた。胸の真ん中で心臓が大きく震える。
ばたん、という派手な音。やや遅れて、扉の閉まった音だと理解した。
私の耳が正しければだが、この音はこれから見に行くつもりの最後の部屋から聞こえてきたように思う。

誰か、いるのか。それとも、

今までただ不気味だっただけの洋館が、その姿を幽霊屋敷へと急激に変えようとしていた。
窓から差し込む光は、いつの間にか濃い橙色から薄闇へと変化していた。


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