35

酒に溺れてグダグダになった男が酒場の隅でテーブルに突っ伏して眠っていた。カランカラン……――と、扉が開けられて響いた鐘の音に釣られるように、男は目を覚ました。寝ぼけ眼を擦って小さく欠伸をしながら未だに赤みが差す顔を上げた。
酒場に入って来たのは、海賊と思われる風貌をした年若い青年が一人。しかし、その青年の顔を見るや否や男は少し眉を顰めた。

「あァ…? 酒なんざ飲みそうにねェ面ァしてやがんのに……ヒック……」

酒場の中を見回した青年は、酒に溺れてグダグダになった男の元へと歩み寄った。

「すみません」
「あー? ヒック……」
「一つお聞きしたい」
「なんだァ……?」
「この島でフード付きの衣を纏う者を見かけたことはありませんか?」
「あァ〜ん? ヒック……」

男にしてはその声音は妙に細くて少し高い気がした。しかし、顔付きは年若い割には妙に達観した雰囲気があった。
男はしゃっくりをしながら突っ伏していた上体を起こした。

「あ〜、悪ィがおれは知らねェな〜」
「そうですか」

男の返事に青年は無表情のまま踵を返して、誰もいない酒場を見回した。少し溜息を吐いただろうか、青年は何も言わずに酒場を出ようとした。
その時、青年の後姿をじっと見ていた男が何かを思い出したかのように「あー、そういやァ……」と声を上げた。
青年は足をピタリと止まて振り向いた。

「見たってェ話は聞いたなァ……」

男を見つめる青年の表情は相変わらず無機質だ。しかし、そんな青年に対して男は少しだけ腑抜けた笑みを浮かべた。

「こんな端くれの町じゃなくてだな〜ヒック……、中央に行きゃあいるんじゃねェか? あー、この町でも何人か目撃した奴はいるみてェだが……、ヒック……うぅ、飲み過ぎちまったのか気持ち悪ィ……」

男は口元を手で覆うとドサリと床に転げ落ちた。地面に大の字に転がった男はその場で目を瞑ると暫くしてイビキを掻き始めた。
青年はそんな男に対して軽く頭を下げると踵を返して酒場を後にした。





酒場で酔っ払った男の言葉を何度も頭の中で繰り返しながら青年――アルドは足早に歩いていた。
機械的な無の表情ではあるが胸中は決して穏やかでは無かった。
船内で感知した気配は紛れもなくアサシンだったということを不確かではあるが、そうである可能性が非常に高いということがわかったからだ。
これからどうするかの思考を張り巡らせる中で町の中央に差し掛かった時、アルドは何者かが背後から近付いて来る気配を察して振り向いた。

「おー、酔ってねェな! 助かったぜ!」
「!」

それはエースだった。

―― しまった……。

アルドはそう思った#。しかし、エースは自分が声を掛けた相手がアルドだとはどうも気付いていない様子だ。

―― 姿格好が違うからか……。

アルドは内心ホッとして胸を撫で下ろした。衣服を変えたことで、こんな風に役に立つとは思っていなかった。
確かに今の自分の姿恰好は、どこからどう見ても海賊の下っ端ぐらいの若造にしか見えない。到底アサシンだとは誰も思わない。

―― ラクヨウ隊長、マルコ隊長、恩に着ます。

二人の提案に乗って正解だったとアルドは思った。

「船に戻りてェんだが、どうも道が複雑でどっちに行けば良いのかわかんねェんだ」
「どの海賊船…ですか?」
「あー、えっとだな……。言っても良いんだけど……ビビって逃げたりするなよ?」
「はい」

エースは少し慎重な面持ちで「白ひげ海賊団だ」と小さな声で言った。

―― えェ、知ってます。

胸の内でそう思いながらアルドは「大きい船が停泊するとなるとここの先を――」と船までの道順を説明した。

「ん、わかった。ありがとな」
「いえ」

エースは丁寧に頭を下げると落ちそうになったオレンジ色のテンガロンハットを手で押さえた。そうして顔を上げると何の疑いも持っていない笑顔を浮かべた。

「あァ、真夜中で人が少ねェっつってもここは海賊が集まる町だ。裏路地とか行くと結構血の気の多い奴がいたりするから気を付けろよ」
「はい、親切にありがとうございます」
「じゃあな」

エースはアルドが教えた道に向かって去って行った。その時、アルドはエースのポケットに白いメモ用紙を差し込んだ。これから数日間、所用で船に戻らないことをマルコとラクヨウ宛に記したものだ。
アルドは白ひげマークが彫られたエースの背中を見つめて少しだけ目を細めた。

「エース隊長、伝言を……お願いします」

アルドはそう小さく呟くと踵を返して反対の道へと足を進めた。
町の外れにある馬小屋に行くと眠りこける馬主の前に硬貨を置いた。そして、何も言わずに一頭の馬を借り受けて跨った。

―― 不確かだが確認はすべきだ。もしアサシンだったなら殲滅するのみ。

アルドは意を決するかのように手綱を握り締めると闇夜に包まれた真っ暗な世界に向かって馬を走らせた。





マルコとラクヨウはアスランの町の入口でエースとばったり会った。
エースは二人の姿を見るなり目を丸くして不思議そうな表情を浮かべた。

「マルコとラクヨウって珍しい組み合わせだな。なんかあったのか?」
「エース、アルドを見なかったか?」
「ん? アルド? 見てねェ」

ラクヨウの問いにエースは首を傾げて返事をした。それにラクヨウは「そうか」と言いつつ小さく舌打ちをしてマルコに顔を向けた。

「下手すりゃあ町を後にしてる可能性もあるぞ」
「……」

表情に珍しく焦りの色を滲ませているラクヨウに気付いたエースは、どうもただ事では無いらしいと眉を顰めた。

「アルドがどうかしたのか?」

エースの問い掛けにラクヨウが「なんでもねェ」と言い掛けた時、マルコがその言葉を掻き消すようにエースの名を口にした。

「なんだマルコ?」
「誰とも会わなかったのか? あいつは……、アルドはいつもと違う恰好をしてんだ」
「違う恰好?」
「黒地に赤のラインが入ったバンダナに、上下とも黒の服を着て赤のサッシュを腰に巻いてんだ。あと、おれと似たようなサンダルを履いてる」

マルコの話を聞きながらエースは頭の中でそれを想像した。

―― 黒地に赤のライン……、黒服に赤の……。

順番にヒト型に填めて行くと途端にハッと顔色を変えた。

「そういう恰好をした奴を」
「あァ! あいつか!」
「なにィ!? 会ってんじゃねェか!!」
「――ッ……」

マルコの声を遮って大きな声を上げたエースに釣られるようにラクヨウが負けじと声を張った。その一方でマルコは押し黙った。

「アルドはフードを被ってるイメージがあるから全然気付かなかったぜ。だから悪ィ……って、なんでおれが謝ってんだ?」
「ラクヨウの勢いに押されたんだろうよい」

ラクヨウの背中を押しやりながらマルコがそう言うとエースは「そっか」と頷いた。

「おれとラクヨウはアルドを探しに行く。船に見張りは一応いるが他の隊の連中は誰もいねェから手薄だ。だから守りはエースに任せるよい」
「おう、了解」
「よし、急ぐぞマルコ!」

ラクヨウは勢い良く走り出した。マルコもそれに続こうとした時だった。偶々ポケットに手を突っ込んだエースが、身に覚えのない紙の感触に眉を顰めて「ん?」と声を漏らした。その声に足を止めたマルコは振り返った。
ポケットから白い紙を取り出したエースが「なんだこれ……?」と、不思議そうに首を傾げている。

「ちょっと寄越せ」

マルコはエースの返事を待たずにそれを奪って中を見た。その途端に眉間に深い皺を刻んで舌打ちをした。

―― あのバカ。まずはおれの許可を得てから行動しろって何度も言っただろうがよい!

「エース、船に戻るのに暫く時間がいる」
「ん?」
「もし先にオヤジが船に戻って来たらこの紙を渡せ。そんでもっておれとラクヨウはアルドを探しに船を空けてるってェことを伝えてくれよい」
「あ、あァ、わかった」

マルコはエースに紙を返すと町へと走って行った。
エースはマルコを見送ると渡された紙に視線を落として眉を顰めた。

「いつの間に入ってたんだ?」

思い出してみるものの見当がつかない。その内にエースは「まァ、良いか」と、考えることを止めた。紙を無くさないように折り畳んでポケットへと押し込める。そして、オレンジ色のテンガロンハットを深く被り直した。

―― だからか……。船までの道順に詳しかったから怪しいとは思ったんだよな……。

「っつぅか……、アルドの顔を初めて真面に見た気がする。あんな顔してたんだな」

月明りに照らされて浮かぶアルドの顔は、漆黒の髪と瞳とは対照的に抜けたような白い肌が印象的で整った顔立ちだった。どこかの海賊団に所属する若手かと思ったが、表情から受けた印象はどこか達観したものを感じて下っ端のようには思えなかった。

「おれも後を追った方が良かったかもしれねェな」

エースは少し後悔しながらモビー・ディック号へと戻る道を暫く歩いた。そうして、モビー・ディック号の姿が見えた時、エースは足をピタリと止めた。オレンジ色のテンガロンハットを手で押さえつつ鍔の陰に隠れたエースの瞳が鋭く光る。

「ポートガス・D・エースだな?」
「誰だ?」

暗がりの岩陰から姿を現してエースの前に立ちはだかったのは、フード付きの白い衣服を纏い腰元に赤いサッシュを巻いた男だった。

―― こいつ、アルドと似た恰好……だけじゃねェ。雰囲気もどこか似てる……。

目の前に現れた男の表情はフードの陰に隠れて口元しか伺えないが、唇が少し孤を描いていることから笑みを浮かべているように思えた。

「一つ確かめたいことがあってな、我々に協力して頂きたい」
「誰とも知らねェ奴になにを協力しろって……?」

男の言葉にエースは眉をピクリと動かすと警戒を持って問い返した。
男は少し首を傾げるような仕草を見せて軽く肩を竦めた。そして、何も言わずに徐に右手を挙げた。

ヒュンッ――!

風を切るような音がしたかと思った次の瞬間だ。

ボフンッ――!

爆発音と共に白い煙がエースの視界を奪った。

「なっ!? ゴホッ! ゲホッ!」
「どのみちお前は暗殺対象だ。だがその前に、お前にはあの男を誘き出す為の餌となって貰う」

男が抑揚の無い声でそう告げるとエースは煙に咽ながらも大きく反応した。

「てめェ! 火拳――ッ!?」

反撃しようとした瞬間にガチャンッという金属音がハマる音がエースの耳を突いた。途端にエースは膝から崩れるようにしてその場に力無く倒れた。

―― くっ……、こ、こいつは海楼石……!

左腕に填められた錠をエースは憎らし気に見つめた。

「能力者というのはなんとも不便だな。特異な能力を得られても代償は大きい。そう思わないか?」

エースの視界に同じ系統のブーツを履いた者が複数。目の前に立ちはだかった男と同じ衣服を纏った者がエースを囲むようにして三人いた。

「シルヴァーノ様、作戦を変更してもよろしいのですか?」
「構わん。王家の暗殺は私が居らずとも速やかに事は運ぶ。今はこちらの方が重要だ。船内にいて私の気配を感知するなど余程の手練れ。何者か確かめねばならん」
「しかし、あなた様の気配を感知するなど……」
「海賊と変わらん若い風貌をした男だが私の後を追ってアスランまでつけられたのは事実。脅威となる前に排除すべきだとは思わんか?」

シルヴァーノと呼ばれた男は部下と思われる彼らにそう問い掛けると彼らは黙ったままコクリと頷いた。

―― 若い男……? アルドのことか? クソッ、力が入らねェ……!

シルヴァーノは力無く倒れるエースの前に膝を折るとエースの髪を掴んで顔を上げさせた。
エースはギリッと奥歯を噛み締めながら睨み付けるがシルヴァーノは情味の無い目付きでそれを見つめた。

「このまま生かしたまま海軍に渡すのも一興か。海軍元帥のセンゴクならば恐らく大々的に公衆の面前で処刑を行うだろう。海賊王ゴールド・ロジャーの実の息子としてな」
「ッ――!」

シルヴァーノはそう言うと手を離して立ち上がった。

「連れて行け」

部下にそう指示を出すと三人の内の一人がエースを肩に担ぎ上げた。

―― な、なんでそのことを知ってやがんだ!?

エースの表情は苦悶に満ちていた。
シルヴァーノの口元が孤を描くとエースの耳元で囁いた。

「真実は無く、許されぬことなど無い」
「な…んだ、それ……?」
「権力者が作った歴史など全て紛い物だ。世界の民は『偽りの真実』の上で権力者によって良いように転がされ生かされているのだよ。我々アサシンはその権力者から民を解放する為に戦っている」
「わけ、わかんねェ……。おれを海軍に渡すとか、やってることは、海軍の犬じゃねェか……」

エースは力無くとも皮肉を込めた笑みを浮かべてそう言った。しかし、シルヴァーノは怒ることは無く抑揚の無い声で続けた。

「海は海賊のものでも海軍のものでもない。海の自由を得るにはお前達を殺すことも必要。ならば海軍を”利用する”ことに何らおかしいことは無い」
「!」
「貴様ら海賊だけでは無い。我々の暗殺対象には、海軍大将も元帥であるセンゴクの名もあるのだからな」

シルヴァーノの口元は孤を描き笑みを思わせる。そこから見える余裕にエースは眉間に皺を寄せてグッと唇を噛んだ。

―― 嘘でも偽りでもねェ……。冗談で言ってるわけじゃねェ……。

『権力者が作った歴史など全て紛い物。そこから民を解放する為に戦う』

想像し得ない途方も無いことだとエースは思った。このシルヴァーノという名の男の存在はとてつもなく脅威に感じた。――と同時に脳裏にフッと浮かんだ。シルヴァーノと似た格好で黒い衣服を纏ったアルドの姿。

―― アルド……。あいつも確かアサシンなんだよな? けど、あいつは……。

アルドは確かにシルヴァーノと似た雰囲気を持っている。そう感じた。無表情で言葉に抑揚が無い。だがしかし、アルドは決して自らの力を表に出さなかった。常に陰に隠れ、事を成しても何事も無かったかのように済ます。シルヴァーノのように自らの力や存在を誇示するようなことは無かった。

―― 違う。アルドはこいつらとは似ても似つかねェ。

『全ては家族の為に――。それがおれの中の唯一無二の真実』

マルコから聞いたアルドが言ったというその言葉が全てだ。

ガッ!!

「ッ――」

後頭部に強い衝撃を受けたエースは敢え無く気を失った。部下の三人はエースを連れて先にその場から離れ、シルヴァーノは後方にある白ひげ海賊団の船へと振り返った。
モビー・ディック号の見張り台に立っていた隊員が偶然にも望遠鏡を手にして一連を目撃していた。
シルヴァーノはその隊員に向けてまるで挑発するように軽く手を振って丁寧に頭を下げた。そうしてクツリと笑うとその場から姿を消した。
隊員は目を丸くして唖然とした。望遠鏡でやっと見える距離であるにも関わらず、あのフードを纏う男は明らかに自分を見ていたのだ。
背中にゾクリと悪寒がした。とてもじゃないが普通の集団では無い。そして、あの男は他の者達とは明らかに異質だった。

「た、大変だ……、大変だァァァ!!」

見張り台から甲板にいる仲間に声を上げた。見張り台に立っていた隊員が全てを報告すると彼らは一様に驚いた。エースが攫われたこともそうだが、何よりもその集団の姿恰好がアルドを彷彿させたからだ。
一人はアスランの町へ隊長達を呼びに、一人はアスランの町の長がいる屋敷に向かって白ひげに報告をしに、あとは残った者達だけで船を守る為に、彼らは慌てふためきながら行動に移した。

急 襲

〆栞
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