覚醒するのに、さほど時間はかからなかった。
私は暖をとるためにかけていた寝袋をはぎ取って立ち上がろうとして、ふと、寝る前にかけたはずの寝袋がないことに気付く。
疑問を覚えた私の鼓膜を、あのブラウン管のジジジジ、という微かな音が揺らした。
はたと気が付いて視線を上げると、私の目の前にあのテレビがあった。次いで、自分の体が革張りのソファーに沈んでいることに気付く。
ありえない。だって私は、子供部屋にいたはずだ。信じられない状況に、私の心臓が大きく一度鼓動する。私は頭をもたげかけた恐怖心を抑え込むように、大きく深呼吸をした。
これは、まだ夢の中?
私はなるべく冷静に、自分の体や周囲の状況を確認する。先ほどまでの夢の中と違って、指の先まで感覚がある。この部屋の様子も、曖昧なイメージではなく、隅々までしっかりと認識できる。どうやら、夢の中ではないようだ。
だとしたら私は、寝ている間に誰かにここまで運ばれたのだろうか? それとも、夢遊病よろしく自分でここまでやってきた? ……どちらにしろ不気味なことに変わりないし、こんな瑣末なことの真偽はどちらでもいいか。私はそう思いながら、苦笑気味に笑う。怖いことの連続だったせいか、恐怖の感覚が麻痺し始めている。そんな自分が、他人事のようにおかしかった。
私は小さく息をついて立ち上がる。埃っぽいリノリウムの床を踏んで、淡い光を投げかけるテレビの前に立つ。
ブラウン管はやはり小さく泣いていた。もしも、私の見た夢が正しかったとしたら。このブラウン管の中にいるポケモンは、友人の少年を失ってから50年もの間をこの中で過ごしていたことになるのだろうか。私には想像できない長い時間を、彼はここで。
ちくりと痛んだ心臓を抑えて、私はそっとテレビに触れた。ホコリの積もった上部を撫でて、それから発光を続ける画面にそっと耳を当てる。
「こんにちは」
ずっと同じ調子で続いていた音が、なにかに動揺したように一瞬だけ大きくなる。
やっぱり彼はここにいるんだ。そう確信した私は、すこし呼吸を整えてから、続けた。
「私、ナマエ。君は?」
私の耳の向こうで、ブラウン管の音が大きくなった。そして次の瞬間、ばちり、と画面がまばゆく一度点滅する。久しぶりに電気を発するせいか、どうにもうまく加減が出来なかったらしい。私の目はその光に焼かれて、しばし視力を失う。
私が目を閉じて視力の回復を待っていると、瞼の向こうでテレビの画面がもう一度、今度はさっきよりも柔らかな光で点滅をした。こちらの反応を窺うように、おそるおそる灯った光。私は大丈夫だよ、という思いを込めて、テレビの画面をこつん、と叩いた。
その瞬間、
ブラウン管の画面が青白く光った。明るい画面がくにゃりと歪む。そして、その向こうからあのオレンジ色のポケモンが現れた。
夢の中で見たのとそっくり同じ容姿をした彼が、ジジと光りながら暗い部屋の中に浮いている。いたずらっぽく持ち上がった口角は、どこかゴースを彷彿とさせた。なんとなく、この子はゴーストタイプなんだろうな、と確信しながら私は、用意していた言葉を続けた。
「ねえ、友達になってよ」
私の一連の言葉が、かつてこの子があの少年と出会った時のものと全く同じであることにこの子が気付いたかは定かではない。
ただ、私の言葉を聞いた彼は、小さな体をぴかぴかと光らせながら、私の周りを不規則な軌跡を描いて飛びまわった。これは、肯定なのだろうか。それとも否定なのだろうか。
私が彼の反応を理解できずに困っていると、そんな私の様子を見た彼は青い目を光らせながら、稲妻状の手をこちらに向かって差し出してきた。……どうやら、肯定だったらしい。そう思った私がその手を取った瞬間、
ばちん、と、まばゆい光と共に、私の右手の先に鈍い痛みが走った。
それと同時に、このポケモンの笑い声と思しき声が部屋いっぱいに満ちる。甲高い笑い声の奥に、電気がはじけるようなぱちぱちという音が交じった独特の鳴き声。上空を飛び回る彼をじとりと見上げると、彼はいたずらっぽく持ち上がった口を歪めて、更に大きな声で笑った。
……なんだ、結構元気そうじゃない。友人を失って悲しみの底にいるのかと思っていたけれど、そういうわけじゃないのかもしれない。
私は小さくため息をついてから、この部屋を出ることにした。
どうやら、この子に私は必要なさそうだし。ゴースが私を待っているといけないし。
この部屋を後にするべく私は立派なつくりの扉を開けて、それから最後にもう一度だけ、部屋の中を振り返った。けらけらと笑うこの子を一瞥して、そっと微笑む。なんにせよ、この子が元気そうでよかった。私はそう思いながら、重い扉を閉じた。
――のだが。
廊下で小さく伸びをした私がなんとなく視線を横に流すと、ついさっきまで部屋の中で笑っていたはずのあのポケモンがそこにいた。思わず声をあげて驚くと、彼はまたからからと実に楽しそうに笑う。
私はしばし逡巡したのち、隣の部屋を目指して駆けだした。私の背後を、あのポケモンはからからと笑いながらぴったりとついてくる。私はそれになるべく意識を向けないようにしながら、走る速度を上げた。
とにかく、味方が欲しかった。ゴースだ。彼がいてくれれば。同じゴーストタイプ同士だもの、きっと話をつけてくれる。
しかし、この時の私は、残念なことに、かつてフワンテをゲットした時のことを綺麗さっぱり忘れていた。
つまり、私の一番のパートナーは、頼りがいのある仲間であると同時に、ゴーストポケモンたちの強い味方なのだということを、都合よく意識の外に消し去ってしまっていたのである。
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