03

家も家族も無くして命からがら逃げ伸びた人達が集まったキャンプ地。誰もが恐怖に怯えながら何があったのかと言葉を交わしている。
そのキャンプ地の一角にある空いたスペースに、誰のものかもわからない毛布に包まりながら身を小さくしている少女がいた。
エマだ。
そこから少し離れた場所でエマの父が携帯を何度も何度も試しては「クソッ…、出ろ、頼む! 出てくれ、ジョージ!」と声を荒げながらウロウロしている。
何度目かのチャレンジでやっと通信が繋がるとエマの父は慌てて携帯に耳を当てて少しだけホッとした様子を見せた。
お互いの無事を確認し合った後、間も無くしてエマの父が周囲を伺いながら人気の無い森の奥へと移動するのをエマはずっと見ていた。
なんとなく気になったエマはその場を離れて父の元へとこっそり向かい、木陰に隠れて話を聞いた。

「これはあれが原因じゃないのか。そうだろう?」
「――ッ、――」
「はぐらかすなジョージ。トップシークレットなんてどうだって良い! 妻が……、エレナは死んだんだぞ!? 黙ってなどいられるはずが無い! 狂犬病患者の血清から採取したウイルスを細菌兵器化なんて――」

エマの父が怒り任せで声を荒げた時だった。

「キャアアアアアッ!!!」
「うああああッ!」
「逃げろォォォッ!!」
「――ッ!」

キャンプ地から突然上がった悲鳴と怒号にエマの父は口を噤んだ。エマも驚いてビクンと身体を硬直させてキャンプ地へと目を向けた。

パパンッ! ドパパパッ!

避難民を守る軍隊が銃撃を行う音がけたたましく鳴り響く。

「いかん……、エマ……、エマ!」
「おい――マイク! ――!!」

唖然としながら震えた声音で自分の名を口にする父《マイク》に、エマは慌てて物陰から姿を現した。

「パパ!」
「エマ!?」
「――!」

エマは父《マイク》の元に駆け寄った。父《マイク》は驚きながらもエマを胸に抱き止めると直ぐに立ち上がった。

「すまん。奴らはアーガン地区まで来たようだ。今は逃げる」
「兄さん! エマ……、エマは無事なんだな!?」
「あァ、娘はまだ生きている。だから私は死ぬわけにはいかないんだ。良いかジョージ。必ず真相は暴かれるぞ。この惨劇がこの国の連中が対敵国に向けた細菌兵器による災厄であることがな」

父《マイク》はそう吐き捨てるように言うと携帯を切った。そしてエマを抱えながら走り出した。
キャンプ地から奥の森へと逃げ込む人々の姿がチラホラ見受けられる。

キャンプ地方面に視線を向ければ暗い空が赤くなっているのが見えた。火災だ。不運な事にこの日は少し風が強く、火の粉が天高く舞い上がって瞬く間に燃え広がっていった。

父《マイク》は元陸軍部隊所属で現在も政府管轄の研究施設に勤める身だ。
まるで生き物のように襲い掛かる火の動きを先読みして逃げ惑う人々に声を掛けながら先導するようにして走った。
そんな中、エマは父《マイク》と叔父のジョージの話を思い出し、幼いながらも何となく察した。

「パパ……、これはジョージおじさんやパパのおしごとがかんけいしているの?」
「エマ……、今は黙っていないと舌を噛む」
「パパ……」

父《マイク》はそれ以上何も語らず只管走り続けた。そして、小さなダウンタウンにあった町工場らしき建物に忍び込み、出来る限り奥の狭くて頑丈な部屋を探してそこに身を隠した。
荒げる呼吸を必死に整え、自分とエマの口元を押さえて息を潜める。

ガタン……――。
カタン……ザ…ザ…ザ…――。

「あー……グルゥゥッ……!」
「あー………」
「うー………」

人が歩く音。
人が呻く声。

普通の人のそれで無いことが幼いエマでもわかる程、異常な雰囲気があった。
震えるエマの小さな身体を父《マイク》は守るかのように強く抱き締め、ただ、ただ、静かに、時が過ぎるのを待った。
翌朝――、朝日が射す外は何事も無かったかのように平穏だった。しかし、小さな町とは言え人っ子一人とていない様は異様で――。

「夜間は”奴らが”行動できる時だ。人が大勢いては奴らの目に付くからキャンプ地に戻って使えるものを掻き集めたら誰とも合流せずに単独で行動するよ」
「う、うん」

この日はとても静かな朝だった。





狭い通路を抜けると大きな道へと出た。その道には乗り捨てられた車が朽ち果てた姿で並んでいた。
エマはその間を縫って歩いて行く――が、ピタリと足を止めて溜息を吐いた。初めて見る不思議な鉄の塊の群衆に興味深そうにして足を止めるマルコに、いい加減にしろとばかりに振り向いて睨み付ける。

「急いでいるの。約束したわよね、私の指示に……」

朽ち果てた車を見つめて不思議そうな表情を浮かべているマルコに、エマは言葉を止めて眉を顰めた。

―― 車の何がそんなに珍しいの?

気にしないでいようと思った。気にしたら疑問がどんどん湧いて来るから、これ以上の面倒事はお断りだとして無視を決め込むつもりだった。でも、ずっと気になっていた。

ここがどこで何が起きているのかも全く知らない口ぶりに、そして今もそうだ。あの審判の日以降に産まれた子供達のように車の存在を知らない。自分よりも年上のはずなのに――だ。

「こいつはなんだ? どうしてこんなに似たようなもんが集まってんだ?」
「車を……、知らないの?」
「くるま?」
「ガソリンを燃やして熱の力で動く乗り物よ」
「これが乗り物……? 動くのか?」
「ここに捨てられた車は殆ど動かないでしょうね。ガソリンがあったとしても雨風にやられて大分時も経っているし、整備をすれば動くのもあるかもしれないけど」
「……」

エマの話を聞きながらマルコは錆びれた車の窓に触れ、道を塞ぐ多くの車が遠くまで続いているのを見つめ、そしてエマへと顔を向けた。

「悪ィ」
「どうして謝るの?」
「急いでんのに足を止めさせたからだよい。早く済まさねェと不味いのは、昨晩のようなことがあるからだろい?」
「えェ……、そうよ」
「ついでだが聞くが、昨晩のあれはなんだ?」
「あれは……」

マルコの疑問にエマはどう説明しようかと少し考えた。

「そうね、説明するより自分で体験した方が早いかも……」
「なに?」

エマがそうポツリと零すとマルコは眉をピクリと動かした。

―― 自分で体験……って、なにを?

マルコがより詳しい説明を求めようと口を開く前にエマはマルコに背中を向けて再び歩き出した。

「おい、エマ!」
「あの建物の内部に必要なものがあるの。それを手に入れた後は罠を仕掛けて”実験台を一体”ほど捕まえるから、実際に見てみると良いわ。私もその方が説明し易いから」

エマはそう言うと指を差した先にある朽ち掛けたビルへと足早に向かった。

―― 実験台って……。昨日の夜に徘徊していた奴か?

マルコは難しい表情を浮かべながら車の合間を縫って先を行くエマの後を追った。
ビルの出入口付近に到着するとエマは背負っていたリュックからライトを取り出した。そして、リュックとライフル銃をマルコに渡した。

「ここに居て」
「おい、中に用があるんだろい?」

マルコの問いにエマはマルコの腕を掴んだ。

「この区域で最も安全な場所は日の当たる場所だってことを理解して」
「なに……?」
「このビルの二階には元々小さな診療所があったの。出来る限りの薬品を回収して叔父の元に届けることが”今の私のやるべきこと”なの。だから邪魔しないで」
「ッ……」

強い口調でそう言ったエマは掴む手を離すとポシェットから折り畳んだ地図を取り出して場所を確認した。

「お願いだからここに居て。なにが起きても絶対に屋内に入っちゃダメ。良いわね?」
「……わかったよい」

エマの真剣な眼差しにマルコはそれ以上何も言えず頷くことしかできなかった。
朽ち果てたこの市街地が何を物語っているのか。深刻な事象が起きていることはマルコも薄々勘付いていた。しかし、何が起きてどうなっているのか、詳しいことがわからない以上は自分が口出しして良いことでは無い。

エマはハンドガンを手にして装填されている弾丸を確認するとそれを右手に、左手にはライトを持ってビルの出入口に立ち、何度も深呼吸を繰り返した。

―― 落ち着いて……。できる。必ずできる。

目を瞑って頭の中でシミュレーションを繰り返しながら心の内で自分に可能であることを何度も言い聞かせる。
大きく息を吸い、ゆっくりと深く吐き出し、集中力を高めて行く。

「エマ」
「……」

名を呼ばれて少し水を差された気がしたエマは眉間に皺を寄せた。

―― 集中しているのだから邪魔しないで。

不満気な表情でゆっくりと目を開けてマルコを睨むように視線を寄こした――が、大きな手が目の前にあって頭に乗せられる感覚とクシャリと撫でられる感覚にエマは目を丸くした。

「無理だけはするな。絶対に。良いな?」
「ッ……!」

真剣な面持ちで真っ直ぐ自分を見据えてそう言ったマルコにエマは少しばかり心が揺れるのを感じた。

「言われなくても……、場数は踏んでるから安心して」
「そうかい、なら安心したよい。おれはここでエマが戻って来るのを待ってるから気ィつけてな」
「ッ……」

エマは少し冷たく言い放ったつもりだったが素直に安堵するような笑みを浮かべるマルコにエマは声を詰まらせた。

「……嫌な人」
「ん?」
「今から死地に赴く人間にそんな情のある笑みを浮かべるなんて……、酷いと思わない?」
「ッ……!」
「でも、ありがとう」
「!」

ほんの僅かに和らいだ笑みを一瞬だけ見せたエマに思わず驚いたマルコが目を丸くした。だがエマの表情は直ぐに元の冷たいものに戻った。
エマは右手に持つハンドガンの銃口を前方に向けて構え、その上に交差させるようにして左手で持つライトにスイッチを入れるとビルの中を照らして入って行った。

「……エマ……」

素っ気無く冷たい女だと思った。だがエマが一瞬だけ見せた笑みはどこまでも深く温かい情あるものだった。
昨夜のあの時に聞いた耳に馴染む温和な声音。それが自分の重い心を幾分か軽くして楽にさせてくれたのは気のせいでもなんでも無い。エマの中にある深い情がそうさせたのだとマルコは思った。

〜〜〜〜〜

「今の私のやるべきこと」

〜〜〜〜〜

自分よりも若く、自分よりも細く小さな女の身で、命を懸けて成すべきことを成すエマに、マルコは大事なことを教えられた気がした。

「おれは失くしたことで”今”をどうすべきか途方に暮れた。やるべきことがあったってェのになにもかも真っ暗で……。ハハ、耳が痛ェなァ……」

とりあえず今は、エマから預かったリュックと銃と思われる武器を抱え、日の当たる場所でエマが戻るのを待つこと。それが自分のやるべきことだ。

「はァ……、情けねェ。おれにもできることがあるなら手伝いてェんだが……」

如何せん情報が少なくてわからないことだらけな為、協力以前の問題だ。
もし「手伝いたいから」と指示を無視してビルの中に入ろうものならエマは無言で銃を撃って来るんじゃないかとマルコは思った。雰囲気がなんとなくイゾウと被る――ような気がするからだ。

「い、いや、洒落にならねェ。覇気付きの弾丸とかぶっ放されちまったら終わりだよい」

冷たい面差しで睨み付けるエマを思い浮かべたマルコはヒクリと頬を引き攣らせた。

「ハハ……」

本当にありそうだと思って乾いた笑い声を漏らすと深い溜息を吐きながらガクリと項垂れた。





二階の診療所に辿り着くまで足音を極力鳴らさないように慎重に足を運び、暗がりの中を突き進む。左手に持つライトを一瞬だけ点けると直ぐに消すを繰り返しながらその先の階段を上って行く。

呼吸が乱れないように平常心を保とうと努めるものの心臓がドキドキと早鐘を打つ為、緊張も極限まで達しようとしていた。

階段を上って二階の診療所まで無事に辿り付いた。薬品が並ぶ戸棚をそっと開けて救急鞄にそれらを詰め込み、ここで一度緊張を緩和するように深く息を吐いた。

―― あとはここを無事に出ること。気付かれる前に、慎重に、早く。

呼吸を整えると救急袋を肩に掛け、再び拳銃とライトを前方に向けて構え、ゆっくりと、しかし、足早に診療所を後にした。

廊下に出た時、ふと気配を感じたエマは背後に振り向いた。
ライトを一瞬だけ点けて直ぐに消す。暗がりの先は行き止まりで左に曲がる通路があった。
ハンドガンを構えながらそちらへゆっくりと足を向けて壁に背中を預ける。――はっ…はっ…はっ…――と、緊張の高まりで呼吸が短くなる。

ライトの光を地面に落としてハンドガンを持つ右手に持ち替え、左手でその光を遮る。そうして曲がり角の先に向けて一瞬だけ照らした。だが直ぐに手で光を塞ぎ、壁際に身を隠してライトをオフにした。

光の先に照らし出されたのは頭を突き合わすように輪になっている人の集団。小刻みに身体を揺らしながら短い呼吸を繰り返す不気味な姿。衣服を着ていない上半身の肌色は色褪せていて灰色に近かった。

エマは呼吸が乱れそうになるも眉間に皺を寄せてグッと堪える。

―― 逃げないと。

そう思って踵を返した時、ドキンと心臓が跳ねてゴクリと息を飲んだ。

「ハァァァ……!」

―― !

左側、耳元で息を吐くように大きな口を開ける男。
防衛本能が働いて咄嗟に発砲した。

パァンッ!

乾いた銃声音は静まり返った世界にとても大きく反響した。


〆栞
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