14
マルコは自室で新聞を読み終えた後、気になっていた記事を何度か読み返していた。そして、金を払ってまでわざわざ新聞を読むのは自分だけだから――と、ハサミを手にするとその記事だけを切り抜いて残った新聞紙は屑籠に放り込んだ。
何枚もの海図等を刺してあるボードの端に切り抜いた記事を画鋲で刺し止めると難しい表情を浮かべて腕を組み思考を回した。
コンコンッ――!
突然ノック音が聞こえた。その音で思考の渦から現実へと意識を戻されたマルコは視線をドアへと向けた。
顔を出してみれば滅多に訪ねて来ることの無い珍しい男にマルコは目を丸くした。
「イゾウ、お前ェが来るなんて珍しい。何かあったのか?」
マルコの問いにイゾウはクツリと笑うと部屋へと足を進めた。
「面白いことがあったんで、その報告にな」
「オヤジにじゃなくておれに?」
ソファに腰を下ろすイゾウに怪訝な表情を浮かべたマルコは、ローテーブルを挟んで向かい側にあるベッドの縁に腰を下ろした。
「アルドに関する話だ」
「アルド?」
イゾウがそう告げるとマルコはピクリと身体ごと反応した。その反応にイゾウは内心――面白いことになりそうだ――と、黒い笑みを浮かべながら食堂で聞いた話をマルコに話した。
「ッ……」
マルコが眉間に手を当てて苦悶の表情を浮かべた。
―― 男女の色恋に疎いのはアルドがアサシンだからだ。
過去に会った#イルマ#の姿がマルコの脳裏を過る。あの幼い少女でさえも暗殺者《アサシン》として成り得るぐらいだ。幼少期から#イルマ#と同じようにアルドが暗殺者としての知識や技能だけを叩き込まれた人間だとしたら、感情の起伏が全く無く、人との関係を拒み、常識的な知識の偏りがあったとしても、何ら不思議ではないのだ。
「面白いことになるんじゃねェかと思って話したんだが、どうやら流石にアルドの事情をなんとなく察しているらしいな。こりゃあ残念」
マルコの反応が予想していたものと違ったことにイゾウは面白く無さそうに溜息を交えながらそう言った。
「お前ェは船に混乱を齎してェのかよい……」
「まさか! 人間関係を円滑にするお手伝いみてェなもんだ」
イゾウが肩を竦めて軽く笑うとマルコは不安気な表情を浮かべた。
「そういうのはビスタやジョズ辺りがやるもんだろうよい」
「あれはやんわりと優しい甘い修繕。おれのは過激に激しい激辛修繕といったところだ」
イゾウはニコリと笑って言った。それに対してマルコはヒクリと頬を引き攣らせて微妙な笑みを浮かべるしかなかった。
―― イゾウ、お前の黒さはマジで怖ェよい。
『断トツに敵に回したくない男は誰?』
以前、船内で密かに行われた隊員達の投票を偶々見てしまった時のことをマルコは思い出した。
一覧表を見た時に「おれもそいつに一票だよい」とマルコは思った。自分の名前が二位に入っていて多少異議を唱えたい気持ちにはなったが、一位の名前には実に納得したものだ。
『敵に回したくない男――第一位 : 16番隊隊長イゾウ』
理由は精神的に再起不能なダメージを笑顔で与えてくるから――というのが大多数の意見で断トツであった。マルコは参加こそしてはいないが大いに納得のいく同意見だった。
「マルコはアルドと話はできるのかい?」
「いや、どうもおれは嫌われちまっているみたいだからよい」
マルコが視線を外してガシガシと頭を掻きながら答えるとイゾウは少し眉を顰めた。
「何故そう思うんだ? アルドがそうそう打ち解けて話をするような男じゃねェのは周知の事実だ。誰もが同じ態度で話し掛けても反応は薄い上に早々に話を切り上げてしまうじゃないか。それを嫌われていると捉えるのは違うんじゃねェのかい?」
イゾウが珍しく真っ当な意見を口にするもマルコの表情は浮かないままだ。―― なんてェ面してんだ――と、イゾウは溜息を吐くと背凭れに身体を預けて呆れた表情を浮かべた。
「特別に避けられてる気がするんだよい」
「なに……?」
「あいつはおれと話をするのを自ら極力避けてる節がある。声を掛けても他の連中と同じような態度で対応しているつもりだろうが、あいつはおれに対して特に壁を倍にしやがる。壁を崩すどころか余計に分厚くされちまったら話なんて到底できねェよい」
マルコは天井を見上げて目を瞑ると大きく溜息を吐きながらガクリと頭を落とした。そして、話は終わりだと言うかのように自身の両膝を叩いて勢い良く立ち上がった。
仕事机に移動して椅子に腰を下ろすと書類を手に取って仕事を始める。
マルコは人の機微に敏感な男だ。周りから見ている分には大差無いように見えるがマルコにしか感じ得ない何かがあるのだろうとイゾウは思った。
「サッチが思いっきり悩んでいたよ」
「……」
イゾウはそれだけ言うと立ち上がって「邪魔したな」と言葉を残して部屋を去って行った。
暫く書類を見つめていたマルコだったが、途端に手を止めて書類をバサリと置くとどこを見るともなく視線を宙に彷徨わせた。
―― サッチか……。あいつは誰よりも察しが良いから何かわかってるかもしれねェ。
マルコは席を立って足早に部屋を出て行った。そうして食堂に着いて厨房を覗いた瞬間、マルコは声を掛けるのを止めた。
サッチの背負う影が非常に重くて暗い。気のせいだろうか、妙にやつれたような表情にも見えた。髪が乱れていつものサッチじゃないのは明らかで、今来たのは間違いだったとマルコは後悔した。
「あ、マルコ隊長!」
「ッ……!」
何も言わずに踵を返して立ち去ろうとしたら4番隊の隊員に声を掛けられた。
「サッチ隊長に用があったんですよね……!?」
「あの状態のサッチに声を掛ける勇気は無ェよい」
「ま、マルコ隊長が声を掛けないで誰が声を掛けるんですか!?」
「4番隊のお前ェらがいる……っつぅか、自分達の隊長だろうが、なんとかしろよい」
「「「鬼だ!」」」
「なんでそうなるんだよい!?」
マジで来るんじゃなかった!――と、マルコが心の底から後悔した矢先にサッチがゆっくり振り向いた。サッチはマルコの存在に気付くと目を見開き、片やマルコはハッとしてと思わずたじろいだ。
「マルコォォッ!! 聞いてくれェッ!!」
なんとも情けない表情を浮かべたサッチが仕事を放棄して厨房から出て急いで駆け寄って来る。
「「「隊長のことをお願いします!」」」
「んな、なにを――ッ!?」
4番隊の隊員達は悩める隊長《サッチ》の相談役を放棄してマルコに全てを委ねた。マルコが4番隊の隊員達に抗議する間も無く駆け寄って来たサッチがマルコの胸倉をガシッと掴んで前後に揺さ振りながら声を荒げた。
「なァマルコ! 恋ってなんだ!? 好きってなんだ!? 愛ってなんだ!?」
サッチの質問を聞いた瞬間、イゾウが話していたことだとマルコは察した。
〜〜〜〜〜
「マルコにも原因があるんじゃないのか? 例えばミケーラとの関係とかな」
「は……? なんでまた……」
「大方ミケーラに迫られているところを鉢合わせちまって疑問が生じた――とか」
「あ、」
「……思い当たる節があるってェ面だな」
〜〜〜〜〜
鉢合わせと言えばアルドが書類を提出しに来た時だ。しかし、あの時のアルドは至って普段通りの対応だった。何がどうしてこのようにややこしい事になっているのか甚だ疑問だ。
色々と思考を回していく内にある疑問に行き着いたマルコはハッとする。
ひょっとしてアルドはミケーラに好意を持っていたのでは――ともすれば、自分は恋敵として見なされ、より一層に壁を作られてもおかしくは無い。
―― い、いや、待て。考え過ぎだ。そもそもアルドにそんな節は無かっただろうがよい。決して恋敵とかじゃあ無ェ……多分。
前後に揺さ振られながらマルコはそんなことを思った。ただ、流石にサッチの嘆きがしつこく感じたマルコは「知らねェよい!!」と怒鳴って覇気を纏った蹴りを容赦無くお見舞いした。
「ギャフンッ!!」
サッチは通常運転通りに妙な悲鳴を上げて壁にぶち当たった。
「くそっ、バナップルめ……。ガクリ」
恨み節を残しながらサッチはその場に突っ伏して気を失った。
「おい、このゴミ《サッチ》の後処理を頼む」
「「「結局は力技なんすね」」」
「それでいつも救われてんのはてめェらだろうがよい」
マルコは溜息を吐いて食堂を後にして自室に戻ると今日一番の盛大な溜息を吐いた。
―― ったく、面倒臭ェ。
誰がどのようにして話を広げてどんな風に伝わっていったのかは知らない。
ミケーラは直ぐに立ち上がると頬を赤く染めながら笑みを浮かべて嬉しそうにマルコの胸元へと飛び込んで抱き着いた。ミケーラが完全に”その気になった”ことをマルコは否が応にも察した瞬間だった。
「ありがとうマルコ。ふふ……、私”も”好きよ」
「……」
マルコは突然のことで躱すことができなかった。思わずミケーラを受け止めてしまったことで、表情は完全に無となり心は瀕死に陥った。本当に一瞬だけ気が遠くなって意識を手放しそうになった。
―― 違ェ。”私も”じゃねェ。ついこの間の話を無かったことにしてんじゃねェよい! クソッ、全ての原因はあいつにある。マジで話をしねェとダメだ。
ミケーラはいそいそとナース服を脱いで下着姿になると呆然としているマルコの腕を引っ張ってベッドへと押した。意識がどこかに飛んでいたマルコが呆気無くベッドに倒れるとミケーラはマルコの身体の上に跨って嬉しそうに笑った。そこでマルコは漸くハッとした。
「って……、ちょっと待て!? なんで脱いでんだ!?」
「だって好き合ってるんだから当然するに決まってるじゃない!」
完全に違う世界に意識が飛んでいたマルコが現実に戻った時には既にセックスへの臨戦態勢に入っている状態だった。
マルコは非常に焦った。
慌てて身体を起こそうとしたマルコだったが、ミケーラが「ダメよ」と言ってブラのホックを外して胸を露わにした身体を重ねて来た。
柔らかく豊満な胸が自分の厚い胸板で形を変える様を見てしまったら、どんなに理性を保っていたって流石に身体は正直に反応してしまう。
「おい! ミケーッんン!」
―― クソ……、完全にその気だよい。
ミケーラは抗議の声は聞かないとばかりにマルコの口を塞ぐようにキスをした。
チュッチュッと甘いキスの応酬に理性の箍が外れそうになる。
気持ちとは裏腹にマルコもそのキスに少しずつ応え始めた。そして、徐々に深みを増してお互いの舌が絡み合って行く。その内にマルコがミケーラの身体に腕を回してベッドへと引き倒して上下の態勢を逆転させた。
ミケーラは嬉しそうに微笑んだ。そして、マルコの首に腕を回そうと両腕を動かした――が、その表情は直ぐに消えた。
「ッ……、な…んで? どうしてそんな顔をするの……?」
「……」
マルコの顔は苦悶に満ちた表情だった。苦し気で辛い――そんな表情を向けられては情事が出来るわけがない。ミケーラはマルコの頬に手を添えようとした。しかし、身体に押し掛かる重みがフッと消えて目を丸くした。マルコがミケーラから退いて立ち上がると背中を向けた。
「ちょっとマルコ!」
「船医室に戻れ」
「どうして!? だって――」
「おれは!!」
「――ッ!」
ミケーラの言葉を遮るようにマルコは怒鳴った。
予想だにしていなかった本気の声だ。
ミケーラは思わずビクついて声を引っ込めた。
「ッ……、悪ィ。もう船医室に戻れ、ミケーラ」
「……」
これまでどんなに無理にせがんでもこんな風に本気で怒鳴るなんてことは決して無かった。それなのに――。
これには流石にミケーラも先日以上のショックを受けたようで、黙ったまま脱いだ服を着ると足早にマルコの部屋を出て行った。
バタンと閉まるドアの音が静かな部屋に大きく響く。
身体が意志と関係無く反応して熱を持っていることにマルコは「チッ!」と舌打ちをした。船は次の島を求めて大海を航行中だ。ここが島なら娼婦を買ってこの鬱憤を晴らしただろうが、今はシャワー室で処理をせざる得ない。
―― 十年以上経って気付くとか、どうかしてる。
同情や憐れみだったはずだが、どうもそうじゃないようだと今になって思った。
『好き』とか『恋』では無く、その時に抱いていたのは紛れも無く『愛』で、その対象は生きているかどうかもわからない。
もし生きているなら恐らくミケーラと同じぐらいの年頃の女になっているだろう。
―― だからか。ミケーラを抱いた後で後悔したのは……、本当に揶揄いのネタじゃねェか。
「クソッ!」
悪態付きながら事後処理をし終えてシャワー室から出るとベッドにどさりと倒れ込んだ。無駄な疲労感に襲われた身で仕事なんかできるか――と、暫く身体を休めることにした。
「同情だけじゃあなかった。どこか…惹かれるもんがあったんだろうよい」
マルコはポツリとそう独り言ちた。
「#イルマ#……」
懐かしい名を呟いたマルコは途端にハッとしてガバリと身体を起こした。
ひょっとすればアルドなら#イルマ#のことを知っているのではないかーーと、ふと思った。
同じアサシンならその可能性は極めて高い。
ちょっとしたことでも良い。もし、もし、最悪な結果だったとしても、彼女があの後どうなったのかを知っているのなら教えて欲しい――。
マルコはそう思った。
「いや、駄目だ。あいつは仕事以外の話はしたがらねェんだからよい……」
気怠い身体をドサリとまた倒して天井を見上げた。仮眠を取っても寝不足の解消にはなっていないのだろう。徐々に瞼が重くなって眠りに落ちそうになる。何度か耐えようとしたが、無駄な疲労が蓄積したせいか眠気が勝ってそのまま眠ってしまった。
それから暫くしてノック音が部屋に鳴り響いた。しかし、深く寝入ったマルコはその音に気付かなかった。
ガチャリとドアノブが回ってゆっくりと開けられる。
静かに入って来たのは――アルドだ。
アルドの手には書類があった。ベッドの上で珍しく眠ってしまっているマルコを見ながら書類を机の上に置いた。
「……」
眠ろうとして眠ったという感じでは無い。無造作に倒れて眠ってしまっているように思えた。きっと寝不足が祟ったのだろう。
アルドはマルコの頭をそっと抱え上げて枕を置いてゆっくりと下ろした。更に上掛けとなるシーツを引き抜き身体に掛けてやるとアルドの口元が自然と綻んだ。
「寝不足は身体に毒です。休める時はしっかり休んでください」
深く寝入るマルコの髪にそっと触れてそう呟いた。そして、部屋を出ようと踵を返したしたところで足を止めた。海図と共にボードに留められていた何枚かの新聞記事の切り抜きが目に入ったからだ。
―― ある国の王族の殺害記事 ――
「!」
何者かに暗殺されたと記述があるが、内容からしてそれを実行したのは紛れも無くアサシンであることを瞬時に見抜いた。王家を相手取って簡単に事を為したのならば、これは恐らく本部のアサシンによるもの――。
アルドはグッと拳を握ったが一呼吸して昂ぶる気持ちを抑えた。息を吐いてふと振り向くと眠っているマルコをじっと見つめた。
恐らくいつか必ず”その時”は来る。だから常に警戒心を保って意識しておかなければ――。
アルドは改めて強く決意した。
「あなたの大事なものは全て、この命に代えてでも必ず守ります」
果たしてそれはアルドとしてなのか、それとも#イルマ#としてなのか、無意識に零れた科白に本人さえもよくわかっていない。
「いつも……、お仕事ご苦労様です。今日はゆっくりお休みください……マルコさん」
アルドはそう言い残して深く頭を下げると部屋を後にした。ドアをゆっくり閉めて振り向くとラクヨウが壁に背中を預けながら大きく溜息を吐いていた。
「マルコの野郎……、こういう時に限って眠ってんじゃねェよ」
「おれにとっては好都合でした。おかげで助かりました」
アルドはクツリと静かに笑みを浮かべるとラクヨウの前をスルーして足早に去って行った。
「……ったく、どこまでも不器用な女だなァお前ェはよ!」
ラクヨウはそう独り言ちるとアルドの後を追う様にその場を去った。しかしその時――
ラクヨウの言葉を不意に聞いてしまった男が足を止めて驚きに満ちた表情を浮かべながら立ち尽くしていたことにラクヨウは気付いていない。
―― 今……、女っつったか? 女って……、アルドが女!?
マルコにゴミ扱いを受けたサッチが報復しにマルコの部屋を尋ねようとしたのだ。だが、アルドとラクヨウの存在に気付いたサッチは咄嗟に気配を消して二人の会話を耳にした。
流石にアルドは気付いていたのか、一度だけチラリとサッチがいる方角を見たような気がした。しかし、アルドは何も言わずにそのまま立ち去った。
だが問題はその後だ。
独り言ちたラクヨウの言葉に心臓が掴まれる思いがした。
サッチは眉間に皺を寄せたまま踵を返して自室に戻るとソファに腰を下ろして腕を組んで考え込んだ。
―― 聞き間違いじゃあねェ。確かにそう言われてみればアルドは男にしては線が細いし声も少し柔らかいというかなんというか……。
確信は持てない。
だが確かに聞いた。
聞き間違いでは無い。
この時からサッチはマルコとは違った視点でアルドを注視して観察してみようと思うようになった。
何枚もの海図等を刺してあるボードの端に切り抜いた記事を画鋲で刺し止めると難しい表情を浮かべて腕を組み思考を回した。
コンコンッ――!
突然ノック音が聞こえた。その音で思考の渦から現実へと意識を戻されたマルコは視線をドアへと向けた。
顔を出してみれば滅多に訪ねて来ることの無い珍しい男にマルコは目を丸くした。
「イゾウ、お前ェが来るなんて珍しい。何かあったのか?」
マルコの問いにイゾウはクツリと笑うと部屋へと足を進めた。
「面白いことがあったんで、その報告にな」
「オヤジにじゃなくておれに?」
ソファに腰を下ろすイゾウに怪訝な表情を浮かべたマルコは、ローテーブルを挟んで向かい側にあるベッドの縁に腰を下ろした。
「アルドに関する話だ」
「アルド?」
イゾウがそう告げるとマルコはピクリと身体ごと反応した。その反応にイゾウは内心――面白いことになりそうだ――と、黒い笑みを浮かべながら食堂で聞いた話をマルコに話した。
「ッ……」
マルコが眉間に手を当てて苦悶の表情を浮かべた。
―― 男女の色恋に疎いのはアルドがアサシンだからだ。
過去に会った#イルマ#の姿がマルコの脳裏を過る。あの幼い少女でさえも暗殺者《アサシン》として成り得るぐらいだ。幼少期から#イルマ#と同じようにアルドが暗殺者としての知識や技能だけを叩き込まれた人間だとしたら、感情の起伏が全く無く、人との関係を拒み、常識的な知識の偏りがあったとしても、何ら不思議ではないのだ。
「面白いことになるんじゃねェかと思って話したんだが、どうやら流石にアルドの事情をなんとなく察しているらしいな。こりゃあ残念」
マルコの反応が予想していたものと違ったことにイゾウは面白く無さそうに溜息を交えながらそう言った。
「お前ェは船に混乱を齎してェのかよい……」
「まさか! 人間関係を円滑にするお手伝いみてェなもんだ」
イゾウが肩を竦めて軽く笑うとマルコは不安気な表情を浮かべた。
「そういうのはビスタやジョズ辺りがやるもんだろうよい」
「あれはやんわりと優しい甘い修繕。おれのは過激に激しい激辛修繕といったところだ」
イゾウはニコリと笑って言った。それに対してマルコはヒクリと頬を引き攣らせて微妙な笑みを浮かべるしかなかった。
―― イゾウ、お前の黒さはマジで怖ェよい。
『断トツに敵に回したくない男は誰?』
以前、船内で密かに行われた隊員達の投票を偶々見てしまった時のことをマルコは思い出した。
一覧表を見た時に「おれもそいつに一票だよい」とマルコは思った。自分の名前が二位に入っていて多少異議を唱えたい気持ちにはなったが、一位の名前には実に納得したものだ。
『敵に回したくない男――第一位 : 16番隊隊長イゾウ』
理由は精神的に再起不能なダメージを笑顔で与えてくるから――というのが大多数の意見で断トツであった。マルコは参加こそしてはいないが大いに納得のいく同意見だった。
「マルコはアルドと話はできるのかい?」
「いや、どうもおれは嫌われちまっているみたいだからよい」
マルコが視線を外してガシガシと頭を掻きながら答えるとイゾウは少し眉を顰めた。
「何故そう思うんだ? アルドがそうそう打ち解けて話をするような男じゃねェのは周知の事実だ。誰もが同じ態度で話し掛けても反応は薄い上に早々に話を切り上げてしまうじゃないか。それを嫌われていると捉えるのは違うんじゃねェのかい?」
イゾウが珍しく真っ当な意見を口にするもマルコの表情は浮かないままだ。―― なんてェ面してんだ――と、イゾウは溜息を吐くと背凭れに身体を預けて呆れた表情を浮かべた。
「特別に避けられてる気がするんだよい」
「なに……?」
「あいつはおれと話をするのを自ら極力避けてる節がある。声を掛けても他の連中と同じような態度で対応しているつもりだろうが、あいつはおれに対して特に壁を倍にしやがる。壁を崩すどころか余計に分厚くされちまったら話なんて到底できねェよい」
マルコは天井を見上げて目を瞑ると大きく溜息を吐きながらガクリと頭を落とした。そして、話は終わりだと言うかのように自身の両膝を叩いて勢い良く立ち上がった。
仕事机に移動して椅子に腰を下ろすと書類を手に取って仕事を始める。
マルコは人の機微に敏感な男だ。周りから見ている分には大差無いように見えるがマルコにしか感じ得ない何かがあるのだろうとイゾウは思った。
「サッチが思いっきり悩んでいたよ」
「……」
イゾウはそれだけ言うと立ち上がって「邪魔したな」と言葉を残して部屋を去って行った。
暫く書類を見つめていたマルコだったが、途端に手を止めて書類をバサリと置くとどこを見るともなく視線を宙に彷徨わせた。
―― サッチか……。あいつは誰よりも察しが良いから何かわかってるかもしれねェ。
マルコは席を立って足早に部屋を出て行った。そうして食堂に着いて厨房を覗いた瞬間、マルコは声を掛けるのを止めた。
サッチの背負う影が非常に重くて暗い。気のせいだろうか、妙にやつれたような表情にも見えた。髪が乱れていつものサッチじゃないのは明らかで、今来たのは間違いだったとマルコは後悔した。
「あ、マルコ隊長!」
「ッ……!」
何も言わずに踵を返して立ち去ろうとしたら4番隊の隊員に声を掛けられた。
「サッチ隊長に用があったんですよね……!?」
「あの状態のサッチに声を掛ける勇気は無ェよい」
「ま、マルコ隊長が声を掛けないで誰が声を掛けるんですか!?」
「4番隊のお前ェらがいる……っつぅか、自分達の隊長だろうが、なんとかしろよい」
「「「鬼だ!」」」
「なんでそうなるんだよい!?」
マジで来るんじゃなかった!――と、マルコが心の底から後悔した矢先にサッチがゆっくり振り向いた。サッチはマルコの存在に気付くと目を見開き、片やマルコはハッとしてと思わずたじろいだ。
「マルコォォッ!! 聞いてくれェッ!!」
なんとも情けない表情を浮かべたサッチが仕事を放棄して厨房から出て急いで駆け寄って来る。
「「「隊長のことをお願いします!」」」
「んな、なにを――ッ!?」
4番隊の隊員達は悩める隊長《サッチ》の相談役を放棄してマルコに全てを委ねた。マルコが4番隊の隊員達に抗議する間も無く駆け寄って来たサッチがマルコの胸倉をガシッと掴んで前後に揺さ振りながら声を荒げた。
「なァマルコ! 恋ってなんだ!? 好きってなんだ!? 愛ってなんだ!?」
サッチの質問を聞いた瞬間、イゾウが話していたことだとマルコは察した。
〜〜〜〜〜
「マルコにも原因があるんじゃないのか? 例えばミケーラとの関係とかな」
「は……? なんでまた……」
「大方ミケーラに迫られているところを鉢合わせちまって疑問が生じた――とか」
「あ、」
「……思い当たる節があるってェ面だな」
〜〜〜〜〜
鉢合わせと言えばアルドが書類を提出しに来た時だ。しかし、あの時のアルドは至って普段通りの対応だった。何がどうしてこのようにややこしい事になっているのか甚だ疑問だ。
色々と思考を回していく内にある疑問に行き着いたマルコはハッとする。
ひょっとしてアルドはミケーラに好意を持っていたのでは――ともすれば、自分は恋敵として見なされ、より一層に壁を作られてもおかしくは無い。
―― い、いや、待て。考え過ぎだ。そもそもアルドにそんな節は無かっただろうがよい。決して恋敵とかじゃあ無ェ……多分。
前後に揺さ振られながらマルコはそんなことを思った。ただ、流石にサッチの嘆きがしつこく感じたマルコは「知らねェよい!!」と怒鳴って覇気を纏った蹴りを容赦無くお見舞いした。
「ギャフンッ!!」
サッチは通常運転通りに妙な悲鳴を上げて壁にぶち当たった。
「くそっ、バナップルめ……。ガクリ」
恨み節を残しながらサッチはその場に突っ伏して気を失った。
「おい、このゴミ《サッチ》の後処理を頼む」
「「「結局は力技なんすね」」」
「それでいつも救われてんのはてめェらだろうがよい」
マルコは溜息を吐いて食堂を後にして自室に戻ると今日一番の盛大な溜息を吐いた。
―― ったく、面倒臭ェ。
誰がどのようにして話を広げてどんな風に伝わっていったのかは知らない。
ミケーラは直ぐに立ち上がると頬を赤く染めながら笑みを浮かべて嬉しそうにマルコの胸元へと飛び込んで抱き着いた。ミケーラが完全に”その気になった”ことをマルコは否が応にも察した瞬間だった。
「ありがとうマルコ。ふふ……、私”も”好きよ」
「……」
マルコは突然のことで躱すことができなかった。思わずミケーラを受け止めてしまったことで、表情は完全に無となり心は瀕死に陥った。本当に一瞬だけ気が遠くなって意識を手放しそうになった。
―― 違ェ。”私も”じゃねェ。ついこの間の話を無かったことにしてんじゃねェよい! クソッ、全ての原因はあいつにある。マジで話をしねェとダメだ。
ミケーラはいそいそとナース服を脱いで下着姿になると呆然としているマルコの腕を引っ張ってベッドへと押した。意識がどこかに飛んでいたマルコが呆気無くベッドに倒れるとミケーラはマルコの身体の上に跨って嬉しそうに笑った。そこでマルコは漸くハッとした。
「って……、ちょっと待て!? なんで脱いでんだ!?」
「だって好き合ってるんだから当然するに決まってるじゃない!」
完全に違う世界に意識が飛んでいたマルコが現実に戻った時には既にセックスへの臨戦態勢に入っている状態だった。
マルコは非常に焦った。
慌てて身体を起こそうとしたマルコだったが、ミケーラが「ダメよ」と言ってブラのホックを外して胸を露わにした身体を重ねて来た。
柔らかく豊満な胸が自分の厚い胸板で形を変える様を見てしまったら、どんなに理性を保っていたって流石に身体は正直に反応してしまう。
「おい! ミケーッんン!」
―― クソ……、完全にその気だよい。
ミケーラは抗議の声は聞かないとばかりにマルコの口を塞ぐようにキスをした。
チュッチュッと甘いキスの応酬に理性の箍が外れそうになる。
気持ちとは裏腹にマルコもそのキスに少しずつ応え始めた。そして、徐々に深みを増してお互いの舌が絡み合って行く。その内にマルコがミケーラの身体に腕を回してベッドへと引き倒して上下の態勢を逆転させた。
ミケーラは嬉しそうに微笑んだ。そして、マルコの首に腕を回そうと両腕を動かした――が、その表情は直ぐに消えた。
「ッ……、な…んで? どうしてそんな顔をするの……?」
「……」
マルコの顔は苦悶に満ちた表情だった。苦し気で辛い――そんな表情を向けられては情事が出来るわけがない。ミケーラはマルコの頬に手を添えようとした。しかし、身体に押し掛かる重みがフッと消えて目を丸くした。マルコがミケーラから退いて立ち上がると背中を向けた。
「ちょっとマルコ!」
「船医室に戻れ」
「どうして!? だって――」
「おれは!!」
「――ッ!」
ミケーラの言葉を遮るようにマルコは怒鳴った。
予想だにしていなかった本気の声だ。
ミケーラは思わずビクついて声を引っ込めた。
「ッ……、悪ィ。もう船医室に戻れ、ミケーラ」
「……」
これまでどんなに無理にせがんでもこんな風に本気で怒鳴るなんてことは決して無かった。それなのに――。
これには流石にミケーラも先日以上のショックを受けたようで、黙ったまま脱いだ服を着ると足早にマルコの部屋を出て行った。
バタンと閉まるドアの音が静かな部屋に大きく響く。
身体が意志と関係無く反応して熱を持っていることにマルコは「チッ!」と舌打ちをした。船は次の島を求めて大海を航行中だ。ここが島なら娼婦を買ってこの鬱憤を晴らしただろうが、今はシャワー室で処理をせざる得ない。
―― 十年以上経って気付くとか、どうかしてる。
同情や憐れみだったはずだが、どうもそうじゃないようだと今になって思った。
『好き』とか『恋』では無く、その時に抱いていたのは紛れも無く『愛』で、その対象は生きているかどうかもわからない。
もし生きているなら恐らくミケーラと同じぐらいの年頃の女になっているだろう。
―― だからか。ミケーラを抱いた後で後悔したのは……、本当に揶揄いのネタじゃねェか。
「クソッ!」
悪態付きながら事後処理をし終えてシャワー室から出るとベッドにどさりと倒れ込んだ。無駄な疲労感に襲われた身で仕事なんかできるか――と、暫く身体を休めることにした。
「同情だけじゃあなかった。どこか…惹かれるもんがあったんだろうよい」
マルコはポツリとそう独り言ちた。
「#イルマ#……」
懐かしい名を呟いたマルコは途端にハッとしてガバリと身体を起こした。
ひょっとすればアルドなら#イルマ#のことを知っているのではないかーーと、ふと思った。
同じアサシンならその可能性は極めて高い。
ちょっとしたことでも良い。もし、もし、最悪な結果だったとしても、彼女があの後どうなったのかを知っているのなら教えて欲しい――。
マルコはそう思った。
「いや、駄目だ。あいつは仕事以外の話はしたがらねェんだからよい……」
気怠い身体をドサリとまた倒して天井を見上げた。仮眠を取っても寝不足の解消にはなっていないのだろう。徐々に瞼が重くなって眠りに落ちそうになる。何度か耐えようとしたが、無駄な疲労が蓄積したせいか眠気が勝ってそのまま眠ってしまった。
それから暫くしてノック音が部屋に鳴り響いた。しかし、深く寝入ったマルコはその音に気付かなかった。
ガチャリとドアノブが回ってゆっくりと開けられる。
静かに入って来たのは――アルドだ。
アルドの手には書類があった。ベッドの上で珍しく眠ってしまっているマルコを見ながら書類を机の上に置いた。
「……」
眠ろうとして眠ったという感じでは無い。無造作に倒れて眠ってしまっているように思えた。きっと寝不足が祟ったのだろう。
アルドはマルコの頭をそっと抱え上げて枕を置いてゆっくりと下ろした。更に上掛けとなるシーツを引き抜き身体に掛けてやるとアルドの口元が自然と綻んだ。
「寝不足は身体に毒です。休める時はしっかり休んでください」
深く寝入るマルコの髪にそっと触れてそう呟いた。そして、部屋を出ようと踵を返したしたところで足を止めた。海図と共にボードに留められていた何枚かの新聞記事の切り抜きが目に入ったからだ。
―― ある国の王族の殺害記事 ――
「!」
何者かに暗殺されたと記述があるが、内容からしてそれを実行したのは紛れも無くアサシンであることを瞬時に見抜いた。王家を相手取って簡単に事を為したのならば、これは恐らく本部のアサシンによるもの――。
アルドはグッと拳を握ったが一呼吸して昂ぶる気持ちを抑えた。息を吐いてふと振り向くと眠っているマルコをじっと見つめた。
恐らくいつか必ず”その時”は来る。だから常に警戒心を保って意識しておかなければ――。
アルドは改めて強く決意した。
「あなたの大事なものは全て、この命に代えてでも必ず守ります」
果たしてそれはアルドとしてなのか、それとも#イルマ#としてなのか、無意識に零れた科白に本人さえもよくわかっていない。
「いつも……、お仕事ご苦労様です。今日はゆっくりお休みください……マルコさん」
アルドはそう言い残して深く頭を下げると部屋を後にした。ドアをゆっくり閉めて振り向くとラクヨウが壁に背中を預けながら大きく溜息を吐いていた。
「マルコの野郎……、こういう時に限って眠ってんじゃねェよ」
「おれにとっては好都合でした。おかげで助かりました」
アルドはクツリと静かに笑みを浮かべるとラクヨウの前をスルーして足早に去って行った。
「……ったく、どこまでも不器用な女だなァお前ェはよ!」
ラクヨウはそう独り言ちるとアルドの後を追う様にその場を去った。しかしその時――
ラクヨウの言葉を不意に聞いてしまった男が足を止めて驚きに満ちた表情を浮かべながら立ち尽くしていたことにラクヨウは気付いていない。
―― 今……、女っつったか? 女って……、アルドが女!?
マルコにゴミ扱いを受けたサッチが報復しにマルコの部屋を尋ねようとしたのだ。だが、アルドとラクヨウの存在に気付いたサッチは咄嗟に気配を消して二人の会話を耳にした。
流石にアルドは気付いていたのか、一度だけチラリとサッチがいる方角を見たような気がした。しかし、アルドは何も言わずにそのまま立ち去った。
だが問題はその後だ。
独り言ちたラクヨウの言葉に心臓が掴まれる思いがした。
サッチは眉間に皺を寄せたまま踵を返して自室に戻るとソファに腰を下ろして腕を組んで考え込んだ。
―― 聞き間違いじゃあねェ。確かにそう言われてみればアルドは男にしては線が細いし声も少し柔らかいというかなんというか……。
確信は持てない。
だが確かに聞いた。
聞き間違いでは無い。
この時からサッチはマルコとは違った視点でアルドを注視して観察してみようと思うようになった。
隠れた本心
【〆栞】