ヨスガシティを後にして、209番道路を進んでいく。
緑豊かな草原と、その中を縦横無尽に蛇行して流れてゆく川が、目に優しい緑と青の対比を描いている。川にかかる橋の真ん中から下を見下ろすと、穏やかな流れの川面が輝いていた。この川はこのまま南に流れてゆき、ノモセの大湿地帯に流入してゆくのだという。
きらめく川面の向こうで、真っ赤なウロコがきらりと光る。コイキングだ。と思った瞬間、今度はその隣で白と赤の美しい尾ひれがはらと揺れた。あっちはトサキントに違いない。
私はお昼ご飯にと思ってヨスガで買ってきたサンドイッチを取り出すと、パンの端っこをちぎってはらはらとまいてみる。すると、トサキントが素早い動きでそれを食べると、お礼を言うかのように水面から飛び上がって、赤と白の美しい奇跡を描いてジャンプをしてくれた。
私が歓声を上げた瞬間、トサキントが勢いよく着水する。ばしゃり、と大きく跳ね上がった水が、私めがけて飛んで来た。慌てて腕を出して、顔をかばう。おかげで顔や髪が濡れることはまぬがれたが、代わりにコートの袖はびしょ濡れになってしまった。
トサキントは振り返ることなく、水底に消えてゆく。私は最後に尾ひれを美しく揺らして消えていった彼の後姿と、重たくなってしまった袖を見比べて、苦笑気味に笑った。あんなに綺麗なジャンプを見せてもらったのだから、濡れてしまったことは、文字通り水に流そう。
一部始終を見ていたゴーストが、けらけら笑いながらすっとこちらに近付いてくる。そして、元気出しなよ、と言うように私の背中を叩くジェスチャーをしてくれた。
赤と白の尾ひれを探して川面を見ながら歩いていると、釣り人のおじさんに声をかけられた。
「きみも釣りやってみるかい?」
彼の屈託のない笑みと、さっき見たトサキントの美しさに惹かれて、私は釣りに挑戦してみることにした。
いい釣り竿を貸してくれたおじさんから簡単なレクチャーを受けて、ルアーを投げる。釣り糸が伸びてゆく軽やかな音は、はじめての釣りに躍る私の心そのもののようでもある。
ぽちゃん、と音をたてて水中にもぐったルアー。私は川面から伸びる糸を期待に満ちた眼差しで見つめる。
「いいかい、お嬢さん。釣りで最も重要なのは、待ち、だよ」
釣り竿の先を見たり、ちょいちょいとリールをいじってみたりと落ち着かない様子の私に、おじさんは諭すような調子でそう言った。
確かに、待ちが重要だというのは、聞いたことがある。私が「わかりました」と言ってちょいちょいと動くのをやめると、おじさんは少し笑って、「素直ないい子には、ご褒美に俺の武勇伝をきかせてやろう」と今までに釣ったポケモンの話をしてくれた。
3メートル近い巨大コイキングを二時間の格闘の末に釣りあげた話や、テッポウオを釣っていたら突然オクタンが釣り糸を伝ってのぼってきてびっくりした話、普段は海の深いところにいるはずのチョンチーが釣れてうれしかった話など、いろんな出来事を面白おかしく話してくれた。そのおかげで釣れるまでの待ち時間はあっという間だった。
ホウエン地方で海釣りをしていてサメハダーという凶暴なポケモンが釣れた時の話をしてくれていたその時、私の竿が引いた。
おじさんはすぐに話を切り上げると、「よしきた!」と今までにないくらいの大声を上げて、私の竿を補助するように一緒に持ってくれた。斜めになっていた竿の角度を、一気に垂直に持ち上げる。すると、釣り竿が折れるんじゃないかというくらい強くしなった。
私が不安げな声をあげると、おじさんは「大丈夫、」とだけ言う。どうやら、初心者の心配はよく分かっているらしい。ベテランの釣り人が手伝ってくれている、という安心感を得た私は、右手でリールを握って糸を巻き取ろうしたのだが。
「まだ巻くな、」
おじさんは強くしなるロッドを集中して見つめながら、ささやくようにそう言った。
「釣りで大切なのは待ちだ。ポケモンがかかるまでも、かかってからも、それは同じだ。
いいかい、相手が力強く引っぱってるときは待ちだ。待ってると、相手は疲れてくる。そしたら、リールを巻くんだよ」
強い力で引っぱるポケモンに負けないように、私は竿を握って踏ん張る。私を川の底に引きずり込もうとするような重さに、手が痛くなって、もうダメなんじゃないかと思いそうになったその時、
不意に、ポケモンの引っぱる力が弱くなった。
「今だ!」
おじさんの声を合図にして、私はリールを巻き取る。慣れない手つきでくるくると回していると、また私の手にぐん、と力がかかった。
「今度は、竿立てて待ちだ」
相手が引っぱったら、待ち。竿を立てて、ポケモンが疲れるのを待って、おとなしくなったら、巻く。
基本に忠実にそれを数回繰り返すと、ついに水面にポケモンの姿が浮かび上がった、赤い体に、黒い斑点の目立つ派手な尾ひれ。それに、額の真ん中にはえた硬そうな角。
「アズマオウだ!」
興奮した声で私が言った瞬間、アズマオウは大きく跳躍して私の正面に躍り出た。細かい飛沫を上げて、大きな黒い瞳で私を睨みつけている。アズマオウの闘志を感じ取ったらしいおじさんは、嬉々とした調子でほとんど叫ぶように言った、
「ほら、釣り上げたらバトルだ!」
アズマオウは私めがけて真っ直ぐに突っ込んでくる。あれは、角で突く攻撃だろうか。
私は頭の隅でそんなことを考えながら、私の背後に控えていたゴーストにシャドーボールをお願いした。私が口を開く前にすでに動き始めていた彼は、私とアズマオウ間に立ちはだかると、闇色の球体を放った。
「どうだい、釣りは面白いだろう」
すっかり時間を忘れて釣りを楽しんだ私は、日が傾き始めた頃になってようやく我に返り、おじさんにお礼を言って立ち上がった。私を釣りに誘った時とおんなじ屈託のない笑顔でそう言った彼に、私は重ねてお礼を述べる。すると彼はからからと笑って、「俺も話し相手ができて楽しかったよ」と言ってくれた。
聞けば、彼はこのままポイントを変えて夜釣りをするつもりらしい。
「もしまた釣りがしたくなったら209番道路においで。俺はだいたいこの辺にいるからさ」
「はい。その時は、お願いします!」
釣り道具をまとめて立ち上がったおじさんに別れを告げて、私は日の傾いた209番道路を東へと進み始めた。
今日中にズイタウンにつくことは出来なくなってしまったけれど、釣りはとても楽しかった。今夜はたぶん野宿になるけれど、今日の間に進めるだけ進んでしまおう。私はまだ竿の感触の残る手をぐっと握ると、夕日を反射する川にかかる橋を進んでいった。
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