あれからもう一晩を洞窟の中で明かし、208番道路に抜けたのはテンガン山に入ってから三日目のことだった。
簡単な朝食を済ませて歩き出した私は、暗闇の先に、懐中電灯とは明らかに違う温かみのある光を見つけたのだ。足元に気を付けながら、光の方に急ぐ。そうして、実に二日ぶりに太陽の下に躍り出た。

まず感じたのは、太陽の光のまばゆさだった。思わず目を細めて、それでも足りずに右腕で目をかばうように影を作る。
今まで懐中電灯などのわずかな明かりで山を越えてきたせいで、瞳孔が開いていたのだと思う。さんさんと降り注ぐ太陽の光は、眩しいを通りこして、痛いくらいだ。
でも、その痛みがかえって嬉しかった。私の唇から、微かに笑い声がこぼれてくる。二日ぶりの太陽は、なによりもはっきりと私にテンガン山を抜けたのだということを実感させてくれたのだ。

太陽の光に目が慣れてきた私は、視界を狭めていた右腕をゆっくりと下ろし、そこに広がっていた光景に言葉も失って見とれた。
テンガン山から続く切り立った岩肌。その間を、山から流れだす滝がごうごうと音をたてて落ちてゆく。滝は私たちの足元の遥か下方で川となり、南に向かって流れていくようだ。そんな谷の間にかかる橋が、山からの風で揺れている。
テンガン山の西側とはその光景を全く異にする208番道路に絶句していると、ちょうど吊り橋を渡ってきたやまおとこに声をかけられた。

「お、もしかして、はじめてテンガン山を抜けたか?」

どうやら、私の感情はすべて顔に出ているらしい。私は、彼の言葉にこくりとひとつ頷いた。
するとやまおとこは豪快に笑って、「そうか。これでお前さんも、大人の仲間入りだな」と言い、私の肩をばしんと叩いた。

シンオウのやまおとこの間では、どうやらテンガン山をひとりで越えて一人前、という認識があるらしい。
トレーナーとしてはまだまだだけれど、こうして誰かに一人前だと認められたことは、素直に嬉しかった。「ありがとうございます!」と返すと、彼は「いい返事だ」と言って、またも豪快に笑ってくれた。

「あの、ここからヨスガシティまではどのくらいありますか?」
「歩いてかい? 今から行けば、夕方には着くだろうな」

太陽の位置で時間を確認しながらそう言った彼とお互いの無事を祈りあってから、私は目の前で揺れる吊り橋にそっと足をかけた。





険しい岩肌の目立つ谷にかかる最後の橋を渡ると、いよいよヨスガシティが見えてきた。
山道を下っていくと、岩石ばかりだった視界に次第に緑が交じりはじめる。傾斜のほとんどないなだらかな山裾にさしかかる頃には、一面に背の低い草の茂る野原が広がっていた。山から吹き下ろしてきた風が、そよそよと爽やかな音をたてて草原を渡ってゆく。

草原の真ん中をゴーストと歩いていると、トレーナーたちに勝負を挑まれた。テンガン山の出口付近ではこれから山に入るやまおとこや、険しい地形を利用して修行をしている空手王が目立ったが、この草原にいるトレーナーはみんな身ぎれいな格好をし、とても毛艶のいいポケモンを連れていた。バトル後に話を聞くと、彼らは口をそろえてポケモンコンテストの話題を口にした。

「明日は、週に一度のコンテストの日なのよ!」

ロゼリアと抜群のコンビネーションを見せてくれたアロマなおねえさんのテイコさんは、「明日、よかったら私たちのステージ見に来てね」と言って素敵なウインクをプレゼントしてくれた。

ポケモンコンテストが開催される日、ということは。きっとヒカリちゃんがいるはずだ。
私は以前、フタバタウンで彼女のお母さんにお世話になったときのことを思い出す。預かったお届け物は、鞄の底に丁寧にしまわれて、ヒカリちゃんの手に渡る日を今か今かと待っていた。
……ようやく、ここまで来たんだなあ。ずいぶんと時間がかかってしまった。まだ見ぬ彼女に会えるのを楽しみにしながら、私はヨスガへの道を進んでいたのだが。



ヨスガシティへ続くゲートが間近に迫り、あたりが濃い橙色の光に包まれた頃、私はその人と出会った。

その人は、ゲートへ続く道のそばに生えた木の陰に隠れるように立っていた。服装は、空手王なんかがよく着ているような道着を身に付けてはいる。しかし、私が今まで出会ってきた空手王たちと比べると、彼は少し細身、より正確にいうならやややつれていて、目の下にははっきりとしたクマがあった。

彼は私と目が合った、と思った瞬間、木の陰からこちらに向かって近づいて来た。
そして、驚いてかたまってしまっている私に、「黙って、これを、持っていけ」とやや切れ切れに言い、手のひら大の何かを私に強引に握らせた。

恐る恐る、手の中を見る。そこにあったのは、石だった。なめらかな手触りと、彫り込まれた独特の模様が特徴的なそれをまじまじと見ていると、男はこう続けた。

「209番道路へ行け。石の塔の声を聞け」

それだけ言ったかと思うと、男は勢いよく駆けだした。なにか声をかける暇もなかった。彼はそのまま草原を掻き分けて、テンガン山の方へ走り去ってゆく。
私には、209番道路で石の塔の声を聞け、という謎の指令と、これまた謎の石だけが残された。

私のまわりを漂っていたゴーストが、興味深そうに石を見ている。
「もしかして、欲しい?」と尋ねてみたら、彼は首を横に振って私からすいっと離れてしまった。……しかしその視線は、しっかりとこの石に注がれている。

私はゴーストの視線を追って石を見つめ、考え込む。今更追いかけて返すことは出来ないし、かと言って、ここに放置していくのもはばかられる。
「うーん」と唸ってから、その石を持っていくことにした。ヨスガに滞在したのち、次はズイタウンに向かうことにしよう。そうすれば、209番道路を通ることになる。『石の塔』が何をさすのかは分からないけれど、とにかく行ってみるだけ行ってみようと思った。誰かの頼まれごとをこなすのも、旅の醍醐味のひとつだ。
私は山籠もりでだいぶ軽くなった鞄に、その石をそっと入れる。それから、急速に夕闇が迫る道をヨスガシティへと急いだ。


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