「この洋館に幽霊が出るっていう噂があるんだけどね、その正体はあなた?」
ゲンガーの真っ赤な目を見ながらそう尋ねても、彼はけたけたと笑うばかりで全く要領を得ない。
ナタネさんに森の洋館の調査をお願いされている手前、なにか成果を得たいとは思うのだけれど……、そう簡単にはいかないようだ。私が大きなため息をつくと、ゲンガーは重力を感じさせない動きでぴょんと跳躍して、ゴースの群れの中へ飛び込んでいった。
ゴースたちは恐れる様子を見せず、ゲンガーとじゃれ合うように飛び回る。
「……まあでも、ひとつ解決だよね?」
この部屋に入る前、あれだけおびえていたゴースたちに笑顔が戻ったのだから、よしとしよう。
私とゴーストはすっかり仲良くなった彼らを残してこの部屋を後にした。
そして、寝袋などの荷物を置きっぱなしにしていた子供部屋に戻る。
ポケッチを見ると、いわゆる丑三つ時と言われる深夜2時を過ぎた頃だった。もうこんな時間なのか。時間の感覚が戻ってくると、一気に疲れが襲ってきた。私は地面にほったらかしにされていた寝袋を拾い上げて軽くはたくと、それを肩から羽織るようにして暖を取りつつ、部屋の隅に腰を下ろした。
洋館の中は暖房がないため肌寒かったが、しかし洋館の造りが立派なためか、寝袋でしのげないほどの寒さではない。私はなるべく体温を逃がさないように膝を抱えて小さくなりながら、この洋館のことを考えた。
幽霊が出るからと、調査を任された森の洋館。
ここにはテレビに住んでいたゴーストポケモンと、洋館の主のように振舞うゲンガー、そして、食堂で出会ってしまった本物の幽霊がいたわけだ。
本当に幽霊がいました、とナタネさんに報告したら、彼女はどんな顔をするだろう。おそらくナタネさんはお化けが苦手なようだから、あまり嬉しい顔はしないだろうなあ。
目を閉じて明日のことを考えていると、すぐに眠気がやってきた。疲れているせいか、硬い床の上でもぐっすり眠れそうだった。
朝はすぐにやってきた。窓の向こうから入ってきた淡い光に気付いた私は、ゆっくりと体を起こす。
朝の洋館は今までにないくらいひっそりと静まり返っていた。夜の洋館を我が物顔で闊歩するゴーストポケモンや、あるいは本物の幽霊がいないせいかもしれない。
私は手早く荷物をまとめると、傍らで眠っていたゴーストを優しく揺り起こし、ふたりで部屋を出た。
一階に向かう階段をおりる前に、ふと気になって、昨日ゴースたちやゲンガーと別れた隣の部屋を覗いてみる。しかし部屋の中には朝日が差し込んでいるだけで、ゴースたちはやっぱりいなかった(どこかで眠っているのだろうか)。
私たちはそのまま階段を下り、玄関の立派な扉に手をかける。昨晩はぴくりともしなかったそれは、軽く引いただけで、ぎい、と仰々しい音をたてて開いた。
もしも開かなかったら、と心のどこかで身構えていただけに、少しだけ拍子抜けしてしまう。
「……ゴースト、行こうか」
気を取り直して、相棒に声をかける。ゴーストはどこか名残惜しそうに洋館の奥の方――中庭から朝日が差し込んでいる食堂の方を見つめていたのだが、私の声に反応してすぐにこちらに飛んで来た。
半日ぶりの外の空気は、とても気持ちがよかった。私は大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと朱塗りの扉を閉める。閉まりゆく扉の向こうに見える朝日に照らされた食堂、その壁にかけられた立派な肖像画が、私のことを見つめていた。
洋館の主の老人と、双子の幼い男女。50年もの歳月を経て、ハクタイの人々からも忘れられてしまった彼らの、ハクタイの森のように深い緑色をした、もの言いたげな瞳が私の脳裏に焼き付く。
森の瞳の親子を残して、洋館の扉は閉まった。
朝日を浴びて佇む、左右対称の洋館。私はそれに別れを告げて、荒れた前庭を歩いてゆく。
昨日フワンテが居合い切りで切り開いてくれた門扉の木立を抜けようとした私は、なんとなく、最後に洋館の全景を見たくなって、おもむろに振り返った。
不気味な、しかし高級感と安定感を感じさせるその佇まいをぼんやりと眺めていた私は、不意に、向かって一番右側の窓で何か影が動いたのに気がついた。もしかして、ゴースたちが最後の見送りをしてくれているのだろうか。そう思った私は、目を凝らしてその窓を見る。
窓の向こうにいたのは、小さな女の子だった。
心臓がひやりと冷たくなったのは一瞬。すぐに、あれはゴースたちが最後に私を脅かそうとしているのではないかということに気付いた。
「あ、あれ、ゴースたちのいたずらよね?」
隣に浮かぶゴーストが頷いてくれることを期待して、そう問いかける。しかし彼は、その首をはっきりと横に振った。ゴースたちじゃない、ということは。
私の視線の先で、彼女の琥珀色の瞳が朝日を受けてきらりと光る。
その瞬間、私は洋館の二階の右端、そこだけ不自然に何もない空っぽの部屋で、とたとたと駆けてゆく軽やかな足音を聞いたのを思い出した。
――あれは、あなただったの?
私がそう胸のうちで尋ねかけた瞬間。
がさり、と、私の足元で物音がした。
私は甲高い悲鳴を上げながら、よたよたとその場から移動する。そして、恐怖に震える瞳で物音のしたあたりを確認する。そこにはぼろぼろの技マシンが落ちていた。色褪せたパッケージには、掠れた文字で『技マシン50 身代わり』と書かれている。
一体どうして私の足元に急に技マシンが出現したのかは分からない。しかし、それには何かの意味があるような気がした私は、慌てて視線を窓の向こうにいる少女の方に向け直す。
少女は琥珀色の瞳で私のことを見つめながら、空気に溶けるようにゆっくりと消えていった。私はまるで金縛りにあったように動けずに、少女が消えていくのを見つめ続ける。
そんな私の脳裏に、洋館の食堂にかけられていた大きな肖像画が蘇った。
そこに描かれていたこの洋館の主人は、今もこの洋館をさまよっている。少年は私がゲットしたあのポケモンと遊んでいて、不慮の事故に遭ってしまったんだろう(中庭にあった小さなお墓は、おそらく彼のものなのだろう)。
だとしたら、この少女はあの肖像画に描かれていた女の子なのだろうか、と思いかけた私は、しかしすぐに大きな違和感に気付いた。今、私のことを見つめる彼女は琥珀色の瞳をしている。しかし、肖像画に描かれた彼らは皆、深いフォレストグリーンの瞳をしていなかったか?
だとしたら、あなたは誰?
そんな私の視線の先で、少女はあっけなく消えた。私に残されたのはなんとも言えない不気味な感情と、古い身代わりの技マシンだけだった。
[ 75/209]← →