33

酒瓶を片手に海辺を歩いていた男がふと足を止めた。ご機嫌だった顔から笑みが消えて眉間に皺が寄った。

―― あれは……。

遠い過去――
本船から離れて単独で行動していた折のこと、とある島で人が暗殺される場面に偶々居合わせたことがある。あんなに一瞬で華麗に人を殺せるものなのかと自分の目を疑った程、見事なものだった。
暗殺者は目撃者たる自分の存在を明らかに認識していた。しかし、まるで何事も無かったかのように、殺害した者から離れて静かに立ち去った。
フード付きの白い衣服を纏っていて、腰元に巻かれた赤いサッシュが舞うように華麗に靡いていたのを鮮明に記憶している。
そして、今――
浜辺の先にある古びた小屋から姿を現した集団は、あの時の暗殺者と同じ姿恰好をしている。

「いや……、違ェな。おれが見たのはもっと小柄な奴だ」

遠目からでも男だとわかる体躯ばかり。しかし、記憶の中にある暗殺者は彼らより一回りか二回り程の小さな身体だった。今にして思えば、あれは子供だったのかもしれない。

「子供の暗殺者か。なかなか面白ェじゃねェか」

ポツリとそう零すとニヤリと笑いながら酒瓶に口を付けて酒を呷った。
過去に目撃した小さな暗殺者と同じ姿恰好をしている彼らもまた暗殺を生業とする『何らかの集団』だと理解した。

「しかし、キナ臭ェなァ。アスランから離れなきゃあ何もねェだろうが……。これから何かしら不穏な事が起きるかもしれねェなァ」
「子供……、そう言ったな?」
「――ッ!?」

突然、背後から声が聞こえてギクリとして慌てて振り向いた。そこには彼らと同じ服装をした男が一人。

―― このおれが気配一つ感じ取れなかっただと……?

だからと言うわけでは無いだろうが、この男が纏う雰囲気は他の誰とも違って異様なものに思えた。

「お前はマーシャル・D・ティーチだな?」
「ッ……! どうしておれの名前を知ってやがんだ!?」

白ひげ海賊団の古株と言えども、これまでに至るまで、特に目立つ行動はしていない。”ある目的を成すまで”は、それなりに大人しくしていたというのに、何故名前が割れているのか――ティーチは酷く動揺した。

「白ひげ海賊団の中で”最も異様な”お前の存在は極めて目立つ。私から見ればの話だが」
「ッ……!」

白いフードの影に隠れた顔は至って無表情。声音は平坦的で抑揚が無い。まるで人とは違う、機械仕掛けの人形のようだ。
ティーチは警戒しながら少し後退って距離を取ろうとした。

「聞きたいことがある」
「ゼハハハッ、このおれに何を聞くってんだ? オヤジのことか?」
「目的を果たせば簡単に裏切るつもりでいる男が、白ひげを慕い『オヤジ』と呼ぶとは滑稽極まりないな」
「!!」

男の言葉にティーチは瞠目した。

―― な、何者だこいつは!? 誰もおれの目的を知らねェはずだ! なのにどうしてそれを知ってやがる!?

男はティーチの表情をじっと見つめながら淡々と話し続けた。

「『情報』というものはどんなに小さなものでも手の内に収め、把握し、記憶に留めておくに越したことはない。例え、一海賊団の一人の平隊員が持つ内に秘めたる野望でさえもだ。今は小さなものでも、いつかは世界に波紋を齎す大きな災禍へと変貌する可能性もあるのでな」

男は自身の蟀谷辺りを指でトントンと叩くと軽く首を傾げるような仕草を見せた。そうしてティーチの前を横切るように数歩足を進め、波が寄せては返すギリギリの所で足を止めた。両手を後ろ手にしたまま身体をティーチの方へと向き直して更に言った。

「隠し通せる情報というものは思いのほか無いに等しい。お前には”仲間がいる”はずだ。その仲間が話をしていることを聞けば大方の予想はつく」

―― !

男の科白にティーチは顔を顰めた。嫌な汗が額から噴き出すのを感じた。

「ゼハハハッ……、盗み聞きたァ良い趣味をしてやがる」
「別の件を追っている際に偶々聞こえて来たのでな」
「た、偶々聞こえて来ただけだァ?」

大事な話を大きな声で話していたとは考え難いが、目標とする人間の会話以外に、他の人間の些細な会話でさえも聞き分け、尚且つ記憶する等という芸当が本当にできるものなのか――。
ティーチはギリッと奥歯を強く噛み締めると男を睨み付けた。だが男は意にも介さず紳士ぶった振る舞いで軽く頭を下げた。

「私はお前に一つ情報を乞う」
「な、なに……?」

男の言葉にティーチは戸惑いがちに目を丸くした。

「お前達白ひげ海賊団の中に異質な存在はいないか?」
「異質な存在だァ? 今しがたテメェがおれを最も異様な存在と言っておきながらなんだそりゃあ……?」

ティーチは不愉快だとばかりに顔を顰めてそう言った。
男はまた軽く首を傾げる仕草を見せた。目元は陰に隠れてはっきりと見えないが、月明りに照らされた口元は笑みを思わせる孤を描いていた。

「例えばだが、我々のようにフードを被り、このような武器を持っている者がいる――と言えばわかるか?」

男は左手をティーチの前に差し出して手首を返した。シャキンという冷たい金属音と共に小手具の内側から鋭い刃が顔を出し、それを見たティーチは目を見開いた。

―― あン時におれが見たのはこいつで殺害した瞬間だったってェことか。

過去の記憶が脳裏に蘇る。小さな暗殺者の左腕の小手具から突出した刃。まさに同じ武器だ。

「知らないか?」

しかし、白ひげ海賊団の一員にこのような武器を持っている者は存在しないことは確かだ――と、ティーチは小さく首を振った。

「ゼハハハッ、こんな妙な武器を”ただの海賊”がそう持っちゃいねェだろうぜ。いたらしっかり覚えてらァ」
「嘘偽りは無いか?」
「何故そう思うかは知らねェが、万が一いたならとっくに話してるぜ。おれはそいつを庇う理由がねェからなァ。なんせおれは目的を達成したら裏切る男だ。ゼハハハハッ!!」

ティーチは両手を広げて盛大に笑った。
男は無言で手首を返して小手から顔を出す刃を内に収めた。

「お前はアサシンを知っているような口ぶりだったが……?」
「あァ? アサシンってなァ聞き覚えはねェ。だが、てめェらみてェな恰好をした奴が人を殺す瞬間を見たことがある」
「いつの話だ?」
「さァな、十年ぐれェ前か……。あー」

ティーチはふと思い出した。

「記憶が朧げではっきりとは言えねェが、確か殺された側も似たような格好をしていたような……。身内同士で争い事かァ? って思ったことを思い出したぜ」
「……」

ティーチがそう言うと男は黙ってしまった。そうして暫く沈黙した後、何の返事もしないまま踵を返してティーチの前から去ろうとした。

「あ、おい」

ティーチが声を掛けると男はピタリと足を止めた。

「一つだけ忠告しておいてやろう」
「忠告だァ?」
「お前の目的を達成する為に邪魔な存在は先立って殺しておくことだ」
「!」
「もし、自らの手でそれができぬと言うのなら、我々のようなアサシンを使う手もあるということを頭の片隅にでも入れておくと良いだろう」
「ゼハハハハッ! おれにえらく協力的じゃねェか! あァ、おれが目的を果たして力を手に入れた時に敵対を恐れて先手を打つってェわけか?」

ティーチは傑作だとばかりに笑った。それに対して男はゆっくり振り向いて言った。

「我々アサシンにとって悪魔の実の能力者の力など無に等しい」
「ッ……!」

男の言葉にティーチは眉をピクリと動かした。笑みは絶やさなかったが内心は非常に面白くなく舌打ちをした。

―― てェした自信じゃねェか。アサシンだ? 聞いたこともねェ集団なんざ怖くもなんとも……ん?

『アサシン』

―― 聞いたこと…ねェ?

ティーチは言葉の響きに違和感を感じた。記憶の中に『アサシン』の言葉が引っ掛かりを覚えた。眉間に皺を寄せながら少しだけ息を呑む。本当に聞いたことが無いのか――と。
男はそんなティーチのちょっとした変化に気付いても、まるで気にもしないようにその場を立ち去った。

―― マーシャル・D・ティーチ。警戒すべき対象者であることに変わりは無い。

男の記憶にある暗殺者対象リストの中にその名はあった。白ひげ海賊団の船長であるエドワード・ニューゲートを筆頭に、隊長クラスの名が連なるその中で、平隊員であるその男の名は特に目を引いた。
ある島で調査をする中、ティーチの仲間と思われる者達の会話を偶々耳にして益々興味を持った。
男達の面々をチラリと確認しつつその情報を精査して記憶に残すことにした。
今はまだ小さい存在ではあるが、やがて世界に大きな波紋を呼び起こす集団になるだろう。但し、ティーチの言う『目的』が無事に果たせればの話ではあるが――。

―― 白ひげ海賊団は結束が固い集団だと記憶していた。しかし、その集団の中に裏切り者が潜んでいるとは面白い話だ。

今回、事のついでにティーチに接触を試みたわけなのだが、その『危険度』を大凡把握した。
これも『情報』として記憶の隅に留め置く。

「流石の白ひげも飼い慣らせん犬がいるか……。把握はしていまい」

男は風を切るように去って行く中でクツリと笑い、そう独り言ちた。





ティーチはアスランの町の酒場に向かった。
白ひげ海賊団の隊員達が酒を飲みながら娼婦達を誘い、夜の町――宿へ向かおうとする者達で溢れ返っていた。
そんな彼らと擦れ違いながら酒場の中を覗いた時、7番隊の隊員達だけが最後まで残って酒を楽し気に飲んで笑っていた。

―― ゼハハハッ! 女より酒たァ流石は酒豪集団だぜ。

そう思いながら視線を外してカウンターへと足を向ける。しかし、どこか違和感を感じたティーチは眉間に皺を寄せた。カウンター越しでマスターに酒を注文し、出されるまでのその間に7番隊へと視線を向ける。

―― おかしい……。なにが違う?

少し考えると直ぐにわかった。7番隊の中で最も酒好きな男――そう、彼らの隊長であるラクヨウの姿がどこにもなかったからだ。

「ハッ、珍しいこともあるも――ッ……!?」

ティーチは途中でハッとした。

『アサシン』『武器』『フード』

これらのワードは、ここ最近、白ひげ海賊団の中で噂となって飛び交っていたことを思い出した。
ティーチは全く興味が無かったことから詳しいことは知らないし記憶もあやふやではあるが、確か7番隊の中の一隊員であり、特にラクヨウが関係しているらしいという話だ。
実際にそういう人物を見たことがあるという隊員は少ない。しかし、存在していることを知っている者が少数いるということも――。

―― ま、待て待て待て! まさか……、白ひげ海賊団の中にさっきの奴みてェなアサシンがいるってェことか!?

思考がそこに行き着いた時、また嫌な汗が額から噴き出すのを感じた。

「お待たせ致しました」
「ッ……、お、おう」

ティーチはマスターの顔を見ずにジョッキを手にすると酒を一気に呷った。

「ぷはァッ!」

勢い良く息を吐き出すと腕で口元をグイッと拭い、さっさと酒場を後にした。

「先の島ではいつの間にか全てが解決してやがった。それに、7番隊が見張りの時の襲撃に限って全て事前に事が済んでやがった」

これまでのことを思い起こせば不思議な事が多々あることに気付く。

「少し探る必要があるかもしれねェ。おれの目的の邪魔にさえならなければ問題はねェが、逆の場合も考慮しねェとなァ」

ティーチは町の宿に泊まることを止めて船に戻ることにした。そして、そんなティーチの独り言ちた言葉を一言一句逃すこと無く聞いていた男が酒場の屋根の上にいた。浜辺でティーチに声を掛けた男だ。

「やはりそうか。白ひげ海賊団の中に同胞がいる可能性は極めて高いな」

ティーチにわざと情報と言う名の鼻薬を嗅がして泳がせたことが功を奏したと言って良い。
白ひげ海賊団は身内を家族と称して仲間を売るような集団では無い。しかし、ティーチだけは違う。敢えて声を掛けて正解だった。
明後日に決行されるロスカ国における仕事は最重要とされている。だが、それは部下達に任せておいて問題は無い。その仕事以上に問題視しなければならないのは、白ひげ海賊団の中に同胞がいる可能性の有無だ。もし同胞がいたならば、世界最強と称される白ひげ海賊団を相手取って潰しに掛かる必要が出て来るからだ。

「骨が折れる。この件は教団に伝達すべきなのだろうが……」

男は踵を返して裏道に面した方へと飛び降りると暗がりの中を颯爽と歩いていった。

―― あの”老い耄れ”に伝達したところで何の意味も無い。

ティーチに野心があるようにこの男にも密かなる野心があった。

「私が全てを成せば良い。いずれは私が――」

白い衣服を纏う男は地を蹴ってその場から姿を消した。
暗く歪んだ笑みを浮かべて――。

野 心

〆栞
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