05
父《マイク》が去ったあの日から数年後、その場所は世界の中で数ある安全地区として『第二地区シクレア』と名付けられた。川の水が綺麗で緑も多く実り豊かなこの地区は、人々が生きて行くには困ることの無い至って平和な場所だった。
しかし、エマが十二歳になった頃、エマは少ない自分の荷物と僅かな食糧、そして密かに手に入れた新しい地図(災厄後の地図)を持ってその地区を離れ、『第六地区ラーマ』という場所に向かった。
その地区では各安全地区の防衛やダーク・ウォーカー等に奪われ荒廃した地区の奪還を主とする兵士を育てる為、男女問わずに年齢十二歳以上を条件として志願者を募っていたからだ。
志願した者達の中には同じ年頃の者が数名いたが女はエマ一人だった。体格こそ小柄ではあったが元陸軍兵だった父から生きる術として教えられた腕と知恵があるエマは、他の志願者を寄せ付けない程に優れた成績を残した。その為か第六地区ラーマにおいてはよく知られる存在となった。そして行く先々で声を掛けられるようになった。だが馴れ合うことを好まないエマは愛想が無くて付き合いの悪い冷たい女だと評されるようになった。
任務遂行は完璧。常に冷静で無表情。何を置いても機械的――。一兵士としてはずば抜けて優秀だが人として欠けるものがあると言われ、集団行動となる軍隊の一兵卒としては向いていないとも言われた。しかし、エマは然して気にもしていなかった。
どんな武器も扱えるようになった。戦闘機、戦車、その他ありとあらゆる知識と経験を得た。
―― もうここに用はない ――
最低限に必要な武器を幾つか拝借して荷物を纏めたエマは、人知れず第六地区ラーマから姿を消した。
本来なら脱走兵として処罰の対象となる行為であり捜索されるのだが、軍に配属されないことを知った彼女は元にいた地区《第二地区シクレア》へ帰ったのだろうと結論付けられた為、エマは脱走兵として扱われることは無かった。
この日はエマが十七歳となる誕生日だった。
◇
広い道路に出ると多くの車が停まっている中を蛇行しながら此方に向かって来る一台の車が目に付いた。エマが軽く右手を上げると「プッ!」と短いクラクションが鳴り響いた。
「!?」
マルコはその音にビクリと驚いて身体が小さく跳ねた。その際にマルコに抱えられたダーク・ウォーカーの腕がダラリと落ちて振り子のようにプラプラと揺れた。
「どうしたの?」
「い、今の音はなんだ?」
「クラクションよ」
「くらくしょん?」
「警笛と言えばわかるかしら?」
「あァ、成程」
エマとマルコがそんな会話をしている間に車は目の前までやって来て停車した。
運転席に乗っていた男はボサボサの髪に無精髭を生やした冴えない風貌をしている。その男が運転席から出て来るとエマと共にいたマルコを見るなり驚いた表情を浮かべ、口に咥えていた煙草がポロリと地面に落ちた。
「エマ……、彼は誰だ?」
「ジョージ叔父さん、話は車の中で」
「エマ、こいつが叔父かい?」
「話は車の中でって言ったでしょう?」
「「おいエマ」」
「五月蠅い!」
「「わ、悪い!」」
エマは同じことを何度も言わせるなとばかりに自分より年上である二人の男を一喝した。マルコとジョージは共にビクンッと身体を強張らせて押し黙った。そして、後部座席のドアを開けて乗り込むエマを呆然と見つめた後にマルコとジョージはお互いに顔を見合わせた。
「えっと、君の名前は?」
「ま、マルコだよい」
「マルコか。私はエマの叔父のジョージだ。よ、宜しくマルコ君」
ジョージは自分の手を衣服で拭ってから握手を求めた。だがマルコは片眉を上げて苦笑を浮かべた。
「手が塞がってるのが見てわかるだろい?」
「あ、あァ、すまない」
ジョージは手を引っ込めるとポリポリと頬を掻いて戸惑いながらエマへと顔を向けた。
「エマ、彼が抱えているのがそうかい?」
「えェ」
エマは返事をすると後部座席を倒してスペースを広げた。
「マルコ」
「ん?」
エマはマルコが抱えているダーク・ウォーカーを乗せるように手招いた。
「ここかい?」
「えェ」
マルコはダーク・ウォーカーを運び入れて開けられたスペースに寝かした。
「で、どっちに乗る?」
「なに?」
「ここに乗るか前の助手席に乗るか、マルコが選んで」
エマがそう言うとマルコは前方を見てから今寝かしたダーク・ウォーカーへと視線を動かした。
「あー……、おれが後ろに乗るからエマが前に乗れよい」
首筋に手を当てながらマルコがそう告げるとエマは少しだけ首を傾げた。
「ひょっとして遠慮してる?」
「そう思うかい?」
マルコがクツリと笑うとエマは軽く肩を竦めた。
「なら、前に乗らせてもらうわ」
エマが降りるとマルコが代わって乗り込んだ。そうしてエマが後部のドアを閉めて助手席側へと回る。
二人の会話と雰囲気を傍で見ていたジョージは少しだけ目を丸くしてポカンとしていた。
―― あんなに頑なだったエマが普通に言葉を交わすなんてねェ……。
父《マイク》や自分のように身内であればそこそこ軽口を叩きながら言葉を交わすことはするが、他人に対しては容易に信用できないのか素っ気無い態度が常で口数も少なかった。しかし、今のマルコに対するエマの態度はどちらかと言うと身内に近いものを感じる。
「奇跡だ……」
ジョージはポツリと呟いた。
「ジョージ叔父さん、ぼけっとしてないで早く乗って」
「あ、あァ、ちょっと考え事をね」
突っ立ったまま動かずにいたジョージが慌てて運転席に乗り込むと助手席に座るエマが探るような目を向けた。
ジョージは苦笑を浮かべながら運転席のドアを閉めるとシートベルトを締めた。
「じゃ、じゃあ行くよ」
右手はハンドルに、左手はサイドブレーキを握ってジョージが声を掛けると、よい――と、マルコが返事をした。その声音にエマは眉を少し顰めて後ろを振り向いた。
「なんだかとっても嬉しそうね」
「そ、そうかい?」
無表情で問い掛けるエマに対してマルコは平静を装いながら応えた。――が、その目はやはり期待感に満ちているように見える。初めて見る玩具に興味津々といったような、まるでどこかの少年のようにワクワクしている――そんな雰囲気だ。
―― ……。
エマは何も言わずに前を向くと隣の運転席に座るジョージがクツリと少しだけ笑みを浮かべてアクセルを踏んだ。
ブルルルッ……――。
低いエンジン音を鳴らしながら車が動き出した。するとマルコは思わず「おぉ……」と感嘆の声を上げそうになった――が、なんとか飲み込んだ。そして、車の動きに応じて身体が揺れるのを感じながら車窓に映る流れ行く外の景色に目を向けた。
停車している車を蛇行しながら避けて進んで行く。荒廃したビル群が多く立ち並ぶ中を走り抜け、大きな川を渡す橋の麓に出た。所々にはアスファルトを突き抜けて生える草木があって緑もあった。
しかし、――こんな景色は……知らない――。
エマは後部座席に座るマルコを伺うようにチラリと視線を向けた。不思議そうな表情を浮かべて外を見つめるマルコの面持ちは一様にそれを意味しているのだとエマは思った。
確かに外の景色はマルコにとっては見たことのないものばかりだった。だがどちらかと言えば―― こいつはどういう仕組みで動いてんだ……?――と、今はこの車なるものの仕組みが気になって仕方が無いといったところの様で、この動力源の仕組みさえ分かれば是非とも船に導入したい。そうすれば風向きや海流等を気にしないで自由自在に海を渡れるかもしれない――と、そう思っていた。
エマとマルコの思考に多少のズレが生じたところでジョージが話を切り出した。
「で、彼とはどこで出会ったのか、そろそろ教えてくれても良いでしょ」
「え? あ、えェ、そうね」
思い耽っていたエマが我に返ってそう返事をするとジョージはハンドルを切りながら微笑を零した。
「珍しいね」
「なにが?」
「いや、心ここにあらずといった感じだから」
「……」
「幼い頃はよくあったけど”今の”エマには実に珍しいと思って、少し感動したな」
ジョージがそう言うとエマは前方を見つめながら小さく溜息を吐いた。
「落ちていたから拾った。それだけよ」
「え……、もう説明終わり?」
「ハハ、酷い言い様だよい。落ちていたから拾ったって、それじゃあまるでただのモノみてェな扱いじゃねェか」
マルコが苦笑を浮かべてそう言うとエマは軽く肩を竦めて後ろに振り向いた。
「倒れていたあなたを抱えて助けたのは事実よ。それよりも、あなたが何者でどこから来たのか、まずそれを話してくれないことには話が始まらないわ」
エマの言葉にマルコは片眉を上げた。
「……わかった。じゃあまずおれから幾つか質問するから答えてくれ」
マルコがそう言うとエマは少し首を傾げながら余り熱意の無い頷きを見せて「どうぞ」と、あまり心が籠っていない様な声音で話を進めるように促した。
―― なんだよいその態度は……。
少し眉をピクンと動かして顰めるマルコの表情をバックミラー越しで見ていたジョージは少しだけ笑いを堪えるようにして肩を震わせた。
―― 本当に珍しい。兄さん《マイク》が”生きていた”時に帰ったみたいだ。エマがこんな風に他人に対して”感情的な態度”を見せるなんて無かったのになァ。
隣に座るエマが無表情のままジョージに視線を寄こして目が合った。ジョージは咄嗟に視線を外したが、エマからピリッとした空気を感じたジョージは表情を一瞬にして無に戻して運転に集中した。そんなエマの空気を感じ取ったマルコは少し前に身を乗り出して声を掛けた。
「エマ、何を怒ってんのかわかんねェがそう怒るなよい」
「……怒ってないわよ」
「そうかい?」
「さっさと話して。じゃないともうじき着くわよ」
エマはぷいっと顔を背けて助手席の窓から外を眺めて言った。するとジョージは――まだまだ先なんだけど……――と、胸の内で零しながらバックミラー越しで後ろに座るマルコの様子を伺い見た。
「あァ、話すよい。でも、着くのはまだまだ先だろい?」
「!」
「……」
マルコの言葉にジョージは目を丸くして驚き、エマは相変わらず外を眺めていたが少しだけ眉をピクリと動かし、ゆっくりと首を回してマルコへと顔を向けた。
「どうしてそう思うの?」
「このまま直行すりゃあダーク・ウォーカーに居場所がバレちまう。時間を掛けて遠回りをしながら奴らを攪乱して帰るのが常套手段……だろ?」
「あァ、正解だよマルコ君」
「……」
マルコの言葉にジョージは感心するように頷き、エマは黙ったままマルコを見つめるのみだ。そうしてマルコが右手を首筋に当てながらクツリと笑うとゆっくりとした口調で話し始めた。マルコがいた世界のことを――。
エマとジョージは黙って話を聞いていたが、それが本当なのかどうかを確認する術は無く、ただ静かに聞くのみだ。しかし、話を聞けば聞く程に、想像すればする程に、それはまるで御伽噺のように思えた。
「この世界には海賊も東西南北に分かれた海もグランドラインも無い。そうだな?」
「え、えェ……。そういうのは聞いたことが無いわ」
少し戸惑いながらエマがそう答えるとマルコは両腕を組んで険しい表情を浮かべた。
「やっぱりなァ。おれの推測は当たってたってェことになるよい」
「どう…推測したの?」
「この世界はおれの世界とは違う。言うなれば『異世界』ってェ奴だ」
マルコは少し項垂れると溜息を吐いて小さく首を振った。
「それは作り話じゃ」
「って言うだろうと思ってよい、あー……」
マルコはそう言い掛けて言葉を止めた。
「――あー……、なに?」
エマがそう問うとマルコは再び口を開いた。
「向かってる先はアジトっつぅのか?」
「私の家だよ」
マルコの質問にジョージがそう答えた。するとマルコはコクリと頷くと言い掛けて止めた科白を口にした。
「その家に着いたらおれの能力を見せてやるよい」
「「能力?」」
エマとジョージが声を揃えて反応したことにマルコは小さく笑った。――おれの世界には悪魔の実ってェのがあってねい――と、悪魔の実について話を始めた。
ジョージは流石に科学者なだけあってか興味を擽られたようで頷きながら真剣に話を聞いている。その一方でエマはというと前方の景色を見つめながら皺を寄せた眉間に手を当てて溜息を吐いていた。
―― そんな子供騙しみたいな話をどう信じろって言うの?
エマの反応を見れば今の話を信じていないことぐらいマルコには手に取る様にわかっていた。
「エマ、お前が信じねェ気持ちはわかるよい」
「……どうして?」
「おれも逆の立場なら同じ反応をする」
「……」
「だから立証する為におれの能力を見せることが一番だと思った。それは多分……、この世界には無いものだからよい」
エマは振り返ってマルコの目をじっと見つめた。嘘を言ってる目では無いことは明らかだ。
―― この世界には無いもの ――
何故かその言葉がエマの心の奥底に響いた。ドクンッと少しだけ心臓が鳴る感覚が襲う。これが何を意味しているのかはわからない。だが、あまり今までに感じたことの無いものだとエマは思った。
表情こそ変えなかったがエマは小さく溜息を吐くと前へと向き直して口を開いた。
「全て嘘だったらキャロライナ・リーパーをすり潰した粉をあなたの傷口に塗ってあげる」
「エマ、それはもう死刑宣告のようなものだから止めなさい」
「ジョージ……、おれはもう既にエマの声音だけで処刑された気分だよい」
エマの言った『キャロライナ・リーパー』が何なのかはマルコにはわかっていない。だが、とても冷たい声音を発したエマの雰囲気がとても冷酷に思えた。
ジョージが若干本気になって叱責染みた声で制止を呼び掛けたことからエマの言ったそれが如何に『残酷なものであるのか』をマルコはなんとなく察した。
果たして自分は無事に生きて元の世界に帰れるのだろうか――と、たった今しがた奈落の底に落ちる勢いで不安な気持ちで一杯になった。
マルコは後部座席から前方に座るエマとジョージを交互に見つめながら大きな溜息を吐いてガクリと項垂れたのだった。
しかし、エマが十二歳になった頃、エマは少ない自分の荷物と僅かな食糧、そして密かに手に入れた新しい地図(災厄後の地図)を持ってその地区を離れ、『第六地区ラーマ』という場所に向かった。
その地区では各安全地区の防衛やダーク・ウォーカー等に奪われ荒廃した地区の奪還を主とする兵士を育てる為、男女問わずに年齢十二歳以上を条件として志願者を募っていたからだ。
志願した者達の中には同じ年頃の者が数名いたが女はエマ一人だった。体格こそ小柄ではあったが元陸軍兵だった父から生きる術として教えられた腕と知恵があるエマは、他の志願者を寄せ付けない程に優れた成績を残した。その為か第六地区ラーマにおいてはよく知られる存在となった。そして行く先々で声を掛けられるようになった。だが馴れ合うことを好まないエマは愛想が無くて付き合いの悪い冷たい女だと評されるようになった。
任務遂行は完璧。常に冷静で無表情。何を置いても機械的――。一兵士としてはずば抜けて優秀だが人として欠けるものがあると言われ、集団行動となる軍隊の一兵卒としては向いていないとも言われた。しかし、エマは然して気にもしていなかった。
どんな武器も扱えるようになった。戦闘機、戦車、その他ありとあらゆる知識と経験を得た。
―― もうここに用はない ――
最低限に必要な武器を幾つか拝借して荷物を纏めたエマは、人知れず第六地区ラーマから姿を消した。
本来なら脱走兵として処罰の対象となる行為であり捜索されるのだが、軍に配属されないことを知った彼女は元にいた地区《第二地区シクレア》へ帰ったのだろうと結論付けられた為、エマは脱走兵として扱われることは無かった。
この日はエマが十七歳となる誕生日だった。
◇
広い道路に出ると多くの車が停まっている中を蛇行しながら此方に向かって来る一台の車が目に付いた。エマが軽く右手を上げると「プッ!」と短いクラクションが鳴り響いた。
「!?」
マルコはその音にビクリと驚いて身体が小さく跳ねた。その際にマルコに抱えられたダーク・ウォーカーの腕がダラリと落ちて振り子のようにプラプラと揺れた。
「どうしたの?」
「い、今の音はなんだ?」
「クラクションよ」
「くらくしょん?」
「警笛と言えばわかるかしら?」
「あァ、成程」
エマとマルコがそんな会話をしている間に車は目の前までやって来て停車した。
運転席に乗っていた男はボサボサの髪に無精髭を生やした冴えない風貌をしている。その男が運転席から出て来るとエマと共にいたマルコを見るなり驚いた表情を浮かべ、口に咥えていた煙草がポロリと地面に落ちた。
「エマ……、彼は誰だ?」
「ジョージ叔父さん、話は車の中で」
「エマ、こいつが叔父かい?」
「話は車の中でって言ったでしょう?」
「「おいエマ」」
「五月蠅い!」
「「わ、悪い!」」
エマは同じことを何度も言わせるなとばかりに自分より年上である二人の男を一喝した。マルコとジョージは共にビクンッと身体を強張らせて押し黙った。そして、後部座席のドアを開けて乗り込むエマを呆然と見つめた後にマルコとジョージはお互いに顔を見合わせた。
「えっと、君の名前は?」
「ま、マルコだよい」
「マルコか。私はエマの叔父のジョージだ。よ、宜しくマルコ君」
ジョージは自分の手を衣服で拭ってから握手を求めた。だがマルコは片眉を上げて苦笑を浮かべた。
「手が塞がってるのが見てわかるだろい?」
「あ、あァ、すまない」
ジョージは手を引っ込めるとポリポリと頬を掻いて戸惑いながらエマへと顔を向けた。
「エマ、彼が抱えているのがそうかい?」
「えェ」
エマは返事をすると後部座席を倒してスペースを広げた。
「マルコ」
「ん?」
エマはマルコが抱えているダーク・ウォーカーを乗せるように手招いた。
「ここかい?」
「えェ」
マルコはダーク・ウォーカーを運び入れて開けられたスペースに寝かした。
「で、どっちに乗る?」
「なに?」
「ここに乗るか前の助手席に乗るか、マルコが選んで」
エマがそう言うとマルコは前方を見てから今寝かしたダーク・ウォーカーへと視線を動かした。
「あー……、おれが後ろに乗るからエマが前に乗れよい」
首筋に手を当てながらマルコがそう告げるとエマは少しだけ首を傾げた。
「ひょっとして遠慮してる?」
「そう思うかい?」
マルコがクツリと笑うとエマは軽く肩を竦めた。
「なら、前に乗らせてもらうわ」
エマが降りるとマルコが代わって乗り込んだ。そうしてエマが後部のドアを閉めて助手席側へと回る。
二人の会話と雰囲気を傍で見ていたジョージは少しだけ目を丸くしてポカンとしていた。
―― あんなに頑なだったエマが普通に言葉を交わすなんてねェ……。
父《マイク》や自分のように身内であればそこそこ軽口を叩きながら言葉を交わすことはするが、他人に対しては容易に信用できないのか素っ気無い態度が常で口数も少なかった。しかし、今のマルコに対するエマの態度はどちらかと言うと身内に近いものを感じる。
「奇跡だ……」
ジョージはポツリと呟いた。
「ジョージ叔父さん、ぼけっとしてないで早く乗って」
「あ、あァ、ちょっと考え事をね」
突っ立ったまま動かずにいたジョージが慌てて運転席に乗り込むと助手席に座るエマが探るような目を向けた。
ジョージは苦笑を浮かべながら運転席のドアを閉めるとシートベルトを締めた。
「じゃ、じゃあ行くよ」
右手はハンドルに、左手はサイドブレーキを握ってジョージが声を掛けると、よい――と、マルコが返事をした。その声音にエマは眉を少し顰めて後ろを振り向いた。
「なんだかとっても嬉しそうね」
「そ、そうかい?」
無表情で問い掛けるエマに対してマルコは平静を装いながら応えた。――が、その目はやはり期待感に満ちているように見える。初めて見る玩具に興味津々といったような、まるでどこかの少年のようにワクワクしている――そんな雰囲気だ。
―― ……。
エマは何も言わずに前を向くと隣の運転席に座るジョージがクツリと少しだけ笑みを浮かべてアクセルを踏んだ。
ブルルルッ……――。
低いエンジン音を鳴らしながら車が動き出した。するとマルコは思わず「おぉ……」と感嘆の声を上げそうになった――が、なんとか飲み込んだ。そして、車の動きに応じて身体が揺れるのを感じながら車窓に映る流れ行く外の景色に目を向けた。
停車している車を蛇行しながら避けて進んで行く。荒廃したビル群が多く立ち並ぶ中を走り抜け、大きな川を渡す橋の麓に出た。所々にはアスファルトを突き抜けて生える草木があって緑もあった。
しかし、――こんな景色は……知らない――。
エマは後部座席に座るマルコを伺うようにチラリと視線を向けた。不思議そうな表情を浮かべて外を見つめるマルコの面持ちは一様にそれを意味しているのだとエマは思った。
確かに外の景色はマルコにとっては見たことのないものばかりだった。だがどちらかと言えば―― こいつはどういう仕組みで動いてんだ……?――と、今はこの車なるものの仕組みが気になって仕方が無いといったところの様で、この動力源の仕組みさえ分かれば是非とも船に導入したい。そうすれば風向きや海流等を気にしないで自由自在に海を渡れるかもしれない――と、そう思っていた。
エマとマルコの思考に多少のズレが生じたところでジョージが話を切り出した。
「で、彼とはどこで出会ったのか、そろそろ教えてくれても良いでしょ」
「え? あ、えェ、そうね」
思い耽っていたエマが我に返ってそう返事をするとジョージはハンドルを切りながら微笑を零した。
「珍しいね」
「なにが?」
「いや、心ここにあらずといった感じだから」
「……」
「幼い頃はよくあったけど”今の”エマには実に珍しいと思って、少し感動したな」
ジョージがそう言うとエマは前方を見つめながら小さく溜息を吐いた。
「落ちていたから拾った。それだけよ」
「え……、もう説明終わり?」
「ハハ、酷い言い様だよい。落ちていたから拾ったって、それじゃあまるでただのモノみてェな扱いじゃねェか」
マルコが苦笑を浮かべてそう言うとエマは軽く肩を竦めて後ろに振り向いた。
「倒れていたあなたを抱えて助けたのは事実よ。それよりも、あなたが何者でどこから来たのか、まずそれを話してくれないことには話が始まらないわ」
エマの言葉にマルコは片眉を上げた。
「……わかった。じゃあまずおれから幾つか質問するから答えてくれ」
マルコがそう言うとエマは少し首を傾げながら余り熱意の無い頷きを見せて「どうぞ」と、あまり心が籠っていない様な声音で話を進めるように促した。
―― なんだよいその態度は……。
少し眉をピクンと動かして顰めるマルコの表情をバックミラー越しで見ていたジョージは少しだけ笑いを堪えるようにして肩を震わせた。
―― 本当に珍しい。兄さん《マイク》が”生きていた”時に帰ったみたいだ。エマがこんな風に他人に対して”感情的な態度”を見せるなんて無かったのになァ。
隣に座るエマが無表情のままジョージに視線を寄こして目が合った。ジョージは咄嗟に視線を外したが、エマからピリッとした空気を感じたジョージは表情を一瞬にして無に戻して運転に集中した。そんなエマの空気を感じ取ったマルコは少し前に身を乗り出して声を掛けた。
「エマ、何を怒ってんのかわかんねェがそう怒るなよい」
「……怒ってないわよ」
「そうかい?」
「さっさと話して。じゃないともうじき着くわよ」
エマはぷいっと顔を背けて助手席の窓から外を眺めて言った。するとジョージは――まだまだ先なんだけど……――と、胸の内で零しながらバックミラー越しで後ろに座るマルコの様子を伺い見た。
「あァ、話すよい。でも、着くのはまだまだ先だろい?」
「!」
「……」
マルコの言葉にジョージは目を丸くして驚き、エマは相変わらず外を眺めていたが少しだけ眉をピクリと動かし、ゆっくりと首を回してマルコへと顔を向けた。
「どうしてそう思うの?」
「このまま直行すりゃあダーク・ウォーカーに居場所がバレちまう。時間を掛けて遠回りをしながら奴らを攪乱して帰るのが常套手段……だろ?」
「あァ、正解だよマルコ君」
「……」
マルコの言葉にジョージは感心するように頷き、エマは黙ったままマルコを見つめるのみだ。そうしてマルコが右手を首筋に当てながらクツリと笑うとゆっくりとした口調で話し始めた。マルコがいた世界のことを――。
エマとジョージは黙って話を聞いていたが、それが本当なのかどうかを確認する術は無く、ただ静かに聞くのみだ。しかし、話を聞けば聞く程に、想像すればする程に、それはまるで御伽噺のように思えた。
「この世界には海賊も東西南北に分かれた海もグランドラインも無い。そうだな?」
「え、えェ……。そういうのは聞いたことが無いわ」
少し戸惑いながらエマがそう答えるとマルコは両腕を組んで険しい表情を浮かべた。
「やっぱりなァ。おれの推測は当たってたってェことになるよい」
「どう…推測したの?」
「この世界はおれの世界とは違う。言うなれば『異世界』ってェ奴だ」
マルコは少し項垂れると溜息を吐いて小さく首を振った。
「それは作り話じゃ」
「って言うだろうと思ってよい、あー……」
マルコはそう言い掛けて言葉を止めた。
「――あー……、なに?」
エマがそう問うとマルコは再び口を開いた。
「向かってる先はアジトっつぅのか?」
「私の家だよ」
マルコの質問にジョージがそう答えた。するとマルコはコクリと頷くと言い掛けて止めた科白を口にした。
「その家に着いたらおれの能力を見せてやるよい」
「「能力?」」
エマとジョージが声を揃えて反応したことにマルコは小さく笑った。――おれの世界には悪魔の実ってェのがあってねい――と、悪魔の実について話を始めた。
ジョージは流石に科学者なだけあってか興味を擽られたようで頷きながら真剣に話を聞いている。その一方でエマはというと前方の景色を見つめながら皺を寄せた眉間に手を当てて溜息を吐いていた。
―― そんな子供騙しみたいな話をどう信じろって言うの?
エマの反応を見れば今の話を信じていないことぐらいマルコには手に取る様にわかっていた。
「エマ、お前が信じねェ気持ちはわかるよい」
「……どうして?」
「おれも逆の立場なら同じ反応をする」
「……」
「だから立証する為におれの能力を見せることが一番だと思った。それは多分……、この世界には無いものだからよい」
エマは振り返ってマルコの目をじっと見つめた。嘘を言ってる目では無いことは明らかだ。
―― この世界には無いもの ――
何故かその言葉がエマの心の奥底に響いた。ドクンッと少しだけ心臓が鳴る感覚が襲う。これが何を意味しているのかはわからない。だが、あまり今までに感じたことの無いものだとエマは思った。
表情こそ変えなかったがエマは小さく溜息を吐くと前へと向き直して口を開いた。
「全て嘘だったらキャロライナ・リーパーをすり潰した粉をあなたの傷口に塗ってあげる」
「エマ、それはもう死刑宣告のようなものだから止めなさい」
「ジョージ……、おれはもう既にエマの声音だけで処刑された気分だよい」
エマの言った『キャロライナ・リーパー』が何なのかはマルコにはわかっていない。だが、とても冷たい声音を発したエマの雰囲気がとても冷酷に思えた。
ジョージが若干本気になって叱責染みた声で制止を呼び掛けたことからエマの言ったそれが如何に『残酷なものであるのか』をマルコはなんとなく察した。
果たして自分は無事に生きて元の世界に帰れるのだろうか――と、たった今しがた奈落の底に落ちる勢いで不安な気持ちで一杯になった。
マルコは後部座席から前方に座るエマとジョージを交互に見つめながら大きな溜息を吐いてガクリと項垂れたのだった。
【〆栞】