19
日が落ちて夜になる頃、モビー・ディック内では一先ず夜が明けるまで休めとの命令が下された。朝から海賊や海軍と連戦続きだった為、疲労を回復すべく誰もが大人しく部屋に戻って休んでいた。
そんな中、マルコは甲板に出て島を見つめていた。
〜〜〜〜〜
「標的はパッキンつったか。その成金とそいつに加担する赤い集団を殲滅するってよ。ありゃあ目的を完遂するまで戻る気は無ェな」
〜〜〜〜〜
単独行動に出ているアルドのことが気になって休む気にはなれなかった。
そういう指示をラクヨウが出すことはまず考えられない。誰かの指示があってのことでも無いだろう。自らの意思で動いているのだろうが、率先して行動させる理由が何であるのかが知りたい――。
「気になるのなら行ってみてはどうだマルコ?」
「!」
見回りの最中、闇夜に包まれた島を見つめるマルコの姿に気付いたビスタが声を掛けた。マルコが何を思って佇んでいるのかをなんとなくわかったからだ。そして、やれやれと溜息を吐きつつマルコの隣に立ち並んだ。
「気になるのなら探しに行けば良いではないか」
「別に……、そういうわけじゃねェ……」
歯切れの悪い返事に――お前もアルドに負けず劣らず頑固で不器用な男だな――と、ビスタは髭を一撫でしてクツリと笑みを浮かべた。それに対してマルコはバツの悪い顔を浮かべた。
「行動を共にすれば自ずと話をすることになる。そうすれば何かが変わることもあるやもしれん。ここでただ考えているだけでは何も変わらんし、何もわからないままに終わってしまうぞ?」
偶には自分の気持ちに素直になって行動しても良いのではないかと窘める気持ちで話した。普段と違って思いの外低く出た声音にビスタ自身も多少驚きつつ言葉を続けた。
「別に、気にしてるってェわけでは」
「”あの時も”お前は自己判断で行動したのではないのか?」
「あの時……?」
ビスタの言葉にマルコは眉を顰めた。
「十数年前、仕事人間だったお前がどこの誰とも知らん幼い少女の為に予定を全て変更して行動したことがあったろう?」
「!」
何故マルコがアルドを気にするのか。
何故そこまで思い詰める必要があるのか。
アサシンとは一体……。
十数年前にマルコが助けたという暗器を持った少女の話を知るのはオヤジである白ひげと、偶々船長室に訪れて流れのまま話を聞くことになったビスタしか知らない。
責任ある立場となって日の浅いマルコは仕事人間そのものだった。だが話を聞けばマルコの意外な一面を垣間見た気がして強く印象に残っていた。
白ひげからアルドについての話を聞いた後、船長室を出てから仕事に戻るまでの間にビスタはそのことを思い出した。――ひょっとしたら暗器を持った少女はアサシンだったのではないか? であるならば、アルドがアサシンであることを知ったマルコは、無意識の内にアルドをその少女と重ねて見ているのではないか? ――と、そう考えた。
「マルコが見たアルドの驚異的な身体能力と殺傷能力の高さは、実の所を知らないおれが言うのも何だが、それはアサシンだからこそのものなのだろう。その脅威的な刃がおれ達に向けられたら……、マルコはそう思ったのだろう?」
お前の考えそうなことだと呆れにも似た笑みを浮かべるビスタに、マルコは眉間に皺を寄せたまま言葉を詰まらせて視線を逸らした。
「はは、それは肯定の反応だな」
「ッ……、五月蠅ェ……」
髭を弄って笑うビスタにマルコはチッと舌打ちをした。
「ラクヨウやサッチが話していたではないか。全ては家族の為に……アルドがそう口にしていたと」
「それはッ……、わかってる。おれはただ」
「嫌われているなら書類仕事なんぞ率先してやりはしないとおれは思うんだがな」
「――ッ……!」
ビスタの言葉にマルコは思わずハッとした。
「オヤジが詳しく話さないのはアルドに頼まれているからなのではないか? ラクヨウが話さないのはアルドが良しとしないからなのではないか?」
「……」
「おれもアルドと親しく話をするような間柄では無いから真意はわからん。これはあくまでもおれ個人の見解なのだが、アルドは無表情で感情の起伏が一切無いように見えてはいるが、本当は誰よりも情に厚い人間なのではないだろうか」
マルコが目を丸くするとビスタは両手を腰に当てて言葉を続けた。
「常に感情を殺して生きねばならないからこそ感情の豊かさに憧れを持った。また、逆に感情が動くことに対して恐怖を抱いた――と、おれは思う」
「なんだよいそりゃあ……? まるでどっかの哲学者みたいだな」
胸を張って語るビスタを尻目にマルコは思わずフッと吹き出して笑った。
「真面目に話したというのに酷いな」
ビスタも満更でも無い笑みを浮かべて笑った。
「疑いや猜疑心を持つ前に寄り添う気持ちで接してやれば、アルドの方が態度を変える可能性は高いとおれは思うぞ? 特にマルコ、お前にはな」
「何故そう思うんだ?」
マルコの問いにビスタは片眉を上げた。
「過去の後悔を取り返す絶好のチャンスではないか」
「!」
「対象は違うが同じ”暗器を持った者”だ。少なくとも例の少女と似た傷をアルドも持っている可能性は十分にあると思うんだがな。その少女と関わった経験があるマルコだからこそ、それに寄り添ってやれるのではないか……とな」
「……」
「それに……、おれから見てもアルドは7番隊というより1番隊向きだ」
ビスタは笑ってそう言うとマルコの肩を軽くポンポンッと叩いた。そして、踵を返してその場を離れた。それから間も無くして青い光が瞬く影を見て振り向いた。
既にマルコの姿は無く、遥か上空の彼方に月明りを受けて美しく舞う青い光があった。
「マルコはアルドと『二人で単独行動を開始した』と、オヤジには報告しておいてやるから安心して行って来い」
ビスタの声はマルコの耳に届くことは無いが、ビスタは満足した笑みを浮かべてそれを見送った。そして、船内へと入った所でビスタはピタリと足を止めた。
「ラクヨウ……!」
壁に背中を預けて佇みながら酒瓶を片手にご機嫌なラクヨウがいた。
ビスタは思わず驚いた。
酒を一口呷ったラクヨウがニヤリと不敵な笑みを浮かべてビスタの肩をポンポンッと叩いた。
「紳士で哲学者な花剣ビスタ殿」
「ッ……!」
「素晴らしい御高説に恐れ入ったぜ」
「いつから聞いていたんだ……?」
「あァ、割と最初から」
ラクヨウが意地悪く舌を出して答えるとビスタはヒクリと頬を引き攣らせた。
アルドのおかげとでも言うのだろうか、ラクヨウは気配を消すのが上手くなった気がする――と、ビスタは思った。
「あー……っと、まァ、ビスタには礼を言うぜ」
「な、なにをだ?」
「本当ならもうちょっと早くに”間を取り持ってやりてェ”とは思ってたんだが、おれァどうもそういうのは苦手で上手く言えねェからなァ。ガハハハッ!!」
「すまん、どういうことだ? 一体何の話をしているのかさっぱりわからんのだが……?」
ラクヨウの話がどうもよくわからない。ビスタは首を傾げた。
―― 間を取り持つ……? アルドとマルコが仲違いしているのを解決する……では無いな。二人が喧嘩をしているわけでは無いからな。では一体どういう意味でそんなことを……。
「ラクヨウ、その言い回しは一体どういう意味で――」
「だァァ!!」
「――ッ!?」
ラクヨウが突然叫び出したことでビスタはビクッと驚いて声を飲み込んだ。
あまりに突然過ぎて、あまりに大きな声で叫ぶものだから、心臓がバクバクと破裂しそうな程に大きく唸りを上げて思わず呼吸が乱れてしまう。
――け、剣士たるものこのようなことでは!!――と、脱線した思考がビスタの頭に渦巻く頃、ラクヨウは一転して表情を暗くした。
「悪ィ……。一瞬、おれの薬指が落ちたと思っちまった」
「…………は?」
床にコロコロと転がるのは酒瓶のコルク。何故か泣き顔でそのコルクを拾い上げたラクヨウが重く暗い影を背負いながら酒を呷った。
―― いや、意味がわからん。コルクを薬指と間違えるだと?
ラクヨウの両手に視線を向けたが両方の薬指は至って健在だ。
ビスタが眉間に皺を寄せて怪訝な顔色を浮かべた。だがラクヨウはガクリと項垂れて益々わけがわからないことを口走った。
「おれが言葉を滑らせてマルコが行ったって勘違いされちまったらよ、おれはこの薬指ちゃんとお別れをしなきゃならねェかもしんねェ……」
「ラクヨウ、おれはお前の頭がおかしくなったのかと、そっちが心配でならん」
ラクヨウはグスッと鼻を啜ると自らの左薬指にチュッと可愛らしいリップ音を鳴らしてキスを落とした。ビスタの胸中に不安が渦巻いたのは言うまでも無い。
何があったというのだ?
どうしたラクヨウ?
お前程の男が何に恐れているのだ?
最早ビスタの中ではラクヨウが言った『妙な言い回し』のこと等すっかり消えてしまっていた。
ラクヨウは盛大な溜息を吐いてビスタに背を向けるとトボトボと歩き出して自室へと向かって行く。その際にラクヨウがニヤリと笑みを浮かべていたこと等、ビスタは知る由も無い。
―― 危ねェところだった。ビスタは勘が良い男だから下手に言えねェ。っつぅか、マルコにおれが行けと言っただなんてアルドが勘違いしやがったら、おれの薬指ちゃんがマジでポークピッツになっちまうかもしれねェ……。
安堵しながらも直ぐに危機感が襲って来る。ラクヨウは気が気でなかった。マルコと会ったことで動揺して、そんなことを微塵も思わなかったら良いのになァ――と、切に願う。
―― それは無ェか。いや、賭けてみよう。あいつの中の『女の部分』におれは賭ける!
何も思っていないようでもアルドの中でのマルコは絶対的な存在だ。異性だとか、恋とか、そういう類の心理は無いかもしれない。しかし、それでも本能的に”女として抱く想い”に影響を与えていることは大いにあり得る。
自室に戻ったラクヨウはソファにどかりと座って再び酒を呷った。酒瓶の口に封をするように覆われた紙を縛っていた赤い紐がテーブルに放られているのを見つめる。徐に手を伸ばしてその紐を手に取ると薬指になんとなく括りつけた。まるでお守りのような気持ちで――だ。
ビクッ!?
「んぎゃあああああッ!!」
赤い紐が血液に見えて思わず叫んだ。リアルに思い浮かんだ映像にほとほと泣きそうになる。
―― あァ! おれのポークピッツ……! じゃねェ、薬指ちゃん! おれは絶対にお前をアルドっていう悪魔から守ってやるからな!!
左手の薬指に頬擦りをして強く誓った。
「寝てる間にやられちまわないよな……。相手はアサシンだ。全く自信無ェぜ」
ラクヨウはガクリと頭を落とした――が、色々あれこれと考えた末に伝家の宝刀を思い付いた。その途端にニヤリと笑みを浮かべた。
「あァ、一番効果覿面じゃねェか」
まるで勝ち誇ったような笑みだ。防衛の最終手段として『マルコ』というカードを切ることを思いついたのだ。
「いざとなりゃあマルコに助けて貰おう」
そう結論付けた。それがアルドの怒りという名の炎に油を注ぐ行為になるというのに、ラクヨウはこれで安心だとばかりに気を楽にして酒を呷り始めた。そうして酔っ払った所でベッドに寝転がって深い眠りへと落ちた。
〜*〜*〜*〜
「では始めます」
「あ……?」
「サッチさん、料理の準備はできましたか?」
「おう! バッチリだってんだよ!」
「アルドか……? なんだかやけにお前ェ小さくなッ――痛ッ!?」
「静かにしろラクヨウ。五月蠅くて耳が痛いではないか」
「あァん? ビスタ?」
「マルコ隊長、固定はできましたか?」
「あァ、ちゃんと固定したよい。アルド、遠慮なくやれ」
「わかりました。では、」
「おい……、待て……、ちょっ……、なんじゃこりゃあァッ!?」
ラクヨウ以外の者達は全員が小人サイズでわらわらと忙しなく動いている。ラクヨウの身体を何重にもロープで縛り付けて、そのロープを地面に打ち付けた杭に固定している。
その様はまるで『ガ○バー旅行記』のガ〇バー状態だ。ラクヨウは自ずと左手の薬指に目を向けてギョッとした。
アルドの小手から飛び出すアサシンブレードが「キュィィィィン!!」と甲高い音を出して回転し始める。まるでチェーンソーだ。狂気的な速度で回転する刃が自分の薬指を狙っている。
「ぎいやああああ!!」
あァ、結局、切られる運命だったのか……。さようなら薬指ちゃん。お前はきっとサッチに美味しく料理されてこいつらの腹の中に収められる運命だったんだな。別れたくなかったが仕方が無ェ。今までありがとう、世話になったぜ薬指ちゃん。
〜*〜*〜*〜
「がはっ! んなわけねェェ!!」
盛大な悲鳴と共にガバリと起き上がった。
「はァはァ……、ゆ、夢か……」
大量の汗が恐怖を物語っていた。
下手なホラーより怖い。
薬指を切断しに掛かるアルドの悪魔の笑みは絶対に忘れない。
―― あいつ、感情の起伏が無ェなんて嘘なんじゃねェのか? 本当はかなり黒い奴なんじゃ……。
アルドをおちょくるのをちょっと控えようかな……――と、ラクヨウは勝手な想像をして勝手に反省して勝手に自粛を決めたのだった。
そんな中、マルコは甲板に出て島を見つめていた。
〜〜〜〜〜
「標的はパッキンつったか。その成金とそいつに加担する赤い集団を殲滅するってよ。ありゃあ目的を完遂するまで戻る気は無ェな」
〜〜〜〜〜
単独行動に出ているアルドのことが気になって休む気にはなれなかった。
そういう指示をラクヨウが出すことはまず考えられない。誰かの指示があってのことでも無いだろう。自らの意思で動いているのだろうが、率先して行動させる理由が何であるのかが知りたい――。
「気になるのなら行ってみてはどうだマルコ?」
「!」
見回りの最中、闇夜に包まれた島を見つめるマルコの姿に気付いたビスタが声を掛けた。マルコが何を思って佇んでいるのかをなんとなくわかったからだ。そして、やれやれと溜息を吐きつつマルコの隣に立ち並んだ。
「気になるのなら探しに行けば良いではないか」
「別に……、そういうわけじゃねェ……」
歯切れの悪い返事に――お前もアルドに負けず劣らず頑固で不器用な男だな――と、ビスタは髭を一撫でしてクツリと笑みを浮かべた。それに対してマルコはバツの悪い顔を浮かべた。
「行動を共にすれば自ずと話をすることになる。そうすれば何かが変わることもあるやもしれん。ここでただ考えているだけでは何も変わらんし、何もわからないままに終わってしまうぞ?」
偶には自分の気持ちに素直になって行動しても良いのではないかと窘める気持ちで話した。普段と違って思いの外低く出た声音にビスタ自身も多少驚きつつ言葉を続けた。
「別に、気にしてるってェわけでは」
「”あの時も”お前は自己判断で行動したのではないのか?」
「あの時……?」
ビスタの言葉にマルコは眉を顰めた。
「十数年前、仕事人間だったお前がどこの誰とも知らん幼い少女の為に予定を全て変更して行動したことがあったろう?」
「!」
何故マルコがアルドを気にするのか。
何故そこまで思い詰める必要があるのか。
アサシンとは一体……。
十数年前にマルコが助けたという暗器を持った少女の話を知るのはオヤジである白ひげと、偶々船長室に訪れて流れのまま話を聞くことになったビスタしか知らない。
責任ある立場となって日の浅いマルコは仕事人間そのものだった。だが話を聞けばマルコの意外な一面を垣間見た気がして強く印象に残っていた。
白ひげからアルドについての話を聞いた後、船長室を出てから仕事に戻るまでの間にビスタはそのことを思い出した。――ひょっとしたら暗器を持った少女はアサシンだったのではないか? であるならば、アルドがアサシンであることを知ったマルコは、無意識の内にアルドをその少女と重ねて見ているのではないか? ――と、そう考えた。
「マルコが見たアルドの驚異的な身体能力と殺傷能力の高さは、実の所を知らないおれが言うのも何だが、それはアサシンだからこそのものなのだろう。その脅威的な刃がおれ達に向けられたら……、マルコはそう思ったのだろう?」
お前の考えそうなことだと呆れにも似た笑みを浮かべるビスタに、マルコは眉間に皺を寄せたまま言葉を詰まらせて視線を逸らした。
「はは、それは肯定の反応だな」
「ッ……、五月蠅ェ……」
髭を弄って笑うビスタにマルコはチッと舌打ちをした。
「ラクヨウやサッチが話していたではないか。全ては家族の為に……アルドがそう口にしていたと」
「それはッ……、わかってる。おれはただ」
「嫌われているなら書類仕事なんぞ率先してやりはしないとおれは思うんだがな」
「――ッ……!」
ビスタの言葉にマルコは思わずハッとした。
「オヤジが詳しく話さないのはアルドに頼まれているからなのではないか? ラクヨウが話さないのはアルドが良しとしないからなのではないか?」
「……」
「おれもアルドと親しく話をするような間柄では無いから真意はわからん。これはあくまでもおれ個人の見解なのだが、アルドは無表情で感情の起伏が一切無いように見えてはいるが、本当は誰よりも情に厚い人間なのではないだろうか」
マルコが目を丸くするとビスタは両手を腰に当てて言葉を続けた。
「常に感情を殺して生きねばならないからこそ感情の豊かさに憧れを持った。また、逆に感情が動くことに対して恐怖を抱いた――と、おれは思う」
「なんだよいそりゃあ……? まるでどっかの哲学者みたいだな」
胸を張って語るビスタを尻目にマルコは思わずフッと吹き出して笑った。
「真面目に話したというのに酷いな」
ビスタも満更でも無い笑みを浮かべて笑った。
「疑いや猜疑心を持つ前に寄り添う気持ちで接してやれば、アルドの方が態度を変える可能性は高いとおれは思うぞ? 特にマルコ、お前にはな」
「何故そう思うんだ?」
マルコの問いにビスタは片眉を上げた。
「過去の後悔を取り返す絶好のチャンスではないか」
「!」
「対象は違うが同じ”暗器を持った者”だ。少なくとも例の少女と似た傷をアルドも持っている可能性は十分にあると思うんだがな。その少女と関わった経験があるマルコだからこそ、それに寄り添ってやれるのではないか……とな」
「……」
「それに……、おれから見てもアルドは7番隊というより1番隊向きだ」
ビスタは笑ってそう言うとマルコの肩を軽くポンポンッと叩いた。そして、踵を返してその場を離れた。それから間も無くして青い光が瞬く影を見て振り向いた。
既にマルコの姿は無く、遥か上空の彼方に月明りを受けて美しく舞う青い光があった。
「マルコはアルドと『二人で単独行動を開始した』と、オヤジには報告しておいてやるから安心して行って来い」
ビスタの声はマルコの耳に届くことは無いが、ビスタは満足した笑みを浮かべてそれを見送った。そして、船内へと入った所でビスタはピタリと足を止めた。
「ラクヨウ……!」
壁に背中を預けて佇みながら酒瓶を片手にご機嫌なラクヨウがいた。
ビスタは思わず驚いた。
酒を一口呷ったラクヨウがニヤリと不敵な笑みを浮かべてビスタの肩をポンポンッと叩いた。
「紳士で哲学者な花剣ビスタ殿」
「ッ……!」
「素晴らしい御高説に恐れ入ったぜ」
「いつから聞いていたんだ……?」
「あァ、割と最初から」
ラクヨウが意地悪く舌を出して答えるとビスタはヒクリと頬を引き攣らせた。
アルドのおかげとでも言うのだろうか、ラクヨウは気配を消すのが上手くなった気がする――と、ビスタは思った。
「あー……っと、まァ、ビスタには礼を言うぜ」
「な、なにをだ?」
「本当ならもうちょっと早くに”間を取り持ってやりてェ”とは思ってたんだが、おれァどうもそういうのは苦手で上手く言えねェからなァ。ガハハハッ!!」
「すまん、どういうことだ? 一体何の話をしているのかさっぱりわからんのだが……?」
ラクヨウの話がどうもよくわからない。ビスタは首を傾げた。
―― 間を取り持つ……? アルドとマルコが仲違いしているのを解決する……では無いな。二人が喧嘩をしているわけでは無いからな。では一体どういう意味でそんなことを……。
「ラクヨウ、その言い回しは一体どういう意味で――」
「だァァ!!」
「――ッ!?」
ラクヨウが突然叫び出したことでビスタはビクッと驚いて声を飲み込んだ。
あまりに突然過ぎて、あまりに大きな声で叫ぶものだから、心臓がバクバクと破裂しそうな程に大きく唸りを上げて思わず呼吸が乱れてしまう。
――け、剣士たるものこのようなことでは!!――と、脱線した思考がビスタの頭に渦巻く頃、ラクヨウは一転して表情を暗くした。
「悪ィ……。一瞬、おれの薬指が落ちたと思っちまった」
「…………は?」
床にコロコロと転がるのは酒瓶のコルク。何故か泣き顔でそのコルクを拾い上げたラクヨウが重く暗い影を背負いながら酒を呷った。
―― いや、意味がわからん。コルクを薬指と間違えるだと?
ラクヨウの両手に視線を向けたが両方の薬指は至って健在だ。
ビスタが眉間に皺を寄せて怪訝な顔色を浮かべた。だがラクヨウはガクリと項垂れて益々わけがわからないことを口走った。
「おれが言葉を滑らせてマルコが行ったって勘違いされちまったらよ、おれはこの薬指ちゃんとお別れをしなきゃならねェかもしんねェ……」
「ラクヨウ、おれはお前の頭がおかしくなったのかと、そっちが心配でならん」
ラクヨウはグスッと鼻を啜ると自らの左薬指にチュッと可愛らしいリップ音を鳴らしてキスを落とした。ビスタの胸中に不安が渦巻いたのは言うまでも無い。
何があったというのだ?
どうしたラクヨウ?
お前程の男が何に恐れているのだ?
最早ビスタの中ではラクヨウが言った『妙な言い回し』のこと等すっかり消えてしまっていた。
ラクヨウは盛大な溜息を吐いてビスタに背を向けるとトボトボと歩き出して自室へと向かって行く。その際にラクヨウがニヤリと笑みを浮かべていたこと等、ビスタは知る由も無い。
―― 危ねェところだった。ビスタは勘が良い男だから下手に言えねェ。っつぅか、マルコにおれが行けと言っただなんてアルドが勘違いしやがったら、おれの薬指ちゃんがマジでポークピッツになっちまうかもしれねェ……。
安堵しながらも直ぐに危機感が襲って来る。ラクヨウは気が気でなかった。マルコと会ったことで動揺して、そんなことを微塵も思わなかったら良いのになァ――と、切に願う。
―― それは無ェか。いや、賭けてみよう。あいつの中の『女の部分』におれは賭ける!
何も思っていないようでもアルドの中でのマルコは絶対的な存在だ。異性だとか、恋とか、そういう類の心理は無いかもしれない。しかし、それでも本能的に”女として抱く想い”に影響を与えていることは大いにあり得る。
自室に戻ったラクヨウはソファにどかりと座って再び酒を呷った。酒瓶の口に封をするように覆われた紙を縛っていた赤い紐がテーブルに放られているのを見つめる。徐に手を伸ばしてその紐を手に取ると薬指になんとなく括りつけた。まるでお守りのような気持ちで――だ。
ビクッ!?
「んぎゃあああああッ!!」
赤い紐が血液に見えて思わず叫んだ。リアルに思い浮かんだ映像にほとほと泣きそうになる。
―― あァ! おれのポークピッツ……! じゃねェ、薬指ちゃん! おれは絶対にお前をアルドっていう悪魔から守ってやるからな!!
左手の薬指に頬擦りをして強く誓った。
「寝てる間にやられちまわないよな……。相手はアサシンだ。全く自信無ェぜ」
ラクヨウはガクリと頭を落とした――が、色々あれこれと考えた末に伝家の宝刀を思い付いた。その途端にニヤリと笑みを浮かべた。
「あァ、一番効果覿面じゃねェか」
まるで勝ち誇ったような笑みだ。防衛の最終手段として『マルコ』というカードを切ることを思いついたのだ。
「いざとなりゃあマルコに助けて貰おう」
そう結論付けた。それがアルドの怒りという名の炎に油を注ぐ行為になるというのに、ラクヨウはこれで安心だとばかりに気を楽にして酒を呷り始めた。そうして酔っ払った所でベッドに寝転がって深い眠りへと落ちた。
〜*〜*〜*〜
「では始めます」
「あ……?」
「サッチさん、料理の準備はできましたか?」
「おう! バッチリだってんだよ!」
「アルドか……? なんだかやけにお前ェ小さくなッ――痛ッ!?」
「静かにしろラクヨウ。五月蠅くて耳が痛いではないか」
「あァん? ビスタ?」
「マルコ隊長、固定はできましたか?」
「あァ、ちゃんと固定したよい。アルド、遠慮なくやれ」
「わかりました。では、」
「おい……、待て……、ちょっ……、なんじゃこりゃあァッ!?」
ラクヨウ以外の者達は全員が小人サイズでわらわらと忙しなく動いている。ラクヨウの身体を何重にもロープで縛り付けて、そのロープを地面に打ち付けた杭に固定している。
その様はまるで『ガ○バー旅行記』のガ〇バー状態だ。ラクヨウは自ずと左手の薬指に目を向けてギョッとした。
アルドの小手から飛び出すアサシンブレードが「キュィィィィン!!」と甲高い音を出して回転し始める。まるでチェーンソーだ。狂気的な速度で回転する刃が自分の薬指を狙っている。
「ぎいやああああ!!」
あァ、結局、切られる運命だったのか……。さようなら薬指ちゃん。お前はきっとサッチに美味しく料理されてこいつらの腹の中に収められる運命だったんだな。別れたくなかったが仕方が無ェ。今までありがとう、世話になったぜ薬指ちゃん。
〜*〜*〜*〜
「がはっ! んなわけねェェ!!」
盛大な悲鳴と共にガバリと起き上がった。
「はァはァ……、ゆ、夢か……」
大量の汗が恐怖を物語っていた。
下手なホラーより怖い。
薬指を切断しに掛かるアルドの悪魔の笑みは絶対に忘れない。
―― あいつ、感情の起伏が無ェなんて嘘なんじゃねェのか? 本当はかなり黒い奴なんじゃ……。
アルドをおちょくるのをちょっと控えようかな……――と、ラクヨウは勝手な想像をして勝手に反省して勝手に自粛を決めたのだった。
薬指の運命
【〆栞】