02

もの心がつく頃には既にロンドンにいた。幼い頃から自分の本当の故郷である日本で生活することを夢見ていたイノリは、ホグワーツ魔法学校を首席で卒業すると魔法省からの就職斡旋を全て断って日本に移住した口だ。日本での生活を大いに満喫していたところでの強制終了に関して多少の不服を抱いたものの、新たに別の夢(不死鳥の騎士団の一員になる)を叶えることを許されたおかげか、第二の故郷とも呼べる地に気分揚々に戻ることとなった。

ロンドン・ヒースロー空港のロビー玄関口から外に出たイノリは「んー……久しぶりだわ、ロンドン」と深呼吸をしながら軽く蹴伸びをした。およそ十二時間半の長旅だ。流石に少し疲労を感じている。だが久しぶりのロンドンなのだからちょっとだけ懐かしい思い出に浸りたい。

「まだ時間もあるし観光しよう」

非魔法族マグルの観光ツアーを見つけてこっそり参加することにした。魔法が使えなくても彼らの世界は魔法界には無いユニークさがあって面白い。反純血主義者というべきか非魔法族マグル社会愛好主義者というべきか、とにかく非魔法族マグルの観光客に混じってロンドンツアーを楽しむことだって違和感なくできる。

「懐かしいなァ……」

ロンドンの景色を見つめながらホグワーツ魔法学校を卒業後にロンドンを発った日を思い出して物思いに耽て、大好きだった非魔法族マグル生活に別れを告げたイノリは、魔女として再び魔法界に姿を現すことになった。





日が落ちて暗くなる頃、マグノリア・クレセント通りに出たイノリは石段に腰を掛けた。

「暑い……けど、湿度が低い分だけ日本よりはマシか」

暢気に独り言ちながら杖を取り出して前に突き出しながらひょいっと軽く動かした。それから暫くして、耳をつんざくようなバーンという大きな音がして、目の前に明るい光と巨大な一対のタイヤが現れた。キキーッというブレーキ音を発してイノリの前に停まったそれは、三階建ての派手な紫色のバスだ。フロントガラスには金色の文字で『夜の騎士ナイトバス』と書かれている。
紫の制服を着た車掌らしき男が飛び降りて大声で呼びかけた。

「あー、ナイト・バスがお迎えに来ました。えー、迷子の魔法使い、魔女達の緊急お助けバスです。ご乗車ください。どこなりとお望みの場所までお連れします。私はスタン・シャンパイク――」

男は周囲に視線を配る中でイノリを見つけると名乗った所で押し黙った。彼は目を丸くすると軽く目を擦って再びイノリを凝視した。そして、嘘だろ!? と驚くような表情を浮かべた。

「イノリ・ヤガミ!? あんた、いってェなにしにロンドンに来やがった!」
「やあスタン君、お久しぶり。驚くのは別に良いけど車掌の仕事を忘れちゃダメでしょ。お客様に対して失礼だよ」

スタンの額に人差し指で軽く突っついてニコリと笑みを浮かべたイノリは当然のようにバスに乗り込んだ。
バスの中には座席が無い。その代わりにカーテンの掛かった窓際に寝台が六個ほど並んでいて、各寝台の脇の腕木に蝋燭が灯され、それぞれの板張りの壁をぼうっと照らしている。運転手以外に姿は無く、客として乗り込んだのはイノリだけのようだ。
スタンはイノリに突かれた額を軽く摩りながらイノリの後姿を頭の先から爪先までマジマジと見つめると不思議そうな表情を浮かべた。

「荷物はそんだけか?」
「えェ、そうよ」
「あんた、日本にいるって話を聞いてたが……、帰って来るにしてもトランク一つ無ェってのはおかしくねェか?」
「私は日本人よ? 『帰って来る』って言葉は……、まァ良いか。こっちで育ったんだから間違いでも無いし。えェ、私の荷物はこれだけよ」

イノリの荷物は布製のシンプルな白地のショルダーバックが一つだけ。衣服やその他諸々入り様となるだろう荷物なんて到底入りそうにない至って普通サイズだ。スタンが眉間に皺を寄せて首を傾げるとイノリは微笑しながら寝台に視線を配った。

「とりあえず、どれを利用したら良いのかな?」
「あー、ここ、ここを使え」
「どうも」

スタンに銀貨を手渡したイノリは運転席の直ぐ後ろにある寝台に腰掛けた。スタンは銀貨を手に近くにある肘掛椅子に座りながら「運転手はアーニー・プラングだ」と言った。

「だと思う。変わり映えしないもの。お久しぶりですアーニーさん。宜しくね」

分厚い眼鏡を手に取ってレンズに息を吹き掛けながら衣服で軽く拭いていたアーニーは、眼鏡をかけ直してから振り向いて軽くペコリと頭を下げた。

「行き先は『漏れ鍋』で良いんだな?」
「えェ、お願い」
「じゃあバス出しな」

スタンが声を掛けるとバーンという大きな音と共にバスは発車した。反動が大きく寝台はガタガタと揺れるがイノリは気にすること無く身体を休めようと寝転がる。運転席の方に目をやると外の景色が瞬く間に変わって行くのが見える。時折歩道に乗り上げたりするが、その度に街灯、郵便ポスト、ゴミ箱等が飛び退いて道を空け、通り過ぎて行くとそれらは自ら元の位置に戻る。相変わらず異様な光景ではあるが、魔法使いの彼らにとっては普通だ。それはイノリも同じで見慣れたものだ。

「それにしても相変わらずアーニーさんのハンドル捌きは出鱈目に見えるよね」
「こんでもマシな方だぜ」

バサリと新聞を広げて眺めるスタンが小さな記事に目を通しながらイノリに答えた。アーニーは気にするでも無くハンドルを握って運転を続ける。グラグラ揺れるのは変わらずだ。

「なにか面白い記事でもある?」
「面白いもなにも、どの新聞も連日同じような記事ばかりだぜ。例のあのしとが復活してから」
「あァ、ヴォル」
「――てなァイノリ・ヤガミ!」

イノリの言葉を掻き消すように大きな声を上げたスタンは、とんでもないものを見るような目で顔を向けた。

「あんたは本当に怖いもの知らずって奴だな。天才はやっぱり違ェってのか? 今どき例のあのしとの名をはーっきり口にするなんてェバカをする奴は、"ポッター"とあんたぐれェだ」

眉間に皺を寄せたスタンは軽くかぶりを振った。それにイノリは微笑した。

「ポッター……、ハリー・ポッターね。じゃあ彼と私はウマが合うかもね。だけど、ほんと恐れる意味がわからないわ。それこそヴォルデ」
例のあのしと!
「――モートの思う壺じゃない」
「おれァ、あんたがオッソロシイ……」
「あら、とーっても優しい先輩であるイノリ様になんことを!」
「どーの口がそんなこと抜かしてやがんだ。もうこんの話はしまいだ。あんた絶対に例のあのしとを例のあのしとって呼びやがらねェし、着いたら起こしてやっから黙って寝やがれ」
「それはお願いしてる?」
「アーン、おめェもそう願ってる。なァアーン?」

変わらず出鱈目なハンドル捌きをしているアーニーだが、「違うことを話してくれ。頼むからよ」と暗く低い声を漏らしてブルブルと身体を震わせた。

「前にも似たようなことを言ったと思うが、おれは"また"腹下しを起こしそうだよ」
「ねェ、だったらもう少し"優しい運転"を心掛けてくれるかな」

交換条件のように言い残したイノリは身体を仰向けにして目を瞑った。スタンは新聞を捲りながらイノリを一瞥するとバサリと新聞を畳み戸棚にほっぽり投げた。
見た目はちょっと大人っぺェ雰囲気になったってェのに中身は相変わらずとんでもねェまんまだぜ。
後輩として先輩だったイノリの背中を見ていた学生時代を思い出しながら溜息を吐いたスタンは、コンコンと軽く窓を叩いてアーニーに言った。

「アーン、"乱暴な運転"で構やしねェ。急ぎな。おれ達の身が持たねェ」

スタンの言葉にコクリと頷いたアーニーがアクセルを踏む足に力を入れた。バスはチャリング・クロス通りを猛スピードで走り抜けて行く。先々にあるビルやベンチが身を捩る中を抜けて大通りに出ると、正面から並走して向かって来る二台のバスがあった。今度はこちら側が細く縮む。二台のバスの隙間をスルリと通り抜けて先を急いだ。





大きなブレーキ音を発しながらバスは急停車した。立ち上がったスタンが眠っているイノリを起こそうとした。しかし、肩に触れる寸前でイノリの目がパチッと開いたことでビクリと身体を硬直させたスタンは手を引っ込めた。

「あんた、寝てなかったってェのか?」
「ちゃんと寝てたわよ」
「とんだタイミングじゃねーか。起こす寸前で目ェ覚まされっと心臓に悪ィだろ」

スタンがイノリの枕元に置かれているショルダーバッグを手に取って差し出した。

「ほれ、荷物」
「狙って起きたわけじゃないからね」
「嘘吐け」
「ほんと」

起き上がって寝台から降りたイノリはショルダーバッグを受け取ると運転席にいるアーニーに向けて声を掛けた。

「アーニーさん、ありがとう」

軽く手を振るだけのアーニーに、イノリは「ふふ」と笑って降車口へ向かった。

「じゃあね」
「気ィつけてな」
「おやおや、心配してくれるなんてスタン君も成長したねェ」
「建前ってェ言葉を知ってるか?」
「わかった。ヴォルデモートにあなたの名前を教え――」
「あんた! 気は確かか!?」

スタンは慌てて怒鳴った。ニキビまで真っ青だ。イノリは意地悪く笑みを浮かべた。

「嘘に決まってるでしょ。私にとっても『仇 』みたいなもんだよ。目の前にいたら暢気に会話なんかする前に速攻でぶっ込むから」
「あんたの言葉は冗談が冗談に聞こえねェから性質が悪ィんだ。じゃあな。当分は会いたくねェから呼びつけんじゃねェぞ」
「『ヘタレ・バス』に改名したら?」
さっさとやられちまえ

無表情で吐き捨てたスタンは、さっさとバスの奥へと引っ込んだ。

「おおう……、流石にそれは酷く無い?」

呆気に取られながらも不服な表情を浮かべてイノリは独り言ちた。それと同時に「バーン!」と大きな音を立ててバスは凄い勢いで去って行った。

「可愛い後輩を虐めすぎたか」

ポリポリと頬を掻いたイノリは、振り返ってその先にある小さくみすぼらしいパブ『漏れ鍋』を見つめた。

「相変わらずボロいなァ。そろそろ改装とかしたら良いのに……いや、しないか。ここは普通のパブじゃないしね」

不死鳥の騎士団はまだ正式に発足していない為、本部の場所も定まっていない。予定よりも早くロンドンに着いたイノリは、パブの二階の一室を借りて当分の間そこで過ごすことに決めて、パブの扉に手を掛けて店内へと入るとカウンターにいた亭主であるトムの元へと向かう。

「部屋、空いてますか?」
「十一号室が空いているよ。快適に過ごせると……って、あんたは!?」
「じゃあ、その部屋をお願い」
「あ、あァ、あいよ!」

イノリの顔を見るなりトムはとても驚いていたが、イノリは然して気にすることも無く淡々と部屋の予約を行った。亭主のトムから十一号室の鍵を受け取ると直ぐに二階に上がって部屋に入る。そして、備え付けのソファに鞄を放ってベッドにダイブした。

「あー、やっぱり『停止したベッド』が良いわ!」

枕に顔を埋めて身を預けると、長旅の疲れからか直ぐに深い眠りへと誘われて、イノリは静かに眠りに就いた。

ナイト・バス
*注釈*

「例のあのしと」は原作通りです。

〆栞
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