34

アルドの部屋を後にしたマルコは自室に向かった。そして、部屋の前の通路に差し掛かった時、ついさっき飛ぶようにして逃げたラクヨウがマルコの部屋の前で突っ立っているのを見止めて眉を顰めた。

「上手くいったぜ」

ラクヨウはニヤリと笑みを浮かべながら歩み寄るとマルコの肩をポンポンッと軽く叩いた。

「お前ェは真面目なのか不真面目なのか本当によくわからねェ男だよい」
「あいつはアサシンとしては優秀だが、こと一般常識なんてものは無いに等しい。人としちゃあ欠陥品みてェなもんだからよ、そこんとこはマルコが上手く教えてやってくれや」
「それがわかってんなら十年の間に色々教える機会もあったんじゃねェのか?」
「おれがそんな他人に何かを教えるような人間に見えるか? だとしたらマルコの目は相当な節穴だ」

ラクヨウは左手で腹を押さえ、右手を額に当ててゲラゲラと笑った。そんなラクヨウを尻目にマルコはげんなりした表情を浮かべた。

「はァ……、おれは時々ラクヨウが羨ましいと思っちまうよい。その適当ないい加減さで済むところとか」
「ガッハッハッ! マルコがおれみてェな性格だったらこの船は直ぐにダメにならァ!」

ラクヨウはそう言うと立ち去ろうと足を進めた。だが直ぐにピタリと足を止めて振り向いた。
マルコは目を丸くした。ラクヨウの表情が打って変わって険しく真剣な面持ちだったからだ。

「なんだ……? どうし」
「この島にいたアサシンだがな」
「――ッ……!」
「明後日あたりに行われるロスカ国の戴冠式で『王家殺し』を実行するかもしれねェ」
「な…に……?」
「そんな大それた任務を遂行するのは、相当の手練れの連中揃いだってェ相場が決まってンだ。もしアルドが奴らの存在を知っちまったらどうなるかわかってるか?」
「それは」
「あいつは誰の制止も聞かずに船を降りる。そんでもってそんな連中を相手に一人で殺しに行きやがる」
「――ッ!」
「奴らの存在に関しては時と場合において『知らせる』か『知らせねェ』かの判断は必要不可欠だ」
「お前ェは……、今までずっとそうして来たってェのか?」
「あァ、そうだ。この十年もの間、おれはおれなりに相当神経を使って来たからな」

ラクヨウはそう言うと少しだけニヤリと笑った。

「これからはマルコ次第だ。頼んだぜ」
「ッ……」

ラクヨウはそれだけ言うと去って行った。マルコは何も言わずにラクヨウの背中を見送った。そして、少し思案顔を浮かべてから部屋に入った。仕事机の椅子に腰を掛けると未だに終わらない書類の山に視線を向けた。

「知らせなかったら知らせなかったで、後々アサシンがいたことをアルドが知ったらどう思うのかってェのは……」

そう独り言ちて「あァ、」と、マルコは小さく頭を振った。

「ラクヨウならそんなことまで考えやしねェか」

背凭れに身体を預けて天井を見上げたマルコは、眉間に皺を寄せて目を瞑った。
アスランで見かけたあのアサシンは、以前にヒンプ諸島で戦ったアサシン達とは明らかに格が違う――と、尾行しながらそう思った。

「知らせねェことも守る内に入る…か……」

アルドには例のアサシンの存在を知らせるべきではない。
この十年間、アルドの側にいて支え守って来たラクヨウの助言だ。ここは素直に受け入れることにした。

それから数十分後――
ドアをノックする音が部屋に響いた。
気配からしてアルドだとマルコは直ぐにわかった。そして、部屋に入るように声を掛けるとドアが開いた。
身形を変えたアルドが静かに部屋へと入って来る。
仕事机の椅子に腰を掛けたままマルコは両腕を組んで背凭れに背中を預けた。目の前にいるアルドの恰好を頭の先から爪先まで眺める。
アルドなりにちゃんと考えたようだ。
アサシンらしさが微塵も無い海賊らしい軽装へと様変わりしていた。

「しかし、見事に黒一色だなァ。でも、まァ赤いラインが入ったバンダナと赤いサッシュが目立って逆に良いか。……小手はどうする気だ?」
「装飾部分を無くしてシンプルにしてもらえるようにフォッサ隊長にお願いしています。あと、煙幕や銃弾は腰の後ろ側にあるポシェットに収めて短剣を上に重ねる感じで見え難くしています。投げナイフは上着の裏側に収納できるように変えます。長剣は前と変わりませんが……。あとはブーツをやめてマルコ隊長と同じようなサンダルにしてみました。この方がより海賊らしさが出るかと……」
「そのバンダナはラクヨウから貰ったものかい?」
「はい」

フードが取り払われて顔が明るみに出ても無表情なのは相変わらずだ。しかし、その中に無垢な心が見え隠れしているのをこの時になってマルコは初めて気付いた。

〜〜〜〜〜

「あいつはアサシンとしては優秀だが、こと一般常識なんてものは無いに等しい。人としちゃあ欠陥品みてェなもんだからよ――」

〜〜〜〜〜

ラクヨウの言葉が脳裏を過った。

―― アサシンとしては優秀でも人としては欠陥品か……。

身形の変更点を話すアルドの声音にはいくらか抑揚を感じる。だが表情だけは眉一つ動くことなく機械的だ。

「どこかおかしい箇所があるのなら改めますが……」
「いや、アルドにとって行動する際に問題が無ェならそれで十分だよい」

アルドの科白にハッとして思考の渦化から現実に戻ったマルコは、小さく首を振って合格だと告げた。
マルコが黙って観察するように見つめていたせいで、これが良いのか悪いのか、アルドから見たマルコの表情はとても曖昧なものに見えたのだろう。
アルドは表情こそ変わりは無いが、幾分かホッとした様子を見せて――ではこの恰好で――と言って軽く頭を下げた。

「ところでよい」
「なにか?」
「アルドはもう町には行かねェのか?」
「基本的に用事が無い限りおれは船を降りることはしませんが……」
「そうかい、わかった。部屋に戻って良いよい」
「はい」

アルドは再びマルコに向けて一礼をしてから部屋を出て行った。

「用事が無い限り……か」

静かに閉じたドアを見つめながらマルコはポツリと呟いた。

――アルドの為を思えばこそ――

しかし、どうしてか胸の内がすっきりしない。羽ペンを手に取って残った書類に向かうものの気乗りがしない。机に片肘を突いてぼんやりと考え事ばかりを繰り返した。





アルドがマルコの部屋に行く前にフォッサの部屋に立ち寄った時、丁度フォッサが部品や工具品を大量に仕入れて戻って来たところだった。
アルドの全く見慣れない姿にフォッサは非常に驚いた。そして、事情を聞いた。

「成程。面白そうじゃねェか」

フォッサはニヤリと笑ってアルドのファッションチェンジに付き合うことにした。
アルドが小手具の改良して欲しい部分を伝えるとフォッサは早速作業に取り掛かることにした。

「暫く掛かるから他に用事があるなら済ませて来い」

フォッサは様々な革を収納している箱の中を漁りながらそう言った。
アルドはフォッサが小手具の改良をしている間にマルコの部屋に行って衣服のチェックを済ますことにした。特に問題も無くマルコから合格を得た後、再びフォッサの部屋に足早に向かった。その時だった。

「……」

アルドはピタリと足を止めた。無表情のまま何も無い空間をじっと見つめている。しかし、意識を外に向けて何かを探るような雰囲気を放っていた。

何かいる。
船の外に気配を感じる。

これは間違い無くアサシンの気配だ。そう思った時、フォッサの部屋のドアが開けられてフォッサが顔を出した。

「あァ、丁度良いところに来たな」

フォッサはアルドに改良した小手具《アサシンブレード》を放るように渡した。

―― 本当に良いタイミングだ。

アルドはフォッサに深く頭を下げながら礼を告げると早速装着した。

「フォッサ隊長、ついでにお願いがあるのですが」
「なんだ?」
「マルコ隊長に伝言をお願いしたいのです。『おれは用事ができたので町に行ってきます』とだけ伝えてください」
「それだけで良いのか?」
「はい」
「わかった。アルド、アスランは海賊が集まる町なだけあって決して安全ではない。気を抜くんじゃねェぞ?」
「はい、肝に銘じます」

アルドはフォッサにまた軽く頭を下げると踵を返して足早に甲板を目指した。
途中で手首を返していつも通りにシャキンと音を鳴らしながら顔を出すアサシンブレードを確認する。作りが質素な小手に変わっただけで、機能としては以前と何ら変わり無い。

「フォッサ隊長、流石です」

アルドはフォッサに敬意を表してポツリと呟いた。
そうして船内から甲板に上がる階段に差し掛かった時だ。甲板から船内に入って来る一人の男に出くわした。ティーチだ。
ティーチはアルドを見るなり怪訝な表情を浮かべた。

「あんまり見ねェ顔だな。新人か? どこの隊の奴だ?」
「1番隊です」
「ゼハハハハッ、1番隊か! しかし、愛想の無ェ男だな。名前は?」
「アルド……」
「アルドか。おれは2番隊に所属しているティーチだ。まァ、白ひげ海賊団は大所帯だ。あんまり見ねェ顔があっても不思議じゃねェからな、気を悪くすんなよ。ゼハハハハッ!」

ティーチが笑いながらそう言うとアルドは黙ったまま軽く頭を下げた。そして、ティーチの横を通り過ぎて甲板へと出て行った。
ティーチはアルドが甲板上に出て姿が見えなくなるまでその背中を見送った。

―― あいつは違うな。フード姿じゃねェし服装もその辺の奴らと変わらねェ。赤いサッシュが目に付くが……。まァ、マルコも青いサッシュを巻いてンだからおかしいこたァねェな。例の噂の男とは別人だ。

ティーチは納得するように軽く頷くと踵を返してそのまま船内へと入って行った。
一方、甲板に出たアルドはそのまま船を降りて町へと向かった。船番をしていた男達がアルドの姿を見るなり「ん?」と不思議そうな表情を浮かべたが、「新人じゃねェの?」と一人が言った言葉に周りの者はすんなり納得して特に気にはしなかった。
丁度その頃、船内ではマルコが食堂に向かおうと部屋を出ると帰って来たティーチとばったり会った。

「ゼハハハッ! 部屋に籠って仕事か?」
「酒臭ェ……。かなり飲んだな?」
「アスランは海賊の町だが名酒揃いの酒場が立ち並ぶ名所だぜ? 行かねェでどうすんだ」
「気分じゃねェだけだよい」

ティーチがご機嫌に笑うその横をマルコが通り過ぎようとした時だった。「そういやァマルコ――」と、ティーチが何かを思い出すかのように声を掛けた。それにマルコは足を止めて振り向いた。

「なんだ?」
「1番隊に新人でも入れたか?」
「新人?」

ティーチの言葉にマルコは片眉を上げた。

「さっき船内に入る階段の所で擦れ違った奴がいてなァ、どうもおれの記憶にはねェ顔だったんでどこに所属してんだって声を掛けたんだ。そいつは1番隊に所属してるっつぅから気にも留めなかったが……」
「!」

ティーチは右手を顎に当てながら記憶を辿るように話した。その言葉にマルコは思わずドキッとして目を見張った。

「ティーチ」
「あ?」
「そいつは黒い服に赤いサッシュを巻いてなかったか?」
「あァそうだが……、やっぱり何か問題のある奴だったのか?」
「悪ィ!」

マルコはティーチの問いに応えずに急いで走って行った。ティーチは目を丸くしたが直ぐにクツリと笑った。

「あいつは大事な部下ってェ奴か? ゼハハハハッ!」

ティーチは踵を返して自分の部屋へと戻って行った。一方、マルコは甲板に出る前に食堂で酒を飲んでいたラクヨウを見つけて声を掛けた。

「ラクヨウ!」
「あ? って、おい! 何しやがる!?」

大事な酒瓶をマルコに分捕られたラクヨウは憤慨して席を立った。

「酒を返しやがれマルコ!」

声を荒げて手を伸ばそうとするラクヨウにマルコは胸倉を掴んだ。そして、マルコがアルドの名を口にしようとした時だった。

「マルコ」
「!」

フォッサがマルコに声を掛けた。
マルコが振り向く一方で、ラクヨウは奪われた酒瓶を取り返そうと必死に手を伸ばした。しかし、マルコが咄嗟にそれを躱して酒瓶を持っていない反対の手でラクヨウの顔を押し退け、ラクヨウから遠ざけるように酒瓶を持つ手を高々と上げた。

「ふぐっ……うぉぉいマルコ! ぐぎぎっ! て、め、えェ……酒を返せ!」

必死に酒を取り返そうと頑張るラクヨウを他所にマルコは「なんだ?」とフォッサに応じた。
ジャンプしようにも顔を押さえ付けられている為に飛べないラクヨウをチラチラと見ながらフォッサはアルドからの伝言をマルコに伝えた。

〜〜〜〜〜

「おれは用事ができたので町に行ってきます」

〜〜〜〜〜

「――ということだ。ちゃんと伝えたぞ」

マルコの横で酒瓶を奪い返そうと必死になるラクヨウと、そのラクヨウを手で押しやって酒瓶を奪われないようにしているマルコ。
フォッサはそんな二人の姿に堪らず噴き出すようにして笑った。

「知らねェ間にえらく仲が良くなってんじゃねェか!」
「「そりゃ違ェ! 勘違いだ(よい)!」」
「ハッハッハッ!」

否定を叫ぶ二人を他所にフォッサは楽し気に笑いながら食堂を出て行った。
ラクヨウは自分を押しやるマルコの腕を手で払い除けると改めて酒を取り返そうと手を伸ばす――が、途中でピタリと動きを止めた。

「おい……、今、アルドが町に行ったっつったか?」
「それをお前に言おうと思って声を掛けたんだよい」
「まさか、察しやがったのか? ……いや、逆の可能性の方が高ェかもしれねェな」

ラクヨウは難しい顔を浮かべてどこを見るでも無くポツリと呟いた。それにマルコは眉を顰めた。

「逆の可能性って、そりゃあどういうことだ?」
「敵から近付いて来たってェことだ。アサシンがこの船に近付いて来やがったのをアルドが関知したのかもしれねェ」
「なっ…んだって…!?」

驚くマルコを尻目にラクヨウは両腕を組むと視線を落としたまま珍しく緊張をはらんだ声音で話し出した。

「アサシンはおれ達の常識から逸脱した能力を持ってンだ。非常に鋭く優れた五感ってェ奴だ。悪魔の実の能力者どころの話じゃねェ。それ以上に厄介な存在であることを肝に銘じておく必要がある。多分、その辺は警戒心の強いお前ェのことだからわかってるとは思うが……」

マルコが「それは……まァ、」と小さく口にして頷いた。それを確認するようにチラリと見たラクヨウはマルコの正面に立って顔を向けた。

「アルドはマスターアサシンだ」
「マスター……アサシン……?」
「アサシンの中で最も位の高い優れたアサシンだ」
「な…に……?」
「それもガキの頃にその称号を与えられた天才的なアサシン。それがアルドだ」
「ッ……!」

ラクヨウの言葉にマルコは思わず絶句した。
アルドはアサシン教団という組織の中の一人だと思っていた。アサシン教団の手で身内を殺され、その仇の為に教団を離脱して殲滅を図っている――そう思っていた。
まさか、アルドがアサシン教団の頂点に近いと思われる地位にある存在だったとは想像だにしていなかった。しかし――
そうであるならば、身内を殺されただけで組織を裏切る等、立場的にそう簡単にできるのだろうか――と、マルコは疑問に思った。

「感情を持たない連中の最高位の人間が身内を殺されたぐらいで組織を裏切るようなことをするのかってェ顔だな」

マルコの思考を見透かしたかのようにラクヨウは言った。
マルコは視線をスッと外すと小さく溜息を吐いた。

「もっと詳しい事情を知ってンなら教えろよい」
「あー、その辺の事情はおれの口からは話せねェ。オヤジならまだしもな」
「なんでだよい……」

マルコは納得できねェとばかりに不満を示した。だがラクヨウは無理なものは無理だと首を横に振った。

「今はとりあえずアルドを探しに町に行くぞ!」

半ば当たり散らすかのように声を荒げたラクヨウは、マルコに奪われた酒瓶を強引に取り返すと残った酒を一気に飲み干した。
そうしてラクヨウとマルコは甲板に出ると見張りの者達に町に出ることを告げて船を降りた。





流石に真夜中となると町の中を歩く人の姿は疎らで、道の端や壁際に凭れている男達は酒に酔い潰れて眠りこけているのが殆どだった。しかし、時々そこかしこにある宿屋の窓から男の荒い息遣いと女の卑猥な声と共に身体をぶつけ合うような音が聞こえて来る。
アルドは不快感を抱いて眉間に皺を寄せた。
船外周辺に感じた気配を追って町に来たのは良いが、余計な声や音で集中力が乱されてしまう。そのおかげで肝心の気配の主を見失ってしまった。

―― ……おかしい。

こんなことは初めてだった。例えどんなことがあっても狙いを定めた相手の気配を見失うこと等、今まで一度たりとも無かったことだ。
それなのに見失った。
これには流石にアルドも少し動揺したのか僅かに顔を歪めた。

―― 少しずつ……、何かが狂い始めてるのか?

原因なんてものは容易に幾つも浮かぶ。しかし、それは決して不快なものでは無く寧ろ安定的なもので、どちらかと言えば心地の良いものだ。だが、それに甘んじて慣れてしまったことで、これまで培ってきた能力が低下して失い始めているのでは――と、比例しているように思えてならなかった。

「ッ……」

少しだけツキンと胸が痛んで苦しく感じた。
アルドは小さく首を振った。

―― 何も焦る必要は無い。酒場に行けば何か情報が得られるかもしれない。

基本に立ち返って情報収集から始めようと気持ちを切り替えた。

船外周辺に感じた気配は間違い無くアサシンだ。
そのアサシンがもしこの島にいるのなら――。
目的を完遂するまで決して船に戻ることは無い。
出港までおよそ六日。
それまでに全て終わらせれば何ら問題は無い。

アルドは意を決して日中に訪れた酒場へと向かった。

暗躍へ

〆栞
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