22

自分がいつどこでどのようにして生まれたとか、父親と母親が誰でどんな人なのかなんてことを考えたことは一度も無い。
明確に自我を持って行動するようになった頃には、既に剣や短剣に投げナイフ等の武器を扱っていたし、左腕にはアサシンブレードが内蔵された小手具を装備していた。
これらの武器を駆使して対象者となる者を誰にも気付かれずに如何にして仕留めることができるのか――これを毎日のように教えられ叩き込まれるのが当たり前のように過ごして来た。

『心』や『感情』というものはいらないもの。

人間とは不完全な生物だ。だからこそ、そういった”いらないもの”を持って生まれざるを得ないのだ。優れたアサシンになるには、それらを打ち捨ててこそ初めて成り得るものであり、アサシンの育成は自我を持つ前の幼子から始められる――これがアサシンとしての常識だと教えられた。
何も知らない純真無垢な状態で、アサシンとしてのありとあらゆる知識や技量を叩き込まれ育てられる。そこに愛情等というものが存在しないのは当然であり、更に友情や家族といった絆とか繋がりだとかも一切無い。
同じ師に指示する者達は『同胞《はらから》』であって、家族でなければ兄弟でも無い。落ちこぼれがいたとて手を差し伸べるような者はおらず、苦楽を共にしたからといって笑い合える仲間意識等も無い。
何かを成す時、共に行動することはあったとしても大体は単独による行動が多い。同胞の助けとなることは、周囲の邪魔な者達を駆逐するよう指示がある時だけで、ただ”それだけ”を為す為に行動する。その場合、最終目標となる対象者は”殺せと指示されたアサシン”が一人で殺しに掛かることになる。

誰も異論は唱えない。
逆らうことも無い。
ただ指示された者を殺すだけ――。

順番に、一つ、一つ。
警備兵、警備長、そして――対象者。





アルドは自分の指導者だった者の薬指が切断されて存在しなかったのを鮮明に覚えていた。旧型のアサシンブレードは、薬指を切断しなければ使えなかった代物だったからだ。
そして今、薬指を失くした手を目の前にして、過去に学んだ様々なことがふと頭に過った。

「くっ……、お前ッ……!」

赤の集団を纏める長であったこの男の顔に見覚えがあった。過去の記憶を呼び起こすその手は皺枯れて年を取ったことを如実に表していた。
投げつけられたナイフを払い落とし、振り下ろされた剣を躱して懐に入り込むと男の足の腱を短剣で切断した。それと同時に男を押し倒して馬乗りになる。
間近で顔を見合わせた時、アルドの顔を見た男は驚きと共に苦々しい顔を見せた。

「心も感情も必要ない。そう教えたのは貴方でしたね。なのに、そのような表情を浮かべてしまっては指導者として失格なのではありませんか?」
「おのれッ――カハッ……!」

男の言葉を聞かずにアルドはアサシンブレードで胸を突き刺した。
男は呻き声を上げて呼吸乱し、間も無くして事切れた。

”裏切り…者が……#イルマ#……”

呻きながら名を呼ぶ男の声に懐かしさは感じない。顔を見ても何の感慨も湧かない。ただ――
男のその手だけが、子供だった時代の記憶を呼び起こし、死に際の『師』に自然と皮肉を吐き捨てていた。
師であった男の心臓を仕留めたアサシンブレードを引き抜く。
ポタポタと垂れ落ちる血は、絶命した師の白い衣服に落ちて赤く染めていった。
ゆっくりと立ち上がって命の灯火が消えた亡骸をじっと見つめるアルド。そんな彼を少し離れた所で逃走したパッキンを取り押さえていたマルコは眉間に皺を寄せて見つめていた。

「あああアサシンがアサシンを殺すだなんて!! どういうことだピョン!?」
「チッ! 五月蠅ェな。お前ェはちょっと黙ってろ」

ゴスッ!

「ぴっ!?」

青褪めて叫ぶパッキンを殴って気絶させたマルコは、亡き骸の側で佇むアルドの元へと歩み寄った。
何の躊躇も無く敵を葬る姿はまさにアサシンそのものだ。しかし、アルドの背中から見え隠れする”それ”は明らかにアサシンとは掛け離れたものだとマルコは思った。そっとアルドの肩に触れて名を呼んだ。そうして振り返ったアルドの顔は相変わらずの無表情――。

「アルド、大丈夫かよい?」
「……――」
「ッ……!」

”対象者は排除しました”

感情に何の起伏も見られない無表情な顔でそう答えるアルドにマルコは絶句した。
まるで何も無かったかのように涼しい顔をしている――が、目に色は無くて告げる言葉は事務的……というよりも機械的。今、この目の前に立つアルドは紛れも無い暗殺者《アサシン》そのものだ。

―― ……いや、違う。こいつはもう……違う。

アルドは視線をマルコから外して気絶したパッキンへと移した。短剣を握る右手が柄を持ち直す仕草を見せてグッと握られた。殺害しようと足を踏み出す。
しかし、マルコがアルドの左腕を掴んで制止した。

「終わりだアルド」
「まだ……、生きてます」
「あいつはウボンビ島に連れて行く。ウボンビ島の連中に処分を任せりゃ良い」
「ここで殺さなければ誰も彼を殺さない」
「アルド」
「彼は殺すべきだ。でなければ、ウボンビ島の人々が自由を手にすることは」
「殺すことが全てじゃねェ」
「――死を無くして罰は無い」

さも当然の摂理だとばかりにアルドはそう言った。
掴まれた腕を払い除けたい意思はある。だが力の差は歴然でビクともしないことは、いつかの船内であった時に承知している。だから無理に払い除けようとはしない。

――近付けないのなら――

アルドは気絶しているパッキンに向けて手にしている短剣を投げようとした。

ガシッ!

「!」

短剣を持つ右手も敢え無く掴まれて止められた。
アルドはマルコを見上げた。
睨むマルコと至近距離で視線がぶつかる。

「何故、邪魔をする?」
「言ったろうが、殺すことが全てじゃねェってよい」
「彼は死に値する」
「誰がそんなことを決めたんだ?」
「……」
「確かにあいつは金の亡者でクズ同然のクソ野郎かもしれねェ。だが、あいつを殺す殺さないはおれ達が決めることじゃあねェ」
「おれが彼を殺すと決めた」
「勝手はおれが許さねェ」
「ッ……」

アルドの左腕と右手を掴むマルコの手に力が込められて痛みが走る。

―― 彼一人死ねば全てが変わるというのに何故止める? 変える為に戦ったのではないのか?

アサシンの長を殺すことに関しては何も言わなかった。なのに、何故パッキンを殺そうとすると止められるのか。アルドは理解できなかった。

「確かにアサシンなら殺すことに間違いは無いかもしれねェ。だがアルド、お前は違う」
「な…にが…です……?」

アルドは僅かに目を丸くした。その目の奥には動揺の色が見え隠れしている。
マルコはクツリと笑みを浮かべた。掴んでいた手を離すとアルドの頭に置いて軽く撫でつけながらポンポンと軽く弾ませた。

「アルドはもうアサシンじゃねェってことだ」
「!」
「良いかアルド、お前はもうアサシンじゃねェんだ」
「な、なにを突然……! おれは」
「7番隊隊員コルティノーヴィス・アルドだ」
「――ッ……」
「技量や知識、所持する武器やそれらの扱い方、姿格好、思考、全てがアサシンだが……、『アサシン仕様の海賊』ってェのも悪くは無い」

手を顎に当てて考えながらマルコはそう口にした。

「……マルコ…隊長…?」

アルドは戸惑うばかりだ。
自然と眉間に皺が寄っていることに気付いていないのか、影に隠れていてもその表情を確認できる距離にいるマルコは片眉を僅かに上げた。

―― ほら、ちゃんと持ってるじゃねェか。

『心』も『感情』も、捨ててはいない。表に出難いだけで、それらはちゃんとアルドの中で生きている。

「これもラクヨウの努力の賜物か……」
「?」

ぽつりと零したマルコにアルドは瞬きを繰り返して軽く首を傾げた。

―― どうしてラクヨウ隊長の名が……?

戦略において人の心理から思考、そして行動パターン等を読み解くのはアサシンなだけあって得意分野ではある。――が、こと『人対人』の心理戦となるとアルドには理解し難いものがあって苦手分野であると言える。だから今、マルコが何を考えているのかが全く読めなくて困惑する一方だ。

「そうだなァ」
「……」

マルコが小さく頷いてポツリと言うと妙な緊張感に包まれたアルドは自ずと全身に力が入って身構えた。

「アルドは、7番隊所属のまま。で、1番隊兼任という形にする。……あァ、だから、今後は何事もおれの許可を得てから行動しろ」

マルコは考えながらゆっくりとした口調でそう言った。

「……はい。…………はい?」

―― え?

アルドは完全に思考を停止した。その一方でマルコは手をポンッと叩きながら「我ながら名案だよい」と笑いながら一人で納得するように頷いていた。

「これで少しはおれも楽になるかもしれねェな。書類仕事ができる奴が欲しかったからよい」
「あ、はい。お手伝いはします……。い、いや、それよりも!」

アルドは反論しようとしたがマルコは「聞こえねェ」と軽くお道化てクルリと背を向けて歩き出した。

―― なっ!?

もしこれがラクヨウであれば――老害ですか、早いですね――等と言えるのだろうが、流石にマルコに対して冷静でいられないアルドにはそんな風に切り返すことは不可能だった。

「いつまで気ィ失ってんだ。起きろ」
「……起こすのですか?」

気絶しているパッキンに声を掛けて起こしに掛かるマルコに、アルドはなんとか声を出して問い掛けた。

「なんだ? アルドはおれにこいつを担げって言うのか?」
「え?」

倒れているパッキンをマルコが足で軽く蹴ってみる。
ぷよぷよに太ったパッキンの脂身が揺れるのが見て取れる。
マルコとアルドは気を失ったパッキンを見つめて少しだけ沈黙する。

「……アルドが担ぐか」
「え? い、いえ、」
「一隊員が隊長に担げって?」
「いや、その前に、おれが言いたいのは」
「ほらよい」
「――なっ!?」

マルコはパッキンの胸倉を掴むとアルドの方に放り投げた。
目の前にぷよぷよと太った男の身体が宙を舞って自分の元に向かって飛んで来る。
驚いたアルドが危険を察して咄嗟に身を引くと、気を失ったパッキンは当然のことながら地面に顔面からズシャッと落ちた。

「ぐへっ!」

低い呻き声が聞こえた気がしたが、アルドはそんなパッキンよりもマルコへと視線を向けた。
マルコは「あーあ……」と声を上げながら悪びれもせずにクツリと笑った。

「アルドがちゃんと受け止めてやらねェから顔面強打してんじゃねェか。酷ェなァ」
「う、受け止めるって……、おれよりも倍以上の大きな身体をした男をどうやって受け止めろと仰るのですか!」

遠慮を失くして反論の声を上げるアルドにマルコは片眉を上げた。

「アルド、お前は今日この時からおれの部下だ。だから隊長命令ってェことでこいつを担げ」
「それは冗談で」
「そう思うかい?」
「――ッ、そう…思います」

アルドがそう答えるとマルコは少し意地の悪い笑みを浮かべてアルドの側に歩み寄った。

「なァアルド」
「!?」

マルコが突然アルドの肩に腕を回して顔を直ぐ側に近付けながらパッキンに指を指す。
アルドは突然の事で絶句しながらマルコが指を指した先に視線を向けるが、大きく動揺して身体が強張った上に激しく脈打つ鼓動に胸がキュッと締め付けられて緊張した。

―― ち、近い……!!

嘗てこれ程に大きく動揺したことがあっただろうか。最早これは情が無いとかどうとかという問題では無い。そもそもこんな風に他人から肩に腕を回されて密接に近寄った経験は無い。そして、こんな風に顔を近付けて至近距離で見つめられながら言葉を交わすことも無かった。ましてや”異性”に――。

―― ……異性?

トクンッ……――!

緊張とは違った鼓動が大きく胸を打つ感覚に襲われた。

「筋力トレーニングだと思って担げ。アルドは男にしては細いからよい」
「ッ……! い、いえ、おれは今の状態がベストですから余計な筋力は……って、え?」

混乱するアルドを他所にマルコはポンポンと肩を叩くとアルドから離れて両腕に青い炎を灯した。呆然として見つめるアルドが徐々に眉間に皺を寄せながら首を傾げるとマルコはクツリと笑みを浮かべた。

「おれはオヤジに報告しねェとなんねェから先に船に戻る。あァ、絶対にそいつは殺すな。これも隊長命令だから従え」

マルコはそう言うと足元から全身に青い炎を滾らせて不死鳥へと化した。

「本気で? 一人で担げと?」
「あァ、本気だ」

不死鳥と化したマルコの表情は変わらないように見える。しかし、明らかに悪い笑みを浮かべているだろうと、アルドは先程見たマルコの表情が脳裏に浮かんでそう思った。
マルコはバサバサと翼を羽ばたかせて空高く舞うと一足先にモビー・ディック号が停泊している島へと飛んで行った。

「……相変わらず……綺麗だ」

アルドは、青い炎を纏って大空を舞う不死鳥の姿を見るのが何気に好きだったりする。自然とそんな感想が漏れた。だが直ぐにハッとして頭をブンブンと振って溜息を吐いた。

「おかしなことになった」

ポツリと零したアルドは、とりあえず気絶したパッキンの身体を肩に担いで立ち上がった――が、パッキンの膝は地面に接地した膝立ち状態で、腰元に回す手は向こう側にすら届いていない。

「くっ…、太り過ぎ…だ」

アルドは眉間に皺を寄せると堪らず文句を吐いた。とりあえずこの状態のまま仕方無しに歩き出した。
一歩一歩が重たいのはパッキンのせい。ズリズリと振動が伝わるのはパッキンの膝が地面を擦るせい。

そもそも地面を引き摺られる足は痛くないのか?
何故この状態で目を覚まさない?

不満を胸に抱きつつ不思議に思う。太った大きな男を四苦八苦しながらなんとか担いで海辺を目指した。

心と感情の在処

〆栞
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