はじめに視界に飛び込んできたのは、こちらを見つめる深い緑色をした二つの瞳だった。大きな、きらきらとした好奇心をたたえた綺麗な瞳。
次いで、その両目に写りこんでいるものの影が、ゆっくりと見えてくる。それは、人の好さそうな笑みを浮かべた、ブリキのロボットだった。どこも錆びた様子のない、真新しいそれ。もしも緑色の瞳の中でなければ、その体が鮮やかな空色をしていることを、私は知っている。

「こんにちは」

不意に、緑色の目をした生き物が声をかけてくる。

「ぼく、モウタ。君は?」

ブリキのロボットは、ことばを話すことは出来ない。なので、代わりにほんの少しの電気を体から発して、それに応えることにした。
ばちん。一瞬走った光に驚いたのか、緑の目が見開かれ、その顔が遠くなる。がらん、と甲高い音が響くと同時に、体に衝撃が走る。あ、電気に驚いたせいで、緑色の目の生き物がロボットを取り落としてしまったんだ。

床に倒れたまま見上げた先には、緑色の目をしばたかせる少年がいた。驚かせてしまったのだろうか? ロボットはもう一度、今度はもっと加減をして、ぴかりと光ってみせる。すると少年は、その愛らしい顔を破顔させてロボットを取り上げた。部屋の中をぴょんぴょん飛び回りながら、「ねえ、友達になってよ!」と言う。
ロボットは肯定の意味を込めてぴかりと光る。少年はその夜、ロボットと友達になったことを日記に記した。

『あんな得体の知れ…………に モ……を持っていかれるとは』

どこからともなく響いた、低く、不明瞭な声。
その声が少年の笑顔をぐにゃりと歪めた。子供部屋も、少年も、ロボットも、全てが交じってひとつになって、気が付くと私は洋館の主の書斎に立っていた。

机の上には一冊だけ、まるでこれを見ろと言うように、50年前の日付が書かれた論文集が置かれていた。私はそれを、ためらいなく手に取る。
すると、朽ちて丸くなっていた本の角が、ほつれてしまっていた背表紙が、ゆっくりと時間を巻き戻すように真新しさを取り戻しはじめた。その裏表紙に書かれていた、筆跡の乱れた文章。そのインクの滲みも、じわりじわりと鮮明になってゆく。

「あんな得体の知れないものに モウタを持っていかれるとは」

不意に、私の背後から低くとどろくような声が上がった。声のした方を振り返る。視線の先にいたのは、深いフォレストグリーンの闇を眼窩にたたえるあの老人だった。床から少し浮いて微かに揺れながら、首をありえない角度に捻って私を見つめている。

「あんな得体の知れないものに モウタを持っていかれるとは」

老人は、地を這うような声でもう一度繰り返した。
不思議と怖くはなかった。これが夢だとなんとなくわかっていたせいもある。しかしそれ以上に重要なのは、この老人が闇色の眼窩から透明な涙を流していたことだ。

モウタ、というのは、あの少年のことなのだろう。双子の子どものうちのひとり、機械が好きな少年。この老人の子どもか、孫か、とにかく大切な家族だった男の子。

私が本を強く握り直した瞬間、私の背後でまばゆい光が弾けた。その光は老人の眼窩を焼き、輪郭を侵食してゆく。苦しむ老人の声。
なぜ。どうしてこの人を苦しめるの。私はやりきれない気持ちで光源の方へ向き直り、そのあまりの眩しさに目を細めた。その途端、私の耳の奥に、ジジジジ、という、今にも消えようとするネオンランプの断末魔のような音が小さく響き始める。

まばゆい光に慣れ始めた私の目に映ったのは、光の中心で笑うモウタ少年と空色のロボットだった。
僕たち、ずっと一緒だね。と笑う彼の向こうに、その様子を見て絶望したような表情を浮かべるあの老人の姿が見える。
ジジジジ、という音が、耳の底でだんだん大きくなってゆく。懐かしいような、不安になるような、そんな不思議な音が、私の思考を奪おうとしている。

不安を掻き立てるこの音がいっとう大きくなった瞬間、私の目を刺していた光がやんだ。
その刹那、少年が気を失ったようにその場に倒れる。老人は、そんな少年の体に取り縋って、きっと泣いているんだろう。しかしその声は、このジジジジ、というなにかが擦り切れるような音に阻まれて聞こえない。

どうして私はこんな夢を見ているんだろう。
夢は、記憶の整理のためにその断片が脳裏に投影されているものだという。ならば、どうして私は自分の知り得ないようなことを夢に見ているのか。

私がそう疑問に思った瞬間、空色のロボットから、まばゆい閃光を放つ何かが飛び出してきた。オレンジ色の体、ロボットと同じ空色の瞳。稲妻のような形をした二つの手、体を取り巻く輝く電気の膜。

あれは、ポケモンだ。私は直感的にそう思った。
この屋敷の主人がずっと探していた、彼の論文のために必要だった、新種のポケモン。

彼は動かなくなった少年を見て、小さく首をかしげる。そして、どこか角ばったような独特の軌跡を描きながら、少しずつ遠ざかってゆく。
彼は、どこからともなくあらわれたレトロ調のテレビに触れる。するとその体は溶けるように消えた。その瞬間、沈黙していたテレビに光がともる。鮮明な映像は映らない。砂嵐が、ブラウン管をジジジジ、と悲しげに泣かせている。

その瞬間、私は思い出した。この洋館の、二階の一室にあったテレビのことを。電気の通っていないはずのこの洋館で、そのブラウン管がこんな風に泣いていたことを。

起きなければ。
私は、この洋館を調査しにきたのだ。その答えは、きっとそこにある。


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