18
森を抜けた先にある小さな町。逃走した中将を追い掛けるマルコとエースは、そこでやっと中将の姿を見つけた。
必死になって走って行く中将の姿に驚く町人達は、道を開けてはその後姿を不思議そうに見送っていた。その中で、幾人かが頭上で何やら音が聞こえた気がして上空を仰ぎ見た。しかし、そこに何かがいるわけでも無く気のせいかと、また視線を戻していた。
「エース! おれは先回りするよい!」
「頼む!」
エースが群衆の中を掻き分けて走る一方でマルコは中将の後を追う為に両腕を不死鳥へと化して上空へと飛んだ。その時、自分達と同じように中将の後を追う人物の姿を目撃した。
―― あれはッ……アルド!?
まさかとは思ったが見間違うはずの無いその出で立ち。――黒い衣服を纏い目深にフードを被るその姿はアルドだ。
マルコの意識は逃げた中将では無くアルドへと向けられた。
腰に巻かれた赤いサッシュが流れるように空気を切り裂いて行く様が一際目に付いた。
町の屋根伝いを走り建物と建物の間を飛び越えて水路に立つ塀や杭等を足場にして駆け抜けて行く。その速さは人のそれとは思えない程に軽快で俊敏で、そして――瞬く間に中将に追い付いた。
中将は後ろから追って来るものだとばかり思っていた。しかし、突如として日が遮られて影に覆われた。なんだとばかりに顔を上げた時、視界が映したのは人の手だ。
顔を掴まれるようにして勢いのまま地面へと押し倒された。
ズダン!!
「ぐがっ!」
後頭部から地面に強く叩き付けられた中将の口からへしゃげた声が漏れ出た。それと共に僅かの隙間から捉えたその姿はフードを被った男で――中将は目を見張った。
―― アサシン!? 裏切ったか!?
しかし、纏う衣服は自分が知るアサシン達とは違っていた。それが別人であることに気付いた――が、既に虫の息だ。
「っか…はっ……」
「これ以上罪を重ねる必要は無い。眠れ、安らかに」
「ッ……」
男の声にしては少し高く中性的な匂いがあった。ほんの一瞬だけ見えたその者の表情を見た時、中将は本物のアサシンたる者の脅威を知った。
―― 馬鹿なッ……。これが……、これ…が……。
中将はガクリと事切れた。
息絶えた中将をそのままに彼はゆっくりと立ち上がった。その時、空からその場に降り立つマルコの姿があった。
マルコが既に死んだ中将の元へと歩み寄る。
中将の喉元からは大量の血が夥しく流れ出して血溜まりができている。この殺され方はいつかの海賊と争った時、既に死んでいた海賊達の頭と同じだった。
マルコは視線をアルドへと向けた――が、思わず目を見張って息を呑んだ。
―― ッ……!
あれだけ疾走していたにも関わらず呼吸一つ乱れず汗すらも掻いていない。更に、人を殺しておきながら何も感じていないのか無表情。だが、いつも以上に情の欠片が微塵も無い無機質なもので――本当に、心の無い、機械仕掛けの人形のよう――。
中将の首元を掻っ切ったであろう左腕の小手具から顔を出す刃は、腕を軽く振って手首を返すとシャキンという音を鳴らして内側に収められた。そうしてアルドは何事も無かったかのようにマルコに背を向けて歩き出した。
「おい! アルド!」
マルコの声はアルドの耳に届いていないのか一切の反応も示さない。そのまま足を止めること無く去って行った。
「……」
初めて見た。暗殺を生業とする者《アサシン》の殺しの瞬間を――。
海賊を生業として戦いに身を置いている以上、生き死にが身近にあって当然で慣れてもいるはずなのだが、そんなマルコでさえもゾクリと背筋が凍る思いがした。
無抵抗で防御姿勢を取らせることも無ければその存在に気付いてすらいない相手に、何の躊躇も無く急所を目掛けて刃を下ろす様が、海賊と明らかに大きく異なるからだ。
何故アルドを船に乗せたのか。十年もの間、アルドは今の様にずっと陰で動いていたのか。その刃は、存在は、あまりにも危険過ぎる――マルコはそう思った。
確かに身内には何も無かった。しかし、この先はわからない。アルドの刃が決して白ひげ海賊団に向けられることは無いという保証も無ければ確証も無いのだ。
―― 警戒すべきだ。誰が何と言おうと、おれだけでも警戒はしておくべきだ。例えオヤジが”疑うな”と言ったとしても……。
マルコは死した中将の見開かれたままの目をそっと閉じて立ち上がった。その時、エースが漸くして追い付きその場に現れた。
「悪ィ、小せェ町の割に人が多くて遅くなっちまった。マルコが倒したのか?」
「この遺体を見ておれが倒したと思うかい?」
「首が斬られてるな。ってェことはマルコじゃねェ……って、どうなってんだ?」
「アルドだ」
「ん……? アルド……?」
エースは眉を顰めながら大きく首を傾げた。頭上に『?』のマークが飛び交っているような……、そんな風に見えた。
―― おい、お前ェ、まさか……。
「誰だそれ?」
「!?」
エースの返答にマルコは一驚した。いや、エースらしいと言えばそうかもしれないが流石に知らないのは不味いだろう――と思ったが、少し前の自分も確かに同じだった。そう思うとエースにどうこう言える立場でも無いかとマルコは苦笑を浮かべることしかできなかった。
島の中心地に向かうまでの間、マルコはエースにアルドのことについて知っていることを話してやることにした。そして、アルドが中将をどう倒したのかということも話すとエースは眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべた。
「そのアルドって奴は信用できるのか?」
「オヤジは『疑うな』と、そう言っているらしいが……」
「それ、誰に聞いたんだ?」
「サッチだ」
「あァそっか。んー……なら、とりあえずおれは”疑わねェ”よ」
エースは両手を後頭部に組んでニシシと笑った。
「お前ェはお気楽で良い身分だよい」
「だってマルコが疑うだろ?」
「……」
気楽に笑って歩くエースを尻目にマルコは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
立場上、誰もしないことをすることが課せられているような身だ。最後まで疑い警戒する役目を買って出るのはいつもの事。
そう、これは、いつもの事なのだ。
海賊船に身を置きながら海賊とは違うアルドを警戒する。
そう、アサシンであるアルドを――。
ツキンッ!
―― ッ……!
ほんの一瞬だけ脳裏に#イルマ#が過った気がした。その瞬間に胸に痛みが走った。
アサシンである彼女もまたアルドと同じなのだろうか?
何の躊躇いも無く人を殺すのだろうか?
殺した後、何も無かったように去るのだろうか?
あの時に彼女が流した涙は何を物語っていたのだろうか?
深い傷を負って血だらけだった姿は、そのまま心の傷でもあったのかもしれない。
そう思うとアルドの心もまた同じなのでは――と、思った。
いや、#イルマ#と重ねて同情すべきではない。アルドは彼女とは違うのだ。
マルコは胸中で複雑に絡まる思いを自制して押し殺すのだった。
◇
外界との連絡網が閉ざされたこの島は完全に孤立した状態となった。
白ひげ海賊団はモビー・ディック号へと一旦引き上げることにした。
各隊の隊長が船長室で報告をしては一時待機の命を受けて船長室を後にする。そうして今は、パッキンという名の成金がいる島に先行したハルタとイゾウが成果を報告し始めたところだ。
とりあえず外部との通信手段とされる機器は全て破壊したが、パッキンを仕留めるには警備が厳重で近付くことすらできなかったという。そして、パッキンの館の警備に付いている衛兵とは明らかに異なる集団がいたことも報告された。
ただそれが衛兵とは別に『新たに雇った集団』というだけの話に終わるだけなら良かったのだが――。
船長室には白ひげの他にビスタとジョズがいた。報告は主にハルタが行い、イゾウは怪訝な表情を浮かべながら黙ったままだ。
「その恰好がさ――」
フード付きの衣服を纏った赤尽くめの集団と、彼らの長と思われる白い衣服を纏った一人の男。彼らの姿格好や雰囲気はまるで――。
ハルタの報告を聞いたビスタとジョズは、お互いに顔を見合わせてから船長である白ひげへと向けた。
白ひげは眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべながら彼ら一人一人に目を配った。
ビスタとジョズにハルタやイゾウ――彼らが何を思い、何を聞きたいのか等、口にせずとも直ぐにわかる。白ひげは傍に置いてある電伝虫を手に取るとどこかに連絡をし始めた。
プルプルプルッ――プルプルプルッ――ガチャッ!
「あァ、おれだ。船長室に来い。今直ぐにだ」
『あー……、わかった』
電伝虫の先から聞こえて来た声に彼らは「やはり」といった表情を浮かべた。
白ひげが通話を切った時、船長室にノック音が鳴り響いた。
「オヤジ、入って良いかい?」
「あァ、構わねェ。入りやがれ」
白ひげは電伝虫を元に戻しながら船長室の扉を開けて入って来る三人の姿を見やった。
マルコとサッチ、そしてエースの三人だ。
船長室に漂う重い空気に三人は直ぐに何かあったことを察したようで、ハルタがマルコ達に報告の内容を話した。三人の表情が少し強張って白ひげへと目が向けられた。
それから少し遅れて再び船長室にノック音が響いた。
「オヤジ、おれだ」
「あァ、入れ」
船長室の扉を開けて中へ足を踏み入れた男は、隊長達の面々を見た途端に大きく表情を歪ませて「チッ!」と軽く舌打ちをした。
―― あー、クソ怠ィ……。
白ひげから電伝虫で呼び出されたのは7番隊の隊長であるラクヨウだ。頭をガリガリと掻きながらラクヨウが部屋の中央へと歩み寄る。
ハルタから報告を聞いたマルコの視線はとても鋭い。猜疑心や警戒心が灯されていることにラクヨウはまた小さく舌打ちをした。
ラクヨウが中央に立つと白ひげが話そうと口を開き掛けた。だが「オヤジ、連絡事項」と、ラクヨウが先に口火を切ってそれを遮った。
「連絡事項だと?」
「おう、三日ぐらい掛かるってよ」
それはどういう意味なのか、隊長達には理解し難いものだったが白ひげだけは理解したようで「そうか」と軽く頷いてみせた。
隊長達は愈々不審な目を向け始めた。しかし、そんな彼らの心情など最早どうでも良い――と、敢えて開き直ったラクヨウは、表情こそ険しいままだったが淡々と言葉を続けた。
「標的はパッキンつったか。その成金とそいつに加担する赤い集団を殲滅するってよ。ありゃあ目的を完遂するまで戻る気は無ェな」
ラクヨウは「以上」とだけ告げると船長内にある自分が座る定位置の席に腰を下ろした。そして、両手を頭の後ろに組んで「くあ〜!」と欠伸をした。涙で視界が歪む。隊長達の目が自分に向けられているのは気付いているが表情がはっきりとは見えない。
ラクヨウはその内の一人に目を向けた。
眉間の皺がより深く刻まれているマルコを見止めると「そうそう」と言って後頭部に組んだ手を解いた。
「あと伝言」
ラクヨウはそう言うと隊長達一人一人に目を向けて最後にマルコに戻すと続きを言った。
「疑いたければ疑えば良い。敵だと思うなら敵でも良い。警戒して距離を持ち、ことあるごとに不審の目を向けて監視をすればいい。それでもおれは変わらず同じことを繰り返す――だってよ」
「ッ……! ラクヨウ、それは……、アルドの伝言かよい」
「他に誰がいやがる」
睨むマルコにラクヨウはニヤリと笑った。
「お前ェら隊長方全員にだってよ。ったく、おれも隊長だぜ? なんで一隊員の伝言を任されなきゃなんねェんだっつぅの」
ラクヨウはわざとらしく唇を尖らせると机の上を人差し指でイジイジしていじける振りをした。しかし、直ぐに笑みを浮かべて隊長達一人一人に目を向ける。
笑みこそ浮かべてはいるが、目は射抜く様に鋭く、決して冗談や悪ふざけを言うような男の目では無かった。反論しようと口を開き掛けたマルコは口を閉ざした。
〜〜〜〜〜
「それでもおれは変わらない。全ては家族の為に……。それがおれの中の唯一無二の真実です」
〜〜〜〜〜
船を出る前にアルドが最後に残した言葉を思い出しながら話すラクヨウの心は決して穏やかではなかった。
―― オヤジや家族を守ることがこの男の『絶対領域』だからなァ……。
アルドの言葉を突き詰めれば『家族の為に』と口にしながら、その心の奥底にある真実は、目の前でアルドに疑いの目を向け始めているマルコの為に他ならないのだ。
「あのバカは、例え周りにどう思われようが自分の中の信念は絶対に曲げねェ頑固者だ。例え身内に疑われても、警戒されても、家族の為に行動することに変わりは無ェ」
ラクヨウはマルコからハルタやイゾウへと見やった後にサッチに目を向けた。
サッチは目を見開き固まっている。
他の隊長達の反応とは明らかに異なった様子にラクヨウは小さくクツリと喉を鳴らした。
―― 流石、この中で最もアルドと近い距離で接するだけはあるな。
サッチは申し分の無い味方だ。
そんなサッチが少し申し訳無さそうに手を挙げた。
「あ〜のよ、おれっちからちょっと発言しても良い?」
サッチの申し出に誰もがサッチに目を向けた。直ぐ側に立っていたマルコが溜息を吐いて無言のまま「なんだ」と言いたげな目を向けるとサッチは苦笑を浮かべながら話し始めた。
「この前アルドに『何の為にここにいるんだ?』って聞いたことがあってな」
サッチの言葉にマルコはピクンと反応した。「それで……?」と、エースが続きを促すように言うとサッチは頬をポリポリと掻きながら言った。
「全ては家族の為にって、はっきりとそう答えてくれたぜ」
「「「!」」」
サッチの言葉にビスタやジョズにハルタやイゾウまでも驚きの表情を浮かべた。
「確かにあいつはその辺の奴らと比べて普通じゃねェけど、もう少し信用してやっても良いんじゃねェかって、おれっちは思ってんだけど」
サッチは『自分の意見を隊長達に――』では無く、目の前にいるマルコを窘める意識を持ってそう言った。
「ガハハハ! あァ、サッチの言う通りだぜ! 例え今回の敵が似たような格好をしていたとしてもだ。見るべきは中身じゃねェのか? あ?」
サッチの言葉を引き受けるようにラクヨウは笑いながら言葉を続けた。そして、最後には本気で威嚇する表情へと変えて彼らに向けた。
きつく、鋭く、険しく――怒りにも似た表情だ。
ハルタは気圧されたのかゴクリと固唾を飲み、イゾウは表情こそあまり変えなかったが少し眉間に皺を寄せて目を瞑った。ビスタとジョズは呆然とただ見守ることしかできなかった。そして、彼らはマルコの様子を伺った。
この船で最も警戒心が強く最後まで猜疑心を捨てないマルコは、無表情ではあるがその眼光はとても鋭い。ラクヨウと睨み合う構図がそこに出来上がっていた。
重苦しい空気が船長室を包む。だが――
「難しいことはわかんねェけど、結局のところオヤジはどう思ってんだ?」
殺伐とし始める空気に一石を投じたのはエースだ。
「っつぅか、アルドってどいつのことなのか未だに知らねェんだけどな」
エースは手を後頭部に当てて笑いながら隣に立つサッチに顔を向けて言った。
「は!? マジか!?」
「おい、誰も教えなかったのか?」
「そう言えば……、教えてなかったかもしれん」
「僕らだって存在を知ったのはつい最近なんだから仕方が無いじゃん」
「仕方が無いで済む話では無いと思うんだが……」
暢気に笑うエースにサッチを始め、ジョズ、ビスタ、ハルタ、イゾウと口々に呆れた声を上げ、船長室の空気は一転して明るくなった。
―― グララララッ! 空気を変える天才だなァエース!
白ひげはそんなエースを見つめてニヤリと笑みを浮かべた。そして、漸く重たい口を開いた。
「簡単にだがあいつのことを少しだけ話してやろう。構わねェなラクヨウ?」
「あァ、是非そうして欲しいと思ってたところだぜ。特にマルコにはオヤジからしっかりと言い聞かせてやって欲しいもんだ」
「あァ!?」
ラクヨウの言葉にマルコは額に青筋を張って声を荒げた。
「事実を言ったまでだろうが。何を言っても納得しねェわ、疑いの目は向けるわ、十年来の身内をもっと信用しやがれって話だ。それにマルコ、アルドは他の誰でも無ェ、全てはッ――んぐ!!」
ラクヨウは咄嗟に自らの手で口を塞いだ。睨みを利かした表情は一変して軽く苦笑気味に、そして、どことなく顔が青くなっている。
「な、なんだよい……?」
戸惑うマルコを他所にラクヨウは冷や汗を垂らしながらモゴモゴと言葉を濁した。
『全てはてめェの為に動いてんだ!』
―― やべェ、ついマジで言っちまうところだった! くそ……、言いてェ、言ってやりてェ。アルド、やっぱり言っちゃあダメか?
心の中でそう問いながら『if』の展開を想像した――が、つい口が滑って『アルドがこの船で最も強い』ということを言ってしまったことを7番隊の隊員がアルドに報告した(今思えば自分達に責任の飛び火を回避する為の処置だったのだろう)直後のことが脳裏に駆け巡った。
〜〜〜〜〜
「もし、今後また口を滑らすようなことがありましたら、左手の薬指を切断しますね」
「あ”ァ”!? なんでだ!?」
「スペアのアサシンブレードがありますので、ラクヨウ隊長専用として旧型に作り直して貰います」
「意味がわからねェ。どうして旧型なんだ……?」
「旧型のアサシンブレードは、薬指を切断しないと使えないものなので、是非」
「おれはアサシンじゃねェからいらねェ。……っつぅか、なんでわざわざ旧型にする必要があんだ!?」
「ペナルティ……ですかね?」
「質問に質問で返すな。おれに聞くな。聞いてどうする?」
〜〜〜〜〜
あれは冗談だと思いたいがアルドなら本気でやり兼ねない。無表情でサラッと言う辺り本当に怖い。どこまでが冗談でどこからが本気なのかよくわからないのだから尚困る。
ラクヨウは左手の薬指をなんとなく撫でながら「な、なんでもねェよ。家族の為っつったら家族の為だってェの」と、吐き捨てるように言うと口笛を吹いて斜め上に視線を向けた。
あからさまな嘘っぷりに白ひげを始め隊長達全員が「嘘が下手だなラクヨウ」と声を揃えて言った。
「うぐっ……」
―― あァ、おれは嘘なんて吐く性分じゃねェし、そんな高等技術を持ち合わせちゃいねェ。
顔を顰めながら開き直るラクヨウはガタンと席を立った。
「オヤジ、おれァ外すぜ」
「何故だラクヨウ?」
白ひげが片眉を上げながらそう言うとラクヨウは何故か左手を守るような仕草を見せながら訴えた。
「腹が痛い。薬指は”特に”守りたい。色々なことがありすぎて頭が痛い。おれは細けェことは嫌いだし、適当に楽しくやれんなら良いと思ってる性分だ。説明っつっても上手く話せねェし、おれから話す気は更々無ェし、オヤジに悪ィが全部任せるぜ」
「……わかった。だが、ラクヨウその前にだ」
「あん?」
船長室の扉のドアノブを手にした時、白ひげから投げ掛けられた言葉に足を止めたラクヨウはキョトンとして振り向いた。
見れば白ひげが割とマジな目を向けていることに気付いた。
「他に報告することは無ェのか?」
「!」
白ひげの問いに思わず目を丸くしたラクヨウは、全身の動きを完全に停止して思考をフル回転させた。
―― 他に何を報告って……? んー……? あ、ひょっとしてアルドが何を考えてるとか、本当はどう思ってるとか、そういった系?
白ひげが何を思ってそう言ったのか戸惑ったラクヨウだったが、「んー、無い」とだけ残してさっさと出て行った。
扉がバタンと閉じるまで白ひげに睨み付けられているようだったが、ラクヨウにとってはそんなオヤジの思惑よりも己の『薬指の安全』の方が最優先事項だった。
―― いやァ、言いたい! 言いたい……けど、言っちまったらおれの薬指はソーセージみてェな形(なり)で床に転がっちまう!
シャキンと音を立ててアサシンブレードを出すとラクヨウの左手を机の上に固定して容赦無く刃を突き立てて問答無用に切断しに掛かるアルドと、「ぎゃあああ!!」と悲痛な叫びを上げて悶絶している自分自身の構図が容易に想像できる。
「お〜お〜、くわばら、くわばら」
ラクヨウは右手で左手の薬指を摩りながら自室へと戻るのだった。その一方――
ラクヨウが去った後の船長室では、簡易的にではあるが白ひげからアルドのことを説明された。
十年前に偶然出会った時に約束した『家族をくれてやる』という話をしたこと。そして、彼が『アサシン』であるということ。また、彼が『アサシン教団の殲滅を目的としている』ことを告げた。その理由は弟の死によるもので、仇討ちであるということも付け加えて――。
説明を聞いた隊長達は、まず『アサシン』というものがどういうものなのかが今一つピンと来ていないようで、首を捻ったりポカンとした表情を浮かべたりしている。
その中で一人だけ『アサシン』を理解していて、更に「聞きたいのはそうじゃねェ」と言いたげな表情を浮かべている者がいる。――マルコだ。
白ひげがマルコに目を向けると視線がかち合った。その時、白ひげは十数年前にマルコから報告として聞いた話をふと思い出した。
―― 確か暗器を持った少女に会ったと言っていたな。ん……? 暗器を持った少女……?
白ひげはハッとして思わず目を丸くした。普段そのような反応を見せることの無い白ひげにマルコはピクリと片眉を動かした。
―― オヤジ、話さなきゃならねェことが他にもあるんじゃねェのかよい。
そんなマルコの心情を察したかどうかはわからないが、白ひげはコホンと一つ咳払いをすると「以上で話は終いだ」とだけ告げて目を瞑った。これ以上話す気は無いといった雰囲気だ。
隊長達は聞いた話をそれぞれの胸の内で整理しながら船長室を後にした。
但し、マルコを除いて――。
船長室に白ひげとマルコの二人だけになるとマルコが「オヤジ」と声を掛けた。
白ひげは閉じた瞼をゆっくりと開け、軽く溜息を吐きながら椅子に深く座り直してマルコに向き合った。
―― 隠さず全て話してくれってェ顔だなァ。
厳しい表情を向けるマルコの顔を見つめながら白ひげは溜息を吐いた。
「少女の名前を聞いちゃいなかったなァ」
「そりゃあ……なんの話だい?」
ポツリと零した白ひげの言葉にマルコは片眉を上げた。
「マルコ、お前ェが十数年前に会った少女の話なんだがな」
「!」
「そいつがアサシンだったという確証はあるのか?」
「な、なんだよい急に」
「答えやがれ」
「それはッ……」
白ひげの問いに驚き戸惑ったマルコは上手く言葉を紡げずに押し黙った。
「アルドの武器が何よりの証拠ってェことか?」
「ッ……」
声を詰まらせながらマルコは頷いた。
「名は聞いたか?」
「ッ……、聞いた」
辛うじてなんとか声を出したマルコは首を振った。
「今は、その話は関係ねェ。オヤジ、アルドについて話してねェことが他にもあるんじゃねェのか? 全てをちゃんと話してくれよい」
「何故だ?」
「じゃねェとおれはずっと疑っちまう。例え周りが家族として受け入れたとしても、おれは最後まであいつを疑うし警戒も止めねェ」
珍しくマルコがしつこく喰らい付くように詰め寄って問い詰めて来るが、今度は白ひげが軽くかぶりを振った。
「先程、話したのが全てだ」
白ひげがそう答えるとマルコは少し苦悶にも似た表情を浮かべ、肩を落として大きく溜息を吐いた。
「わかった……」
マルコは少し小さな声でそう告げると踵を返して扉へと向かった。そして、ドアノブに手を掛けてガチャッと開けた時、足を止めて振り向き様に言った。「#イルマ#」――と。
「なに?」
「十数年前に会った子の名だよい。その子の名は#イルマ#だ」
「!!」
マルコは少しだけクツリと笑みを浮かべるとそのまま部屋を後にした。
パタンと扉が閉まる音が静寂に包まれた船長室に大きく響く。
白ひげは眉間に手を当てた。
まさかそうだとは思いもしなかった。しかし、ラクヨウが度々言葉を濁しつつあからさまに妙な反応を示すことを考えると腑に落ちた。
―― アルド……。いや#イルマ#、お前ェはまさか……。
様々な破片がピタッピタッと繋がって行く。
「グラララララッ」
白ひげは声を漏らして笑った。もし仮にそうならば、それは本当に良い傾向だと喜ばずにはいられない。
以前、エミリアからこんな話を聞かされた。――アルドは『好き』や『恋』といった感情を知らないみたい――という話。感情等というものはアサシンにとっては最も不要とされるものだ。そういったものに対して無知で無関心なのは幼い頃の環境が大いに影響しているが為だろう。
#イルマ#の本心は、マルコに何を思い、何を考え、どう心が動いているのか――。
白ひげは聞いてみたい気持ちになった。しかし、きっとそれを本人に聞いたところで帰って来る反応は『無』だろう。何の反応も示さずに沈黙するのが目に見えてわかる。
「ラクヨウには話したってェことか……」
流石にラクヨウは人の心の垣根を容赦無く土足で踏み越えて立ち入る男なだけはある――と、白ひげは感服した。
大雑把で細かい事を気にしない乱雑なあの男は、何故か忠義心が強く口が堅いのだから本当に妙な男だ――と、ラクヨウの為人にクツリと笑った。
「しかし……、マルコ、お前ェ、あの笑みはなんだ……?」
去り際に見せたマルコの笑みは苦笑混じりだったが、どこか切なげで寂しげなものに感じた。
マルコがあんな笑みを浮かべて見せること等、今まであっただろうか?
そもそもそういう笑みができたのか――と、少し脱線した思考を浮かべながら白ひげはマルコのことを思い返してみることにした。
「あいつはずっと後悔していたのか」
何かやれたのではないのか?
助けてやれたんじゃないか?
どうして手を差し伸べてやらなかった?
「何度も思い出しては自問自答を繰り返して来たのかもしれねェなァ」
マルコが1番隊の隊長になって間もない頃、この船の取り纏めの仕事を買って出て、偵察も率先して熟していた矢先での事だった。
帰還が遅れると連絡があってから数日後に戻って来たのは良いが、それから暫くの間はどこか上の空だったのを覚えている。
仕事の手を止めては考え込み、悔いるように顔を顰めては溜息を吐いて――と、心配したサッチから報告を受けたこともある。
二人きりになった時に問い質してみれば暗器を持った少女のことを口にしていたが、まさかその少女が#イルマ#だったとは思いもしなかった。
何故#イルマ#はマルコに何も言わない?
何故そのことを誰にも言わない?
ラクヨウは何を聞いた?
初めて会ったあの日に#イルマ#を連れて戻った時、最初に会ったのがマルコだった。あの時は表情一つ変えることは無かったが、今思えばきっと心の内は穏やかでは無かったのだろう。実弟の仇の為、固く誓った己の信念を貫く為、自らの心を殺して封印したに違いない。
「暫く様子を見るしかねェなァ。……ったく、おれァ気難しい娘と口の堅い息子にほとほと困らされちまってやがるぜ。グラララララッ!」
『親としての苦労』というやつか、白ひげはそう独り言ちながらどこか嬉しそうな笑みを零すのだった。
必死になって走って行く中将の姿に驚く町人達は、道を開けてはその後姿を不思議そうに見送っていた。その中で、幾人かが頭上で何やら音が聞こえた気がして上空を仰ぎ見た。しかし、そこに何かがいるわけでも無く気のせいかと、また視線を戻していた。
「エース! おれは先回りするよい!」
「頼む!」
エースが群衆の中を掻き分けて走る一方でマルコは中将の後を追う為に両腕を不死鳥へと化して上空へと飛んだ。その時、自分達と同じように中将の後を追う人物の姿を目撃した。
―― あれはッ……アルド!?
まさかとは思ったが見間違うはずの無いその出で立ち。――黒い衣服を纏い目深にフードを被るその姿はアルドだ。
マルコの意識は逃げた中将では無くアルドへと向けられた。
腰に巻かれた赤いサッシュが流れるように空気を切り裂いて行く様が一際目に付いた。
町の屋根伝いを走り建物と建物の間を飛び越えて水路に立つ塀や杭等を足場にして駆け抜けて行く。その速さは人のそれとは思えない程に軽快で俊敏で、そして――瞬く間に中将に追い付いた。
中将は後ろから追って来るものだとばかり思っていた。しかし、突如として日が遮られて影に覆われた。なんだとばかりに顔を上げた時、視界が映したのは人の手だ。
顔を掴まれるようにして勢いのまま地面へと押し倒された。
ズダン!!
「ぐがっ!」
後頭部から地面に強く叩き付けられた中将の口からへしゃげた声が漏れ出た。それと共に僅かの隙間から捉えたその姿はフードを被った男で――中将は目を見張った。
―― アサシン!? 裏切ったか!?
しかし、纏う衣服は自分が知るアサシン達とは違っていた。それが別人であることに気付いた――が、既に虫の息だ。
「っか…はっ……」
「これ以上罪を重ねる必要は無い。眠れ、安らかに」
「ッ……」
男の声にしては少し高く中性的な匂いがあった。ほんの一瞬だけ見えたその者の表情を見た時、中将は本物のアサシンたる者の脅威を知った。
―― 馬鹿なッ……。これが……、これ…が……。
中将はガクリと事切れた。
息絶えた中将をそのままに彼はゆっくりと立ち上がった。その時、空からその場に降り立つマルコの姿があった。
マルコが既に死んだ中将の元へと歩み寄る。
中将の喉元からは大量の血が夥しく流れ出して血溜まりができている。この殺され方はいつかの海賊と争った時、既に死んでいた海賊達の頭と同じだった。
マルコは視線をアルドへと向けた――が、思わず目を見張って息を呑んだ。
―― ッ……!
あれだけ疾走していたにも関わらず呼吸一つ乱れず汗すらも掻いていない。更に、人を殺しておきながら何も感じていないのか無表情。だが、いつも以上に情の欠片が微塵も無い無機質なもので――本当に、心の無い、機械仕掛けの人形のよう――。
中将の首元を掻っ切ったであろう左腕の小手具から顔を出す刃は、腕を軽く振って手首を返すとシャキンという音を鳴らして内側に収められた。そうしてアルドは何事も無かったかのようにマルコに背を向けて歩き出した。
「おい! アルド!」
マルコの声はアルドの耳に届いていないのか一切の反応も示さない。そのまま足を止めること無く去って行った。
「……」
初めて見た。暗殺を生業とする者《アサシン》の殺しの瞬間を――。
海賊を生業として戦いに身を置いている以上、生き死にが身近にあって当然で慣れてもいるはずなのだが、そんなマルコでさえもゾクリと背筋が凍る思いがした。
無抵抗で防御姿勢を取らせることも無ければその存在に気付いてすらいない相手に、何の躊躇も無く急所を目掛けて刃を下ろす様が、海賊と明らかに大きく異なるからだ。
何故アルドを船に乗せたのか。十年もの間、アルドは今の様にずっと陰で動いていたのか。その刃は、存在は、あまりにも危険過ぎる――マルコはそう思った。
確かに身内には何も無かった。しかし、この先はわからない。アルドの刃が決して白ひげ海賊団に向けられることは無いという保証も無ければ確証も無いのだ。
―― 警戒すべきだ。誰が何と言おうと、おれだけでも警戒はしておくべきだ。例えオヤジが”疑うな”と言ったとしても……。
マルコは死した中将の見開かれたままの目をそっと閉じて立ち上がった。その時、エースが漸くして追い付きその場に現れた。
「悪ィ、小せェ町の割に人が多くて遅くなっちまった。マルコが倒したのか?」
「この遺体を見ておれが倒したと思うかい?」
「首が斬られてるな。ってェことはマルコじゃねェ……って、どうなってんだ?」
「アルドだ」
「ん……? アルド……?」
エースは眉を顰めながら大きく首を傾げた。頭上に『?』のマークが飛び交っているような……、そんな風に見えた。
―― おい、お前ェ、まさか……。
「誰だそれ?」
「!?」
エースの返答にマルコは一驚した。いや、エースらしいと言えばそうかもしれないが流石に知らないのは不味いだろう――と思ったが、少し前の自分も確かに同じだった。そう思うとエースにどうこう言える立場でも無いかとマルコは苦笑を浮かべることしかできなかった。
島の中心地に向かうまでの間、マルコはエースにアルドのことについて知っていることを話してやることにした。そして、アルドが中将をどう倒したのかということも話すとエースは眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべた。
「そのアルドって奴は信用できるのか?」
「オヤジは『疑うな』と、そう言っているらしいが……」
「それ、誰に聞いたんだ?」
「サッチだ」
「あァそっか。んー……なら、とりあえずおれは”疑わねェ”よ」
エースは両手を後頭部に組んでニシシと笑った。
「お前ェはお気楽で良い身分だよい」
「だってマルコが疑うだろ?」
「……」
気楽に笑って歩くエースを尻目にマルコは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
立場上、誰もしないことをすることが課せられているような身だ。最後まで疑い警戒する役目を買って出るのはいつもの事。
そう、これは、いつもの事なのだ。
海賊船に身を置きながら海賊とは違うアルドを警戒する。
そう、アサシンであるアルドを――。
ツキンッ!
―― ッ……!
ほんの一瞬だけ脳裏に#イルマ#が過った気がした。その瞬間に胸に痛みが走った。
アサシンである彼女もまたアルドと同じなのだろうか?
何の躊躇いも無く人を殺すのだろうか?
殺した後、何も無かったように去るのだろうか?
あの時に彼女が流した涙は何を物語っていたのだろうか?
深い傷を負って血だらけだった姿は、そのまま心の傷でもあったのかもしれない。
そう思うとアルドの心もまた同じなのでは――と、思った。
いや、#イルマ#と重ねて同情すべきではない。アルドは彼女とは違うのだ。
マルコは胸中で複雑に絡まる思いを自制して押し殺すのだった。
◇
外界との連絡網が閉ざされたこの島は完全に孤立した状態となった。
白ひげ海賊団はモビー・ディック号へと一旦引き上げることにした。
各隊の隊長が船長室で報告をしては一時待機の命を受けて船長室を後にする。そうして今は、パッキンという名の成金がいる島に先行したハルタとイゾウが成果を報告し始めたところだ。
とりあえず外部との通信手段とされる機器は全て破壊したが、パッキンを仕留めるには警備が厳重で近付くことすらできなかったという。そして、パッキンの館の警備に付いている衛兵とは明らかに異なる集団がいたことも報告された。
ただそれが衛兵とは別に『新たに雇った集団』というだけの話に終わるだけなら良かったのだが――。
船長室には白ひげの他にビスタとジョズがいた。報告は主にハルタが行い、イゾウは怪訝な表情を浮かべながら黙ったままだ。
「その恰好がさ――」
フード付きの衣服を纏った赤尽くめの集団と、彼らの長と思われる白い衣服を纏った一人の男。彼らの姿格好や雰囲気はまるで――。
ハルタの報告を聞いたビスタとジョズは、お互いに顔を見合わせてから船長である白ひげへと向けた。
白ひげは眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべながら彼ら一人一人に目を配った。
ビスタとジョズにハルタやイゾウ――彼らが何を思い、何を聞きたいのか等、口にせずとも直ぐにわかる。白ひげは傍に置いてある電伝虫を手に取るとどこかに連絡をし始めた。
プルプルプルッ――プルプルプルッ――ガチャッ!
「あァ、おれだ。船長室に来い。今直ぐにだ」
『あー……、わかった』
電伝虫の先から聞こえて来た声に彼らは「やはり」といった表情を浮かべた。
白ひげが通話を切った時、船長室にノック音が鳴り響いた。
「オヤジ、入って良いかい?」
「あァ、構わねェ。入りやがれ」
白ひげは電伝虫を元に戻しながら船長室の扉を開けて入って来る三人の姿を見やった。
マルコとサッチ、そしてエースの三人だ。
船長室に漂う重い空気に三人は直ぐに何かあったことを察したようで、ハルタがマルコ達に報告の内容を話した。三人の表情が少し強張って白ひげへと目が向けられた。
それから少し遅れて再び船長室にノック音が響いた。
「オヤジ、おれだ」
「あァ、入れ」
船長室の扉を開けて中へ足を踏み入れた男は、隊長達の面々を見た途端に大きく表情を歪ませて「チッ!」と軽く舌打ちをした。
―― あー、クソ怠ィ……。
白ひげから電伝虫で呼び出されたのは7番隊の隊長であるラクヨウだ。頭をガリガリと掻きながらラクヨウが部屋の中央へと歩み寄る。
ハルタから報告を聞いたマルコの視線はとても鋭い。猜疑心や警戒心が灯されていることにラクヨウはまた小さく舌打ちをした。
ラクヨウが中央に立つと白ひげが話そうと口を開き掛けた。だが「オヤジ、連絡事項」と、ラクヨウが先に口火を切ってそれを遮った。
「連絡事項だと?」
「おう、三日ぐらい掛かるってよ」
それはどういう意味なのか、隊長達には理解し難いものだったが白ひげだけは理解したようで「そうか」と軽く頷いてみせた。
隊長達は愈々不審な目を向け始めた。しかし、そんな彼らの心情など最早どうでも良い――と、敢えて開き直ったラクヨウは、表情こそ険しいままだったが淡々と言葉を続けた。
「標的はパッキンつったか。その成金とそいつに加担する赤い集団を殲滅するってよ。ありゃあ目的を完遂するまで戻る気は無ェな」
ラクヨウは「以上」とだけ告げると船長内にある自分が座る定位置の席に腰を下ろした。そして、両手を頭の後ろに組んで「くあ〜!」と欠伸をした。涙で視界が歪む。隊長達の目が自分に向けられているのは気付いているが表情がはっきりとは見えない。
ラクヨウはその内の一人に目を向けた。
眉間の皺がより深く刻まれているマルコを見止めると「そうそう」と言って後頭部に組んだ手を解いた。
「あと伝言」
ラクヨウはそう言うと隊長達一人一人に目を向けて最後にマルコに戻すと続きを言った。
「疑いたければ疑えば良い。敵だと思うなら敵でも良い。警戒して距離を持ち、ことあるごとに不審の目を向けて監視をすればいい。それでもおれは変わらず同じことを繰り返す――だってよ」
「ッ……! ラクヨウ、それは……、アルドの伝言かよい」
「他に誰がいやがる」
睨むマルコにラクヨウはニヤリと笑った。
「お前ェら隊長方全員にだってよ。ったく、おれも隊長だぜ? なんで一隊員の伝言を任されなきゃなんねェんだっつぅの」
ラクヨウはわざとらしく唇を尖らせると机の上を人差し指でイジイジしていじける振りをした。しかし、直ぐに笑みを浮かべて隊長達一人一人に目を向ける。
笑みこそ浮かべてはいるが、目は射抜く様に鋭く、決して冗談や悪ふざけを言うような男の目では無かった。反論しようと口を開き掛けたマルコは口を閉ざした。
〜〜〜〜〜
「それでもおれは変わらない。全ては家族の為に……。それがおれの中の唯一無二の真実です」
〜〜〜〜〜
船を出る前にアルドが最後に残した言葉を思い出しながら話すラクヨウの心は決して穏やかではなかった。
―― オヤジや家族を守ることがこの男の『絶対領域』だからなァ……。
アルドの言葉を突き詰めれば『家族の為に』と口にしながら、その心の奥底にある真実は、目の前でアルドに疑いの目を向け始めているマルコの為に他ならないのだ。
「あのバカは、例え周りにどう思われようが自分の中の信念は絶対に曲げねェ頑固者だ。例え身内に疑われても、警戒されても、家族の為に行動することに変わりは無ェ」
ラクヨウはマルコからハルタやイゾウへと見やった後にサッチに目を向けた。
サッチは目を見開き固まっている。
他の隊長達の反応とは明らかに異なった様子にラクヨウは小さくクツリと喉を鳴らした。
―― 流石、この中で最もアルドと近い距離で接するだけはあるな。
サッチは申し分の無い味方だ。
そんなサッチが少し申し訳無さそうに手を挙げた。
「あ〜のよ、おれっちからちょっと発言しても良い?」
サッチの申し出に誰もがサッチに目を向けた。直ぐ側に立っていたマルコが溜息を吐いて無言のまま「なんだ」と言いたげな目を向けるとサッチは苦笑を浮かべながら話し始めた。
「この前アルドに『何の為にここにいるんだ?』って聞いたことがあってな」
サッチの言葉にマルコはピクンと反応した。「それで……?」と、エースが続きを促すように言うとサッチは頬をポリポリと掻きながら言った。
「全ては家族の為にって、はっきりとそう答えてくれたぜ」
「「「!」」」
サッチの言葉にビスタやジョズにハルタやイゾウまでも驚きの表情を浮かべた。
「確かにあいつはその辺の奴らと比べて普通じゃねェけど、もう少し信用してやっても良いんじゃねェかって、おれっちは思ってんだけど」
サッチは『自分の意見を隊長達に――』では無く、目の前にいるマルコを窘める意識を持ってそう言った。
「ガハハハ! あァ、サッチの言う通りだぜ! 例え今回の敵が似たような格好をしていたとしてもだ。見るべきは中身じゃねェのか? あ?」
サッチの言葉を引き受けるようにラクヨウは笑いながら言葉を続けた。そして、最後には本気で威嚇する表情へと変えて彼らに向けた。
きつく、鋭く、険しく――怒りにも似た表情だ。
ハルタは気圧されたのかゴクリと固唾を飲み、イゾウは表情こそあまり変えなかったが少し眉間に皺を寄せて目を瞑った。ビスタとジョズは呆然とただ見守ることしかできなかった。そして、彼らはマルコの様子を伺った。
この船で最も警戒心が強く最後まで猜疑心を捨てないマルコは、無表情ではあるがその眼光はとても鋭い。ラクヨウと睨み合う構図がそこに出来上がっていた。
重苦しい空気が船長室を包む。だが――
「難しいことはわかんねェけど、結局のところオヤジはどう思ってんだ?」
殺伐とし始める空気に一石を投じたのはエースだ。
「っつぅか、アルドってどいつのことなのか未だに知らねェんだけどな」
エースは手を後頭部に当てて笑いながら隣に立つサッチに顔を向けて言った。
「は!? マジか!?」
「おい、誰も教えなかったのか?」
「そう言えば……、教えてなかったかもしれん」
「僕らだって存在を知ったのはつい最近なんだから仕方が無いじゃん」
「仕方が無いで済む話では無いと思うんだが……」
暢気に笑うエースにサッチを始め、ジョズ、ビスタ、ハルタ、イゾウと口々に呆れた声を上げ、船長室の空気は一転して明るくなった。
―― グララララッ! 空気を変える天才だなァエース!
白ひげはそんなエースを見つめてニヤリと笑みを浮かべた。そして、漸く重たい口を開いた。
「簡単にだがあいつのことを少しだけ話してやろう。構わねェなラクヨウ?」
「あァ、是非そうして欲しいと思ってたところだぜ。特にマルコにはオヤジからしっかりと言い聞かせてやって欲しいもんだ」
「あァ!?」
ラクヨウの言葉にマルコは額に青筋を張って声を荒げた。
「事実を言ったまでだろうが。何を言っても納得しねェわ、疑いの目は向けるわ、十年来の身内をもっと信用しやがれって話だ。それにマルコ、アルドは他の誰でも無ェ、全てはッ――んぐ!!」
ラクヨウは咄嗟に自らの手で口を塞いだ。睨みを利かした表情は一変して軽く苦笑気味に、そして、どことなく顔が青くなっている。
「な、なんだよい……?」
戸惑うマルコを他所にラクヨウは冷や汗を垂らしながらモゴモゴと言葉を濁した。
『全てはてめェの為に動いてんだ!』
―― やべェ、ついマジで言っちまうところだった! くそ……、言いてェ、言ってやりてェ。アルド、やっぱり言っちゃあダメか?
心の中でそう問いながら『if』の展開を想像した――が、つい口が滑って『アルドがこの船で最も強い』ということを言ってしまったことを7番隊の隊員がアルドに報告した(今思えば自分達に責任の飛び火を回避する為の処置だったのだろう)直後のことが脳裏に駆け巡った。
〜〜〜〜〜
「もし、今後また口を滑らすようなことがありましたら、左手の薬指を切断しますね」
「あ”ァ”!? なんでだ!?」
「スペアのアサシンブレードがありますので、ラクヨウ隊長専用として旧型に作り直して貰います」
「意味がわからねェ。どうして旧型なんだ……?」
「旧型のアサシンブレードは、薬指を切断しないと使えないものなので、是非」
「おれはアサシンじゃねェからいらねェ。……っつぅか、なんでわざわざ旧型にする必要があんだ!?」
「ペナルティ……ですかね?」
「質問に質問で返すな。おれに聞くな。聞いてどうする?」
〜〜〜〜〜
あれは冗談だと思いたいがアルドなら本気でやり兼ねない。無表情でサラッと言う辺り本当に怖い。どこまでが冗談でどこからが本気なのかよくわからないのだから尚困る。
ラクヨウは左手の薬指をなんとなく撫でながら「な、なんでもねェよ。家族の為っつったら家族の為だってェの」と、吐き捨てるように言うと口笛を吹いて斜め上に視線を向けた。
あからさまな嘘っぷりに白ひげを始め隊長達全員が「嘘が下手だなラクヨウ」と声を揃えて言った。
「うぐっ……」
―― あァ、おれは嘘なんて吐く性分じゃねェし、そんな高等技術を持ち合わせちゃいねェ。
顔を顰めながら開き直るラクヨウはガタンと席を立った。
「オヤジ、おれァ外すぜ」
「何故だラクヨウ?」
白ひげが片眉を上げながらそう言うとラクヨウは何故か左手を守るような仕草を見せながら訴えた。
「腹が痛い。薬指は”特に”守りたい。色々なことがありすぎて頭が痛い。おれは細けェことは嫌いだし、適当に楽しくやれんなら良いと思ってる性分だ。説明っつっても上手く話せねェし、おれから話す気は更々無ェし、オヤジに悪ィが全部任せるぜ」
「……わかった。だが、ラクヨウその前にだ」
「あん?」
船長室の扉のドアノブを手にした時、白ひげから投げ掛けられた言葉に足を止めたラクヨウはキョトンとして振り向いた。
見れば白ひげが割とマジな目を向けていることに気付いた。
「他に報告することは無ェのか?」
「!」
白ひげの問いに思わず目を丸くしたラクヨウは、全身の動きを完全に停止して思考をフル回転させた。
―― 他に何を報告って……? んー……? あ、ひょっとしてアルドが何を考えてるとか、本当はどう思ってるとか、そういった系?
白ひげが何を思ってそう言ったのか戸惑ったラクヨウだったが、「んー、無い」とだけ残してさっさと出て行った。
扉がバタンと閉じるまで白ひげに睨み付けられているようだったが、ラクヨウにとってはそんなオヤジの思惑よりも己の『薬指の安全』の方が最優先事項だった。
―― いやァ、言いたい! 言いたい……けど、言っちまったらおれの薬指はソーセージみてェな形(なり)で床に転がっちまう!
シャキンと音を立ててアサシンブレードを出すとラクヨウの左手を机の上に固定して容赦無く刃を突き立てて問答無用に切断しに掛かるアルドと、「ぎゃあああ!!」と悲痛な叫びを上げて悶絶している自分自身の構図が容易に想像できる。
「お〜お〜、くわばら、くわばら」
ラクヨウは右手で左手の薬指を摩りながら自室へと戻るのだった。その一方――
ラクヨウが去った後の船長室では、簡易的にではあるが白ひげからアルドのことを説明された。
十年前に偶然出会った時に約束した『家族をくれてやる』という話をしたこと。そして、彼が『アサシン』であるということ。また、彼が『アサシン教団の殲滅を目的としている』ことを告げた。その理由は弟の死によるもので、仇討ちであるということも付け加えて――。
説明を聞いた隊長達は、まず『アサシン』というものがどういうものなのかが今一つピンと来ていないようで、首を捻ったりポカンとした表情を浮かべたりしている。
その中で一人だけ『アサシン』を理解していて、更に「聞きたいのはそうじゃねェ」と言いたげな表情を浮かべている者がいる。――マルコだ。
白ひげがマルコに目を向けると視線がかち合った。その時、白ひげは十数年前にマルコから報告として聞いた話をふと思い出した。
―― 確か暗器を持った少女に会ったと言っていたな。ん……? 暗器を持った少女……?
白ひげはハッとして思わず目を丸くした。普段そのような反応を見せることの無い白ひげにマルコはピクリと片眉を動かした。
―― オヤジ、話さなきゃならねェことが他にもあるんじゃねェのかよい。
そんなマルコの心情を察したかどうかはわからないが、白ひげはコホンと一つ咳払いをすると「以上で話は終いだ」とだけ告げて目を瞑った。これ以上話す気は無いといった雰囲気だ。
隊長達は聞いた話をそれぞれの胸の内で整理しながら船長室を後にした。
但し、マルコを除いて――。
船長室に白ひげとマルコの二人だけになるとマルコが「オヤジ」と声を掛けた。
白ひげは閉じた瞼をゆっくりと開け、軽く溜息を吐きながら椅子に深く座り直してマルコに向き合った。
―― 隠さず全て話してくれってェ顔だなァ。
厳しい表情を向けるマルコの顔を見つめながら白ひげは溜息を吐いた。
「少女の名前を聞いちゃいなかったなァ」
「そりゃあ……なんの話だい?」
ポツリと零した白ひげの言葉にマルコは片眉を上げた。
「マルコ、お前ェが十数年前に会った少女の話なんだがな」
「!」
「そいつがアサシンだったという確証はあるのか?」
「な、なんだよい急に」
「答えやがれ」
「それはッ……」
白ひげの問いに驚き戸惑ったマルコは上手く言葉を紡げずに押し黙った。
「アルドの武器が何よりの証拠ってェことか?」
「ッ……」
声を詰まらせながらマルコは頷いた。
「名は聞いたか?」
「ッ……、聞いた」
辛うじてなんとか声を出したマルコは首を振った。
「今は、その話は関係ねェ。オヤジ、アルドについて話してねェことが他にもあるんじゃねェのか? 全てをちゃんと話してくれよい」
「何故だ?」
「じゃねェとおれはずっと疑っちまう。例え周りが家族として受け入れたとしても、おれは最後まであいつを疑うし警戒も止めねェ」
珍しくマルコがしつこく喰らい付くように詰め寄って問い詰めて来るが、今度は白ひげが軽くかぶりを振った。
「先程、話したのが全てだ」
白ひげがそう答えるとマルコは少し苦悶にも似た表情を浮かべ、肩を落として大きく溜息を吐いた。
「わかった……」
マルコは少し小さな声でそう告げると踵を返して扉へと向かった。そして、ドアノブに手を掛けてガチャッと開けた時、足を止めて振り向き様に言った。「#イルマ#」――と。
「なに?」
「十数年前に会った子の名だよい。その子の名は#イルマ#だ」
「!!」
マルコは少しだけクツリと笑みを浮かべるとそのまま部屋を後にした。
パタンと扉が閉まる音が静寂に包まれた船長室に大きく響く。
白ひげは眉間に手を当てた。
まさかそうだとは思いもしなかった。しかし、ラクヨウが度々言葉を濁しつつあからさまに妙な反応を示すことを考えると腑に落ちた。
―― アルド……。いや#イルマ#、お前ェはまさか……。
様々な破片がピタッピタッと繋がって行く。
「グラララララッ」
白ひげは声を漏らして笑った。もし仮にそうならば、それは本当に良い傾向だと喜ばずにはいられない。
以前、エミリアからこんな話を聞かされた。――アルドは『好き』や『恋』といった感情を知らないみたい――という話。感情等というものはアサシンにとっては最も不要とされるものだ。そういったものに対して無知で無関心なのは幼い頃の環境が大いに影響しているが為だろう。
#イルマ#の本心は、マルコに何を思い、何を考え、どう心が動いているのか――。
白ひげは聞いてみたい気持ちになった。しかし、きっとそれを本人に聞いたところで帰って来る反応は『無』だろう。何の反応も示さずに沈黙するのが目に見えてわかる。
「ラクヨウには話したってェことか……」
流石にラクヨウは人の心の垣根を容赦無く土足で踏み越えて立ち入る男なだけはある――と、白ひげは感服した。
大雑把で細かい事を気にしない乱雑なあの男は、何故か忠義心が強く口が堅いのだから本当に妙な男だ――と、ラクヨウの為人にクツリと笑った。
「しかし……、マルコ、お前ェ、あの笑みはなんだ……?」
去り際に見せたマルコの笑みは苦笑混じりだったが、どこか切なげで寂しげなものに感じた。
マルコがあんな笑みを浮かべて見せること等、今まであっただろうか?
そもそもそういう笑みができたのか――と、少し脱線した思考を浮かべながら白ひげはマルコのことを思い返してみることにした。
「あいつはずっと後悔していたのか」
何かやれたのではないのか?
助けてやれたんじゃないか?
どうして手を差し伸べてやらなかった?
「何度も思い出しては自問自答を繰り返して来たのかもしれねェなァ」
マルコが1番隊の隊長になって間もない頃、この船の取り纏めの仕事を買って出て、偵察も率先して熟していた矢先での事だった。
帰還が遅れると連絡があってから数日後に戻って来たのは良いが、それから暫くの間はどこか上の空だったのを覚えている。
仕事の手を止めては考え込み、悔いるように顔を顰めては溜息を吐いて――と、心配したサッチから報告を受けたこともある。
二人きりになった時に問い質してみれば暗器を持った少女のことを口にしていたが、まさかその少女が#イルマ#だったとは思いもしなかった。
何故#イルマ#はマルコに何も言わない?
何故そのことを誰にも言わない?
ラクヨウは何を聞いた?
初めて会ったあの日に#イルマ#を連れて戻った時、最初に会ったのがマルコだった。あの時は表情一つ変えることは無かったが、今思えばきっと心の内は穏やかでは無かったのだろう。実弟の仇の為、固く誓った己の信念を貫く為、自らの心を殺して封印したに違いない。
「暫く様子を見るしかねェなァ。……ったく、おれァ気難しい娘と口の堅い息子にほとほと困らされちまってやがるぜ。グラララララッ!」
『親としての苦労』というやつか、白ひげはそう独り言ちながらどこか嬉しそうな笑みを零すのだった。
交錯する真実
【〆栞】