11

厨房にいたサッチは、早めの昼食を取りに来たアルドの姿を見つけた。

「直ぐに持って行くからいつもんとこで待ってろ〜」

そう声を掛けるとアルドが頭を軽く下げて応えた。そうしていつもの定位置の席に着いた。

「やっぱりお前さんも食堂に来るつもりだったんだな」

先刻、通路で会ったイゾウがアルドに声を掛けた。食事を終えたのか空になった食器が乗るトレーを片手に持っていた。

「そんなに人と交わることが苦手かい?」
「……」

微笑を浮かべているが探るような目を向けて来るイゾウに対してアルドは何も言わずに一瞥しただけ……。話し掛けても反応が薄い様に軽く肩を竦めたイゾウはトレーを返却しに離れて行った。

―― どうやらおれも警戒されちまったか。なかなか壁が分厚い。マルコがぼやくのも理解できる。

イゾウはトレーを返却すると再びアルドの元へと歩み寄った。着物の袖口から煙管を取り出して銜えつつアルドの顔を覗き込むようにして再び話し掛ける。

「アルドと会話ができるようになるには根気がいるという話を耳にしたが、どうやら本当みたいだな」
「……」

嫌味っぽく言ってみるが反応は無い。ならば――と、イゾウは少し考えてこう言った。「ラクヨウはちゃんと良くしてくれているかい?」と。
アルドはイゾウへと視線を向けた。そして――「はい」と、小さく頷くとイゾウが片眉を上げた。

―― ラクヨウの名を出せば反応を示す……か。

イゾウは「そうかい」とだけ答え、そこから少し離れた席へと移動した。アルドの視線は再び厨房へと向けられるのみでイゾウの姿を追うことは無かった。去り際に視線の動きを見ていたイゾウは軽く溜息を吐いた。そして、煙管に煙草を詰めて火を点けるとプカプカと吹かして紫煙を吐いた。

―― 無表情で無感情とはよく言ったものだ。まるで機械仕掛けの人形と喋っているような気分だ。

聞いていた通りにお固い性分の人間であることがよくわかった。先刻に抱いた疑問も含めて解消できそうにない状態で、胸の内がモヤモヤした感覚だけが残ってしまって気分はあまり良く無い。煙管を銜えたまま眉間に皺を寄せると軽く舌打ちをした。
それからその後――
サッチが昼食を乗せたトレーを持って厨房から出て来た。アルドの元へ真っ直ぐ向かうとテーブルにトレーを置いて正面の席へと腰を下ろした。

「いただきます」
「おう、召し上がれ」

イゾウからはサッチの表情は見えない。だが食事をしながら口を開いて話すアルドの様子にイゾウは少し首を傾げた。

―― 根気の結果があれか。しかし、こうして見ると餌付けして手懐けたとも取れるな。

イゾウがそんな風に思っているとは露知らずにサッチは頬杖を突きながらアルドと話をしていた。ただ、次のアルドの問いに対して思わずヒクリと頬を引き攣らせて軽く固まった。

「今……、なんて?」
「ですから、『コイ』とは何か。『スキ』とは何か。これらがどういうことなのかを教えてください」
「ッ……!?」

―― うおおおい!! なんじゃそりゃ!?

突然どうしてそんな質問をするのか、サッチは非常に焦った。

「そ、それ、誰かに聞いたわけ?」
「エミリア婦長に……」

―― な、なにを教えてんだ……って言うか、待って。寧ろどういうこと?

サッチは眉間に皺を寄せながらマジマジとアルドを見つめた。食事を続けながらじっと見つめ返して来るアルドの表情は至って無だ。

「男と女が強く惹かれる想いを意味する。エミリアさんはそう言っていました。ですが、家族や兄弟に対するそれとは意味が違うと……」
「そ、それってェのはあれか、つまり色恋沙汰に関する話?」
「イロ……コイザタ……?」
「!」

また新しい言葉が――と、ぽそりと呟いたアルドが首を軽く捻る。
サッチは口をパクパクと開閉させると力が抜け落ちるように背凭れに身を預けた。

―― おーいおい、マジか?! え? ひょっとしてアルドって、まさかのまさかだったりする……?

「あーのさ、あるでしょ? ほら、あの女の子が可愛いな〜とか、女だったら逆にあの男の人が格好良くて素敵だわ〜とか、付き合ってみたいなァとか、色々こう……な?」

サッチは狼狽えながらそう言った。

「はァ……、それは外見の話ですか?」
「ッ……!!」

無表情でそう答えたアルドに対してサッチは心なしか劇画タッチ調の表情で驚いた。

―― ちょ……、おいおいおい! こいつはマジだ!

思わず目元を手で覆って「う”ーん」と低く呻いたサッチは頭を振った。

「わ、悪ィ。正しい回答をするのに少し時間をくれ」
「はァ、わかりました。一応、ラクヨウ隊長にも聞いてみようかと――」
「あ、それは絶対に間違ったことを教えられると思うから止めておいた方が良いと思う。マジで」
「そう…ですか……。わかりました」

アルドは最後の一口を食べて水を飲み終えると「ご馳走様でした」と告げて席を立った。

「あ、片づけは良い。おれっちがやっとくから」

サッチが手で制してそう言うとアルドは軽く頭を下げて食堂を後にした。その後、席を立つ様子を見せずに悩む様子を見せるサッチの元にイゾウが歩み寄った。

「アルドとよく話ができるもんだと感心していたが……、どうしたんだ?」
「あのよう……」
「?」
「『恋』とは何だ? 『好き』とは何だ? ってェ、イゾウならどう説明する?」
「は……?」
「男女の『色恋沙汰とは何か』ということを正しく答えられるかって聞いてんの」
「何故そんなこと……。サッチの得意分野じゃないのか?」

事の発端は恐らく自分かもしれない――と、思いながらイゾウは何食わぬ顔をしてサッチにそう言った。
こうなった経緯を全く知らないサッチは両腕を組むと難しい顔を浮かべる。

「全く知らない人間にどう説明するってんだよ」
「!」

―― 全く知らない人間……か。成程、言い得て妙だ。

「アルドがちょっとわかんねェわ」

サッチは溜息を吐くとトレーを手にして立ち上がり厨房へと戻って行った。黙ってサッチを見送ったイゾウは少しだけ呆れにも似た溜息を吐いた。

―― アルドがお前に聞いたってことは、聞ける相手だと認識しているからだろうが。しかし、色恋を全く知らない人間ねェ……。

イゾウは目を瞑って考え込んだ。
煙管を軽く噛むとカリッと音が鳴った。





自室に戻ったアルドは書類を手にして再びマルコの部屋を訪ねた。だが、またしても足をピタリと止めた。

―― まだいるのか……。

アルドは溜息混じりに小さく首を振ると踵を返して自室に戻ろうとした。その時、背後からガチャッとドアが開く音が聞こえた。

「アルド」
「!」

顔を出したマルコに声を掛けられたアルドは足を止めた。振り向くとマルコが「入って来い」と言った。しかし、部屋の中から「ちょっと、マルコ!」と、女の声が聞こえたことでアルドは軽くかぶりを振った。

「いえ、お取り込み中に申し訳ございません。書類を出しに来ただけですので、ここで受け取って頂けますか? おれは部屋に戻りますから……」
「おい、聞こえなかったのか? おれは部屋に入れって言ったんだよい」
「ですが、」
「ごめんなさいね? 今、お取り込み中なの」

マルコの後ろから割り込むようにして二人の間に入ったナースがアルドの言葉を遮ってそう言った。

「――はい、わかりました」

ナースの申し出に対してアルドが素直に頷くとナースが機嫌良く笑みを浮かべた。その一方でマルコが苦り切った表情を浮かべた。

「ミケーラ!」
「では、失礼します」
「ッ……!」

マルコの代わりにミケーラが書類を受け取るとアルドは頭を下げて足早に行ってしまった。
ミケーラは何事も無かったかのようにニコッと笑みを浮かべてアルドに手を振ると足早にマルコの部屋へと戻った。そして、書類を机の上に置いてソファに腰掛けると表情を一変して不満の様相を浮かべる。

「以前は”女として”扱ってくれたのに、この頃は全くその気が無いのか本当に冷たいわよね」

マルコは大きく溜息を吐いてドアを閉めるとうんざりした表情を浮かべた。

「仕事が忙しいんだ」
「そう言いながら、前回は抱いてくれたじゃない」
「何度も抱いてくれって、お前ェがしつこいから一度だけだっつったろ」
「でも、良かったでしょ?」
「はァ……。お前ェは娼婦にでもなった方が性に合ってると思うよい」
「まさか。マルコにだけよ。私はマルコが好きなの。何度も愛してるって言ったでしょう? 大体、ヤッてる時は満更でも無いって感じだったじゃない」
「ッ……」

ミケーラが笑みを浮かべてそう言うとマルコは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて舌打ちをした。後悔先に立たずとはよく言ったもんだと思いながらミケーラから視線を外して仕事机に移動して椅子に腰を下ろした。
書類仕事の時にしか掛けない眼鏡を掛けてアルドが提出した書類を手に取って確認し始める。すると、ミケーラは再び表情を曇らせて拗ねるように頬を膨らませた。

「もう、マルコってば!」
「この際だからはっきり言わせてもらう」
「な、なによ……?」
「おれは好意を持ってお前を抱いたわけじゃねェ。前のことは忘れろ」
「な、なにそれ!? どうして!」
「お前を抱くのは町の娼婦を買って抱くのと大して変わらねェってことだ。勘違いするな」
「ッ!」

マルコが書類から視線を外すこと無く冷たくそう言い放つとミケーラは憎悪にも似た表情を浮かべた。だが、深呼吸をして心を落ち着かせると一転してニコリと笑みを浮かべて立ち上がった。

「書類仕事もだけど、先日の戦いとか色々あったんだから溜まってるでしょ?」
「……」
「心が無くても、身体だけでも良いから、私を求めてよ。私はいつでもマルコにならって思ってるんだから」

ミケーラは両腕を仕事机に預けてマルコの顔を覗き込みながら甘えた声でそう言った。身体だけでも関係を保ってさえいれば、その内に心もこっちに振り向かせてみせる――と、ミケーラはそう強く自信を持っていた。

「ね?」

ミケーラは色気を振り撒いて誘惑する。
しかし、マルコは見向きもしなかった。

「欲求不満を抱えてるのはお前の方だろうが。なんならサッチ辺りにでも頼んだらどうだ? あいつならお前が満足行くまで喜んで抱いてくれるだろうよい」

マルコは一瞥もせずに書類のサイン欄に羽ペンを動かしてさらさらとサインをし始めた。ミケーラは愈々不満を持って仕事机をバンッと叩いて声を荒げた。

「マルコじゃなきゃ嫌って言ってるの!」
「ナースと隊員の間に色恋沙汰はご法度だ」
「あなたと私の間に色恋なんて無いじゃない。マルコは私をッ……、好いて…ないんだから……」

ミケーラの声が尻すぼみに小さくなっていった。

「身体だけの関係じゃあ満足しねェんだろう? だから、おれはお前を抱く気は金輪際ねェって言ってんだ」
「ッ…るの……?」
「なに……?」
「誰か……、好きな人が…いるの?」
「……!」

グッと握り拳を作って顔を俯かせたミケーラが小さな声で苦し気にそう尋ねた。すると、マルコが書類から目を離して顔を上げた。
自分のどこをどう見てミケーラがそう思ったのか理解し兼ねる――と、マルコは眼鏡を外すと眉間に手を当てて溜息を吐いた。

―― すまねェ、ミケーラ。

ミケーラと身体の関係を持ったことには多少なりとも罪悪感があった。しかし、だからと言ってこのまま恋人へと発展させる気なんて毛頭無いのだ。

「おれはお前と色恋するような目で見たことはねェ」
「!」
「所詮は性の捌け口だ。こんな碌でもねェ男に惚れてんじゃねェよい」

マルコが悪い笑みを浮かべて鋭い目を向けるとミケーラはショックだったのか、顔を青褪めさせて眉尻を下げると泣きそうな表情を浮かべた。そして、ワナワナと僅かに震える身体を動かして後退った。

「……失礼…します」

ミケーラは消え入りそうな声でそう言うと頭を下げて勢い良く部屋を出て行った。
涙を浮かべていたことに気付いていたが、マルコは何事も無かったかのように眼鏡を掛け直して仕事の続きを始めた。――が、直ぐに羽ペンを置いて背凭れに身体を預けると大きく溜息を吐いた。

「だから言っただろうが……。おれと関係を持ったところでお前には後悔しか残らねェってよい」

あの時のミケーラは「それでも良いの!」と決して引かずに押し切った。そうしてとうとうマルコが折れた形で一度だけ関係を持った。

〜〜〜〜〜

「――満更でも無いって感じだったじゃない」

〜〜〜〜〜

正直に言うとミケーラのことは好みのタイプで気に入ってはいた。だから、何度も強く求められた結果あっさり折れてしまったのだと自覚していた。
あの時、決して娼婦を相手にするような抱き方はしていなかった。
大事に、一人の女として、抱いた。確かに”愛しさ”がそこにあって、優しく、そして『好きだ』と思う気持ちを持って抱いた。
だからミケーラは、マルコが自分に気があるのだと思って積極的に会いに来るようになったと言える。
そうして積極的に二人の時間を作っては甘えて来るようになった。
ただ――
ミケーラを抱いた後に深く後悔した。
どうして後悔したのかはわからない。
娼婦を買って抱いても後悔など微塵も無かったというのに、ミケーラを抱いた時だけは心の底から後悔の念に襲われた。

〜〜〜〜〜

「誰か……、好きな人が…いるの?」

〜〜〜〜〜

天井を仰ぎ見ると程無くして立ち上がった。その時、ふと視線の先にあった書類に記載されている文字を見た。

ドクンッ――!

大きく心臓が跳ねた気がした。そうして徐に手を胸元に当てて眉を顰めた。

―― ッ……、なん…だ……?

部隊 : 7番隊
作成者:コルティノーヴィス・アルド

『アサシン』
『暗器が仕組まれた小手具』

そして――

「#イルマ#……」

アルドの名を見た途端に連想して浮かんだ名をポツリと零した。それにハッとして思わず口元を手で覆うと静かに目を瞑った。
遠い昔、十年以上も前に出会った幼い少女。その姿が脳裏に浮かぶと胸がチクリと痛んだ。
あの日から暫くの間、ずっと彼女のことが気になっていた。
十にも満たないだろう少女の瞳は暗く、感情の起伏が乏しいのか兎角無表情で、子供にしては警戒心が異常に強かった。更に、幼い子供の、それも少女が持っているにはあまりにも似つかわしくない暗器。尋常じゃない怪我を負った少女が暗器を持っていたことから、恐らく『暗殺』を生業とする子供であることは直ぐに察した。――にも関わらず、何も言わず、何も言えず、何も聞いてやれずに別れたことを酷く後悔した。

何かしてやれることがあったのではないのか。
何か変えてやれることがあったのではないのか。
手を差し伸べてやれたんじゃないのか――。

何度も何度も自問自答した。

全てはあの日、あの時、自らの名を告げて流した彼女の涙が何を意味していたのか。その光景が目に焼き付いて離れなかったからだ。

あまりにも純粋で、
あまりにも儚くて、
あまりにも――綺麗だった。

そう、思った。

「もう、生きてねェかもしれねェなァ……」

あの子の頭に触れた手を、看病する際に抱いた手を、そして涙を拭ってやった手を、じっと見つめてギュッと握った。

「#イルマ#……、もし生きていたなら幾つになってんだろうな」

マルコは眉尻を下げた笑みを浮かべてそう独り言ちた。

救えたかもしれない幼い手を掴み損ねた己の手。爪後が残る程に強く握り締めると皮膚が傷付いて血が軽く滲み出た。小さな青い炎でその傷を再生させると跡形も残らずに消えた。
しかし、いつの間にか負った心の傷は消えることは無く、苦い記憶として蘇ると相変わらず自責の念に駆られて苦しくなる。

―― 罪滅ぼしってェわけじゃねェが、少し見方を変えるか……。

アルドに疑いの目を向けるのでは無く、#イルマ#に向けてやるべきだったと今でも思う”見守る目”をアルドに……――そう、意識を変えることにした。
自ずと微笑を浮かべたマルコは、アルドが提出した書類を全て【処理済】の箱へと移した。そうして休憩がてらに食堂へ立ち寄ってコーヒーでも飲もうと自室を後にした。

無知色恋 その2

〆栞
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