真っ直ぐ東に伸びていた道が、川幅の太い川に突き当たって、その進路を北に変える。
丁度その突き当りのところで、私はそれを見つけた。

濃い灰色の石を積んで作られている、石の塔。
それを見た私は、208番道路で奇妙な男から貰った石ころのことを思い出した。

鞄から、それを取り出す。不思議な模様の彫り込まれた、手のひら大の茶色い石。
私はそれと石の塔を交互に見つめながら、男の言葉を思い出す。確か、石の塔の声を聞け、と言っていたような。

私は改めて目の前の塔に向き直った。このあたりにある茶色がかった花崗岩とは違う、濃い灰色のつるりとした質感の石で出来ているそれ。おそらくこの石は、この塔をここに作るためにわざわざ別のところから持ってこられた特別な石なのだろう。
これがあの男の人の言っていた石の塔に間違いないことは分かった。しかし、私ははたと考え込んでしまう。男の言っていた、石の塔の声を"聞く"というのは、いったいどういう意味なのだろう。

試しに、おずおずと耳を近付けてみる。石の塔の隙間を風が抜けてゆくかすかな音は聞こえるが、声のようなものは全く聞こえない。

そうこうしているうちに、日が暮れだした209番道路はみるみる暗くなってゆく。そろそろ野宿の支度をしなければならない。
困った私は、男から預かっていた不思議な模様のある茶色い小石を塔にあったくぼみに置くと(余談だが、例の小石は適当に置いたくぼみに驚くくらいぴったりとはまった)、両手を合わせて塔を拝んだ。とりあえず、今日のところはこれで許してください。明日の朝になったら、また改めて声を聞きに来ます。
そう心の中で謝ってから、私は気持ちを切り替えてあたりを見渡す。石の塔の近くにテントを張るのに丁度よさそうな木陰を見付けて、私は手早く野宿の支度を始めた。





その夜、私は不審な物音に気付き、目を覚ました。
野生のポケモンだろうか。そう思いながら、寝袋の中で耳を澄ます。しん、と静かな闇の向こうから聞こえてきたのは、例えるなら夜の底を這う海鳴りような、そんな不気味な物音だった。決して大きくはないのだが、不思議と耳につくこの音は……ポケモンの鳴き声なのだろうか。

枕元のゴーストを見遣ると、暗闇の中に彼のふたつの瞳がぎらりと光って浮かんでいた。どうやら、闇の向こうにいる何かを警戒しているらしい。

私はゴーストに倣って警戒態勢をとることにした。相手に気付かれないようになるべく音をたてずに寝袋を脱ぎ、ボールホルダーを付けると、いつでも行動できるように靴を履く。
そして、しばらく外の気配をうかがっていたのだが。

不気味な鳴き声の主は、こちらに襲いかかってくる気配を見せない。そればかりか、私の耳が正しければ音源の位置は全く動いていないようだ。
そのことから推察するに、どうやら彼は、ずっと一か所にとどまったままこの不気味な鳴き声をあげているらしい。

……もしかして、こちらに気付いていないのだろうか? それとも、なにか事情がある、とか?
私は、意を決して外の様子を見てみることにした。テントの出入り口のファスナーをそっと開けて、あたりを見渡す。外には星明りが満ちており、うっすらとではあるが様子を確認することが出来た。
しんと静まった雑木林、黒々とした水を湛える川。そんな景色の向こうに見えたのは、淡い紫色に光るあの石の塔だった。

どうして石の塔が光っているのだろう。私がそう思った矢先、またあの不気味な声が聞こえてきた。その瞬間、石の塔の光が強くなる。……どうやら、この声はあの石の塔から聞こえているらしい。
石の塔の声を聞くように言われていたことを思い出した私は、しばしの逡巡の後、塔の方に行ってみることにした。ゴーストに目配せをすると、私の意図を察したらしい彼はふわりと浮き上がって、音もなく私について来てくれた。

近付くにつれて、謎の声は大きくなる。石の塔から声が上がるたびに、塔はまるで胎動のように怪しく光った。私はそれを見ながら、考えられる唯一の可能性を口にする。

「……あなた、石の塔の中にいるの?」

無機物である石の塔が声を発しているとは思えない。塔の中に何かがいるのではないかと仮定した私がおずおずと声をかけると、例の声はそれに呼応するように大きくなった。肯定、なのだろうか。わからない。わからないけれど……、私はなんとなく、その声の言いたいことがわかるような気がした。
強く何かを訴えるような痛烈な声は、ここから出して、と言っているような気がしてならなかったのだ。

どうして、あるいはいつから彼がここに閉じ込められているのかは分からないけれど、この声の主をここから出してあげたいと思った。

怪しく光る石の塔。私はそれに向かってゆっくりと手を伸ばす。紫の光に染まった指先が、塔の先端に触れた瞬間。
夜の闇を裂くほど眩い紫色の光が、石の隙間からもれた。そして、しっかりとかみ合っていたはずの石の塔が、突然がらがらと音をたてて崩れ落ちた。
同時に、怪しい発光と声がぴたりとやむ。静寂と暗闇が返ってきた刹那、私の背後から、今までで一番はっきりとしたあの声が聞こえてきた。

急いで声のした方を振り返る。そこにいたのは、ぼんやりとした紫の光を帯びた、怪しげなポケモンだった。つり上がったような目と、大きく裂けた口。そんなおどろおどろしい顔のまわりを、まるで人魂のような緑色の光がぐるぐると巡っている。
メリッサさんから貰ったゴーストポケモンの本を、頭の中で呼び起こす。あれは、確か、「ミカルゲだ!」

思い出した私が彼の名前を呼んだ瞬間、ミカルゲは一際大きな声で鳴いた。ディストーションをめいっぱいかけたような歪んだ声が、私たち以外に誰もいない209番道路に響く。
その迫力にたじろいでしまった私の一瞬の隙をついて、ミカルゲがじりっとこちらに距離を詰めてきた。突如目の前に現れた緑色の眼差しに、思わず喉の奥から悲鳴がもれる。とっさにゴーストに助けを求めようと、右手を持ち上げた、その時。

私のその右手の指先に、ミカルゲが静かに頬を寄せた。きつい印象の緑の目を優しく細めて、その喉の奥からは吐息の混じった鳴き声がもれている。
予想外の出来事に、私の手がぴたりと止まった。ミカルゲは悪さばかりする乱暴なポケモンだと、本には書かれていた。しかし。今、私の目の前にいるミカルゲは、どう見てもそんな乱暴者には見えない。

戸惑う私の視線の先で、ミガルゲは私の右手――ついさっき石の塔に触れたその指先に頬を寄せながら、歪んだ声で小さく鳴いた。
出してくれてありがとう。なんだか、そう言っているような気がした。私は空いていた左手で、ミカルゲの輪郭をそっと撫でてみる。108個の魂が集まってできているという体は、ガス状ポケモンのゴーストとはまた違った、独特の触り心地をしていた。

彼から手を離してもなお、そのぞわりとした触感の余韻が指先に残る。私がその不思議な感覚を味わいながら両手の指先をそっと握り込むと、不意にミカルゲがその顔を北の方に向けた。そしてその特徴的な双眸をぐっとこらして、夜の闇の向こうを見つめる。まるで彼にしか見えない何かを見ようとしているかのように。

「……向こうになにかあるの?」

私の問いかけに、返事はなかった。
ただ彼は私の方を振り返って、低く短く鳴く。それから前に向き直ると、重そうな石の体をずりっと引きずって一歩、また一歩と進み始めた。

ここから出たい、という願いの叶った彼は、どうやら自分の行きたいところへ行くらしい。

「元気でね」

徐々に夜の向こうに消えていく闇色の背中に、私は別れの言葉を投げかけた。ミカルゲの進む先にたくさんの幸福がありますように。そう心の中で祈りながら。

ミカルゲの背中はすぐに闇に溶けて見えなくなった。重い体を引きずるくぐもった音も、もう聞こえない。
私は彼の去った暗闇を見つめながら、図鑑の説明にも例外があるのだなあ、とぼんやり考えていた。少なくともあのミカルゲは、悪さなんかしそうにない、優しいミカルゲだったから。

「……あのミカルゲ、どうして閉じ込められてたんだろうね?」

崩れてしまった石の塔の残骸を見ながら、ゴーストに問いかけてみる。彼はミカルゲの去った方を何かを考えるように見つめた後、こちらを振り返って意味深長な声でいつもよりも少し長く鳴いた。
どうやら、あのミカルゲについて、ゴーストなりに思うところがあるらしい。しかし、残念ながらその詳細は、私では理解することが出来なかった。私が残念そうな顔をしていると、ゴーストはいつもの飄々とした笑顔で肩をすくめ、「まあ気にすることでもないさ」と言うように軽く鳴いた。



私は壊してしまった石の塔をそれらしく復元してから(私の手先の器用さの問題で、完全に元通り! ……というわけにはいかなかったが、まあ、及第点と言えるまでは努力したので許してほしい)、テントに戻った。
夜が明けるまで、もうひと眠りしよう。そう思いながら寝袋に入った瞬間、私の足先に何か硬いものがあたった。寝袋の中には何もなかったはず。びっくりするあまり、私は思わず悲鳴をあげてしまう。

「え、な、なに!?」と口走りながら、懐中電灯で寝袋の中を照らす。
そこにあったのは、見覚えのある不思議な模様が彫り込まれた茶色い石だった。ひとかかえほどあろうかという、大きくて重そうな要石。

「……え、ミカルゲ?」

私がおずおずと声をかけると、彫り込まれた模様が怪しい紫色に輝いた。
私の背後で全てを見ていたゴーストがからからと楽しそうな声をあげる。私は彼の明るい笑い声を聞きながら、途方に暮れた気持ちで私の寝床に鎮座するミカルゲを見つめていた。
私の力じゃあ、きっとこの石は動かせない。もちろんこれからのことも心配ではあるけれど、とにかく差し迫った問題は私の今夜の寝床だ。さて、どうしよう。


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