206番道路を南下してクロガネシティに着くころには、すっかり夜になっていた。
ジョーイさんに遅くにすみませんと謝って、ポケモンセンターの夜間通用口から入れてもらう。施設利用のためにトレーナーカードを確認したジョーイさんは、「ああ、あなたがナギサシティのナマエさんね」と朗らかな声で言った。
「サイクリングのルリカさんから、自転車を預かっていますよ」
自転車は、ポケモンセンターの駐輪場に止めてあるらしい。ジョーイさんは「明日出発する時に乗って行ってくださいね」と言ってにこりと笑ってくれたけれど……私は自分の自転車の腕前を思い出す。とてもじゃないが、乗って行けるとは思えない。
ここに置いていくこともできないし(放置自転車は迷惑になるし、なにより、私のために調整してくれた自転車屋のご主人に申し訳が立たない)、どうしたものか。そう思案している私に、ジョーイさんは優しい笑顔でこう言った。
「ステキな自転車で旅をするのは楽しいでしょうね」
「そ、そうですね」
まさか自転車に乗れないと言うわけにもいかず、私は曖昧に笑ってその場をやり過ごすことしかできなかった。
それから手早く就寝の支度を終えて、公衆電話の並ぶ一角へ向かった。昨日はできなかったデンジへの定期連絡を入れるために、自宅の番号をプッシュする。
今朝と違っていつもの時間だから、今度はすぐにつながるだろうと思っていたのだけれど……、残念なことに、今回も電話は繋がらなかった。
電気タイプに詳しいデンジに、森の洋館で捕まえたポケモンのことも聞きたかったし、なにより明日にはテンガン山に入るから、最後に話しておきたかったのだけれど、仕方がない。
私は永遠に続くコール画面を切って、ベッドに向かった。
翌朝、テンガン山に入るための支度を整えて、ポケモンセンターを出た。
早朝のクロガネシティは、東にそびえるテンガン山のせいで日の出が遅く、まだ少し薄暗い。
私は朝闇の中を、純白の自転車を押してとぼとぼと歩いていた。私はこれから先、ずっと自転車を押して旅をすることになるのだろうか。自転車屋さんのご主人が善意でくださった自転車なのに、使いこなせない自分が情けない。
私が自転車に乗れればなあ。と思い、思わずため息をついたその時、
「あれ、ナマエちゃんじゃないか!」という聞き慣れた声が、私を呼んだ。
声のした方を振り返る。もうすっかり見慣れたツナギ姿の青年が、そこにいた。
「ヒョウタさん!」
朝の挨拶をして、こんな朝早くにどうしたのかと尋ねると、ヒョウタさんは炭鉱の朝は早いんだよと爽やかに笑った。
「そう言うナマエちゃんは、どうしてクロガネに?」
私はヨスガシティに向かうために、テンガン山を抜けるつもりであると説明した。買い込んだ薬品類と食料でぱんぱんになっている鞄を見て、ヒョウタさんはなるほどと首を縦に振り、それから私が自転車を押していることに気付いたようで、眼鏡をくいっと持ち上げて自転車に注目した。
「これはまた、ずいぶんいい自転車を買ったね」
ヒョウタさんは自転車に詳しいのかと問うと、彼は「詳しくない僕でもわかるくらい、いい自転車なんだよ、これが」と紳士的な笑みを浮かべて答えてくれた。
それからヒョウタさんは「これは旅も楽しいだろうね」と言って私の肩をぽんと叩いてくれたのだが、しかし、私はそれに色よい返答をすることが出来なかった。私の表情が明るくないことに気付いたヒョウタさんは、すぐに「……どうかしたのかい?」と心配そうに首を傾げる。
私は、思い切ってすべてを正直に打ち明けることにした。
縁があって、ハクタイシティで自転車をもらったこと。それが嬉しくて忘れていたけれど、私は自転車に乗れなかったこと。すでに自転車で事故まがいな目に遭っていること。だから私はこれから、ずっと自転車を押して旅をしなければならないこと。
「せっかく自転車をくれたおじさんに、あまりに申し訳なくて」
私が神妙な顔をしてそう言うと、ヒョウタさんはどういうわけだかぷっと吹きだして、くすくすと笑い始めた。私がどうして笑われているのか分からずにぽかんとしていると、彼は「ごめんごめん、」と謝ってから、「なんか、いろいろ、わかるなあと思って」と続けた。
「ナマエちゃんに自転車をあげたかった自転車屋さんの気持ちとか、サイクリングロードできみを助けたふたり組の気持ちとか。なんだか、つい手助けしたくなるんだよ」
眼鏡の奥の瞳を柔らかく細めてそう言ったヒョウタさんは、そこで小さく咳ばらいをして「というわけで、」と調子を変えるように明るく言った。
「今度は僕に助けられない?
自転車、よかったら預かっててあげるよ。押していくのは大変だろうからね」
「い、いいんですか!?」
「もちろん!」
ヒョウタさんはそう言って、私からさりげなくハンドルを奪う。
「いつか落ち着いたら取りにおいで」
私が深々と頭を下げると、ヒョウタさんはどこか上機嫌に「どういたしまして」と言って、にっこりと笑ってくれた。
「ナマエちゃんが来るの、待ってるからね」
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