17
篝火を囲うようにして置いてある丸太にマルコが腰を下ろすと、マリスはマルコの真向かいにある丸太に腰を下ろした。
「マリス」
「はい」
「あいつらに悪気は無ェから許してやってくれよい」
「……」
「大体いつもあんな感じだから本気で怒る必要も無ェし、な?」
「ッ……」
篝火のパチパチと爆ぜる音を耳にしながらマリスは顔を俯かせた。
漸く出番を迎えたというのに、早々に失敗して主を失望させてしまった。吐き出したいような自己嫌悪に陥るマリスは、膝の上に置いた両手をギュッと握り締めた。
「けど、ありがとな」
「!」
「見兼ねて怒ってくれたんだろい?」
予想に反して優しい言葉を掛けてくれたことに目を丸くしたマリスは、戸惑いながらおずおずと顔を上げると、穏和な表情を浮かべて理解ある目を向けるマルコに思わず眉尻を下げてギュッと唇を噛み締めた。
「覚者…様……」
「あいつらとの付き合いもその内に……な?」
マリスは声を詰まらせながら「はい」と頷いた。
よし、じゃあ――、と一つ咳払いをしてからマルコは言葉を続けた。
「少し、おれの話を聞いてくれるか?」
「はい」
兄弟分でもあるサッチとエースに関すること。また、此処に至るまでの全てを、マリスにわかるように、ゆっくりと話し始めた。
時々、真剣な表情で耳を傾けているマリスの様子を窺いながらマルコは話しを続ける。
パチパチと爆ぜる音を鳴らす篝火に照らされるマリスの顔は、どちらかと言うと美人な類だ。
しかし、元来ポーンによる気質が為か、少し表情が硬いように思う。(その点、ルークは表情が豊かだったかもしれない)
ルークのような『覚者命』というのは勘弁して欲しいが、真っ直ぐと見据える目はとても意志が強く、それでいて純粋――つまり、規則は規則と宣って必ず守るクソ真面目なタイプであるとマルコは推測した。
様付けで呼び、丁寧な物言いで敬い付き従うようなことは、できれば早々に止めて欲しいのは山々なのだが。
おれが折れるしかねェか……。
こう話してくれと頼んでも頑として受け入れてくれないのなら、自分が慣れさえすれば良いだけのこと。ルークのおかげでかなり慣れて来たのもあるから、その内に、改めて話し方を変えるように指示すれば良い。
そう、その内に、
いつか、どこかで――。
白ひげ海賊団についてある程度まで話し終えた頃、膝に肘を突いて頬杖をしたマルコは軽く欠伸をした。
「覚者様」
「ッ…、何だい?」
「どうもお疲れの御様子ですから、そろそろお休みになられた方が宜しいかと」
「あー、そうだな。じゃあ話の続きはまた後日追々にな」
「はい、わかりました」
頷いたマリスは「では、私は寝床の準備をして参ります」と立ち上がってマルコに頭を下げてからテントに入って行った。
頬杖をしたままマリスを見送ったマルコは、「……堅ェなァ」とポツリと呟いた。
少しで良い。もうちょっとだけ口調を崩してくれると良いんだが――と、ふぅっと溜息を吐いたマルコは、立ち上がってグッと気伸びをしてからテントへと向かった。
中に入ると、サッチとエースは既に大きな鼾を掻いて夢の中だ。ルークも相変わらず気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている。
「覚者様、寝床の準備ができましたので、どうぞお休みください」
ピシッとキレイに整えられた簡易ベッドを見たマルコは、軽く頭を下げるマリスに手を伸ばして頭をクシャリと撫でた。
「!?」
マリスは慌てて一歩後ろに下がった。思いもしない行動だったのだろう。とても驚きに満ちた表情を浮かべている。
「マリス」
マルコが名を呼んだ時、マリスの肩が軽くビクついた。その反応に片眉を上げたマルコは釣られるように口端も上げて笑みを浮かべた。
そういうことか。
あまりにも堅過ぎるマリスのこの態度は、恐らく初めて自分の主となる覚者を前にして緊張しているのだ。不慣れなのは従者として参上したマリスも同じなのだ。
「マリスにとって、おれは大事な主人になるんだろうが」
「え?」
「おれにとってマリスは従者でも何でもねェ」
「そ、それは……!」
また何か失礼をしたのか。まだ何もしていない内に見限られるようなことをしでかしてしまったのか。と、マリスは表情を強張らせた。
そんなマリスの心情が手に取るようにわかったマルコは勘違いするなと首を振った。
「で、では一体……」
「お前は仲間だ」
「なか…ま……?」
「おれは主従という関係よりも対等に話せる関係でありたいと思ってる」
だから、その内にとは言ったが――
可能な限り早くに慣れてくれることを願ってるとマルコは言った。
「ッ……」
目を丸くしてその場に立ち尽くしたマリスに微笑を零して、マルコはテントの奥にあるテーブルに置かれたシーツを手に取って戻ると、隣の簡易ベッドに掛け始めた。呆然として固まっていたマリスはハッと我に返ると慌ててマルコの手を止めようとした。
「覚者様の寝床は此方に!」
「これはマリスの寝床だよい」
「!」
「お前も寝るだろい?」
「え、えェ、それは……。ですが、私の分は自分でやりますから!」
「おれの寝床を準備してくれた御礼だよい」
「そ、そのようなお気遣いは、」
「おれがやりてェんだ。お前はこの好意を素直に受け取れば良いんだよい」
「ッ……」
再びマリスの頭にポンッと手を乗せてクシャリと撫でると、今度こそマリスは頬を赤くして押し黙った。
くつくつと喉を鳴らして笑ったマルコは、ふと後方のベッドで眠っていたルークに気付いてピタリと動きを止める。
「うぅ、何ともお優しい……。此度の覚者様は、我々ポーンを心から対等に思ってくださる心の美しいできたお方でいらっしゃる……」
「ッ〜〜!?」
眠っていたはずのルークが毛布をギュッと握り締めながらウルウルと目を潤ませて感動に浸っている。
何を言うのかと思えば、マルコにとっては虫唾が走る程の言葉の羅列を並べ立てて称えまくっているではないか。
まさか、『心の美しいできたお方』等と評される日が来るとは思いもしなかったマルコは、顔を大きく顰めて首から上部全てを真っ赤に染めた。
「あ、あの、覚者様?」
「……おれは、今ので死の淵に立たされた気がするよい……」
「え!? な、何があったのですか覚者様! お気を確かに!!」
思わずフラリとよろけてベッドに両手を突いたマルコを咄嗟に支えたマリスは本気で心配した。
そんな主従の光景を見つめながらルークは愈々感動の涙をドバドバと流し始めた。
「うぅ、美しい主従のお姿が眩しい」
「お前は黙って寝てろよい!」
額に青筋を張ったマルコが盛大且つ悲痛な叫びを上げた。海賊である自分を担ぐのは本当に止めてくれ!とマルコは切実な思いを零した。
「覚者様……」
「はァ……、何だ……?」
「いえ、」
「どうした?」
「マルコ様……」
「!」
「お名前を……、少しでも早くお呼びできるように、いつか”対等に”話せるように、努めますから、」
その為にも、やはりお名前をお呼びした方が良いかと……。と、マルコの目を見つめて申し出るマリスに、マルコは目を丸くした。
切実な思いを汲み取ってくれたのかどうかはわからないが、マリスなりに感じ取ってくれたのだろう。
「あ、あの、申し訳ございません! やはり覚者様と」
「いや、その方が良いって思ったんだろい?」
「――ッ……、はい……」
「なら、それで良い。おれも慣れるように努めるからよい」
未だに熱の引かない頬をポリポリと掻きながらマルコが笑みを浮かべると、硬い表情を俄かに崩してマリスは微笑んだ。
「!」
初めて見るマリスの柔和な顔にマルコは思わず凝視した。
何だ……良い顔、できるじゃねェかよい。
常に落ち着いたクールな大人の女。性格は至って生真面目な堅物タイプである――といった見立ては、どうやら的が外れたようだ。
再び手を動かして寝床を作ろうとすれば、マリスは何も言わずに黙って見つめるだけで、もう止めようとはしなかった。そうして寝床が完成すれば、マリスは小さく頭を下げて礼を言った。
じゃあ寝るかとマルコがマリスの肩をポンポンと軽く叩くと、頭を上げたマリスの表情は少し戸惑いがあったが、素直にマルコの好意を受け取って頷いた。
その内に――。
主従の壁を壊して取り払える日は、気が遠くなる程に時間が掛かりそうだと思っていたが、今ではそう遠くでも無いような気になった。
寝床に就いて天井を見上げるマルコは微笑を浮かべるとゆっくりとした深呼吸をしてから目を瞑った。
これまでずっと見ていた『願望』という名の夢を、この日は珍しく一度も見ることは無かった。
***
翌朝――
パッと目が覚めた途端に視界に入り込んだのは、恍惚とした表情を浮かべて見下ろす髭面のおっさん。
「お前……何、してんだ……?」
「気持ち良さそうにお眠りになられておりましたので、お顔を拝見しておりました」
有無も言わさぬ内に寝起きがてらにルークの顔面をガシッと鷲掴んだマルコは、指先に力を込めてキリキリと締め上げる。しかし、ルークは痛みに耐えながら丁寧に説明するのだから見事なものだ。
「お前、ひょっとしてマゾの気があるんじゃねェのか?」
「ん? マゾとは……何でございましょう?」
「いや、何でも無ェ。気にするな」
くあっと欠伸をして気怠そうにベッドから下りたマルコはグッと蹴伸びをして首を左右に動かしてコキコキと鳴らした。
隣のベッドに視線を向ければ、そこは既に蛻の殻だ。それにサッチやエースの姿も無い。
もう起きたのか?と片眉を上げたマルコはテントの外へと足を向けた。
「よー、マルコ」
「マルコが最後だなんて珍しいな」
サッチとエースは篝火の側にある丸太に腰掛けて既に食事を始めていた。偶にはそういうこともあると言いながらマルコが二人の側に歩み寄った時、
「おはようございます」
「あァ、おはよい」
既に身支度を整えていたマリスが見計らったように朝食が乗ったトレイを持って来た。
「できたてを頂いて参りました」
「あ、あァ、ありがとよい」
宿営地の本部で作られているらしいイモを蒸かしたちょっとしたおかずにパンとスープが添えられた朝食は、兵士達の食事にしては簡素過ぎる気がするが、このような場所で贅沢な食事が出る方がおかしいかとマルコはそれを受け取った。
「何か羨まし過ぎんだけど」
「まるで付き人だよな」
隣でサッチとエースが何か言っているが聞こえていないふりをして、マルコは「マリス、お前のは?」と声を掛けた。
「私はもう済ませましたのでご安心を。ゆっくりしてください」
これは暗に何か起こったとしても自分が対応しますと言っているように聞こえる。
徹底して主に尽くしていると言ったところだろうが、どちらかと言うと要人の護衛と言った方がしっくり来るなとマルコは思った。
隣で食事をしているサッチとエースも意識はしていないだろうが、何時になく起きるのが早い気がして、どうにも違和感を感じる。
サッチとエースは生前と変わらない。(ルークは例外として、マリスには若干感じることがある)ポーンのように人なら持っている意志や感情がとても希薄といった節は無い。
ただ――
「覚者様」
「!」
食事の手を止めて思考の渦化に没頭していたマルコの元にルークが声を掛けた。ハッとして顔を向けたマルコを前にルークは片膝を地面に突いて深々と頭を下げる。
「何…してんだ?」
目を丸くして見下ろすマルコにゆっくりと顔を上げたルークは、何時になく真剣な面持ちで口を開いた。
「お食事の所を失礼ではありますが、お伝えしておきたいことがございます」
「何?」
「覚者様と主従となるポーンを繋ぐことが、私のお役目でした」
「! ……ってェことは、」
「はい。私のお役目は、此処宿営地で終わりでございます。これより私は一介の放浪するポーンに戻ることになります」
「……」
「もし、私の力が必要となりますれば、リムにてお声掛け頂ければ、いつでも覚者様の元へ馳せ参じます」
ルークはそう言うと笑みを浮かべた。
「これから先、過酷な旅路が幾度も待ち構えているかと思います。ですが、マリスは大変優秀なポーンでございます。必ずや覚者様のお役に立ちますので信頼なさってください」
勿論、あちらのお二方も優秀なポーンであることは存じておりますと付け加えて、ルークは笑みの中に少しだけ寂し気な表情を交えて小さく笑った。
「短い旅路ではありましたが、覚者様のお供をさせて頂いたことは大変光栄でした」
再び深々と頭を下げたルークを見つめていたマルコは「そうか……」とポツリと呟いた。
「その役目ってェのは、」
「主従と同様、誰かに命じられてというものではありません。これは宿命の様なものでございます」
思うところは多々あったが、色々と教えてくれたルークに感謝すると共に、マルコはどことなく少し寂しさを覚えた。
「覚者様……、いえ、マルコ様」
「何だい……?」
「マルコ様は、ご自身が思われる程に卑下するようなお人柄では決してございません」
「!」
「カサディスの村人達を見ていればわかります。マルコ様はきっと、誰からも慕われ頼りにされて来たお方なのだと確信しております」
「そりゃあ過大評価ってやつだよい」
「いえ、私にとっては真実でございます」
最後の最後まで褒め称える言葉を送るルークに少し照れながらマルコは苦笑した。
「わかったよい」
お前の気持ちはありがたく受け取る――と、マルコは右手を差し出した。ルークは目を丸くしてマルコを見上げた。
「ほら、ルーク」
「え?」
「握手だよい」
「!」
マルコにそう促されたルークは恐る恐る手を差し出すと、マルコが手を伸ばしてその手をギュッと握った。
「あ、あの……」
照れ臭いのか、ルークの頬に赤みが差した。しかし、どこか嬉しそうで、少しだけ目が潤んでいるようにも見えた。
ポーンという者達にとって、このように人の情を伴った好意を差し向けられることがあまり無いことなのかもしれない。ルークもまたマリスのように、どう受け取って良いのかわからないと言った風で、かなり戸惑っている様子だ。
あァ、そうか。と、彼らの様子を思い返してみれば、これはマルコ自身にとっても通じるところがあった。
彼らの覚者に対する忠誠心は、マルコからすればオヤジと慕った白ひげに対する忠誠心と似通っているところがある。
もし、オヤジから感謝の言葉を向けられてこのような行為をされたら、きっと自分もルークと同じような反応をするかもしれない――と。
「世話になった。また困った時には頼むよい」
「! ッ…はい……はい!」
左腕で目元を拭う仕草をしたルークは何度も頷いた。
そして――
「私はマルコ様にお仕えできたことを誇りに思います」
誇らし気に、そして、満面の笑みを浮かべた。
「あァ、ありがとなルーク」
「はい! では、私めはこれにて失礼致します」
「またな」
「よい!」
「ッ……」
最後の最後でルークはマルコの口癖を言った。恐らくカサディスを出てから以降ずっと言ってみたかったのだろう。
ヒクリと頬を引き攣らせたマルコだったが、しかし、何も言えなかった。
何だか凄く嬉しそうで、スッキリしたといった面持ちを浮かべていたから――。
そして、ルークは深々と頭を下げると踵を返して去って行った。
最後に最高の別れの言葉を投下したルークの背中に向けて、サッチとエースは軽く手を振って後は引き受けたとばかりに別れを告げる。
「人の口癖を何だと思ってんだ……」
眉間に皺を寄せて少々不満気にポツリと零したマルコは、やっぱり無理だと噴き出したエースと膝をバシバシ叩いて笑うサッチの声を背中に受けながら、千切ったパンを口に放り込んでコップを呷って喉奥へと流し込んだ。
「マリス」
「はい」
「あいつらに悪気は無ェから許してやってくれよい」
「……」
「大体いつもあんな感じだから本気で怒る必要も無ェし、な?」
「ッ……」
篝火のパチパチと爆ぜる音を耳にしながらマリスは顔を俯かせた。
漸く出番を迎えたというのに、早々に失敗して主を失望させてしまった。吐き出したいような自己嫌悪に陥るマリスは、膝の上に置いた両手をギュッと握り締めた。
「けど、ありがとな」
「!」
「見兼ねて怒ってくれたんだろい?」
予想に反して優しい言葉を掛けてくれたことに目を丸くしたマリスは、戸惑いながらおずおずと顔を上げると、穏和な表情を浮かべて理解ある目を向けるマルコに思わず眉尻を下げてギュッと唇を噛み締めた。
「覚者…様……」
「あいつらとの付き合いもその内に……な?」
マリスは声を詰まらせながら「はい」と頷いた。
よし、じゃあ――、と一つ咳払いをしてからマルコは言葉を続けた。
「少し、おれの話を聞いてくれるか?」
「はい」
兄弟分でもあるサッチとエースに関すること。また、此処に至るまでの全てを、マリスにわかるように、ゆっくりと話し始めた。
時々、真剣な表情で耳を傾けているマリスの様子を窺いながらマルコは話しを続ける。
パチパチと爆ぜる音を鳴らす篝火に照らされるマリスの顔は、どちらかと言うと美人な類だ。
しかし、元来ポーンによる気質が為か、少し表情が硬いように思う。(その点、ルークは表情が豊かだったかもしれない)
ルークのような『覚者命』というのは勘弁して欲しいが、真っ直ぐと見据える目はとても意志が強く、それでいて純粋――つまり、規則は規則と宣って必ず守るクソ真面目なタイプであるとマルコは推測した。
様付けで呼び、丁寧な物言いで敬い付き従うようなことは、できれば早々に止めて欲しいのは山々なのだが。
おれが折れるしかねェか……。
こう話してくれと頼んでも頑として受け入れてくれないのなら、自分が慣れさえすれば良いだけのこと。ルークのおかげでかなり慣れて来たのもあるから、その内に、改めて話し方を変えるように指示すれば良い。
そう、その内に、
いつか、どこかで――。
白ひげ海賊団についてある程度まで話し終えた頃、膝に肘を突いて頬杖をしたマルコは軽く欠伸をした。
「覚者様」
「ッ…、何だい?」
「どうもお疲れの御様子ですから、そろそろお休みになられた方が宜しいかと」
「あー、そうだな。じゃあ話の続きはまた後日追々にな」
「はい、わかりました」
頷いたマリスは「では、私は寝床の準備をして参ります」と立ち上がってマルコに頭を下げてからテントに入って行った。
頬杖をしたままマリスを見送ったマルコは、「……堅ェなァ」とポツリと呟いた。
少しで良い。もうちょっとだけ口調を崩してくれると良いんだが――と、ふぅっと溜息を吐いたマルコは、立ち上がってグッと気伸びをしてからテントへと向かった。
中に入ると、サッチとエースは既に大きな鼾を掻いて夢の中だ。ルークも相変わらず気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている。
「覚者様、寝床の準備ができましたので、どうぞお休みください」
ピシッとキレイに整えられた簡易ベッドを見たマルコは、軽く頭を下げるマリスに手を伸ばして頭をクシャリと撫でた。
「!?」
マリスは慌てて一歩後ろに下がった。思いもしない行動だったのだろう。とても驚きに満ちた表情を浮かべている。
「マリス」
マルコが名を呼んだ時、マリスの肩が軽くビクついた。その反応に片眉を上げたマルコは釣られるように口端も上げて笑みを浮かべた。
そういうことか。
あまりにも堅過ぎるマリスのこの態度は、恐らく初めて自分の主となる覚者を前にして緊張しているのだ。不慣れなのは従者として参上したマリスも同じなのだ。
「マリスにとって、おれは大事な主人になるんだろうが」
「え?」
「おれにとってマリスは従者でも何でもねェ」
「そ、それは……!」
また何か失礼をしたのか。まだ何もしていない内に見限られるようなことをしでかしてしまったのか。と、マリスは表情を強張らせた。
そんなマリスの心情が手に取るようにわかったマルコは勘違いするなと首を振った。
「で、では一体……」
「お前は仲間だ」
「なか…ま……?」
「おれは主従という関係よりも対等に話せる関係でありたいと思ってる」
だから、その内にとは言ったが――
可能な限り早くに慣れてくれることを願ってるとマルコは言った。
「ッ……」
目を丸くしてその場に立ち尽くしたマリスに微笑を零して、マルコはテントの奥にあるテーブルに置かれたシーツを手に取って戻ると、隣の簡易ベッドに掛け始めた。呆然として固まっていたマリスはハッと我に返ると慌ててマルコの手を止めようとした。
「覚者様の寝床は此方に!」
「これはマリスの寝床だよい」
「!」
「お前も寝るだろい?」
「え、えェ、それは……。ですが、私の分は自分でやりますから!」
「おれの寝床を準備してくれた御礼だよい」
「そ、そのようなお気遣いは、」
「おれがやりてェんだ。お前はこの好意を素直に受け取れば良いんだよい」
「ッ……」
再びマリスの頭にポンッと手を乗せてクシャリと撫でると、今度こそマリスは頬を赤くして押し黙った。
くつくつと喉を鳴らして笑ったマルコは、ふと後方のベッドで眠っていたルークに気付いてピタリと動きを止める。
「うぅ、何ともお優しい……。此度の覚者様は、我々ポーンを心から対等に思ってくださる心の美しいできたお方でいらっしゃる……」
「ッ〜〜!?」
眠っていたはずのルークが毛布をギュッと握り締めながらウルウルと目を潤ませて感動に浸っている。
何を言うのかと思えば、マルコにとっては虫唾が走る程の言葉の羅列を並べ立てて称えまくっているではないか。
まさか、『心の美しいできたお方』等と評される日が来るとは思いもしなかったマルコは、顔を大きく顰めて首から上部全てを真っ赤に染めた。
「あ、あの、覚者様?」
「……おれは、今ので死の淵に立たされた気がするよい……」
「え!? な、何があったのですか覚者様! お気を確かに!!」
思わずフラリとよろけてベッドに両手を突いたマルコを咄嗟に支えたマリスは本気で心配した。
そんな主従の光景を見つめながらルークは愈々感動の涙をドバドバと流し始めた。
「うぅ、美しい主従のお姿が眩しい」
「お前は黙って寝てろよい!」
額に青筋を張ったマルコが盛大且つ悲痛な叫びを上げた。海賊である自分を担ぐのは本当に止めてくれ!とマルコは切実な思いを零した。
「覚者様……」
「はァ……、何だ……?」
「いえ、」
「どうした?」
「マルコ様……」
「!」
「お名前を……、少しでも早くお呼びできるように、いつか”対等に”話せるように、努めますから、」
その為にも、やはりお名前をお呼びした方が良いかと……。と、マルコの目を見つめて申し出るマリスに、マルコは目を丸くした。
切実な思いを汲み取ってくれたのかどうかはわからないが、マリスなりに感じ取ってくれたのだろう。
「あ、あの、申し訳ございません! やはり覚者様と」
「いや、その方が良いって思ったんだろい?」
「――ッ……、はい……」
「なら、それで良い。おれも慣れるように努めるからよい」
未だに熱の引かない頬をポリポリと掻きながらマルコが笑みを浮かべると、硬い表情を俄かに崩してマリスは微笑んだ。
「!」
初めて見るマリスの柔和な顔にマルコは思わず凝視した。
何だ……良い顔、できるじゃねェかよい。
常に落ち着いたクールな大人の女。性格は至って生真面目な堅物タイプである――といった見立ては、どうやら的が外れたようだ。
再び手を動かして寝床を作ろうとすれば、マリスは何も言わずに黙って見つめるだけで、もう止めようとはしなかった。そうして寝床が完成すれば、マリスは小さく頭を下げて礼を言った。
じゃあ寝るかとマルコがマリスの肩をポンポンと軽く叩くと、頭を上げたマリスの表情は少し戸惑いがあったが、素直にマルコの好意を受け取って頷いた。
その内に――。
主従の壁を壊して取り払える日は、気が遠くなる程に時間が掛かりそうだと思っていたが、今ではそう遠くでも無いような気になった。
寝床に就いて天井を見上げるマルコは微笑を浮かべるとゆっくりとした深呼吸をしてから目を瞑った。
これまでずっと見ていた『願望』という名の夢を、この日は珍しく一度も見ることは無かった。
***
翌朝――
パッと目が覚めた途端に視界に入り込んだのは、恍惚とした表情を浮かべて見下ろす髭面のおっさん。
「お前……何、してんだ……?」
「気持ち良さそうにお眠りになられておりましたので、お顔を拝見しておりました」
有無も言わさぬ内に寝起きがてらにルークの顔面をガシッと鷲掴んだマルコは、指先に力を込めてキリキリと締め上げる。しかし、ルークは痛みに耐えながら丁寧に説明するのだから見事なものだ。
「お前、ひょっとしてマゾの気があるんじゃねェのか?」
「ん? マゾとは……何でございましょう?」
「いや、何でも無ェ。気にするな」
くあっと欠伸をして気怠そうにベッドから下りたマルコはグッと蹴伸びをして首を左右に動かしてコキコキと鳴らした。
隣のベッドに視線を向ければ、そこは既に蛻の殻だ。それにサッチやエースの姿も無い。
もう起きたのか?と片眉を上げたマルコはテントの外へと足を向けた。
「よー、マルコ」
「マルコが最後だなんて珍しいな」
サッチとエースは篝火の側にある丸太に腰掛けて既に食事を始めていた。偶にはそういうこともあると言いながらマルコが二人の側に歩み寄った時、
「おはようございます」
「あァ、おはよい」
既に身支度を整えていたマリスが見計らったように朝食が乗ったトレイを持って来た。
「できたてを頂いて参りました」
「あ、あァ、ありがとよい」
宿営地の本部で作られているらしいイモを蒸かしたちょっとしたおかずにパンとスープが添えられた朝食は、兵士達の食事にしては簡素過ぎる気がするが、このような場所で贅沢な食事が出る方がおかしいかとマルコはそれを受け取った。
「何か羨まし過ぎんだけど」
「まるで付き人だよな」
隣でサッチとエースが何か言っているが聞こえていないふりをして、マルコは「マリス、お前のは?」と声を掛けた。
「私はもう済ませましたのでご安心を。ゆっくりしてください」
これは暗に何か起こったとしても自分が対応しますと言っているように聞こえる。
徹底して主に尽くしていると言ったところだろうが、どちらかと言うと要人の護衛と言った方がしっくり来るなとマルコは思った。
隣で食事をしているサッチとエースも意識はしていないだろうが、何時になく起きるのが早い気がして、どうにも違和感を感じる。
サッチとエースは生前と変わらない。(ルークは例外として、マリスには若干感じることがある)ポーンのように人なら持っている意志や感情がとても希薄といった節は無い。
ただ――
「覚者様」
「!」
食事の手を止めて思考の渦化に没頭していたマルコの元にルークが声を掛けた。ハッとして顔を向けたマルコを前にルークは片膝を地面に突いて深々と頭を下げる。
「何…してんだ?」
目を丸くして見下ろすマルコにゆっくりと顔を上げたルークは、何時になく真剣な面持ちで口を開いた。
「お食事の所を失礼ではありますが、お伝えしておきたいことがございます」
「何?」
「覚者様と主従となるポーンを繋ぐことが、私のお役目でした」
「! ……ってェことは、」
「はい。私のお役目は、此処宿営地で終わりでございます。これより私は一介の放浪するポーンに戻ることになります」
「……」
「もし、私の力が必要となりますれば、リムにてお声掛け頂ければ、いつでも覚者様の元へ馳せ参じます」
ルークはそう言うと笑みを浮かべた。
「これから先、過酷な旅路が幾度も待ち構えているかと思います。ですが、マリスは大変優秀なポーンでございます。必ずや覚者様のお役に立ちますので信頼なさってください」
勿論、あちらのお二方も優秀なポーンであることは存じておりますと付け加えて、ルークは笑みの中に少しだけ寂し気な表情を交えて小さく笑った。
「短い旅路ではありましたが、覚者様のお供をさせて頂いたことは大変光栄でした」
再び深々と頭を下げたルークを見つめていたマルコは「そうか……」とポツリと呟いた。
「その役目ってェのは、」
「主従と同様、誰かに命じられてというものではありません。これは宿命の様なものでございます」
思うところは多々あったが、色々と教えてくれたルークに感謝すると共に、マルコはどことなく少し寂しさを覚えた。
「覚者様……、いえ、マルコ様」
「何だい……?」
「マルコ様は、ご自身が思われる程に卑下するようなお人柄では決してございません」
「!」
「カサディスの村人達を見ていればわかります。マルコ様はきっと、誰からも慕われ頼りにされて来たお方なのだと確信しております」
「そりゃあ過大評価ってやつだよい」
「いえ、私にとっては真実でございます」
最後の最後まで褒め称える言葉を送るルークに少し照れながらマルコは苦笑した。
「わかったよい」
お前の気持ちはありがたく受け取る――と、マルコは右手を差し出した。ルークは目を丸くしてマルコを見上げた。
「ほら、ルーク」
「え?」
「握手だよい」
「!」
マルコにそう促されたルークは恐る恐る手を差し出すと、マルコが手を伸ばしてその手をギュッと握った。
「あ、あの……」
照れ臭いのか、ルークの頬に赤みが差した。しかし、どこか嬉しそうで、少しだけ目が潤んでいるようにも見えた。
ポーンという者達にとって、このように人の情を伴った好意を差し向けられることがあまり無いことなのかもしれない。ルークもまたマリスのように、どう受け取って良いのかわからないと言った風で、かなり戸惑っている様子だ。
あァ、そうか。と、彼らの様子を思い返してみれば、これはマルコ自身にとっても通じるところがあった。
彼らの覚者に対する忠誠心は、マルコからすればオヤジと慕った白ひげに対する忠誠心と似通っているところがある。
もし、オヤジから感謝の言葉を向けられてこのような行為をされたら、きっと自分もルークと同じような反応をするかもしれない――と。
「世話になった。また困った時には頼むよい」
「! ッ…はい……はい!」
左腕で目元を拭う仕草をしたルークは何度も頷いた。
そして――
「私はマルコ様にお仕えできたことを誇りに思います」
誇らし気に、そして、満面の笑みを浮かべた。
「あァ、ありがとなルーク」
「はい! では、私めはこれにて失礼致します」
「またな」
「よい!」
「ッ……」
最後の最後でルークはマルコの口癖を言った。恐らくカサディスを出てから以降ずっと言ってみたかったのだろう。
ヒクリと頬を引き攣らせたマルコだったが、しかし、何も言えなかった。
何だか凄く嬉しそうで、スッキリしたといった面持ちを浮かべていたから――。
そして、ルークは深々と頭を下げると踵を返して去って行った。
最後に最高の別れの言葉を投下したルークの背中に向けて、サッチとエースは軽く手を振って後は引き受けたとばかりに別れを告げる。
「人の口癖を何だと思ってんだ……」
眉間に皺を寄せて少々不満気にポツリと零したマルコは、やっぱり無理だと噴き出したエースと膝をバシバシ叩いて笑うサッチの声を背中に受けながら、千切ったパンを口に放り込んでコップを呷って喉奥へと流し込んだ。
主 従
【〆栞】