あの男のことを考えると、心が、足が重く、あまり先に進むことが出来なかった。
洞窟の壁に適当なくぼみを見つけた私は、今日はもうそこで休むことにした。ポケモンたちに固形のフーズを与え、自分も買い込んでいた携帯食料をかじる。そしてポケッチのアラームを早めの時間にセットしてから、寝袋にもぐりこんだ。



しかし眠気はやってこなかった。一日洞窟の中を探検して、体は疲れているはずなのに、妙に頭が冴えてしまう。
このまま眠れなかったら、明日の進度に支障が出かねない。私はなんとか眠ろうと、ぎゅうっと瞼を固く閉じる。

そんな私の体の上に、突然なにか重たいものが乗っかってきた。一瞬、落石かとも思ったが、すぐにそれは違うという結論に至る。それを避けて壁のくぼみに寝床を作ったのだし、なにより私のお腹に乗っかる物体には石のような硬さはなかったからだ。
ボールから出しているポケモンはゴーストだけだけれど、ガス状の彼には、こんな重さはないはずだ。
まさか、私、野生のポケモンに襲われている? そう思い、慌てて目を開ける。枕元に置いていた懐中電灯を探り当ててお腹のあたりをぱっと照らすと、そこには、愛らしい姿をしたピンク色のポケモン――ピッピがいた。

身構えたのは一瞬だった。ピッピに戦意がないことに気付いた私は、緊張をとく。
ピッピはにこにこ笑いながら、私のお腹の上でちょこちょこと手足を動かしている。遊んでくれ、ということなのだろうか。
眠れる気もしないし、まあいいか。そう思った私が体を起こして、「ピッピさん、どうしたの?」と言いながらその体を抱き上げると、彼女は高い歓声をあげながら短い手足をばたばたさせて喜んだ。

そうやってひとしきり相手をしたあと、ピッピを自分の隣に下ろす。
「あなた、ずいぶん人に慣れてるのね?」と尋ねかけると、彼女はどういうつもりなのかは分からないが、胸をそらして自慢げに鳴いてみせた。その様子が可愛らしいと同時におかしくて、ふふふ、と笑うと、ピッピもつられたように高い声で笑い始める。

笑っているうちにテンションが上がったのか、ピッピがその場でぴょんぴょんと飛びはねる。それから、今度は私の手を取ってぐいぐいと引っ張り始めた。どうやら、こっちに来い、と言っているらしい。
私は少し考えて、彼女の手を取ることにした。寝袋から起き上がって靴を履く。すると、騒ぎを感じ取ったらしいゴーストが私の隣にすいっと並んだ。

ついて来てくれるの?
もちろん。

目配せで意思疎通をした私たちは、ピッピの先導に従って横穴のひとつを進んで行く。打ち付けられたはしごを数回登ったところで、横穴は行き止まりに突き当たった。
ここに私を連れてきたかったの? そう思った私が首を傾げてピッピを見遣ると、彼女はにこりと微笑んで、その愛らしい手で天井の方をぴっと指さした。

私とゴーストは言われるがままにそちらを見上げ、ようやく彼女の意図を理解した。
彼女の指の先には、きらきらとまたたく星空が広がっていたのだ。美しい星空を見上げながら、私は一つの疑問を抱く。ここは洞窟の中なのに、どうして星空が見えるのだろう?
ぐっと目を凝らして、あたりを確認する。すると、ここの天井が何らかの原因で崩落してしまったらしく、その向こうに広がる星空が丸く見えていたのだということがわかった。暗い洞窟の天井と、対照的にそこだけ明るく切り取られた星空。神秘的なその光景を見つめる私の喉から、感嘆のため息がもれる。

テンガン山は、世界のはじまりの場所。つい先ほど、あの男と交わした会話の断片が、唐突に私の脳裏に蘇った。
世界がここからはじまった、というのはきっと、神話の中の物語に過ぎない。でも、私はそのフレーズはなによりも端的にシンオウ地方を表現していると思った。私たちの世界の真ん中で、遥か昔からこの星空を眺めていたテンガン山。きっとシンオウ地方に生きる人やポケモンは、昔からこの山を見上げて同じことを考えてきたに違いない。

先日、ハクタイシティで読んだ神話の本のあとがきに、こんな文章があったのを思い出す。
『大切なのは、なにが事実かではない。なにを"真実"とするかが、重要なのだ。』
本で目にしたときは、小難しくてなんだかよく分からなかったけれど……今なら少しだけ、この文章の言いたいことがわかる気がする。
シンオウに生きる私たちにとって、世界がここからはじまったということは、事実以上に大切な真実なのだ。

私は目を閉じて、あの人の最後の言葉を思い出す。時間と空間の二重螺旋は、争いをなくすためのもの。そう言って立ち去って行ったあの背中。
彼にまつわる疑念は尽きない。それでも私は、この言葉の中にこそ、真実があるのだと思った。それ以外のことは、いってみればただの事実に過ぎないのかもしれない。

山の切れ目から注ぐ星の光が、私の瞼を優しくなでている。
――がんばりなさいと言われたような気がした。

私は小さく深呼吸をしてから、ゆっくりと瞼を持ち上げる。それからすっとしゃがんでこちらを見上げていたピッピと同じ目線になると、私は彼女に「ありがとう」と言った。
迷っていた私に、この景色を見せてくれてありがとう。おかげで私は、私にとっての真実をひとつ見つけられた。

ピッピは相変わらずの愛くるしい笑顔でぴぴっと鳴いてから、私をもとの場所まで案内してくれた。
ピッピに別れを告げてから、もう一度寝袋にもぐる。今度はよく眠れそうだ。


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