04

痛む身体に蹲っていると頬にふわりと触れる感触。それに釣られるように見上げたマルコは、女の優しい笑みに少しだけ気持ちが和らいだ気がした。心配するように顔を覗き込む彼女に、マルコは「なんでもねェ……」と言ったが、彼女は小さくかぶりを振った。

「あまり無理をしないで」
「いや、悪ィ。ちょっと驚いてな……」
「驚く?」

少しだけ首を傾げる仕草を見せる彼女に、マルコは「あー…」と声を漏らした。

「あんたは、キナ…で合ってるかい?」

目を少しだけ丸くして不思議そうな表情を浮かべた彼女に、マルコは少しだけ笑って「キナって呼ばれているのが聞こえた」と言った。

「気が付いていらしたのですか?」
「薄っすらな」
「そう……。えェ、私がキナです。あなたは?」
「マルコだ」
「マルコ…さん……」
「包帯、替えてくれたんだな。ついでに服も」
「ふふ、海水で濡れていましたので」

麻布で織られた衣服に軽く触れながら窓辺に干されている服を見つめた。

「マルコさんはどうして浜辺に……?」
「いや、あー……」

どう説明したものかと右手で顎を擦りながらマルコは少し考えた。眉間に皺を寄せて難しい表情へと変わる様にキナがクスッと小さく笑ってマルコは片眉を上げた。

「どうした?」
「いえ、この辺りでは見ないお顔で素性の知れない者だからと村の人達は警戒していましたのに、こうして言葉を交わしてみると、警戒をしなければならない人にはとても思えなくて」

口元に軽く手を添えて柔らかく笑うキナに、マルコは少し心苦しい気持ちになった。

―― おれが海賊だって知ったら……、きっとそんな風に笑っちゃくれねェんだろうよい。

だからと言って隠そうとは思っていない。海賊であることは自分にとっては誇りだ。それを否定することは白ひげ海賊団をも否定することになる。

「おれは、」

マルコが素性を話そうとした時、キナは小さく首を振った。

「話したくないことは誰にでもあります。あなたがどのような方であっても助けたのは私です。誰が何と言おうと、最後までちゃんと私が看病しますから安心してください」
「――ッ……」

キナはそう言うとマルコの手に自分の手を重ねた。

「ね?」

首を傾げながら優しく笑うキナに少し目を丸くしたマルコは、直ぐにフッと気抜けしたように表情を和らげて微笑を零した。

「悪ィ……。キナ、世話になるよい」
「はい。あ、でも、」
「ん?」
「村長さんが色々とお聞きになるかもしれません」
「あー、まァ、その時はちゃんと話すよい」

ガシガシと頭を掻きながら答えたマルコに、キナは上掛けを元に戻しながら「無理はなさらないで」と気遣った。
その気持ちが妙に擽ったくて苦笑を浮かべたマルコはコクリと頷いた。そうしている内に、重く痛む身体を起こしていることが辛くなって「あー……」と思わず声を漏らしてドサリとベッドに身体を預けた。

「まだ少し身体が辛ェ……」
「えェ、横になってゆっくり眠ってくださいな」
「あァ、お言葉に甘えるよい」
「ふふ」

優しい笑みを零してキナが上掛けを肩まで掛けてくれた。
ゆっくりと瞼を閉じるとキナの手がマルコの肩にそっと触れて一定のリズムを刻みながら優しくトントンと叩く。その温もりが、優しさが、まるで母のようで――心に染み入って安堵する。
眠りに落ちるまでマルコは感謝する言葉を胸の内で送った。

数刻後――
再び目を覚ましたマルコの元に村長が顔を出した。話は傷が回復して元気になってからで良いからゆっくり休めと言ってくれた。村長の好意に素直に甘えることにしたマルコは礼を言った。
いつもなら無理をしてでも虚勢を張って大丈夫だと答えていただろうが、流石にどこか滅入ってしまっているのだろう。今のマルコにとっては、ちょっとしたその優しさが骨身に染みる程に有難くて、そして、癒しだった。

それから数日の時が過ぎ――
今の時分、キナは買い出しに、村長は見回りに出ていて、家には誰もいない。
ゆっくりと身体を起こしたマルコは、首を左右に動かしてコキコキと鳴らすと軽く腕を回して身体を動かした。
痛みはすっかり消えている。
首や腕に腹部と、未だに巻かれた包帯が少し窮屈に思いながらベッドから下りると、薄手の茶色味がかった麻布のティーシャツを着て、黒い腰帯を巻き付けた。そして、ベッドの側に置かれていたサンダルを足に引っ掛けて、気晴らしに外の空気を吸いに部屋を出て行った。

外に出ると燦々と降り注ぐ太陽の光が眩しくて、マルコは目元に影を作るように手で遮って景色を見回した。
ここは少し高台に位置する場所にあって、視線の先には青い海が広がっていた。村長宅から西方向は行き止まりで崖しかなく、反対に東方向を見やると砂浜に向かう広場に向かって段々と下る道に沿って家々が立ち並んでいる。

潮の香りを運ぶ柔らかい風を感じながら蹴伸びをして、眼下の先、東に向かって広がる砂浜に目を向けた。追いかけっこでもしているのだろうか。
キャッキャッと声を上げて楽しそうに走り回っている子供達に少しだけ笑みを浮かべた。
その時、背後から「おい」と声を掛けられた。

この声は……。
倒れていた(らしい)自分を助ける際に警戒していた男だ。と、直ぐにわかった。振り向けば割と年若く屈強な身体つきをした男が、マルコを品定めするかのように視線を上下に動かして睨み付けていた。

「何か用かい?」
「お前は何者だ?」

男の問いにマルコは片眉を上げると小さく頭を振って「先にお前さんに話をするのは順番が違うよい」と答えた。

「どういうことだ?」
「村長さんにまだ詳しく話をしてねェんだ」

男は眉間に深い皺を刻んだままグッと唇を噛んだ。その表情から男が何を考えているのか、マルコは何となく察した。

「お前は、」
「別にキナをどうこうしようなんて思っちゃいねェよい」
「――ッ〜〜!」

クツリと笑うマルコに対して男は驚いて言葉に詰まり顔を顰めた。頬が赤くなっている。

「おれは恩を仇で返すような不逞はしない主義だよい。彼女は恩人だ。襲うとか、ましてや”手籠めにしよう”だなんて思っちゃいねェから安心しろ」

若干悪戯心が働いたマルコは、今はな、と付け加えてわざと悪い笑みを浮かべた。その途端に男は眉を吊り上げて「貴様ァァァッ!」と声を荒げてマルコに食って掛かろうとした。

「マルコさん!」
「――!」

坂道を急ぎ足で上って帰って来たキナが嬉しそうな笑みを浮かべて声を掛けた。その声に男は声を押し止めて振り向いた。

「あァ、キナ、お帰りよい」

男の横を通り過ぎてマルコの元に駆け寄ったキナは、マルコの肩に触れて「大丈夫なのですか?」と心配げに声を掛けた。

そ、そんな、キナ……。
まるで空気の様にスルーされた男は愕然としてキナを見つめた。その一方で、気遣うキナに答えながらマルコは男に同情した。
片恋か。この様子だとキナは全く気付いちゃねェな――と。

「痛みは?」
「あァ、もう大丈夫だ。ずっと横になっていても眠れそうになかったんで、気晴らしに外に出て来たんだよい」
「そうですか……。あ、今夜はカボチャのスープと新鮮な白身魚のハーブグリルにしますね」
「へェ、そりゃあ良い。今から楽しみにしてるよい」
「ふふ、頑張って美味しく作りますね」
「……」

マルコとキナの会話に置いてけぼりを喰らう男は、ただただ敗北感に襲われて眉をハの字にして泣きそうな表情を浮かべた。だが決して泣くまいとグッと堪えて……、しかし、身体が微妙にフルフルと震えている。

「おれはまだここで気分転換してるよい」
「あまり無理はしないでくださいね?」
「ハハ、そう軟じゃねェから安心してくれよい」
「ふふ、わかりました」

ふわりと優しい笑みを浮かべながらキナは家の中へと入って行った。キナの気配がこの場から離れるとマルコは漸く男に視線を戻した。
男はマルコを睨み付けながら悔しそうに歯軋りをしていて、マルコはやれやれとばかりに微笑を浮かべた。

「キナが好きなら好きって言葉にして言ってみたらどうだい?」

核心を突かれた男は極端に顔を赤らめた。

「な、何で会ったばかりのお前にそんなこと言われなきゃならないんだ!?」

浮き立った声にクツクツとマルコは笑った。

「はっきり言わねェから、キナはお前さんの気持ちに気付いてもいねェみたいだよい」
「うっ……」
「おれに嫉妬するぐらいキナのことが好きなんだろい? このままで良いのか?」

マルコがそう問い掛けると男は視線を外した。唇を尖らせて組んだ両手の親指をクリクリと動かしながらウジウジとし始める。

「き、キナは、おれのことを兄貴のようにしか思ってねェのがわかるから……」
「だから、その関係を壊したくなくて言わねェのか」

呆れにも似た溜息を吐いたマルコに男はキッと睨んだ。

「お、お前に何がわかる! おれは」
「何も行動しねェままじゃあ、何も進まねェよい」
「――ッ!」

マルコはそう言うと真剣な目を男に向けた。

「何もしないまま、何も伝えないまま、時だけが過ぎちまって、気付いた時には既に手遅れになっちまってるなんてことはよくあることだ」
「な、何だよ……、まるで……」
「失くしてからじゃあ遅ェんだ。気持ちが叶わなくったって、伝えずに後悔するよりはぶつけて玉砕した方がまだマシだ。その術すら失うより断然な。おれはそう……思う」

言い終えると少し寂し気な笑みを零したマルコに、男は目を丸くして押し黙った。

―― お前は……失くした…のか……。

マルコの言葉には重みがあって説得力があった。男は黙ったままマルコを見つめていたが、マルコが顔を逸らして背後に広がる真っ青な海へと向けた。その横顔は穏やかではあったが、やはりどこか悲しみのようなものが混じっているように男の目には映った。

「……今度……」
「……」
「キナに思いをぶつけて見事に玉砕してやるよ」

男がマルコにそう宣言すると、マルコは片眉を上げて男に目を向けた。

「へェ、そうかい」

マルコがニコリと笑うと男は顔を真っ赤にして叫んだ。

「お、お前に言われたからじゃないからな!?」
「あァ、背中を押した甲斐があったよい」
「ぐぬ!? お、おれは帰る!!」

ギリッと歯を食い縛った男はプイッと背を向けた。そして、坂を下った先にある中央広場へと凄い勢いで走って行く。その男の背中に向けて頑張れよいと声を掛けて、マルコは楽し気に笑いながら見送った。

心の傷は深いまま

〆栞
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