23

パッキンの抱え直しを何度も繰り返しながら海辺を目指して森の中を突き進む。

「はァ…はァ…」

あまりの重たさにアルドも流石に苦しそうだ。そうしてやっとの思いで森を抜けて海辺に辿り着いた。
ぷよぷよした片腕が肩に重く伸し掛かるのをなんとか払い除け、ぷよぷよの肉塊《パッキン》を地面に落とすとその場にドサリと腰を下ろした。

「流石に堪える……」

アルドは疲労を感じながら地面に落としていた視線の先にフッと人影が現れて顔を上げた。

「!」
「ハハ、大変そうだな。っつぅか、体格差が全然違ェのに鬼だなあいつ」
「サッチさん」
「おうおう、筋力トレーニングにしちゃあ度が過ぎてねェかァ?」
「隊長……」

サッチはアルドの反対側に回るとパッキンの腕を自身の肩に乗せて担ごうとした。

「あ、おれが」
「良いって、ご苦労さん」
「ッ…、すみません」

流石にアルドもこの時ばかりはサッチの好意に甘えてパッキンを預けることにした。あのぷよぷよの肉塊《パッキン》から漸く解放されたアルドは大きく息を吐いた。

―― 本当に…重かった。

ラクヨウはゲラゲラと笑いながらそんなアルドの頭をポンポンと叩くと「帰るぞ」と告げて歩き出した。

「っつぅかラクヨウ! てめェも担げ!!」
「あァ? こんな細っこいアルドが一人で担げたんだ。てめェ一人で十分だろが」
「意外に重ェってんだよ!!」
「あ、あの、やはりおれが」
「いや、アルドは良いの良いの。おい、ラクヨウ!」
「……」

サッチが目くじらを立ててラクヨウの名を叫んだ。少し居た堪れないといった雰囲気を醸し出すアルドに気付いたラクヨウはガシガシと頭を掻いて溜息を吐いた。

「ったく、しゃあねェ……」

ラクヨウはサッチの反対側に移動してパッキンの腕を肩に回して担いだ。

ズシッ……――。

「重ッ!?」

あまりの重さに驚いて叫ぶラクヨウ。ほらみろと言わんばかりに声を掛けるサッチ。お互いに顔を見合わせた二人はアルドに目を向けた。
アルドの顔はフードの影に隠れていたが、月明りに照らされて明るみに出た口元が少しだけ開いていた。大方ぽかんとしている――といったところだろう。

―― お前ッ、たった一人でこのデブをここまで担いだってェのか!?
―― マジか……。どう考えても女が担げる重さじゃねェってんだよ。

「「どんだけ怪力!?」」
「確かに重かったですが担げない程では……」
「っつぅか、こいつポマード臭ェ!!」
「脂ぎってるし何食ったらこんな図体になるってんだよ!!」
「「よく耐えたなアルド!!」」
「……」

正直な所、パッキンは本当に重かったし臭かった。脂ぎった顔が直ぐ横にあって非常に不快だったし、道中において何度殺そうと思ったことか。しかし、その度にマルコの声が頭に過っては殺意を打ち消し、なんとか殺さずにこうして運んで来たのだが――。
自分と違って男の身形で上背のある力持ちのサッチとラクヨウが二人掛かりでパッキンを担ぎながら文句を言うこの有様にちょっとだけイラッとした。
少し先の岩場に小船があった。小舟とはいえ立派な船だ。仮眠が取れるようにベッドが設置されている部屋もある。
その小船に乗船する二人の後に続いたアルドは、ふと首を傾げた。自分の心がいつもと明らかに異なっていることに気付く。

―― 苛ついた……。おかしい……。本当にどうかしている。

動揺したり、混乱したり、焦ったり、いつもの『らしさ』が形を潜めていることに気付く。その原因はどう考えても”いつもと違うこと”があったからだ。

―― 殺さなかった。殺す対象者だったというのに、殺さなかった。こんなことは初めてだ。

脳裏に響くマルコの声。

〜〜〜〜〜

「殺すことが全てじゃねェ」

〜〜〜〜〜

何度も浮かぶ度にツキンと胸に痛みが走った。
息が詰まる。
いつもと違うこの状況に自ずと眉間に皺が寄った。

―― 今回だけだ。今回だけ……。

自分から『暗殺』を取ってしまったら何が残るのだろう――と、そんなことを思うとまたツキンと痛みが走る胸に手を当てた。

―― 揺らぐ必要は無い。あれは”私に”言った言葉じゃない。

アルドは海風を感じながら海面に写る月の光をじっと見つめて空を仰いだ。

―― あの人は……、あの人は”アルドに”そう言っているだけだ。私は変わらない。あくまでも白ひげ海賊団7番隊所属のコルティノーヴィス・アルドとして隊長の指示に従ったまでのこと。本来の自分なら……。

コルティノーヴィス・#イルマ#であったなら殺していた。

―― ……。

果たしてそうだろうか?
どちらかと言えば――。

「色々と学ぶことはあったんじゃねェか?」
「……隊長……」
「まさかマルコと二人で殲滅するたァ思ってなかったけどな」

ラクヨウはアルドの隣に腰を下ろして顔を覗き込むと楽し気に笑った。ポンポンと頭を軽く叩いてフードを取っ払い、その手でワシャワシャと少し乱暴にアルドの頭を撫でつける。

「月明りのせいか、こうして見るとアルドってやっぱり女だな。髪がもうちょっと長けりゃあもっと色気が増すだろうに」

サッチはアルドをマジマジと見つめながらラクヨウとアルドの前にどっかと腰を下ろした。
「サッチ、てめェの色眼鏡でアルドを見てんじゃねェぞ」
「こんな会話は本船じゃあそうできねェだろ? っつぅかさ、アルドってェのは男の名前だろ?」

ラクヨウは眉間に皺を寄せたが何も言わずに隣に座るアルドに視線を向けた。

―― 答えるわけがねェ……。

アルドはじっとサッチを見つめながら目を伏せると軽く頭を振った。

「おれの名前…です……」

アルドは小さな声で答えると再びフードを目深に被った。

「まァ知られたく無ェってとこか」

サッチは然程気にするでもない様子で膝を二、三叩いて笑いながら夜空を見上げた。その一方でラクヨウは、サッチを見やってから隣に座るアルドへと視線を運ぶと静かに溜息を吐いた。

―― 明らかにいつもと異なる反応じゃねェか。いつものお前ならここは『だんまり』だろうが。

あのマルコと行動を共にしたことでアルドの心情に何かしら大きな影響を与えたことは明白だった。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。しかし、いつまでも停滞しているよりはマシだと、ラクヨウはポジティブ思考で目を細めた。

「……ポークピッツ……」
「!!」

ビクッ!

ポツリとアルドは呟いた。それに反射的にラクヨウの身体が軽く跳ねて硬直する。そして、何も知らないサッチが目を丸くして振り向いた。

「は? ポークピッツ? 腹でも空いたのか?」

サッチの問いにアルドは無表情のまま言葉を続けた。

「ウインナーでも構いません」
「アルドの好きな食い物か」

サッチはアルドにも好物があるんだなと嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ラクヨウ隊長の”薬指サイズの棒状のもの”が食べたいですね」

アルドの言葉を受けてサッチとは対照的に顔を青褪めて恐れ慄くラクヨウがそこにいた。

―― て、てめェ、そりゃあ暗におれの薬指をぶった切りますけど覚悟は良いですかって言ってるようなもんじゃねェか!!

「ラクヨウの薬指サイズって大きさまで拘る辺りはちょっと変わってるけど……、どんぐらいだ? ……って、ラクヨウ?」

ラクヨウの薬指を参考にしようと思ったサッチだったが、ラクヨウを見るなり唖然とした。なぜならラクヨウが右手で左手の薬指を撫でながら涙を流していたからだ。

「うぅ、さようならおれの薬指ちゃん。マルコのことでいっぱいいっぱいになったアルドがよ、君のことをすっかり忘れてしまうことを願ってたってェのに、どうも本船に着く前にさよならしなきゃなんねェみたいだ。すまねェ……」
「え、ちょっ…、ラクヨウの薬指をぶった切って食うって言うわけじゃねェってんだよ」
「くっ! そのまさかだ……! くそっ! おれァ覚悟を決めたぜ! ほらサッチ! ひと思いにぶった切りやがれ!」

ラクヨウは左手をサッチに差し向けて右手で目元を覆いながら「くぅ〜!」と声を上げて泣いた。

「おーい、色々な意味で本当に大丈夫か……?」

サッチは頬を引き攣らせながら首を左右に振って断った。一方アルドは、二人のやり取りに然も興味が無いかのように静かに立ち上がると背を向けた。

「あ、アルド、どうした?」

涙するラクヨウを宥めていたサッチが声を掛けた。

「寝ます。本船に着いたら起こしてください」
「お、おう、わかった」

振り返ることも無くアルドはそれだけを告げると船内へと入って行った。
サッチは目をパチクリさせてアルドを見送るとラクヨウへと顔を向けた。すると、再び目を丸くした。

「お前……、嘘泣きかよ。名演技過ぎじゃねェの?」
「ん? あァ恐怖は本物だからな。薬指をぶった切るって言われてりゃあマジで泣けるってもんだ」
「なにそれ? お前らって普段からどういう会話してるわけ?」
「ちょっと今回の件はあいつにとっては思いのほかキツかったかもしれねェなァ」

ラクヨウはクツリと笑うとその場に仰向けになって両手を後頭部に回し、東の空からほのかに白んでいる空を見つめた。

「ラクヨウ、アルドの本当の名前ってあるんだろ?」
「んー、まァな。アルドってェのは男の名前だからな」
「ラクヨウは知ってるわけ?」
「あァ、知ってる。だがおれの口からは教えられねェ。知りたければ本人から聞け」
「……っつぅかさ」
「あん?」
「さっきからおれの勘が告げてんだけど、アルドはひょっとして――」

サッチが疑問を口にするとラクヨウは鼻で小さく笑った。

「流石はサッチ。『恋の伝道師』を宣うだけあって鋭いな」

ラクヨウはそう言うと「くあ!」と欠伸をした。その傍らでサッチはそれはそれは驚愕めいたものへと変えていった。とてもスローで移り行く表情を見たラクヨウは「器用だな」と楽し気に笑った。
サッチはそんなラクヨウの胸倉をガシッと掴んで引っ張り上げると今度は凄んだ。

「マジか?」
「マジだ」
「かァ〜! なんだかんだ言ってあいつはモテるからなァ〜って……違うか。ミケーラみたいに惚れたとかそういう通常の恋愛の類ってェもんじゃねェな」

サッチは両腕を組んで眉間に皺を寄せながら真剣にあれやこれやと考え始めた。そんなサッチを見つめながらラクヨウは小指を立てて鼻をホジホジとして間抜け面だ。スポンッと景気良く抜いてみる。

「うおっ、でけェ!?」

小指に付いた鼻クソに驚くラクヨウに、サッチはガクリと頭を落した。

「汚ねェ。ったく、ほらよ」
「おう、悪ィな」

サッチがポケットに入れてあったエチケットティッシュをラクヨウに渡した。それを受け取ったラクヨウは笑いながら小指に付いたそれを拭った。

「相変わらず無表情だが明らかにいつもと異なっていたことは気付いたか?」
「あれは異なるなんてレベルじゃねェってんだよ。なんかちょっと……泣いてるっぽかったしよ」
「は……?」

困惑した表情を浮かべて答えたサッチの言葉にラクヨウは目をパチクリさせた。そんなラクヨウの反応にサッチは溜息混じりに「だろうな〜」と言った。

「正面に座って無かったらアレは見えなかったろうぜ。表情は変わんねェけど確かに涙が頬を伝って落ちるのをおれっちはちゃんと見たから間違いねェ」

いつもの無表情でありながら、いつもと違った空気を纏って、頬に伝い落ちる涙を見た。とても貴重なものを見たなと得した気分を味わいながらもサッチは軽く動揺した。――と同時に、素直に綺麗だとも思った。

「進展した証拠じゃねェか」

ラクヨウはそう言って笑みを浮かべた。だがその表情は直ぐに消えた。腕を組んで首を傾げながら片手を顎に当てて考え込むと暫くして空を仰ぎ見た。

「当分はまた停滞期だろうなァ……」
「あのよ、さっきから意味深なことを呟いてっけど、どういうこと?」

サッチが眉間に皺を寄せてズイッとラクヨウに顔を近付けて詰め寄った。しかし、ラクヨウは「ふうっ……」と溜息を吐いて小さく頭を振った。

―― 詳しく話すにしても順番があるだろ。まずはオヤジからだ。

サッチから視線を外して「う”ーん”」と唸り声を上げる。そうしてチラッとサッチの様子を伺い見た。サッチはかなり真剣な表情を浮かべて自分を見つめている。

「いや、まァ、なんだ。話しても良いんだけどよ……」
「話せ」
「薬指……。サッチが代わって差し出してくれるってェんならおれは喜んで全てを話してやる」
「は?」
「あァそうだ! その手があった!」
「どういうこと?」

首を傾げるサッチにラクヨウがアルドと交わした『薬指人質案件』なるものを簡単に説明した。

「おれっちの薬指を引き替えに全部を話してくれるってェのか?! ラクヨウ、お前ェ……」

ラクヨウはニヤリと嬉しそうに笑みを浮かべた。事情を知ったサッチは目を見開いた途端にラクヨウから身を引いてワナワナと震える手で口元を覆った。名演技過ぎると言っていたサッチだって十分過ぎるぐらいの名優っぷりじゃねェかとラクヨウは思った。

「って、断る!!」
「なら話すことはなにも無い!」

サッチがノリ突っ込み張りに声を張るとラクヨウも負けじと声を張った。
徐々に近付く本船。その見張り台から望遠鏡越しで二人のやり取りを見ていたビスタは「なにを楽しそうに遊んでいるんだ……」と、髭を撫でながらそう呟いて溜息を吐いた。

先刻の事、たった一人で戻って来たマルコにビスタは見張り台から声を掛けた。すると、アルドと二人でパッキンとその周辺の者達を一網打尽にしたとマルコに告げられて驚いた。
マルコの顔はなんともスッキリした様相で、それはそれで安心したのも束の間、船内へと入って行く入口でラクヨウと鉢合わせたマルコは表情を一転して気まずげにラクヨウと言葉を交わしていた。
見張り台にいては何を話しているのかまではわからなかったが、マルコがバツの悪そうな顔をしながら「悪かった」と謝罪の言葉を口にしていることだけはわかった。

「お、おう」

ラクヨウはまさかマルコから謝られるとは思っていなかったようで少し驚いたような様子だったが、肝心のアルドの姿が見当たらないことから彼の所在を聞いているようだった。

「は……、置いて来ただと?」
「筋力トレーニングの一環みてェなもんだ」
「なんだそりゃ!?」
「おい、どこに」
「迎えに行くに決まってんだろうが!」

親心というのだろうか。あの面倒臭がりのラクヨウが自ら小船を出してアルドを迎えに行くと言うのだから、マルコを始め甲板上にいた者達は皆して驚いた。
ラクヨウは準備の為か一旦船内に入ったかと思えば直ぐにサッチを引き連れて甲板へと現れた。そして、サッチと共に小船に乗り込んでアルドを迎えに行く姿をビスタは見送った。

何はともあれ大きな問題が一つ解決したことだけは確かだろう。

本船に戻ったラクヨウとサッチの後に続いて甲板に上がって来た人物を見て、ビスタは安堵の溜息を吐いた。ビスタ自身も何だかんだとアルドを気にしていたことに気付いて軽く咳払いをした。そして、彼らから視線を外して太陽が顔を出し始める東の空へと向けてクツリと自嘲した。

小さな変化

〆栞
PREV  |  NEXT
BACK