13

白いローブに身を包む者がいた。その者の顔は目深に被るフードの陰に隠されていて特定することはできない。
周囲には多くの死体が転がっており血の海が広がっていた。
ポタポタと滴り落ちる音が響く。
右手に持つ長剣と左手首の内側から顔を出す暗器の刃先から零れ落ちる血によるものだ。
赤く染まる中をゆっくりと歩く。
陰に隠れた瞳はとても暗く死神の様。それを見た者は己の死を予感させられ絶望の淵に立たされるだろう。
返り血を浴びることなく綺麗なままの白いローブを翻して暗い廊下を辿って闇へと姿を消した。

―― 数日後 ――

とある国を治める王が死体となって発見されたという情報が世界中に飛び交った。死亡したのは国王だけでは無く、一族郎党を含めて護衛にあたっていた兵士が数名。死因は剣による斬殺か、首元の動脈を斬られたことによる出血死とあった。
そんな情報が載った新聞を片手にマルコが食堂のカウンターでコーヒーを飲んでいると偶然にもアルドが朝食を摂る時間と被ったようで、食堂の一番奥の端っこの席に座るアルドの姿を新聞越しで確認した。
それから暫くすると朝食を乗せたトレーを持ったサッチがマルコに声を掛けた。

「んな所で見てるぐらいなら相席して話してみりゃ良いだろうがよ」
「……おれとは話したがらねェんだよい」
「あン? なんだ、とうとう本格的に嫌われちまったってか?」
「五月蠅ェ」

マルコは「チッ!」と舌打ちをすると少し大袈裟にバサリと新聞を広げ直して再び記事を読み始める。不貞腐れるマルコに呆れながら苦笑を浮かべたサッチはアルドの元へと向かった。
少ししてテーブルにトレーを置く音と椅子が引かれる音がマルコの耳に届いた。それに釣られるようにマルコは視線をチラリと向けた。

「いただきます」
「おう」

サッチに対して特に壁を作ること無く接するアルドの様子に、マルコは少しだけ眉を顰めて不満気な表情を浮かべた。

―― 面白くねェ……。サッチの奴は本当に根気でアルドと話せるようになったのか……。

どのような話をしているのかはわからない。しかし、サッチが話し掛ければアルドは食事をしながら頷いて言葉を交わしている。その様を見ていると何故かどんどん苛々が募ってくる。自然と眉間に深い溝を刻んで額に軽く青筋が張った。

―― クソッ! 本っ当に面白くねェ!

マルコは残っていたコーヒーを一気に飲み干して席を立った。そして、厨房にいた4番隊の隊員にコーヒーカップを返却して食堂を出て行った。
それを受け取った隊員が若干涙目になっていたことから、マルコの不機嫌度数が如何に頂点に近かったことかがわかる。
マルコの心情を遠目で察していたサッチは――あーあー、荒れてんなァ――と胸の内で独り言ち、その原因となっているアルドを目の前にして軽く溜息を吐いた。

「ところで」
「んー?」
「前に聞いた『イロコイザタ』ということについての答えですが、そろそろ教えて頂けますか?」

アルドの質問にサッチは頬杖を突いたまま固まった。

―― え!? あれから聞いて来る素振りが無かったから終わったものだとばかり思ってたんだけど!?

サッチは冷や汗をタラリと掻いた。視線をそろりとアルドから外して斜め上へと向けるとポリポリと頬を掻いて渇いた声を漏らした。

―― な、なにこれ? 間違ったことを教えちまったら本当にヤバいんじゃね?

アルドにチラッと視線を寄越す。パンを千切って口に放り込むと咀嚼しながらじっとこっちを見ている。フードの陰に隠れた奥に見える彼の目はとても純粋だ。

「うぐっ……」

サッチは小さく唸って息を呑んだ。――恋の伝道師とか宣っていた過去の日々が懐かしいぜ――と、心の中で突っ伏して嘆いた。
アルドは何故か困り果てているサッチに軽く首を傾げた。――この疑問は容易に答えが出せないものなのかもしれない――と、そう思った。であるならばとアルドは例を挙げて聞いてみることにした。

「例えばですが」
「例えば?」
「マルコ隊長とナースのミケーラさんですが――」
「へ?」
「二人が『好き合っている』ということを知ったのですが、『コイ』とか『スキ』とか『イロコイザタ』というのは、彼らの関係のことを指すと考えても良い」
「ナンダッテ?」
「――というのは……、間違いですか?」

再び首を傾げるアルドに目を丸くしたサッチは頭が益々混乱し始めた。

―― えーっと、いや、確かにマルコからミケーラと男と女の関係になったってェ話を聞いたことはあるけど、でもそれはちょっと違うんだよなァ。

サッチは両肘をテーブルに突いて両手で顔を覆うと軽く拭う仕草をした。そうして一呼吸置いてから小さく首を振った。

「あー、いや、そうでもねェか。あいつは気に入ってはいたから結局ヤッたんだよな。うーん、でもそれは『恋』じゃねェし、『好き』ってェのも違うし……。
「……?」
「そうだな、ミケーラにしてみりゃあ確かにマルコに『恋』して『好き』だったとは思う」
「すみません。その、よく……わかりません」
「うん、ちょっとタイム」

サッチは乾いた笑いを零してアルドから顔を背けた。

―― おい、なんでかすっげェ追い込まれてんだけど!? っつぅか他人(特にマルコ)の恋事情なんざおれに聞かれても知るかってんだ。

眉間に皺を寄せて冷や汗をダラダラと流しながら徐に顔を俯かせて唸っていたサッチだったが、――……って、ちょっと待て――と、思考を止めてアルドへゆっくりと顔を向けた。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんですか?」
「ひょっとしてミケーラが好きだったりする……?」
「え?」
「いやいや、ミケーラに惚れてんだろ。そうだ、きっとそうだってんだ! あァ成程、だからだな!!」
「?」

―― マルコと話をしたがらねェのはそういう事情があったってェことか。アルドにとってマルコは恋敵も同然! そりゃあマルコを嫌うのは当たり前だよな!

サッチは腕を組みながら納得したように頷いて一方的にそう結論付けた。そうして笑みを浮かべるサッチに対してアルドは最後のパンを食べると「あの、サッチさん」と声を掛けた。

「おう、どうやってミケーラを自分に振り向かせるかってェ話だよな!」
「すみません。なんのことなのかさっぱりわかりませんが……」
「え、違う?」
「今回も新しい用語が沢山あって少し混乱しています。『ヤッタ』『ホレタ』とは、『スキ』と『コイ』とどう違うのか……。それは『イロコイザタ』というものに含まれているものなのか、とか」
「はい……?」

アルドが腕を組んで片手を顎に当ててながらそう言うとサッチは呆然として停止した。

―― ひょっとして……、アルドって意外にも天然属性だったりする?

錆びた鉄門を開ける際にギギギギッという音を鳴らしながらスムーズに動かすことができないような歪な動きでゆっくりと首を動かすサッチに、アルドは目をパチクリさせた。

―― まるで機械仕掛けの人形みたいだ。

そんな感想を胸の内で述べながら最後に残っていたサラダのプチトマトを口に放り込んだ。その時だった。

「面白ェ話をしてんじゃねェか」
「あ、ラクヨウ隊長」
「ッ!!」

アルドとサッチの話に割り込むようにラクヨウが声を掛けて来た。すると、サッチは「やっちまった」といった表情を浮かべて右手で顔を覆った。

―― これはもう致命傷だぜアルド。ラクヨウなんざに『色恋沙汰』について聞いても碌な答えしか出やしねェって。

サッチは深い溜息を吐いてかぶりを振った。そんなサッチの心情を察したのかラクヨウがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。そして、近くにあった椅子を動かしてアルドとサッチの間に置いてそこに腰を下ろした。

「良いか? 『スキ』ってェのは――」
「ちょっ、ラクヨウ、待っ」
「サッチ、ちと黙れ」

サッチを一瞥してラクヨウは言葉を続けた。

「『スキ』ってェのはな、一緒にいてェとか、自分を見て欲しいとか、自分から相手に向けて満たして欲しいと欲求するもんだ」
「!」
「はァ……、それで『コイ』というのは?」
「『コイ』ってェのは、そうだな……。まァ『スキ』ってェのと同じような感情を現す言葉だ。因みに『アイ』は、『スキ』や『コイ』とは真逆でな、一緒にいてやりてェ、安心させてやりてェっていうもんで、自分から相手に向けて満たしてやりたいっていう自己犠牲の心ってやつから生まれる感情だ」

ラクヨウがそう答えるとサッチがワナワナと震えた手で口元を覆った。あのラクヨウが真面な答えをしてやるなんて――といった表情だ。

「あと『イロコイザタ』についてだが、『イロコイ』は男と女の恋愛とか情事のことを指す。んで、『ザタ』ってェのは、まァ『沙汰』なんだが、評判とか噂っつぅ意味になるわな。んで、『イロコイザタ』って二つを組み合わせると恋愛問題っつぅ意味になる」
「成程……。言葉の意味合いでの観点ではよくわかりました」

アルドがコクリと頷いてそう言う傍らでサッチは唖然とした。

―― ラクヨウ、マジか? なんでお前……っていうかその前にだ。アルドの返事もおかしくね? なんだその『言葉の意味合いでの観点』って。え……? それで良かったってェこと?

「では、『ヤッタ』『ホレタ』というのは?」

アルドの質問を受けてラクヨウがサッチを一瞥して小さく舌打ちをした。

――いらねェこと教えやがって……。

声に出さない抗議の目にサッチは顔を青くして不味い表情を浮かべた。

「あー、『ホレタ』は『スキ』になったのと同定義で良いだろう。『ヤッタ』ってェのは男と女の情事を指す」
「その『ジョウジ』とは?」
「そりゃあ『セックス』に決まってんだろ」
「はァ……、あの、『セックス』というのは――」

小さく首を傾げて問うアルドに対してサッチはテーブルを叩くように両手を突いて勢い良く立ち上がった。

「お、お前ェマジか!? マジでそれを聞いてんのか!?」

オロオロしてるのかキレてるのかよくわからない状態でアルドに人差し指を突き付けながらサッチは声を荒げた。いつも穏やかでニコニコと振舞っているサッチの姿はそこに無く、4番隊の隊員達や食堂を訪れていた者達が「なんだ? どうした?」と珍しいものを見るかのような目で傍観し始めた。
ラクヨウは軽く「チッ!」と舌打ちをして席を立つと椅子を元に戻した。

「アルド、この話の続きは部屋でしてやらァ。ほれ、さっさと飯を食って引き上げだ」
「はい」
「あ、おい、ラクヨウ!」
「あのな、こいつはその手の知識はまるっきりゼロで経験もしたことねェんだ。だからそう怒ってやんな」

面倒臭そうに振り向いたラクヨウは、アルドの頭をワシャワシャと軽く撫で付けながらサッチにそう言った。アルドがうっとおし気にラクヨウの手を振り払うのを見ながらサッチは瞬きを繰り返すと訝し気な表情を浮かべた。

「なァアルド、年齢は幾つになんだ?」
「おれ……ですか?」
「他に誰に聞いてると思ってんだ」

サッチの質問に対してアルドに代わってラクヨウが「アルドは二十五歳だ(まァ、推定だけどな)」と、答えた。サッチは目を丸くした。そして、再びワナワナと震わせた手で口元を覆うと憐れむような目をアルドに向けた。

「?」

サッチが何故そんな目を向けてくるのか、アルドは不思議に思って首を傾げた。
サッチはアルドからラクヨウに顔を向けると真剣な面持ちへと変えた。

「おい、保護者。その辺のことをしっかり教えてやれってんだよ。これはマジだ。マジで二十五歳で『童貞』ってェのはあまりにも可哀想じゃねェか!」

ラクヨウは片眉を上げて軽く笑った。

「万年女のケツを追っかけてるてめェとアルドを一緒にすんじゃねェよ。アルド、行くぞ」
「はい。あ、サッチさん」
「ッ! な、なんだ?」
「ご馳走様でした」
「お、おう……」

動揺するサッチを他所にアルドは至っていつも通りだ。トレーを持って行こうとするアルドをサッチは咄嗟に止めた。

「置いとけ。おれっちが持って行くから」
「わかりました」

アルドはサッチに向けて軽く頭を下げるとラクヨウの後を追って食堂から出て行った。
二人を見送ったサッチは呆然とその場に立ち尽くした。その時「クックッ」と笑いを堪えるような声が背後から聞こえて振り向いた。イゾウだ。

「イゾウ……、なんだってんだよ?」
「いやァ、また面白いものが見れたよ。まさかラクヨウが真面に答えるとは思ってもみなかったが、自称『恋愛伝道師』のサッチとしちゃあ形無しじゃないか。ククッ……ハハハッ!!」

イゾウは咥えていた煙管を外して反対の空いた手で目元を覆いながら盛大に笑った。サッチは眉間に皺を寄せて「チッ!」と舌打ちをした。だが、その時にふと思った。

―― あれ? じゃあアルドはなんでマルコに対して距離を取ろうとしてんだ? ただ単にマジで嫌ってるってこと? まァ……、マルコは訓練とか色々厳しいし鬼畜なとこあるから仕方が無ェのかもしれねェけど。

そう思いながらサッチはトレーを持って厨房へと足を向けた。だが途中でピタリと足を止めた。

―― 待てって。アルドは自分には必要無ェって言って訓練には出てねェよな? だったら書類とか関係してたりする?

しかし、ラクヨウの代わりにアルドが書類仕事をするようになってからは仕事がスムーズになって助かるとマルコが酒の席で言っていたのをサッチはよく覚えている。

―― おいおい、アルドがマルコを嫌う要素がどこにあんだよ……?

サッチは愈々わけがわからなくなって顔を大きく顰めた。まるで底無しの泥沼に落ちたように悩む。
そんなサッチの背中を見送ったイゾウは軽く煙管を噛みつつ「そうだな……」と独り言ち、何かを考えてから食堂を後にした。





アルドの部屋に来たラクヨウはソファに座って足を組むと少しだけアルドを睨み付けた。
何故そのように睨み付けられるのかアルドには皆目見当もつかない。
ローテーブルを挟んでラクヨウの正面に椅子を置くとそこに腰を下ろしてラクヨウを見据える。

「フードが邪魔だ。取れ」

アルドは言われた通りにフードをパサリと外した。

「不機嫌ですね……」

アルドがそう言うとラクヨウは盛大な溜息を洩らしながらガクリと頭を落とした。

「お前ェ、わかってねェな。恋愛なんて話を食堂なんかで堂々としてんじゃねェよ」
「エミリア婦長に『聞きやすい人に聞いてみなさい』と言われたものですから」

アルドの返事にラクヨウは「チッ! あのアマァ……、余計なこと言いやがって」と、愚痴るような言葉を零した。それから咳払いを一つして再び口を開いた。

「とりあえずだ。もうそういう話は二度と表立ってすんじゃねェ。聞くとするならおれか、せめて7番隊の奴らにしやがれ。良いな?」

ラクヨウは組んだ足を外すと身を乗り出して釘を刺す様に人差し指を指して言った。

「じゃあ最後にセックスについて教えてください。そうしたらもうこの手の話はしません」
「あーん? んなもん――」

ラクヨウは面倒臭そうな表情を浮かべつつ自然と口から零れた。「マルコに聞け」――と。

「……は?」

自分が吐いた科白に「あァ、そうだ!」と、良いことに気付いたとばかりに手を軽く叩いたラクヨウはニヤリと笑みを浮かべた。

「丁度良い、そうしろ! 次の書類を持って行った時に直接マルコに聞けば良い。上手く行けばマルコが”指導してくれる”かもしれねェぜ! ガッハッハッハッ!!」

ラクヨウは「こりゃあ良いアイディアだ!」と盛大に膝を叩いて笑う一方でアルドは目をパチクリさせた。

―― 怪しい……。

凄く楽し気だ。面白がっているとも取れる。
そこからなんとなく不穏なものを感じる。

アルドは冷静にこれまでのことを精査して考えてみた。
セックスなるものが何を指しているのかはわからないが、それがどうであれラクヨウのアイディアなるものは大概碌でも無いものばかりだ。――結果、とりあえずここは穏便に躱すことが望ましい――と判断して様子を見ることにした。

「わかりました。男と女の恋愛事情においてセックスというのは最も重要なものであるということですね。漸く理解しました」
「ファッ!?」

ラクヨウの表情が一瞬にして素に戻った。――やはり、おれの直感は間違っていなかった――と、アルドは確信してコクリと頷いた。

「なら、この疑問についておれがマルコ隊長に直接聞く必要は無くなったわけですし全て解決ですね。ご指導ありがとうございました」

アルドは丁寧に深々と頭を下げてラクヨウに礼を述べた。その途端にラクヨウは眉間に手を当てながら天井を見上げて「クソッ、一本取られた」と、小さく呟いた。

「なんでそういうところだけ理解力がズバ抜けて高ェんだ……」
「あなたの態度を見ていると(自分にとって碌でも無いものだと)なんとなくそう思いました」
「おー、成程。おれの指導の賜物ってェ奴か」
「えェ、そうですね。流石です」
「って、んなわけあるかボケがァァァッ!!」

ラクヨウは「うがァ!!」と声を上げながら両手で頭を抱えた。苦悶の表情を浮かべて軽く悶えながらソファにどさりと力無く腰を落とすと足を抱えて「エグッ! エグッ!」と涙を零した。

―― こいつはマジで男を貫き通す気だぜオヤジ! おれの手に余りやがる!!

この時ばかりは流石にラクヨウも保護者たる責任を心底から放棄したくなった。

無知色恋 その3

〆栞
PREV  |  NEXT
BACK