15
とある島の山麓に岩盤を利用して建築されたであろう館があった。そこにフードを目深に被って白い衣服に赤いサッシュが目立つ身形をした男が颯爽と入って行った。
中には男と同じ身形をした者達が多数。男が通り過ぎる度に深々と頭を下げながら「お帰りなさいませ」と声を掛けていた。
その様子からして、この男がそれなりの地位にある人間であることが見てわかる。しかし、館の最奥にある部屋にいたフード付きの黒いローブを羽織った老齢の男の前に来ると、その男は跪いて深々と頭を下げた。
「大導師様、ただいま戻りました」
大導師と呼ばれた老齢の男は、蓄えた白い髭を軽く撫でながら目の前で跪く男に微笑を零した。目尻の皺が寄るその顔は、一見すればどこにでもいるような好々爺のようにも見える。しかし、眼光はとても鋭く、笑ってはいるが情の無い冷たさと底の無い不気味さを感じさせる。
「シルヴァーノ、ご苦労だったな」
大導師が跪く男に労いの言葉を掛けるとシルヴァーノと名を呼ばれた男は恐縮気味に頭を下げて口を開いた。
「御命令通りに王家一族郎党全てを排除致しました」
報告を受けた大導師は「そうか……」と頷くと踵を返し、書棚の方へと足を向けた。
「あの者らが何代もの間を王として君臨することができたのは、我らがあってこそだというに、我らの情報を海軍に尽く流しおって……。裏切り者としては当然の報いだな」
大導師はそう言いながら分厚い本を何冊か手に取ると机の上にどさりと置いた。
「散り散りになった同胞達が尽く死に追いやられていること程に辛いものは無い。王家を失った国はいずれ統率が乱れ、治安は悪化し、動乱が起きよう。最早あの国もそう長くは持たん」
跪いたままのシルヴァーノへと視線を向けた大導師は、髭を軽く撫でながら椅子に腰を下ろした。
「さて、シルヴァーノよ。戻って早々悪いのだが次の仕事だ。これよりお前も各地に散ってしまった同胞達を探す仕事へと移行せよ」
「はい」
大導師がそう言うとシルヴァーノは漸く立ち上がって大導師の元へと歩み寄った。
「あァ、それとだな――」
大導師は数枚程の賞金首リストをシルヴァーノに渡した。シルヴァーノはリストを見るなりピクリと反応を示して大導師に目を向けた。
「これは珍しい。海賊団を滅ぼせと……?」
「大事な”我が子ら”を囲う集団だ。その者達を狙い、殺し、奪い返せ」
「つまり、この海賊団に同胞がいる。そういうことですか?」
「そうだ。各地に散らばりし我が子らを今一度この地に集結させることが何よりの急務だ。わかっておるな?」
「はい、承知しております」
大導師は机に両肘を突いて手を組むと笑みを湛えた。その笑みは相変わらず冷酷なものではあったが、シルヴァーノは意にも介さず無表情に見つめていた。
「海軍めが各地にある教団の施設を発見しては尽く潰しに掛かったおかげで同胞の数は少ない。一人でも多くの同胞を見つけねばならん。同胞を囲う海賊は、我々アサシンの存在やこの地のことを知っている可能性もある。同胞と言えども情報を売る可能性が無いとは限らんからな。良いか? 必ず全て殺せ」
「御意」
シルヴァーノは受け取った賞金首リストを懐に仕舞い込むと「では」とだけ残してその場から姿を消した。大導師はシルヴァーノの背を見送るとニヤリと笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと立ち上がって窓辺へと歩み寄り、そこから見える大海をじっと見つめた。
「全ては……、太古より存在する『秘宝』を手にする為にな」
大導師は誰に聞かせるともなくそう独り言ちるとクツリと口元を歪ませた。
暫くした後、シルヴァーノと同じ出で立ちをした別の男がその場に姿を現した。
大導師はゆっくりと振り向いた。
「ご苦労だったなカルミネ。早速だが次はここだ」
「第8エリア。ここは海軍の英雄とも呼ばれたガープの管轄下にある島ですね」
「この島にはヒューマンショップがある。そこに出入りをする天竜人を全て殺せ。そして、奴らを守ろうとする海軍も全て殲滅せよ」
「御意」
大導師の命令を受けたカルミネは、シルヴァーノと同じように颯爽とその場から姿を消し、大導師は椅子に腰を下ろした。
―― 我ら教団に牙を剥いた海軍。そして、世界各国の王家共。裏切りは許さん。利用するだけ利用したその報復を身をもって味わい、我々の力を思い知るが良い。世界政府の連中も天竜人の連中も同罪だ。世界は必ず我々教団の前に跪くことになろう。
「ククッ……」――と、大導師は喉を鳴らして静かに笑った。そして、卓上にあった一枚の報告書に視線を落とした。
「その為にはお前の力が必要だったというに、まさか既に死んでいようとはな。#イルマ#め、弟にいらぬ情を移しおって……。コルティノーヴィス家の恥ぞ。だが……、まァ良い。役に立たん者は不要。四将が揃っておれば不可能は無かろうて」
その報告書はヴァネッサという名のアサシンによるもので、そこにはある墓石の所在と墓石に刻まれた文字について書かれていた。
『コルティノーヴィス・#イルマ#とその弟アルド、ここに眠る』
大導師は報告書に書かれた『#イルマ#』の文字を愛し気になぞっていたが、クシャリと強く握り締めた。
「大導師様」
静かな空間に女の声が響いた。
大導師はその者の姿を見るでもなく背凭れに身体を預けて口を開いた。
「ヴァネッサか。報告せよ」
「はい。大導師様の仰せのままに、彼を地下施設から解き放ちました」
「そうか……」
「本当に宜しかったのでしょうか?」
「心配か?」
「牙を剥かぬとは限りません」
「好きにして構わんとしておけば、あやつがこちらに牙を剥くことはそうそう無かろう」
「……」
「あれを四将の一人とするのは不服か?」
「いえ」
アサシン教団の四将とされる彼らは大導師に次ぐ権力と実力を兼ね備えた者達だ。
シルヴァーノ、カルミネ、ヴァネッサ、そして……――。
ヴァネッサが受けた大導師の命令は、ある施設の地下に幽閉されたアサシンを解放することだった。その者はアサシンとして右に出る者はいないとされる程に有能な実力者だった。しかし、気位が高く、信条や規律を無視し、命令等一切聞かない欠陥品と見做され幽閉されていた。
「失われた百年よりも遥か昔から我らは世界に平和と秩序を齎し、バランスを保つ為に動いてきた。それを世界は裏切ったのだ。わかるなヴァネッサ」
「はい」
「もしあれが我らに牙を剥くか、あるいは役に立たない者であれば、ただ殺せば良い。当面は四将の一角を仮として埋める男として据えておけば良かろう」
大導師はニヤリと笑みを浮かべるとヴァネッサに次の指示を与えた。シルヴァーノと同様に各地に散らばったアサシンの招集だ。
ヴァネッサは「御意」と答えるとその場から姿を消し、大導師は背凭れに身体を預けて喉を鳴らして笑う。
「さァアサシン達よ。この腐った愚かな世界に終わりを告げよ。そして私を『世界の王』に押し上げるのだ。新たな世界の幕開けを、我らアサシンによって歴史を紡ごうではないか。……ククククッ」
大導師は誰も居ないその部屋で己の心内に巣食う野心を吐露した。
これまでに見せたことの無い程に不気味に歪んだ笑みを浮かべて――。
◇
冬島イムサに寄港して三日目。ログが溜まるまであと五日もある。
この日、厚手の衣服を着た隊員達が、モビー・ディック号の甲板に降り積もった雪を掻き出す作業をしていた。それを指揮するのは4番隊の隊長であるサッチであり精を出して働く面々は4番隊の隊員達である。
「隊長〜、また吹雪き始めちまって、これじゃあいくら掻き出しても無駄っすよ〜!」
「そうですよ。どうせまた積もっちまうんだから意味ねェっすよ」
「もうそろそろ町に出向きませんか〜?」
「温けェ場所で綺麗な姉ちゃんを隣に侍らせて酒を飲んで、その後はお楽しみと行きたいっすよね」
「これも仕事だ仕事! 大体ちょっとでもやっとかねェと、ここの、出入り口が、よっと! 雪で塞がっちまうだろうが! 文句があるならマルコに言えってんだーよっと!!」
サッチは掻き出した雪の塊を勢い良く海へと落とすと「ふぅ……」と、大きく息を吐きながら町へと視線を向けた。――まァ、気持ちはわからないでもないけど――と、苦笑を浮かべる。
「おれっちだってな、温かい場所で美人を両脇に侍らして酒を飲んで、その後に気持ちの良いことをだなァ……」
サッチは頬を緩ませつつ鼻の下を軽く伸ばした。隊員達もそんなサッチと同様に締まりの無い顔を浮かべながら妄想を膨らませて夢見心地気分を味わう。
そんな時、偶々彼らの話を耳にしたマルコが船内からひょこりと顔を出した。
なんともだらしのない恍惚とした表情を浮かべる4番隊の者達と、そんな彼らを率いるに相応しいと思わせる程に鼻の下を伸ばすサッチの顔を見つめて溜息を吐いた。
「今日の当番はお前ェらだよい。ここを全部掻き出しても町には行けねェから想像するだけ無駄だ。諦めてさっさと働け」
マルコは容赦なく彼らを現実へと引き戻した。
「くっ! 鬼マルコめ!」
「「「畜生! マルコ隊長が鬼畜過ぎて辛い!!」」」
「お前らの思考はサッチとあまりにも似過ぎちまって逆に怖ェよい」
モビー・ディック号の食を預かる4番隊は、隊長と同じくして女好きな奴らが多い。そう思うと、各隊の隊員達も不思議と隊長と似通った性格の者達が集まっているなとマルコは思った。
それは1番隊も然りで、他隊の者達よりも割と細かい気質で生真面目に仕事を熟す連中ばかりだ。分かり易いのは2番隊。隊長と同様に猪突猛進型が多くて頭を使う仕事を大の苦手とする者達が多い。
―― 4番隊なんて見ての通りだしなァ。
そう思った時、7番隊が脳裏に浮かんで異質な存在に思えるのがアルドだ。
ラクヨウとは全くもって異なるタイプで、どちらかと言えば1番隊向きの性格をしていると言える。しかし、だからと言って1番隊に編成するとしても拒否されるのは目に見えている。
―― おれはアルドに好まれてねェみてェだしなァ……。
マルコは冷える頭をポンポンと叩きながら船内へと引っ込み自室へと戻って行った。
その夜――
甲板に相変わらず積もって行く雪の掻き出し対策チームの4番隊と不寝番の12番隊が船に残った。それ以外の隊員達の殆どは、煌々と明かりを灯す町へと繰り出していて船内に残る人は少なかった。
人気の無いガランとした食堂で、疲労困憊となったサッチが突っ伏していた。そこに姿を現したのはアルドで、その存在に気付いたサッチはガバリと身体を起こした。
「おう、どした?」
「コーヒーの豆を切らしたので」
「あァ、ストックならあるぜ。取って来てやるからちょっと待ってろ」
「はい」
サッチは厨房に入るとコーヒー豆が入った真っ新の袋を手に取って直ぐにアルドの元へと戻った。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
アルドは軽く頭を下げて礼を述べるとそのまま立ち去ろうとした――が、サッチは何を思ったのか咄嗟にアルドの肩を掴んでそれを制止した。
「あーのさ、聞きてェことがあるんだけど」
「はい」
「単刀直入に聞くけど」
「……」
「――アルドって、実は女だったりする?」
数日前のラクヨウが零した言葉を耳にしてからサッチはずっと気になっていた。
男に対する接し方と女に対する接し方が大きく異なることは自覚している。それで、アルドのことは基本的に男として認識している。――にも関わらず「どうして……?」と引っ掛かりを覚えることが多々あった。
これまでのことを思い返してみれば、アルドに対してだけ男として扱い切れていないところが確かにある。時々、まるで女として扱うような気持ちにさえなることもあった気がする。もしアルドが本当に女ならば――今後の接し方とか色々と考えて改めなきゃなんねェし……。――と、サッチはそう思う。
それはサッチが女好き……いや、女に対して紳士でありたいと思う所以なのだが――。
一方、サッチの問いに対してアルドはというと全くの無反応だ。やはりあれは聞き間違いだったのかとサッチは不安になった。至って真剣に真っ直ぐな眼差しをアルドに向けて返事を待っていると、少し間を置いてからアルドの口がゆっくり開いた。
「何故、そう思うのですか?」
「そ、それは、んー……、おれっちの勘?」
サッチは――ラクヨウが独り言ちた言葉を盗み聞きしちまったんだ――とは言えずに咄嗟にそう答えた。
「ラクヨウ隊長の言葉を聞いた」
「!」
「――と言ったところですね」
アルドの返事にサッチは目を丸くした。
「あの時、あなたの気配が直ぐ側にあったというのに、あの人は全く関知せずに独り言ちていましたから……。ということですよね?」
「う、お、おう……」
「確かにおれは生物学的に女です」
「!」
「ですが、これまでずっと男として生きて来ましたから、今更おれを女として扱うなんてことは止めて頂きたい。それから、このことに関しては内密に願います。約束してくれますか?」
アルドが人差し指を口元に当ててそう言うとサッチは「お、おう」と若干戸惑い気味に頷いた。フードの陰に隠れた顔の表情は至っていつも通り平静だ。だがサッチが頷いた時、アルドの口元が僅かに孤を描いて笑みを浮かべたように見えた。
「では、失礼します」
アルドは軽く頭を下げるとその場を去って行った。
―― アルドが女……。アルドが……女。
サッチは愕然としながらフラフラと後退ってポスンと椅子に腰を落とした。
「マジ…か……。マジか!?」
暫く呆然としていたサッチは、後でラクヨウに声を掛けて話をしようと思った。しかし、ラクヨウは酒場に出向いてしまって不在だ。今夜は帰って来ることは無いだろう。
サッチは悶々とした思いを抱えたまま仕事を熟す羽目となった。
翌朝――
疲労と眠気で自室に戻ったサッチはベッドにどさりと倒れ込んだ。そして、昨晩のアルドの言葉を思い出して眉を顰める。
〜〜〜〜〜
「確かにおれは生物学的に女です」
〜〜〜〜〜
普通、そんな風に答えるだろうか?
今更だが違和感を覚えて仕方が無い。
「生物学的にって、その答え方はおかしくねェか? 生来から男として育ったからって言ってもあんな言い回しはしねェだろ……」
何度かフードを取っ払ったアルドの素顔を見たことがある。無表情で感情の起伏が乏しく機械仕掛けの人形と話をしているかのような錯覚さえあった。
色気もへったくれも無いから男として認識していた。しかし、男にしては線が細くて体格も華奢だ。だから女みたいだと思ったことはある――が、馬鹿な冗談だとしてあまりよく考えはしなかった。
ただ、特異な性格をしている為か、男ではあるものの女と接するかのような気遣いで接していたことは確かで――。
「あー……。うーん……」
サッチは枕に顔を埋めて唸った。
―― ラクヨウの奴はわかってて扱ってるってことだよな? けど、ラクヨウは性別だとか性格だとか一切気にしねェマイペースタイプだからなァ……。
ふと「ガハハハハッ!」と仁王立ちして盛大に笑う7番隊隊長のラクヨウが頭に浮かんだ。その男の横にはフードを被ったアルドがいる。
「まァ、本人が今更女として扱うのは止めろっつぅんだから、これまで通りに付き合うしかねェんだけど……」
サッチはブツブツとそう独り言ちて軽く溜息を吐いた。――とすると、ある事が脳裏を掠めてハッとした途端にガバリと身体を起こした。
―― ちょっと待て……。じゃあ、アルドはなんでマルコに対して分厚く壁を作るわけ?
サッチは両腕を組んで整理し始めた。そうして徐々に驚嘆する表情へと変えていった。
―― え? ちょっ……、まさか……!
ワナワナと震えた。頭の中の様々な事象が線で結ばれてバラバラのピースが繋がって一つの答えが出来上がった。
―― うおお、やっぱり! 流石『恋の伝道師』を自負するだけはあるぜ!
サッチは自画自賛した。
きっと自覚はしていないのだろう。
しかし、これは確実だ。
あいつは、アルドは『恋』をしている。
そう、『好き』な奴がいるのだ――と。
―― でなけりゃ、あんな質問をするはずが無ェしな!!
グッと拳を握ってそう思った。しかし、ラクヨウが恋愛について事細かく説明している際のアルドの様子は、まるで『学習している』かのようだった。
「あれ?」
頭の中で今し方組み立てられたピースが見事にバラバラと崩れ落ち、繋がった線は尽くプチプチと切れていった。
「見当違い……?」
ポツリと零した。
「わかんねェ。アルドが本当にわかんねェ……」
サッチは頭を悩ませた。しかし、それでも、直接当人に性別を聞いた時――思いのほかあっさりと答えてくれたことが何よりも大きな一歩じゃないか――と、開き直りにも似た思いを抱いた。
そうしてモヤモヤッとした思いを無理矢理払拭した。少しずつではあるがアルドとの距離は確実に縮まっている。これだけは明確に自負できる。
「ハハ……、あァ、マルコの奴にゃあ絶対無理な距離感だぜ」
そう軽く笑って独り言ちた。
本当にまさかと思った。
アルドが――マルコに――『恋』をしている。アルドが『好き』なのは”マルコ”なのだと。だからこそ釣れないのだと。
しかし、あまりにも突飛な考えだろうとして「そんなわけ無ェか」とサッチは自嘲する。
「ツンデレってェわけでもねェだろ。本当、アルドの態度は常に冷めてるもんな。感情の起伏も全く無ェし」
『ツン』も『デレ』もあるようには見受けられない。他人には常に無関心で、用件が終われば直ぐに話を切る。ただそれだけだ。誰に対してもそうなのだ。そう、誰に対しても――。
だがしかし、やはりマルコに対してはどこか違う気がして仕方が無い。何がどう違うのかと言われても明確に言葉として表現はし難いのだが、それこそ恋の伝道師としての『勘』と言える。
「暫くは様子見ってとこだな」
サッチはそう結論付けた。
欠伸をしてドサリと身体を倒して枕に顔を埋める。そうして間も無く「ぐが〜……ぐご〜……」とイビキを掻き始めて深い眠りに落ちた。
そんなサッチの部屋のドアに背中を預けるようにして佇む人物がいた。
アルドだ。
サッチが眠りに落ちてイビキを掻き始めたことでその場を立ち去って自室へと戻った。
〜〜〜〜〜
「ハハ……、あァ、マルコの奴にゃあ絶対無理な距離感だぜ」
〜〜〜〜〜
アルドの心中は少し穏やかでは無かった。
サッチが零した言葉。それはマルコに対する態度と他の者に対する態度に微妙な差異が生じているのを勘付いたということを意味していた。
これまで色々と言葉を交わしていく内にサッチに対する壁は消えていた。警戒心を抱くことも無く話せるようになっていたことに、最初こそ戸惑うことが多かったがそれが自然となっていた。
だからこそ先刻におけるサッチの質問に対して流れのまま素直に答えてしまったのだ。後になってそれを悔いても時既に遅しだ。
自室に戻ったアルドは――失態だ……――と、ソファに力無く座ると大きな溜息を吐いた。
翌日――
昼前に差し掛かる時分にラクヨウが帰って来た。アルドは直ぐにラクヨウを自室に招き入れると事の仔細を話した。その途端にラクヨウは目をひん剥いた。
「はァ!? そりゃあマジか!?」
「はい。嘘を言う趣味はありませんから本当です」
「お、おう、そうだな。……じゃねェ、てめェの趣味なんざどうでも良い。それよりもなんでまたサッチにバラしやがったんだ?」
「そもそもバラしたのはおれでは無くて隊長です」
「あン?」
「サッチ隊長が近くにいたにも関わらず隊長が独り言ちた科白をサッチ隊長が耳にされて知ることになったんです。反省すべきはラクヨウ隊長、あなたの方ですよ」
アルドはそう言うとコーヒーを口に含んでゴクリと飲んだ。
「んー???」
ラクヨウはコーヒーカップを片手に持ったまま首を傾げていた。
―― 記憶にねェなといった顔をしている……。
アルドはコーヒーを飲みながらラクヨウの表情を見つめてそう思った。
「女として扱うことは止めて頂きたいと釘を刺しておきましたが、後のことは隊長に全てお任せします」
「あ"ァ"!?」
アルドの言葉にラクヨウは大きく動揺した。それによってラクヨウの太腿に熱々のコーヒーが零れて無慈悲に襲い掛かった。
「だああっちいぃぃ!!!」
「また染みができますね」
「暢気に言ってねェで濡れたなんかを寄越せ!!」
「じゃあ濡れた短剣を」
「おう、そうそうこれこれ……じゃねェ! なんだ!? 責任を取って切腹しろって言いてェのか!?」
「ブラックジョークを言った覚えはありませんが、隊長がそう捉えると言う事は多少なりとも反省されているのだと理解しておきます」
「おう、悪ィなァ、理解力が高くて助かるぜ! ……じゃねェ、熱ィっつってんだろうが畜生がァァッ!!」
ラクヨウは太腿に張り付く衣服を引っ張って肌に触れないように浮かしている。
余程熱かったのだろう。あの強面に似会わず涙目を浮かべて必死だ。
「濡らしたタオルを早く寄越しやがれ!!」
ラクヨウは怒鳴った。アルドが無表情のまま「相応の罰ですね」と暢気に言いながら希望するタオルを投げ渡すとラクヨウは眉間に皺を寄せた。
―― ったく! だったら一層の事マルコにもバラしちまえってんだ!! この不器用女が!!
心内でそう悪態付きながら濡れたタオルで太腿を拭い、染み着いたコーヒー色の汚れに顔を顰めた。
「あァ、面倒くせェ。後で渡すから洗っとけ」
ラクヨウはソファにどさりと腰を下ろしてアルドにそう言った。
「くあァっ!」
夜通し酒盛りをしたツケだろうか、眠気に襲われたラクヨウは大きな欠伸をすると「寝る」と言って横たわって眠り始めた。
「……自由ですね」
衣服を渡すから洗っとけと今しがた言っておきながらその服を着たまま眠りに落ちるラクヨウにアルドは軽く溜息を吐いた。残ったコーヒーを飲み干して流し台に置くと自室を出てラクヨウの部屋へと向かう。そして、ラクヨウの部屋に入るとクローゼットから着替えを適当に取って自室へと戻った。
「ぐおお〜……ぐがァ〜……」
見事な鼻提灯を作りながら盛大なイビキを掻いて爆睡するラクヨウのベルトを外して無理矢理ズボンを脱がし、持って来た着替えを無理矢理に着せ終えた。そして、ドレッドヘアーで髭面の眠り姫を担ぐとソファからベッドに向けて投げるように放った。
こんな乱暴な扱いを受けても目を覚ます気配が微塵も無いのだからアルドは呆れて小さく首を振った。
そうして汚れたズボンを片手に部屋を出て洗濯室へと向かった。
ラクヨウはよく衣服を汚す。戦いでも食事でも酒でも何でもだ。――にも関わらず面倒臭がりのラクヨウは少々の汚れなんて気にしない性分の為、汚れた格好のままでも平気だった。
それを見兼ねた7番隊の隊員達が「少しは綺麗好きになってくださいよ〜、隊長なんすから〜」と度々愚痴っているのを聞いていたアルドは、ついでにラクヨウの衣服を洗濯することが多くなった。
そのおかげだろうか、特に『染み抜き』に関しては誰よりも手早く綺麗に熟せるようになっていた。
「あ、染み抜きですか?」
アルドはビスタが手にしている衣服を見ると珍しく自分から声を掛けた。
「ッ……! う、うむ」
まさかアルドから声を掛けられるとは思っていなかった。明らかに戸惑った反応を示したことに失礼をしたと思ったビスタは、慌てて「すまん」と矢継ぎ早に謝罪の言葉を漏らした。
アルドは特に気にするでも無く手を差し伸べた。
「貸してください。ついでにやりますから」
「!」
「おれで良ければ……ですが」
「あ、いや、紅茶を零してしまってな」
ビスタは未だに戸惑いを隠せないままアルドに衣服を渡した。すると、アルドの口元が僅かに孤を描くのが見えた。
―― 笑った……?
ビスタは思わず目を丸くした。
―― 聞いていた話と印象が随分違うように思えるのだが……。
「ラクヨウ隊長と同じですね。こっちはコーヒーですが……。洗って干しておきます」
「う、うむ。すまないなアルド」
「いえ、ついでですから」
アルドは軽く頭を下げるとラクヨウの衣服と共にビスタの衣服もタライに放り込んで洗濯を始めた。それにビスタはシルクハットのツバに指を掛けて軽く頭を下げるとその場を後にした。
―― あまり話をしたことは無かったが、……何か基準があるのだろうか?
ビスタは軽く首を捻りながら「初めて普通に会話をしたな」と独り言ちながら自室へと戻った。
中には男と同じ身形をした者達が多数。男が通り過ぎる度に深々と頭を下げながら「お帰りなさいませ」と声を掛けていた。
その様子からして、この男がそれなりの地位にある人間であることが見てわかる。しかし、館の最奥にある部屋にいたフード付きの黒いローブを羽織った老齢の男の前に来ると、その男は跪いて深々と頭を下げた。
「大導師様、ただいま戻りました」
大導師と呼ばれた老齢の男は、蓄えた白い髭を軽く撫でながら目の前で跪く男に微笑を零した。目尻の皺が寄るその顔は、一見すればどこにでもいるような好々爺のようにも見える。しかし、眼光はとても鋭く、笑ってはいるが情の無い冷たさと底の無い不気味さを感じさせる。
「シルヴァーノ、ご苦労だったな」
大導師が跪く男に労いの言葉を掛けるとシルヴァーノと名を呼ばれた男は恐縮気味に頭を下げて口を開いた。
「御命令通りに王家一族郎党全てを排除致しました」
報告を受けた大導師は「そうか……」と頷くと踵を返し、書棚の方へと足を向けた。
「あの者らが何代もの間を王として君臨することができたのは、我らがあってこそだというに、我らの情報を海軍に尽く流しおって……。裏切り者としては当然の報いだな」
大導師はそう言いながら分厚い本を何冊か手に取ると机の上にどさりと置いた。
「散り散りになった同胞達が尽く死に追いやられていること程に辛いものは無い。王家を失った国はいずれ統率が乱れ、治安は悪化し、動乱が起きよう。最早あの国もそう長くは持たん」
跪いたままのシルヴァーノへと視線を向けた大導師は、髭を軽く撫でながら椅子に腰を下ろした。
「さて、シルヴァーノよ。戻って早々悪いのだが次の仕事だ。これよりお前も各地に散ってしまった同胞達を探す仕事へと移行せよ」
「はい」
大導師がそう言うとシルヴァーノは漸く立ち上がって大導師の元へと歩み寄った。
「あァ、それとだな――」
大導師は数枚程の賞金首リストをシルヴァーノに渡した。シルヴァーノはリストを見るなりピクリと反応を示して大導師に目を向けた。
「これは珍しい。海賊団を滅ぼせと……?」
「大事な”我が子ら”を囲う集団だ。その者達を狙い、殺し、奪い返せ」
「つまり、この海賊団に同胞がいる。そういうことですか?」
「そうだ。各地に散らばりし我が子らを今一度この地に集結させることが何よりの急務だ。わかっておるな?」
「はい、承知しております」
大導師は机に両肘を突いて手を組むと笑みを湛えた。その笑みは相変わらず冷酷なものではあったが、シルヴァーノは意にも介さず無表情に見つめていた。
「海軍めが各地にある教団の施設を発見しては尽く潰しに掛かったおかげで同胞の数は少ない。一人でも多くの同胞を見つけねばならん。同胞を囲う海賊は、我々アサシンの存在やこの地のことを知っている可能性もある。同胞と言えども情報を売る可能性が無いとは限らんからな。良いか? 必ず全て殺せ」
「御意」
シルヴァーノは受け取った賞金首リストを懐に仕舞い込むと「では」とだけ残してその場から姿を消した。大導師はシルヴァーノの背を見送るとニヤリと笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと立ち上がって窓辺へと歩み寄り、そこから見える大海をじっと見つめた。
「全ては……、太古より存在する『秘宝』を手にする為にな」
大導師は誰に聞かせるともなくそう独り言ちるとクツリと口元を歪ませた。
暫くした後、シルヴァーノと同じ出で立ちをした別の男がその場に姿を現した。
大導師はゆっくりと振り向いた。
「ご苦労だったなカルミネ。早速だが次はここだ」
「第8エリア。ここは海軍の英雄とも呼ばれたガープの管轄下にある島ですね」
「この島にはヒューマンショップがある。そこに出入りをする天竜人を全て殺せ。そして、奴らを守ろうとする海軍も全て殲滅せよ」
「御意」
大導師の命令を受けたカルミネは、シルヴァーノと同じように颯爽とその場から姿を消し、大導師は椅子に腰を下ろした。
―― 我ら教団に牙を剥いた海軍。そして、世界各国の王家共。裏切りは許さん。利用するだけ利用したその報復を身をもって味わい、我々の力を思い知るが良い。世界政府の連中も天竜人の連中も同罪だ。世界は必ず我々教団の前に跪くことになろう。
「ククッ……」――と、大導師は喉を鳴らして静かに笑った。そして、卓上にあった一枚の報告書に視線を落とした。
「その為にはお前の力が必要だったというに、まさか既に死んでいようとはな。#イルマ#め、弟にいらぬ情を移しおって……。コルティノーヴィス家の恥ぞ。だが……、まァ良い。役に立たん者は不要。四将が揃っておれば不可能は無かろうて」
その報告書はヴァネッサという名のアサシンによるもので、そこにはある墓石の所在と墓石に刻まれた文字について書かれていた。
『コルティノーヴィス・#イルマ#とその弟アルド、ここに眠る』
大導師は報告書に書かれた『#イルマ#』の文字を愛し気になぞっていたが、クシャリと強く握り締めた。
「大導師様」
静かな空間に女の声が響いた。
大導師はその者の姿を見るでもなく背凭れに身体を預けて口を開いた。
「ヴァネッサか。報告せよ」
「はい。大導師様の仰せのままに、彼を地下施設から解き放ちました」
「そうか……」
「本当に宜しかったのでしょうか?」
「心配か?」
「牙を剥かぬとは限りません」
「好きにして構わんとしておけば、あやつがこちらに牙を剥くことはそうそう無かろう」
「……」
「あれを四将の一人とするのは不服か?」
「いえ」
アサシン教団の四将とされる彼らは大導師に次ぐ権力と実力を兼ね備えた者達だ。
シルヴァーノ、カルミネ、ヴァネッサ、そして……――。
ヴァネッサが受けた大導師の命令は、ある施設の地下に幽閉されたアサシンを解放することだった。その者はアサシンとして右に出る者はいないとされる程に有能な実力者だった。しかし、気位が高く、信条や規律を無視し、命令等一切聞かない欠陥品と見做され幽閉されていた。
「失われた百年よりも遥か昔から我らは世界に平和と秩序を齎し、バランスを保つ為に動いてきた。それを世界は裏切ったのだ。わかるなヴァネッサ」
「はい」
「もしあれが我らに牙を剥くか、あるいは役に立たない者であれば、ただ殺せば良い。当面は四将の一角を仮として埋める男として据えておけば良かろう」
大導師はニヤリと笑みを浮かべるとヴァネッサに次の指示を与えた。シルヴァーノと同様に各地に散らばったアサシンの招集だ。
ヴァネッサは「御意」と答えるとその場から姿を消し、大導師は背凭れに身体を預けて喉を鳴らして笑う。
「さァアサシン達よ。この腐った愚かな世界に終わりを告げよ。そして私を『世界の王』に押し上げるのだ。新たな世界の幕開けを、我らアサシンによって歴史を紡ごうではないか。……ククククッ」
大導師は誰も居ないその部屋で己の心内に巣食う野心を吐露した。
これまでに見せたことの無い程に不気味に歪んだ笑みを浮かべて――。
◇
冬島イムサに寄港して三日目。ログが溜まるまであと五日もある。
この日、厚手の衣服を着た隊員達が、モビー・ディック号の甲板に降り積もった雪を掻き出す作業をしていた。それを指揮するのは4番隊の隊長であるサッチであり精を出して働く面々は4番隊の隊員達である。
「隊長〜、また吹雪き始めちまって、これじゃあいくら掻き出しても無駄っすよ〜!」
「そうですよ。どうせまた積もっちまうんだから意味ねェっすよ」
「もうそろそろ町に出向きませんか〜?」
「温けェ場所で綺麗な姉ちゃんを隣に侍らせて酒を飲んで、その後はお楽しみと行きたいっすよね」
「これも仕事だ仕事! 大体ちょっとでもやっとかねェと、ここの、出入り口が、よっと! 雪で塞がっちまうだろうが! 文句があるならマルコに言えってんだーよっと!!」
サッチは掻き出した雪の塊を勢い良く海へと落とすと「ふぅ……」と、大きく息を吐きながら町へと視線を向けた。――まァ、気持ちはわからないでもないけど――と、苦笑を浮かべる。
「おれっちだってな、温かい場所で美人を両脇に侍らして酒を飲んで、その後に気持ちの良いことをだなァ……」
サッチは頬を緩ませつつ鼻の下を軽く伸ばした。隊員達もそんなサッチと同様に締まりの無い顔を浮かべながら妄想を膨らませて夢見心地気分を味わう。
そんな時、偶々彼らの話を耳にしたマルコが船内からひょこりと顔を出した。
なんともだらしのない恍惚とした表情を浮かべる4番隊の者達と、そんな彼らを率いるに相応しいと思わせる程に鼻の下を伸ばすサッチの顔を見つめて溜息を吐いた。
「今日の当番はお前ェらだよい。ここを全部掻き出しても町には行けねェから想像するだけ無駄だ。諦めてさっさと働け」
マルコは容赦なく彼らを現実へと引き戻した。
「くっ! 鬼マルコめ!」
「「「畜生! マルコ隊長が鬼畜過ぎて辛い!!」」」
「お前らの思考はサッチとあまりにも似過ぎちまって逆に怖ェよい」
モビー・ディック号の食を預かる4番隊は、隊長と同じくして女好きな奴らが多い。そう思うと、各隊の隊員達も不思議と隊長と似通った性格の者達が集まっているなとマルコは思った。
それは1番隊も然りで、他隊の者達よりも割と細かい気質で生真面目に仕事を熟す連中ばかりだ。分かり易いのは2番隊。隊長と同様に猪突猛進型が多くて頭を使う仕事を大の苦手とする者達が多い。
―― 4番隊なんて見ての通りだしなァ。
そう思った時、7番隊が脳裏に浮かんで異質な存在に思えるのがアルドだ。
ラクヨウとは全くもって異なるタイプで、どちらかと言えば1番隊向きの性格をしていると言える。しかし、だからと言って1番隊に編成するとしても拒否されるのは目に見えている。
―― おれはアルドに好まれてねェみてェだしなァ……。
マルコは冷える頭をポンポンと叩きながら船内へと引っ込み自室へと戻って行った。
その夜――
甲板に相変わらず積もって行く雪の掻き出し対策チームの4番隊と不寝番の12番隊が船に残った。それ以外の隊員達の殆どは、煌々と明かりを灯す町へと繰り出していて船内に残る人は少なかった。
人気の無いガランとした食堂で、疲労困憊となったサッチが突っ伏していた。そこに姿を現したのはアルドで、その存在に気付いたサッチはガバリと身体を起こした。
「おう、どした?」
「コーヒーの豆を切らしたので」
「あァ、ストックならあるぜ。取って来てやるからちょっと待ってろ」
「はい」
サッチは厨房に入るとコーヒー豆が入った真っ新の袋を手に取って直ぐにアルドの元へと戻った。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
アルドは軽く頭を下げて礼を述べるとそのまま立ち去ろうとした――が、サッチは何を思ったのか咄嗟にアルドの肩を掴んでそれを制止した。
「あーのさ、聞きてェことがあるんだけど」
「はい」
「単刀直入に聞くけど」
「……」
「――アルドって、実は女だったりする?」
数日前のラクヨウが零した言葉を耳にしてからサッチはずっと気になっていた。
男に対する接し方と女に対する接し方が大きく異なることは自覚している。それで、アルドのことは基本的に男として認識している。――にも関わらず「どうして……?」と引っ掛かりを覚えることが多々あった。
これまでのことを思い返してみれば、アルドに対してだけ男として扱い切れていないところが確かにある。時々、まるで女として扱うような気持ちにさえなることもあった気がする。もしアルドが本当に女ならば――今後の接し方とか色々と考えて改めなきゃなんねェし……。――と、サッチはそう思う。
それはサッチが女好き……いや、女に対して紳士でありたいと思う所以なのだが――。
一方、サッチの問いに対してアルドはというと全くの無反応だ。やはりあれは聞き間違いだったのかとサッチは不安になった。至って真剣に真っ直ぐな眼差しをアルドに向けて返事を待っていると、少し間を置いてからアルドの口がゆっくり開いた。
「何故、そう思うのですか?」
「そ、それは、んー……、おれっちの勘?」
サッチは――ラクヨウが独り言ちた言葉を盗み聞きしちまったんだ――とは言えずに咄嗟にそう答えた。
「ラクヨウ隊長の言葉を聞いた」
「!」
「――と言ったところですね」
アルドの返事にサッチは目を丸くした。
「あの時、あなたの気配が直ぐ側にあったというのに、あの人は全く関知せずに独り言ちていましたから……。ということですよね?」
「う、お、おう……」
「確かにおれは生物学的に女です」
「!」
「ですが、これまでずっと男として生きて来ましたから、今更おれを女として扱うなんてことは止めて頂きたい。それから、このことに関しては内密に願います。約束してくれますか?」
アルドが人差し指を口元に当ててそう言うとサッチは「お、おう」と若干戸惑い気味に頷いた。フードの陰に隠れた顔の表情は至っていつも通り平静だ。だがサッチが頷いた時、アルドの口元が僅かに孤を描いて笑みを浮かべたように見えた。
「では、失礼します」
アルドは軽く頭を下げるとその場を去って行った。
―― アルドが女……。アルドが……女。
サッチは愕然としながらフラフラと後退ってポスンと椅子に腰を落とした。
「マジ…か……。マジか!?」
暫く呆然としていたサッチは、後でラクヨウに声を掛けて話をしようと思った。しかし、ラクヨウは酒場に出向いてしまって不在だ。今夜は帰って来ることは無いだろう。
サッチは悶々とした思いを抱えたまま仕事を熟す羽目となった。
翌朝――
疲労と眠気で自室に戻ったサッチはベッドにどさりと倒れ込んだ。そして、昨晩のアルドの言葉を思い出して眉を顰める。
〜〜〜〜〜
「確かにおれは生物学的に女です」
〜〜〜〜〜
普通、そんな風に答えるだろうか?
今更だが違和感を覚えて仕方が無い。
「生物学的にって、その答え方はおかしくねェか? 生来から男として育ったからって言ってもあんな言い回しはしねェだろ……」
何度かフードを取っ払ったアルドの素顔を見たことがある。無表情で感情の起伏が乏しく機械仕掛けの人形と話をしているかのような錯覚さえあった。
色気もへったくれも無いから男として認識していた。しかし、男にしては線が細くて体格も華奢だ。だから女みたいだと思ったことはある――が、馬鹿な冗談だとしてあまりよく考えはしなかった。
ただ、特異な性格をしている為か、男ではあるものの女と接するかのような気遣いで接していたことは確かで――。
「あー……。うーん……」
サッチは枕に顔を埋めて唸った。
―― ラクヨウの奴はわかってて扱ってるってことだよな? けど、ラクヨウは性別だとか性格だとか一切気にしねェマイペースタイプだからなァ……。
ふと「ガハハハハッ!」と仁王立ちして盛大に笑う7番隊隊長のラクヨウが頭に浮かんだ。その男の横にはフードを被ったアルドがいる。
「まァ、本人が今更女として扱うのは止めろっつぅんだから、これまで通りに付き合うしかねェんだけど……」
サッチはブツブツとそう独り言ちて軽く溜息を吐いた。――とすると、ある事が脳裏を掠めてハッとした途端にガバリと身体を起こした。
―― ちょっと待て……。じゃあ、アルドはなんでマルコに対して分厚く壁を作るわけ?
サッチは両腕を組んで整理し始めた。そうして徐々に驚嘆する表情へと変えていった。
―― え? ちょっ……、まさか……!
ワナワナと震えた。頭の中の様々な事象が線で結ばれてバラバラのピースが繋がって一つの答えが出来上がった。
―― うおお、やっぱり! 流石『恋の伝道師』を自負するだけはあるぜ!
サッチは自画自賛した。
きっと自覚はしていないのだろう。
しかし、これは確実だ。
あいつは、アルドは『恋』をしている。
そう、『好き』な奴がいるのだ――と。
―― でなけりゃ、あんな質問をするはずが無ェしな!!
グッと拳を握ってそう思った。しかし、ラクヨウが恋愛について事細かく説明している際のアルドの様子は、まるで『学習している』かのようだった。
「あれ?」
頭の中で今し方組み立てられたピースが見事にバラバラと崩れ落ち、繋がった線は尽くプチプチと切れていった。
「見当違い……?」
ポツリと零した。
「わかんねェ。アルドが本当にわかんねェ……」
サッチは頭を悩ませた。しかし、それでも、直接当人に性別を聞いた時――思いのほかあっさりと答えてくれたことが何よりも大きな一歩じゃないか――と、開き直りにも似た思いを抱いた。
そうしてモヤモヤッとした思いを無理矢理払拭した。少しずつではあるがアルドとの距離は確実に縮まっている。これだけは明確に自負できる。
「ハハ……、あァ、マルコの奴にゃあ絶対無理な距離感だぜ」
そう軽く笑って独り言ちた。
本当にまさかと思った。
アルドが――マルコに――『恋』をしている。アルドが『好き』なのは”マルコ”なのだと。だからこそ釣れないのだと。
しかし、あまりにも突飛な考えだろうとして「そんなわけ無ェか」とサッチは自嘲する。
「ツンデレってェわけでもねェだろ。本当、アルドの態度は常に冷めてるもんな。感情の起伏も全く無ェし」
『ツン』も『デレ』もあるようには見受けられない。他人には常に無関心で、用件が終われば直ぐに話を切る。ただそれだけだ。誰に対してもそうなのだ。そう、誰に対しても――。
だがしかし、やはりマルコに対してはどこか違う気がして仕方が無い。何がどう違うのかと言われても明確に言葉として表現はし難いのだが、それこそ恋の伝道師としての『勘』と言える。
「暫くは様子見ってとこだな」
サッチはそう結論付けた。
欠伸をしてドサリと身体を倒して枕に顔を埋める。そうして間も無く「ぐが〜……ぐご〜……」とイビキを掻き始めて深い眠りに落ちた。
そんなサッチの部屋のドアに背中を預けるようにして佇む人物がいた。
アルドだ。
サッチが眠りに落ちてイビキを掻き始めたことでその場を立ち去って自室へと戻った。
〜〜〜〜〜
「ハハ……、あァ、マルコの奴にゃあ絶対無理な距離感だぜ」
〜〜〜〜〜
アルドの心中は少し穏やかでは無かった。
サッチが零した言葉。それはマルコに対する態度と他の者に対する態度に微妙な差異が生じているのを勘付いたということを意味していた。
これまで色々と言葉を交わしていく内にサッチに対する壁は消えていた。警戒心を抱くことも無く話せるようになっていたことに、最初こそ戸惑うことが多かったがそれが自然となっていた。
だからこそ先刻におけるサッチの質問に対して流れのまま素直に答えてしまったのだ。後になってそれを悔いても時既に遅しだ。
自室に戻ったアルドは――失態だ……――と、ソファに力無く座ると大きな溜息を吐いた。
翌日――
昼前に差し掛かる時分にラクヨウが帰って来た。アルドは直ぐにラクヨウを自室に招き入れると事の仔細を話した。その途端にラクヨウは目をひん剥いた。
「はァ!? そりゃあマジか!?」
「はい。嘘を言う趣味はありませんから本当です」
「お、おう、そうだな。……じゃねェ、てめェの趣味なんざどうでも良い。それよりもなんでまたサッチにバラしやがったんだ?」
「そもそもバラしたのはおれでは無くて隊長です」
「あン?」
「サッチ隊長が近くにいたにも関わらず隊長が独り言ちた科白をサッチ隊長が耳にされて知ることになったんです。反省すべきはラクヨウ隊長、あなたの方ですよ」
アルドはそう言うとコーヒーを口に含んでゴクリと飲んだ。
「んー???」
ラクヨウはコーヒーカップを片手に持ったまま首を傾げていた。
―― 記憶にねェなといった顔をしている……。
アルドはコーヒーを飲みながらラクヨウの表情を見つめてそう思った。
「女として扱うことは止めて頂きたいと釘を刺しておきましたが、後のことは隊長に全てお任せします」
「あ"ァ"!?」
アルドの言葉にラクヨウは大きく動揺した。それによってラクヨウの太腿に熱々のコーヒーが零れて無慈悲に襲い掛かった。
「だああっちいぃぃ!!!」
「また染みができますね」
「暢気に言ってねェで濡れたなんかを寄越せ!!」
「じゃあ濡れた短剣を」
「おう、そうそうこれこれ……じゃねェ! なんだ!? 責任を取って切腹しろって言いてェのか!?」
「ブラックジョークを言った覚えはありませんが、隊長がそう捉えると言う事は多少なりとも反省されているのだと理解しておきます」
「おう、悪ィなァ、理解力が高くて助かるぜ! ……じゃねェ、熱ィっつってんだろうが畜生がァァッ!!」
ラクヨウは太腿に張り付く衣服を引っ張って肌に触れないように浮かしている。
余程熱かったのだろう。あの強面に似会わず涙目を浮かべて必死だ。
「濡らしたタオルを早く寄越しやがれ!!」
ラクヨウは怒鳴った。アルドが無表情のまま「相応の罰ですね」と暢気に言いながら希望するタオルを投げ渡すとラクヨウは眉間に皺を寄せた。
―― ったく! だったら一層の事マルコにもバラしちまえってんだ!! この不器用女が!!
心内でそう悪態付きながら濡れたタオルで太腿を拭い、染み着いたコーヒー色の汚れに顔を顰めた。
「あァ、面倒くせェ。後で渡すから洗っとけ」
ラクヨウはソファにどさりと腰を下ろしてアルドにそう言った。
「くあァっ!」
夜通し酒盛りをしたツケだろうか、眠気に襲われたラクヨウは大きな欠伸をすると「寝る」と言って横たわって眠り始めた。
「……自由ですね」
衣服を渡すから洗っとけと今しがた言っておきながらその服を着たまま眠りに落ちるラクヨウにアルドは軽く溜息を吐いた。残ったコーヒーを飲み干して流し台に置くと自室を出てラクヨウの部屋へと向かう。そして、ラクヨウの部屋に入るとクローゼットから着替えを適当に取って自室へと戻った。
「ぐおお〜……ぐがァ〜……」
見事な鼻提灯を作りながら盛大なイビキを掻いて爆睡するラクヨウのベルトを外して無理矢理ズボンを脱がし、持って来た着替えを無理矢理に着せ終えた。そして、ドレッドヘアーで髭面の眠り姫を担ぐとソファからベッドに向けて投げるように放った。
こんな乱暴な扱いを受けても目を覚ます気配が微塵も無いのだからアルドは呆れて小さく首を振った。
そうして汚れたズボンを片手に部屋を出て洗濯室へと向かった。
ラクヨウはよく衣服を汚す。戦いでも食事でも酒でも何でもだ。――にも関わらず面倒臭がりのラクヨウは少々の汚れなんて気にしない性分の為、汚れた格好のままでも平気だった。
それを見兼ねた7番隊の隊員達が「少しは綺麗好きになってくださいよ〜、隊長なんすから〜」と度々愚痴っているのを聞いていたアルドは、ついでにラクヨウの衣服を洗濯することが多くなった。
そのおかげだろうか、特に『染み抜き』に関しては誰よりも手早く綺麗に熟せるようになっていた。
「あ、染み抜きですか?」
アルドはビスタが手にしている衣服を見ると珍しく自分から声を掛けた。
「ッ……! う、うむ」
まさかアルドから声を掛けられるとは思っていなかった。明らかに戸惑った反応を示したことに失礼をしたと思ったビスタは、慌てて「すまん」と矢継ぎ早に謝罪の言葉を漏らした。
アルドは特に気にするでも無く手を差し伸べた。
「貸してください。ついでにやりますから」
「!」
「おれで良ければ……ですが」
「あ、いや、紅茶を零してしまってな」
ビスタは未だに戸惑いを隠せないままアルドに衣服を渡した。すると、アルドの口元が僅かに孤を描くのが見えた。
―― 笑った……?
ビスタは思わず目を丸くした。
―― 聞いていた話と印象が随分違うように思えるのだが……。
「ラクヨウ隊長と同じですね。こっちはコーヒーですが……。洗って干しておきます」
「う、うむ。すまないなアルド」
「いえ、ついでですから」
アルドは軽く頭を下げるとラクヨウの衣服と共にビスタの衣服もタライに放り込んで洗濯を始めた。それにビスタはシルクハットのツバに指を掛けて軽く頭を下げるとその場を後にした。
―― あまり話をしたことは無かったが、……何か基準があるのだろうか?
ビスタは軽く首を捻りながら「初めて普通に会話をしたな」と独り言ちながら自室へと戻った。
サッチの勘
【〆栞】