10

「たまにゃあ自分でやる」

ラクヨウはそう言った。

「大丈夫ですか?」
「ガッハッハッ! これぐらいできらァ!」

しかし、アルドの予想した通りにラクヨウは差し戻しの連発を食らっていた。途中でやる気がぽっきり折れたのか、アルドが部屋を訪れた時にはベッドの上に寝そべっていびきを掻いて眠っていた。

「……」

アルドは、案の定だとばかりに小さな溜息を吐いた。鼻提灯を作って眠るラクヨウを尻目に差し戻し分を見てみれば酷い有様だ。無言で全て修正して新たに追加された分も纏めて仕上げた。

「ぐがー、ぐごー」

アルドの気配に気付きもせず実に気持ち良さそうだ。――簡単に暗殺されてしまいそうだ――なんて思いながら書類を片手にラクヨウの部屋を後にした。
マルコの部屋を訪れてノックしようとした。だがピタリとその手を止めた。部屋の中にマルコ以外の気配を察知したからだ。

―― ……後で良いか。

アルドはノックしようと伸ばした手を引っ込めると踵を返して自室に戻って行った。
その一方、部屋の中にいたマルコもまたその気配を察していた。何も無く立ち去って行くアルドに眉を少しだけ顰めた。

―― 流石と言うかなんと言うか……。

マルコは視線を書類から離して目の前に移した。

「やっとこっちを見てくれたわね」

ナースのミケーラがニコリと笑った。彼女の隣には新人のナースがいる。リータという名前だ。
まだ慣れない広い船内を案内しているらしいのだが、それは恐らく『ミケーラの口実』だろうとマルコは静かに溜息を吐いた。

「あ、あの、頼まれていた医薬品のリストです。よ、よろしくお願いします」

白ひげ海賊団の1番隊隊長でありながら船医ナキムに次ぐ副船医も務めるマルコを前にして、リータは酷く緊張していた。
新人のリータにとってマルコは直属の上司でもあるのだが、雲の上の存在のようなものであまり接点が無い。先輩であるミケーラからは「身内には優しい人よ」と聞いてはいるが、実際に間近で相対してみるとやはり他の隊長達とは違った得も言われぬ威厳を感じていた。

「あァ、ありがとよい」

マルコは書類を受け取るとスッと席を立った。それにビクリと反応してしまったリータは思わず顔を俯かせた。その時、頭にポンポンッと軽く弾む様に触れられたのを感じた。
リータはパチクリと瞬きを繰り返すと顔をおずおずと上げた。

――!

片眉を上げて柔和な表情を浮かべるマルコにリータは目を丸くした。

「そう緊張すんな」
「あ、す、すみません」

リータは少し顔を赤らめながら慌ててペコリと頭を下げた。それにクツクツと笑ったマルコはチラリとミケーラを見た。

「微笑ましい光景ね」

ミケーラは微笑を浮かべてはいるが、リータに向けるその目の奥には鋭く光る厳しいものがあった。嫉妬心といったところか。

―― はァ……。

マルコは視線を横に外してガシガシと頭を掻きながら小さくかぶりを振った。

「じゃあ今日はこれで終わりだから先に戻っててくれるかしら?」
「え? あ、は、はい! わ、わかりました!」

リータは只ならぬ雰囲気をなんとなく感じ取ったようで「し、失礼します」と、マルコとミケーラに向けて深々と頭を下げると小走りで逃げるように部屋から出て行った。
静かにパタンとドアが閉まる――と、ミケーラは色気を醸し出してマルコに顔を向けた。

「ねェ、少し休まない?」
「お前ェ、新人を使ってまで部屋に来るんじゃねェよい」
「あら心外だわ? エミリアさんに頼まれて指導してあげてるのよ」
「自分からその役を買ったんじゃねェのか?」

マルコは険しい表情を浮かべてそう言った。しかし、ミケーラは臆することも無くマルコの腕を取るとソファへと引っ張ってそこに座らせた。隣に腰を下ろすミケーラに対してマルコはこれ見よがしに溜息を吐いた。
その意図を察しながらもミケーラは意にも介さない。自分の腕をマルコの腕に絡めて甘えるように身を預けると色々と話し始めた。そんなミケーラからマルコは顔を背けると意識を全く別の方に向けた。

―― 少しの時間で良い。ちゃんと向き合って話をしねェと……。けど、全く相手にしてくれねェ気がしてなんねェし、どうしたもんか……。

脳裏に浮かぶのは黒い衣服を纏いフードを目深に被ったアルドの姿。

「次の島に着いたら二人で楽しみましょうよ。偶には良いでしょう?」

全く話を聞いていないとしてもミケーラは話し続けた。マルコが無言のままでも全く気にしていない。ミケーラにとって、こうして二人きりでいられることが何よりも幸せに感じるからだ。





自室に戻ったアルドは、机に書類を置いて食堂に行こうと部屋を出た。そして、廊下の角を曲がった時だ。

「きゃっ!」

驚いて悲鳴を零したナースがその場に尻餅をついた。

―― ……気付かなかった。

アルドは表情こそ変わらないが少し驚いて立ち尽くした。強く打ったお尻を摩りながら立ち上がるナースをじっと見つめている。

「私の不注意でした。ごめんなさい」
「……」

通常なら気配で察知して避けることができていたはずだ。しかし、何故か彼女の気配は感知できなかった。
黙ったままのアルドに対してナースはニコニコしながら少しだけ首を傾げた。

「あの、何か?」
「いや……」
「あ、そうだ。この間の襲撃の時の御礼がまだでしたね」
「礼を言われるようなことは何もしていませんが……?」
「いいえ。私ってドジだから敵に捕まっちゃったりして――」

彼女の科白にアルドは「あァ、」と納得したように小さく頷いた。
前回の襲撃時で敵に捕らわれて短剣を首筋に突き付けられていたナースだ。

「私の名前はリータと言います」

まだ顔と名前を憶えてもらえていない新人だからと、リータは笑顔で名乗ると丁寧に頭を下げた。それに釣られるようにアルドも頭を下げた。

「確か、アルド……さん、でしたよね?」
「あァ、そう――」

と、アルドはそこまで口にしてピタリと止めた。何故か普通に言葉を交わしている自分にハッとした。
どうしたのだろうとキョトンとするリータに妙な感覚を覚えたアルドは小さくかぶりを振った。
いつもなら軽く躱して早々に立ち去るはずなのだが、何故かリズムが狂わされて躱せない。

「えっと、何番隊に所属されて――」
「7番隊です」
「7番隊……? 確か、えーっと……あ!」
「?」
「お酒大好き7番隊!」
「……」
「隊長さんは、ドレッドヘアーが特徴的な強面の……ラクヨウさん!」

リータは表情をパッと明るくしてそう言った。

――お酒大好き…か。間違いでは無いが……。

アルドはなんとなく腑に落ちない気持ちであったがコクリと頷いた。恐らくナースの誰かが各隊長の顔と名前を覚える方法として教えたのだろう。

「まだまだ知らないことばかりでご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、一日でも早く皆様のお役に立てるように頑張りますので、よろしくお願いします」

リータはそう言うと再び深く頭を下げた。

「あ、あァ……」

こんな風に正面切って言葉を交わすことは7番隊の者以外とは初めてだ。また、このように畏まって挨拶されることに不慣れなアルドは大いに戸惑った。

―― 殺気も何も無い。無害だから気配を感じなかっただけなのかもしれない。

初めて顔を会わせる相手に対して疑うことも警戒すらもしていない。素直で真っ直ぐで陽気な彼女は、きっと誰とでも直ぐに打ち解ける人間なのだろう。まるで自分とは真逆のタイプだ――と、アルドは思った。
アルドがじっと見つめているとリータはアルドに向けて手を差し出した。

「?」

軽く首を傾げながら条件反射的にアルドはその手を握った。すると、リータは嬉しそうな笑みを浮かべてギュッと握り返して軽く上下に振った。

「ふふ、良かったー」
「良かった?」
「実はアルドさんのことが少し怖かったんです」
「おれが……?」
「でも、エミリアさんが言ってた通りの人で安心しました」

リータが笑顔でそう言うとアルドはピクンと反応した。――と言うか、エミリアが彼女に何を吹き込んだのかを珍しく気になったといったところだ。その反応を見逃さなかったリータは続けた。

「とてもミステリアスな雰囲気を持っていて酷く不愛想。でも、話してみると意外に素直で誠実だって。ただ不器用なだけで慣れて来ると”可愛いい”と思えて来る不思議な人だって仰っていました」
「なっ……!?」
「握手してくれてありがとう。これからもよろしくね! アルドさん!」
「あ、はい……」

呆気に取られて立ち尽くすアルドを他所に「では、失礼しますね」と言ってリータは去って行った。
握手を交わした手は宙に浮いたまま静かにリータを見送る。そして、何事も無かったかのように無言で踵を返して食堂へと足を向けた――が、突き当りを曲がったらイゾウに出くわした。

「珍しいもんを見せてもらったよ」
「……」

意味ありげな笑みを浮かべるイゾウに対してアルドは表情一つ変えずに無言のままイゾウを見つめて考えた。
例えばイゾウのことはどういった風に覚えるのだろうか――と。
ワノ国出身の女形の美丈夫。ワノ国の者らしく髪を結って着物を身に付けているのはイゾウしかいないのだから特徴をどうこう言わずとも直ぐに覚えられるな。――と、暢気に思っていると「新人ナースに惚れちまったのかい?」とイゾウがそう言った。

「?」

アルドは、「惚れた」という言葉に引っ掛かりを覚えたが、それが何を意味しているのかわからなかった。何を言うでも無くじっとしているアルドに対してイゾウは片眉を上げた。

―― ……何を考えてる?

長年において同じ船に乗っていたとしてもアルドのことを全く知らない。ここに来てマルコが疑念を抱いて警戒を露わにするのも確かに頷ける――と、イゾウは思った。

「言いたいことがあるなら話したらどうだい?」

イゾウが少し表情を厳しく変えてそう問い掛けると少し間を置いてからアルドが口を開いた。

「ホレタ……」
「なに?」
「それがどういう意味なのか……。おれにはわからない」
「は……、なにを言うかと思えば……」

予想だにしていなかった返事にイゾウは目を丸くした。

「ナースとの恋仲はご法度だってェことは知っているか?」
「はァ、それは聞いたことがあります」
「なら、」
「それと『ホレタ』とはどういう関係が?」
「――ッ!?」

腕を組んで考え込む仕草を見せるアルドにイゾウは戸惑った。

「ひょっとして『恋愛』なんてェもんはからっきしかい? その年で?」
「レンアイ?」
「!」

軽く首を傾げるアルドにイゾウは思わず愕然とした。

―― まさか、言葉そのものの意味すら理解してねェってことか?

戦い以外のことでこれ程までに無知な人間をイゾウは知らない。

「アルド、お前は――」

愈々訝し気な表情を浮かべたイゾウが更に問い詰めようとした。だがその時、「あ! ここに居たのね!」と、二人の会話を遮るように割って入る女の声にイゾウは押し黙った。

「イゾウ隊長ごめんなさないね。アルドをお借りできるかしら?」
「あ、あァ。いや、構わねェよ」

話の腰を折られたイゾウは小さく溜息を吐くと二人に背を向けてさっさとその場から立ち去った。食堂へ向かうのだろう。
イゾウの背中を見送ったアルドはエミリアへと視線を向けた。

「何か用事でも?」
「はァ……。なんでも無いわ」
「なんでも無い……?」

偶々通り掛かった折にイゾウがアルドに問い掛ける声を耳にしたエミリアは「これ以上はまずい」と思っての咄嗟の行動だった。
不思議そうにするアルドにエミリアは小さくかぶりを振った。

「ごめんなさい」
「え?」
「あなた、恋とか好きとか、全く知らないみたいだから会話を中断させたのよ」
「……?」

エミリアの気遣いをアルドは今一つ理解していない。

「コイ……と、スキ……。それがどういったものかは――」
「恋っていうのはね、特定の人に強く惹かれる想いを意味するのよ。好きっていうのは、男と女……、まァ、同性の人もいるけど、大抵は男と女がお互いを強く想い合って惹かれ合うことを意味するのよ」
「男と女……。なら、おれがオヤジ様を慕うことを指しているということですか?」
「んー、イゾウ隊長との話の意味合いだと全く違うわ。別物よ」
「……」

アルドはまた首を傾げた――が、直ぐに小さく首を振った。

「すみません。おれにはよく……わからない」
「そ、そう。ここじゃあなんだから、詳しく知りたくなったらいつでもいらっしゃい」
「ですが、船医室だと他のナースの方々の迷惑になるかと」
「あァ、そうね。別に無理に私でなくても良いのよ? アルドにとって話し易い人に聞いてみるのも良いんじゃないかしら?」
「どう質問をすれば良いのかわかりませんが……」
「恋って何? 好きって何? って、素直に思ったことを聞けば良いのよ」
「はァ……、わかりました」

アルドはコクリと頷くとエミリアに対して軽く頭を下げて食堂へと足を運んだ。
エミリアは笑みを浮かべて軽く手を振ったが――なんだかややこしいことになりそうだわ――と、頬を引き攣らせた。そして、なんとなく罪悪感を感じたエミリアは、この件のことは船長にだけ伝えておこうと船長室へと向かうのだった。

無知色恋 その1

〆栞
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