クロガネシティから207番道路に出るには、ポケモンの力か自転車がなくては高くて登れない段差がある。
見送らせてよ、と言ってそこまでついて来てくれていたヒョウタさんがプテラを使って私を段差の上まで送ってくれたので、私はなんとかテンガン山に向けて出発することができた。
ヒョウタさんと別れて、207番道路を東へ歩いてゆく。
デコボコとした岩山が左右に続く中、テンガン山の洞窟へ続く道がまるで谷のように続いている。その岩山はテンガン山に近付けば近づく程高さと険しさを増して、私を威圧した。
荒れた抜け道やクロガネトンネルなど、今までにも山の洞窟を抜けたことはあったけれど、その時にはあまり感じなかった山そのものへの畏怖が、じわりじわりとこみ上げてくる。
朝が早いせいか道に私以外のトレーナーがいないことも、テンガン山の荘厳さをより強調した。黙って歩いていると道の両側の荒々しい岩肌が迫ってくるかのような錯覚を覚える。
それもこれも、テンガン山という山が持つ力のなせる業なのだろう。
そう思った私が「やっぱりテンガン山って、神聖な山なんだね」とゴーストに声をかけると、私の少し前を漂っていた彼はくるりと振り返って、高い声で「あんた、よく分かってるじゃない!」と言った。
ゴーストがしゃべった、と思いかけた私は、いやそんなことあるわけない、と気持ちを落ち着ける。きっと誰かがこの近くにいて、私たちの会話に入ってきたのだ。そう思った私は、きょろきょろとあたりを見回して、声の主を探した。
「上だよ!」
声につられて、ぐっと空を振り仰ぐ。視界の隅、道の脇の切り立った岩山のてっぺんに、人影が見えた。
私が「あ、」と声をあげるより早く、その人影は軽い身のこなしで岩肌を器用に下り、3メートルほど頭上にある台地にしゅたっと着地した。
「テンガン山は初めて?」
私にそう声をかけた彼女は、バトルガールのサリナだと名乗った。
私も彼女に自己紹介をして、テンガン山は初めてだと答える。テンガン山でよく修行をするというサリナさんは、きりっとした印象の双眸を細めて薄く笑い「そうか」と言ったかと思うと、さっとボールを抜き出してそれを放った。
「あんたが山を越えられるかどうか、見てあげるっ!」
ぱっくりと割れたボールから出てきたのは、アサナンだった。彼はヨガのポーズをとることで、静かに士気を高めているらしい。澄んだ瞳で、私のことを測るように見つめている。
私は少し迷って、森の洋館で捕まえたポケモンを出すことにした。迷いの洞窟ではフラッシュで私を助けてくれたけれど、実際にバトルをしてもらったことはまだ一度もなかったからだ。彼がどんな力を持っているのか、見ておきたいと思った。
私が繰り出したポケモンを見たサリナさんは、目を丸くする。「そんなポケモン、初めて見た」と言い、アサナンに警戒するよう強く指示した。
私は公正を期すために、このポケモンが電気とゴーストタイプであるらしいことをそれとなく告げる。するとサリナさんはにやりと笑った。「手の内を明かすなんて、自信あるんだ」と、少し違った方向に誤解をされてしまったらしい。
その誤解をとく間もなく、アサナンが動いた。
アサナンはヨガの座禅らしきポーズを解くと、すっくと立ちあがる。そして、たんっと地面を蹴ってわたしのポケモンの前に躍り出ると、サリナさんの「はっけい!」というかけ声とともに右手を勢いよく突き出した。生まれた衝撃波が、ゴーストタイプらしいあの子の体をすり抜けて、後方の岩肌に直撃し、硬い岩山を削った。
「ゴーストタイプっていうのはほんとなんだ」
私の発言がブラフである可能性を疑っていたのか、サリナさんは少し感心したようにそう言った。はっけいはたしか、格闘タイプの技だ。それがすり抜けたということは、どうやら私の予想は当たっていたらしい。
私は「そうだったみたいですね」と言って、少し笑う。今まで曖昧だったこの子のことが、ひとつはっきりと分かったことは素直に嬉しかった。
「相手がゴーストタイプなら。アサナン、念力!」
作戦を変更したらしいサリナさん。アサナンの念力が、オレンジ色のあの子の体に直撃する。空色の瞳を苦しそうにつむる彼に、私はとっさに「フラッシュ!」と命じた。
彼の体が派手に光る。鋭い光に目がくらんだアサナンの集中が途切れた一瞬の隙をついて、彼は念力から逃れた。そしてそのままアサナンに向かって電気ショックを浴びせる。
「アサナン、瞑想!」
アサナンは電気ショックを浴びながら、瞑想に入った。座禅を組み、精神を集中させることで、攻撃をやり過ごすつもりのようだ。
私はあの子に電気ショックをたたみかける様に指示をした。それを聞いたサリナさんは、集中を高めるアサナンの呼吸とタイミングを合わせて言った、「目覚めるパワー!」
座禅を組むアサナンのまわりに、光の球体がいくつも浮かび上がる。それは電気ショックが到達する直前に一か所に集約し、あの子の方に向かって真っすぐに飛んだ。電気ショックを裂いてあの子に命中した目覚めるパワー。いたずら好きなあの子が、痛々しい悲鳴を上げる。
目覚めるパワー……こんなに強力な技だったのか。そう思って奥歯を噛みしめた私に、サリナさんはアサナンの目覚めるパワーが悪タイプであることを意気揚々と告げた。
どうやらアサナンの目覚めるパワーは、ゴーストタイプの弱点を突く秘策の一撃であったらしい。それを見抜けなかったせいで、あの子は効果抜群の攻撃を受けることになってしまった。見れば、あの子は浮力を失って真っ逆さまに地面に落ちてゆくところだった。
誰もが勝負あったと思ったその刹那、
落下するあの子の体が、今までで一際激しくまたたいた。その閃光に驚いたアサナンは、せっかく高めていた集中が切れてしまったようで、ぱちくりと目を見開く。
その瞬間、あの子が勢いよく飛び上がった。それを見たサリナさんはもう一度目覚めるパワーを指示したが、しかしアサナンは体を硬直させたまま動く気配がない。もしかして、ひるんでいる?
そう思った瞬間、私はこの激しい閃光がこの子のおどろかす攻撃なのだということを理解した。そのまま彼は、アサナンに電撃を浴びせかける。電気ショックよりも強く、素早い、あれはきっと電撃波だ。先ほどの電気ショックも含めて電撃を二度浴びたアサナンは、体力が尽きてしまったのか、がっくりと膝をつく。
一瞬の沈黙の後、サリナさんはアサナンを戻した。
そして、「やるね!」と言って強気な瞳を細め、屈託なく笑った。
「これなら、きっとテンガン山も越えられるよ!」
私はそう言ってくれたサリナさんに礼を述べてから、がんばってくれたあの子を労うように撫でる。すると彼は嬉しそうに鳴きながら、体のまわりでプラズマをバチバチとはじけさせた。プラズマが私の指先をかすめる。びっくりした私の喉から思わず悲鳴が漏れた。
もしもこれがいたずらであればたしなめるところだけれど……、今のこの子はバトルで勝てたことを喜んでいるだけなのだろう。だったら、小言はしまっておこうと思った。
「ありがとう、きみのおかげでいいバトルができたよ」
私がそう言うと、彼は喜びを発散させるようにますます激しくプラズマを打ち上げる。静かな207番道路に、その音はひときわ激しく響き渡った。
サリナさんと別れてから、緩やかな登り勾配の207番道路を黙々と進んだ。そうしてテンガン山の入り口に着いた私は、遥かな山頂を言葉もなく見上げる。
クロガネを出たときはまだぼんやりとした薄闇に包まれていたけれど……、見上げたテンガン山の向こう、たなびくような雲の隙間から、鮮やかな東雲色の朝日が美しい光を投げかけている。背後からの朝焼けに照らされたテンガン山の稜線が柔らかく輝くその様は、ただただ荘厳で、美しかった。
私はしばしその景色を眺めた後、「行こうか」とゴーストに声をかけて、洞窟に足を踏み入れた。
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