37
ビスタが剣を鞘に納めるとキンッと甲高い音が鳴った。シルクハットの鍔を掴んで徐に脱ぐと額に掻いた汗を拭った。そして、近くにあった岩場に腰を下ろして大きく息を吐いた。
「まさかこれ程とは……。隊長クラスでなんとか戦えるレベルだな」
うつ伏せになって倒れている男を見つめながらビスタはそう独り言ちた。
乱れた呼吸を整えて少しだけ休むと再び立ち上がった。そして、倒れた男の元に歩み寄り肩を掴んで仰向けにする。その時、フードがパサリと落ちて男の素顔が露わになった。
――!
ビスタは目を見張った。
「流石ッ…白ひげの…隊長クラスは、並のッ……、か、海賊とは…違う、な……」
苦し気に息を切らしながら言葉を紡ぐ男の表情は、無の気色が強く機械的――だが、それ以上に、思っていたよりも遥かに年若い男だったことに驚いた。恐らく十代半ばぐらいだろうか。
ビスタは、自分の半分も生きていない若者に、これ程までに苦戦を強いられるとは思ってもみなかった。
―― この若者でこれ程の強さなら、この者達を率いる男は……。
ビスタは自ずと動悸が早くなるのを感じた。しかし、直ぐに小さく頭を振って気を取り直すと厳しい表情を浮かべて問質した。
「おれ達の仲間を一人攫ったはずだ。どこにいる? 教えるなら命だけは助けてやる」
男は顔色一つ変えずにビスタをじっと見つめていた。
―― ……答える気は無いか……。
そう思った時、冷たい金属音を耳にした。ビスタは、咄嗟に身を退けて男から離れた。男が左に装備している小手具から刃を出して振り上げたのだ。その凶刃はビスタの眼前の空を斬って空振りに終わった。
―― まだ反撃して戦う気があるのか……!
ビスタが驚く一方で男は右手を地面に突いて重い身体を支えた。
「ゴホッ! ゴホッ!」
苦し気に咳込んでは血を吐き出して地面を赤く染めた。ビスタの剣により脇腹を貫かれ、それが致命傷となっているのだ。既に勝敗は決している。
ビスタが苦渋の表情を浮かべると男は徐に顔を上げてクツリと笑った。
―― な、んだ……?
ビスタは眉を顰めた。
「火拳は…セルヴァ王宮ッ…城塞内部…ゴホッ! 地下に、監禁ッ…して、いる」
「!」
「はァはァ…、だが、た、助け出すことはッ、ふ、不可能……」
男はそれだけ言うと左の小手具の刃を自らの首筋に宛がった。
「ま、待て!」
ビスタが慌てて制止を叫ぶも男は躊躇無く自分の首筋を断ち切った。血が激しく飛び散ると共に男はその場に力無くどさりと倒れて絶命した。ビスタは唖然と立ち尽くした。
暫くしてシルクハットの鍔を掴むとグッと目深に被りながら深い溜息を吐いた。そして、死んだ男の側に寄ると片膝を突いた。瞳が開いたまま絶命している男の目元にそっと手を伸ばして瞼を閉じてやった。
「死ぬには……、あまりに若過ぎる……」
ビスタは目を瞑って苦し気にそう呟いた。そして、「セルヴァ王宮城塞内部の地下だそうだ」――と、独り言にしては大きな声で言った。草木が生い茂る沿道に視線を向けるとガサガサと草木が音を立て始めた。その陰からジョズとフォッサが姿を現した。
「その情報はおれがオヤジに伝えよう」
ジョズはそう言うと足早にその場を離れた。ビスタがジョズの背中を見送る一方で、フォッサが視線を落として絶命した男を見つめていた。
「……若いな」
「あァ……、だが実力は想像以上だったぞ」
「だろうな。隊員では荷が重いことはジョズもわかっている。動くのは隊長のみで動くべきだと報告するだろう」
険しい表情を浮かべながらフォッサがそう言うとビスタは絶命した男へと視線を向けた。
実の所、エースの所在について簡単に口を割るとは思っていなかった。だが、この男はあっさりと話した。それは恐らく、ビスタ達がどう足掻いてもエースを助け出すことは万に一つも無いという自信の表れなのだろう。そして、その言葉は既にセルヴァ王宮内部の最深部にまで多くのアサシンが侵入しているということに他ならない。今回の戦いは、なかなか厳しいものになるかもしれない――と、ビスタがそう思った時だ。
「……アルド」
フォッサがポツリと呟いた。それを耳にしたビスタは片眉を上げてフォッサに顔を向けた。
「どうした? アルドがなんだ……?」
「同じ武器だ」
フォッサは絶命した男の左腕に装備している小手具を見つめていた。ビスタは「あァ」と納得したように声を漏らした。
「アルドはな――」
「言わなくともわかっている。武器を扱っているのはおれだからな。”これ”がどういった類に使われるものなのかは重々承知している」
フォッサは銜えた葉巻の紫煙をふぅっと吐きながらそう言った。それにビスタは僅かに眉をピクリと動かした。そして、クツリと笑った。
「成程。お前もラクヨウ以外の理解者か」
「武器だけだがな」
「意外なところに繋がりがあるもんだ」
フォッサは絶命した男の小手具や使えそうな武器を外した。更に、その男以外にもビスタが倒したアサシン達からも同じように小手具や武器を外しに掛かる。
「フォッサ、なにをしているんだ?」
ビスタが不思議そうに見つめながら問い掛けるとフォッサはニヤリと笑みを浮かべた。外した小手具をポンポンと手の上で軽く弾ませるとビスタに向けてそれを放り投げた。
「おっと!」
慌ててそれを受け取ったビスタにフォッサは言った――「アルドの武器のスペアになるからな」――と。片眉を上げるビスタにフォッサは言葉を続けた。
「アルドの武器……あー、特にこのアサシンダガーを仕組んだ小手具ってェのはそう簡単に作れた代物じゃねェんだ。手首を返すだけで刃を出し入れする仕組みは一見簡単そうに思えるが、実際はかなり難しい細工が施されているんでな」
「ほう……、そうか」
フォッサの説明にビスタは納得して頷くと手元にある小手具に視線を落した。見るからに暗殺に特化した武器だ。そう思った時、ふと『暗器を持った少女の話』が脳裏に浮かんだ。十年前、マルコが白ひげに報告した件だ。
―― 例の少女も恐らくアサシンだ。このような若い男で相当の実力の持ち主なら、その少女も恐らく……。
「生きていればマルコにとっては脅威となるかもしれんな……」
「なにか言ったか?」
「い、いや、独り言だ」
ビスタの胸中にふと不安が過った。もし、この者達の中にマルコが会った少女がいたとしたら……――と。そんな思考が浮かぶ頭を振って忘れようとした。しかし、一度でも浮かんだ思考は脳裏にこびり付いて振り払えなかった。
「フォッサ……」
少女がいないことを願いながら胸中の不安を解消すべく助け船を求めるように、ビスタはフォッサの名を呼んだ。しかし――
「あァ、こりゃあ荷物になるな。おれは一度船に戻る」
全く聞こえていなかったのだろう。フォッサは掻き集めた武器を大きな布で一纏めに包むとそれを抱えて歩き出した。
「い、いや、待て!」
「なんだ?」
「船に戻ってオヤジに話したいことができたんでな。おれも戻る」
「おお、そうか。なら丁度良い」
「なに?」
フォッサは葉巻をプッと地面に吐き捨てると足で踏んで火を消した。
「半分、お前も持て」
武器を一纏めに包めたのは良かったが、それは意外にも重かったのだ。船に戻ると言うのならと、フォッサは二つに分けて半分をビスタに持たせた。
「うぐッ……」
―― 半分でもズシリと重いのは何故だ……!?
なんとなく腑に落ちない気持ちを抱きつつビスタはフォッサと共に港に向けて歩き出した。
◇
ロスカ国の城門付近――。
戴冠式が数日後に行われることもあってか異国の貴族風の団体に警備兵や一般民から商人等、多岐にわたり多くの人で溢れ返っていた。そこから少し離れたところに馬小屋があって、アルドはそこで馬を下りた。
「ノルボリで借りた馬です」
「あーはいはい。預かるよ」
忙しそうに馬の世話をしていた主人はアルドが乗っていた馬のタズナを受け取った。
アルドが御礼と労いの気持ちを込めて馬の首元をポンポンと叩いて軽く撫でると「ブフルルッ!」と、馬は尻尾を軽く揺らしながら鼻息を荒く鳴らした。
「まるで別れを惜しんでるようだなァ」
「一生懸命走ってくれたので、名残り惜しいです」
笑顔を浮かべる主人に合わせるように苦手な世辞を口にして、それではとアルドは馬小屋を後にした。
外に出ると向こう正面にある城門に目を向けた。大勢が行き交う人々の流れの中に目的とする者達が紛れているかもしれない――と、眼光を鋭くして意識を集中し始める。
「で、今度はどうする気だ?」
「……え……?」
聞き慣れた声が背後から聞こえた時には遅かった。
ガシッ!
「!?」
アルドは頭を鷲掴みにされる衝撃を突然受けて目を見張った。ギリギリと蟀谷に激痛が走って否が応にも顔が歪んだ。
「うあっ…いい、痛ッ…!」
「痛くしてんだから当然だろうよい」
唯でさえ眠たげな細い目をしているというのに、より細く鋭い目付きでアルドを睨み付けるのはマルコで――。
アルドは咄嗟にマルコの腕を掴んでギリッと力を入れた。だが、痛みが酷くて上手く力が入らなかった。その内にアルドの意思に反してジワリと目に涙が浮かび上がり視界を歪ませた。
それを確認したマルコは漸く手を離した。アルドは蟀谷を手で押さえながらヨロヨロとその場にしゃがみ込んで小さく呻き声を上げた。
―― 本当に、本当に、一瞬だけ、気を失ったような気がする。
蟀谷を両手で擦りながらしゃがみ込んでいるアルドの前に立つマルコは、腰を曲げて仏頂面のまま口を開いた。
「勝手な行動した罰ってェやつだ」
叱責混じりにそう言うとアルドが漸く顔を上げた。
「フォッサ隊長に、伝達を頼んだはずです……!」
「おれは許可を出してねェ」
「ッ……、なら、許可を……ください」
「却下だ」
「……」
マルコの返答にアルドが少しだけ眉間に皺を寄せた。不満なのだろう。小さな感情の変化はある。しかし、抑揚の無い声と感情の色が無い瞳にマルコは溜息を吐いた。
―― 本当にお前は……。
いつか見た海軍の男を殺した直後の顔。情の欠片すら無い無機質な心無い機械仕掛けの人形のよう――。今のアルドはまさにそれだった。
少しでも人らしさを取り戻せとばかりに、マルコはアルドの頭をクシャリと撫でた。
「今回は少し事情が違ェんだ」
「事情?」
「心を殺して簡単に壊滅できるような相手じゃなさそうなんだよい」
マルコはそう言って立ち上がった。アルドは、未だに残る蟀谷の痛みを感じながらマルコに倣う様に立ち上がった。
マルコは黙ったまま城門前を行き交う人々の流れをじっと見つめている。その一方、アルドはマルコの科白に引っ掛かりを覚えてマルコに目を向けた。
「まるで……、ここにアサシンがいるのを知っているかのように聞こえましたが……」
アルドがそう言うと城門を見つめていたマルコはゆっくりとアルドに視線を向けた。
「いるよい」
その返答にアルドは表情一つ変えなかった。そして、「そうですか……」と小さく呟いて頷いた。
「探す手間が省けました」
アルドはマルコを置いて城門へ向かおうとした。しかし、咄嗟に腕を掴まれる感覚にピタリと足を止めた。振り向くアルドの表情は、既に心無い機械仕掛けの人形《完全な無》に変わっていた。
「今回は手を出させねェ」
マルコが鋭い目付きで睨み付けるが効果は無い。無表情のアルドは沈黙したまま掴まれた腕を振り払おうした。
「アルド」
マルコは話を聞けとばかりにアルドの腕を掴む手に力を込めた。だが――
「――な」
「なに……?」
―― おれの目的だ。邪魔するな ――
「ッ……」
これまでに無い程に冷たく言い放たれた言葉。そこに情の欠片は一切無い。そう、無いはずなのだが、その奥底に潜んだ強い殺意をマルコは感じ取った。
―― お前の目的……。
この世で唯一血を分けた弟の仇の為か。しかし、それは白ひげから聞かされただけの話――。
「おれはまだその目的をお前の口から直接聞いちゃいねェ。お前がどうして――」
マルコは言葉を途中で止めた。
「?」
不思議に思ったアルドは少し首を傾げた。どうしたのかとアルドが訊こうとした時だった。マルコがアルドの腕をグイッと引っ張った。そうして自分の背後に隠すようにしながらアルドの腕を後ろ手で掴み直した。
突然の行動に困惑するアルドだったが、マルコが険しい表情のまま城門前を見つめていることに気付いた。そして、その視線を辿るようにして自分も目を向けた。
「!」
白いフード付きの衣服を纏う男が数人。行き交う人込みに紛れて城門内へと向かう姿があった。マルコの行動は、彼らの存在に気付いてのものだったのだ。アルドは自身の腕を掴むマルコの腕を反対の手で掴んだ。しかし、マルコも力を入れて決して離そうとしない。
「ッ…、離して、ください」
「アルド、聞け」
「マルコ隊長!」
「聞けって言ってんだ!」
「ッ……!」
マルコの怒声にアルドの肩が僅かにビクンと弾んだ。
―― 何故……? どうしてそんな……。
冷静な男が見せた一瞬の怒気。それに思わず驚いたアルドは口を噤んで黙り込んだ。マルコの腕を引き離そうとして掴んだ手の力が自ずと緩む。何故かその手が僅かに震えた。
―― 鼓動が……速い。
アルドはドキドキと早鐘を打つ心臓に酷く戸惑った。
「近々、戴冠式がある」
「ッ……、そのよう…ですね……」
「その式典に乗じてあいつらはこの国の王族を殺害するかもしれねェ」
「以前に王族が殺害された事件がありましたが……。今回も……?」
「恐らくな」
「救うと?」
「……」
「オヤジ様はその件に手を出すと仰ったのですか?」
アルドの問いにマルコは首を振った。
「そうじゃねェ。この推測はラクヨウだ」
「!」
「この手の任務を遂行するような奴らは『相当の手練れの奴らって相場が決まってる』ってな。あいつが心配してんだよい」
「それはッ……! そう…でしょうね……」
他人の事なんて何も気にしていないかのように粗暴で横柄な態度。それとは裏腹に、意外にもしっかり気遣って心配りをしてくれる情の厚い一面を持つ男――ラクヨウ。ガッハッハッ!と笑う顔が脳裏に浮かんだ。そして、グララララッと笑う声が聞こえた気がした。
―― ッ……。
アサシンである自分を理解しながら本気で心配してくれる唯一の存在――白ひげとラクヨウ。
「お前とは、そう実力の差が無い連中が大勢いるかもしれねェ」
でも、弟《アルド》の仇の為にアサシンを狩ることも理解して許してくれている。それで例え重症を負う様なことがあったとしても、彼らはきっと理解してくれる。例え、死んだとしても――。
「覚悟はしています。それぐらいのことは」
「覚悟してねェ」
「おれは覚悟していると言っ」
「おれがお前を失う覚悟をしてねェって言ってんだよい!!」
アルドの声を遮るようにマルコが声を張り上げた。
「――ッ……!」
―― おれがお前を失う覚悟 ――
アサシンだと知って、理解しようとしてくれて、そして、本気で心配してくれる唯一の存在になってくれる――最も大切な人――その言葉が、アルドの奥底にある”#イルマ#の心”にまで響き渡る。
胸が苦しいのは何故なのか。
覚悟が瓦解して崩れそうになる。
僅かに手が震えた。
二人が問答している間にアサシン達は既に城門内へと姿を消した。それを見送ったマルコは自分の背後に隠したアルドへと漸く向き直した。
アルドの表情に変わりは無い。しかし、瞳が僅かに揺れているように見えた。動揺か何か――。今、どういう心境にあるのか、それはわからなかったが、アルドの心が微妙に揺れ動いていることはわかった。
「アルド、もっと自分を大事にしろよい。目的を……、仇を取りたい気持ちはわかるが、その為に命を簡単に捨てるような真似だけはするな」
マルコはアルドの両肩を掴んで諭すように言った。だがアルドは頑なに頭を振った。
「おれは目的を遂げなければ生きている意味など」
「全ては家族の為にって言ったよなァ」
「――それは……!」
「おれも同じだ」
マルコは微笑を浮かべた。
「その家族の中に、アルドも当然含まれているってこと、忘れるな」
「!」
「アルドはおれの大事な家族だ。そのお前が弟の仇の為に命を捨てるって言うなら、おれはおれの命を捨てる覚悟でお前を止めてやるよい」
「なっ……!?」
微笑を消して真剣な表情へと変えたマルコは射抜くような目で真っ直ぐにアルドの目をを見つめた。光の無い漆黒の瞳を――。アルドは目を逸らすことができなかった。遠い過去、マルコに助けられたあの日、あの時に見た、あの青い瞳――。表面上は鋭く厳しさを模しているが、奥底に心配と優しさが見え隠れしているのがわかる。そして、温もりも。
―― 待って……。
無機質だった心に光の息吹を与えてくれたあの時と同じように、今また再び一身に受けて、鼓動が大きく跳ね続けて心が大きく揺れ始める。
―― おれッ…、わ、たし、私は……、マル…コ…さん……。
アルドは微妙に表情を変えた。
「!」
とても悲愴的で今にも泣き崩れそうな、そんな表情だった。思ってもみなかった変化にマルコは思わず目を丸くした。
―― お前ッ……、まるで……。
遠い記憶を思い起こさせるのに十分な程に強い衝撃を受けた。見たのだ。見たことがあるのだ。同じ目を、同じ顔を、見たことがある。
―― まさか、#イルマ#……?
マルコは無意識にアルドの頬に手を添えた。
「マルコ隊長、おれ……」
アルドはそれに少し反応して何かを言おうと口を開いた――が、「――ッ!!」途端にハッとした表情を浮かべて一変した。
「!」
先程のか弱い表情は錯覚だったのかと思わせる程に真剣な面持ちに変えたアルドは、鋭い視線を城門前を行き交う人々へと向けた。アルドのその変わり様に流石に何かあったのだと察したマルコも行き交う人々へと視線を移した。
「今……、エースって……」
「なに?」
「マルコ隊長……、さっきいた彼らとは別のアサシンがいます」
アルドの科白にマルコは眉間に皺を寄せた。行き交う人々の中にアサシンの姿を探してみるが見つからない。
「どこにもいねェみたいだが……」
「いますよ」
アルドは馬小屋と城門との間にあった積荷の前で立ち話をしている複数の男達がそうだと言った。それにマルコは眉を顰めた。見るからに一般人と同じ普通の服を身に着けているというのに、どうして彼らがアサシンだと断定できるのか――。
「アルド、どうしてわかるんだ?」
「イーグルアイです」
「イーグルアイ?」
「えっと、視覚変化です」
「視覚…変化……?」
首を傾げるマルコにアルドはコクリと頷いて言葉を続けた。
「敵対者は赤いオーラを纏い、味方は青いオーラを纏って見えます。無関係な人は無色のままですが、対象者となる者は金色のオーラを纏って見えるんです」
「なっ!? それって」
「アサシン特有の能力です」
「――ッ……!」
悪魔の実の能力かと思ったが、そうで無いことにマルコは殊更驚いた。
―― そ、そんなことが可能だってェのかよい!?
「声は……」
「声?」
「どうやってわかったんだ……?」
マルコの質問にアルドは「え?」と声を漏らして首を傾げた。どうしてそんな質問をするのかと言いたげな表情だ。
「話していたから…ですが……」
「いや、こんなにも人が大勢いるってェのに、特定の声を、それも科白を明確に聞き分けることなんて、普通はできねェだろうよい」
「それは……、えっと、訓練…したから……?」
「ッ……」
どうやらアルドにとっては――と言うか、アサシンにとっては当たり前のことのようで、マルコは頬をヒクリと引き攣らせると視線を行き交う人々へと戻した。マルコの耳にはガヤガヤと大勢の声が様々に飛び交っていて騒々しい塊にしか聞こえていない。
―― 訓練ね……。一体どんな訓練を受けりゃあそんな芸当が身に付くんだよい……。
アルドは再び視線を行き交う人々へと戻して聴覚に集中した。聞こえる範囲に限りはあるが、範囲内にいるアサシン達が交わしている会話を盗聴する。
「聞こえたままに言いますね」
「お、おう、わかった」
「『2番隊隊長の男をセルヴァ王宮の地下……、我々が設けた隠し部屋に監禁した』」
「な、なに?」
「『白ひげが動けば殺せとの指示だ』『わかりました』」
「!」
その内容にマルコとアルドはお互いに目を見張った。
「エースが捕まったってェのか?」
「彼らの会話だとそうなります」
「白ひげが動けば殺せってェのはどういう意味だ?」
「恐らく戴冠式において王家殺しを遂行するのに邪魔をされたくないんだと思います」
「ッ……」
マルコは唖然としていた。
―― エースを捕まえた? あのエースを……?
行き交う人々の流れを見つめながら眉間に皺を寄せたマルコは、徐に手で口元を覆うと考え込んだ。そんなマルコをアルドは黙って見つめていた。
―― マルコ…隊長……。
ツキンと胸に痛みが走るのを感じるとアルドは唇をギュッと真一文字に結んだ。―― ……させない。絶対に殺させない。白ひげ海賊団を、この人の家族を、傷つける者は誰であろうと私が許しはしない。全て、私が、殺す―― 自ずと両手をギュッと握り締めた。
「マルコ隊長、おれが潜入してエースを助けます」
「それはッ!」
「言ったはずです」
「待て! ダメだ!」
無表情で無機質な声音に戻ったアルドにマルコは苦渋の表情を浮かべて首を振った。
「許可は」
「守ります」
「――な…に……?」
「あなたと、あなたが大切に思う家族を、おれが必ず守る」
「!」
この場を離れようとするアルドを捕まえようとマルコは咄嗟に手を伸ばした。だがその時、マルコに振り向いたアルドの顔を見たマルコはピタリと動きを止めた。
―― お前……。
初めて見た気がした。初めて心ある感情に触れた気がした。アルドが見せた素直な微笑み。それに驚いたマルコは動くことができなかった。
「ラクヨウ隊長とオヤジ様にお伝えください。エース隊長は必ず船に戻ります」
「アルド……、待て……」
「おれは全て終えるまでもう戻らない」
「お前、それは!」
「アサシンは決して向けてはいけない相手に牙を剥けた。おれは絶対に許さない」
「――アルド!」
アルドは強い声音でそう言うとマルコの制止を聞かずに走り出した。後を追いかけたマルコだったが流石はアサシンと言うべきか、人込みの中に紛れ込んだアルドの気配は直ぐに消えて完全に見失った。
「くそっ! 全て終えるまで戻らねェだと? ふざけるな!」
マルコは悪態吐きながら側にあった木箱を八つ当たり気味に蹴飛ばした。
―― おれは絶対に”二度と”離さねェって決めたんだよい!
ギリッと奥歯を噛んで額に手を当てた。どうするべきかと思考を回しながらウロウロとその辺を歩き回る。
〜〜〜〜〜
守ります
あなたと あなたが大切に思うこの船の者達を 家族を
――あなたの為に――
〜〜〜〜〜
マルコに忠誠心を掲げる誓いのようなものを立てたあの時のアルドの言葉がふと頭の中で大きく響いた。顎に触れていた手に力が入ってギュッと拳を作るとマルコは静かに息を吐いた。そして、両手で自分の頬を強くパシンと叩いた。
「舐められたもんだ……。おれは白ひげ海賊団1番隊隊長、不死鳥マルコだ。相手がアサシンだろうが関係無ェ。アルド、お前がおれに誓った言葉をそっくりそのまま返してやるよい」
アルドと重なって見えた#イルマ#の面影。それがより一層マルコの闘志に火を点けた。
「まさかこれ程とは……。隊長クラスでなんとか戦えるレベルだな」
うつ伏せになって倒れている男を見つめながらビスタはそう独り言ちた。
乱れた呼吸を整えて少しだけ休むと再び立ち上がった。そして、倒れた男の元に歩み寄り肩を掴んで仰向けにする。その時、フードがパサリと落ちて男の素顔が露わになった。
――!
ビスタは目を見張った。
「流石ッ…白ひげの…隊長クラスは、並のッ……、か、海賊とは…違う、な……」
苦し気に息を切らしながら言葉を紡ぐ男の表情は、無の気色が強く機械的――だが、それ以上に、思っていたよりも遥かに年若い男だったことに驚いた。恐らく十代半ばぐらいだろうか。
ビスタは、自分の半分も生きていない若者に、これ程までに苦戦を強いられるとは思ってもみなかった。
―― この若者でこれ程の強さなら、この者達を率いる男は……。
ビスタは自ずと動悸が早くなるのを感じた。しかし、直ぐに小さく頭を振って気を取り直すと厳しい表情を浮かべて問質した。
「おれ達の仲間を一人攫ったはずだ。どこにいる? 教えるなら命だけは助けてやる」
男は顔色一つ変えずにビスタをじっと見つめていた。
―― ……答える気は無いか……。
そう思った時、冷たい金属音を耳にした。ビスタは、咄嗟に身を退けて男から離れた。男が左に装備している小手具から刃を出して振り上げたのだ。その凶刃はビスタの眼前の空を斬って空振りに終わった。
―― まだ反撃して戦う気があるのか……!
ビスタが驚く一方で男は右手を地面に突いて重い身体を支えた。
「ゴホッ! ゴホッ!」
苦し気に咳込んでは血を吐き出して地面を赤く染めた。ビスタの剣により脇腹を貫かれ、それが致命傷となっているのだ。既に勝敗は決している。
ビスタが苦渋の表情を浮かべると男は徐に顔を上げてクツリと笑った。
―― な、んだ……?
ビスタは眉を顰めた。
「火拳は…セルヴァ王宮ッ…城塞内部…ゴホッ! 地下に、監禁ッ…して、いる」
「!」
「はァはァ…、だが、た、助け出すことはッ、ふ、不可能……」
男はそれだけ言うと左の小手具の刃を自らの首筋に宛がった。
「ま、待て!」
ビスタが慌てて制止を叫ぶも男は躊躇無く自分の首筋を断ち切った。血が激しく飛び散ると共に男はその場に力無くどさりと倒れて絶命した。ビスタは唖然と立ち尽くした。
暫くしてシルクハットの鍔を掴むとグッと目深に被りながら深い溜息を吐いた。そして、死んだ男の側に寄ると片膝を突いた。瞳が開いたまま絶命している男の目元にそっと手を伸ばして瞼を閉じてやった。
「死ぬには……、あまりに若過ぎる……」
ビスタは目を瞑って苦し気にそう呟いた。そして、「セルヴァ王宮城塞内部の地下だそうだ」――と、独り言にしては大きな声で言った。草木が生い茂る沿道に視線を向けるとガサガサと草木が音を立て始めた。その陰からジョズとフォッサが姿を現した。
「その情報はおれがオヤジに伝えよう」
ジョズはそう言うと足早にその場を離れた。ビスタがジョズの背中を見送る一方で、フォッサが視線を落として絶命した男を見つめていた。
「……若いな」
「あァ……、だが実力は想像以上だったぞ」
「だろうな。隊員では荷が重いことはジョズもわかっている。動くのは隊長のみで動くべきだと報告するだろう」
険しい表情を浮かべながらフォッサがそう言うとビスタは絶命した男へと視線を向けた。
実の所、エースの所在について簡単に口を割るとは思っていなかった。だが、この男はあっさりと話した。それは恐らく、ビスタ達がどう足掻いてもエースを助け出すことは万に一つも無いという自信の表れなのだろう。そして、その言葉は既にセルヴァ王宮内部の最深部にまで多くのアサシンが侵入しているということに他ならない。今回の戦いは、なかなか厳しいものになるかもしれない――と、ビスタがそう思った時だ。
「……アルド」
フォッサがポツリと呟いた。それを耳にしたビスタは片眉を上げてフォッサに顔を向けた。
「どうした? アルドがなんだ……?」
「同じ武器だ」
フォッサは絶命した男の左腕に装備している小手具を見つめていた。ビスタは「あァ」と納得したように声を漏らした。
「アルドはな――」
「言わなくともわかっている。武器を扱っているのはおれだからな。”これ”がどういった類に使われるものなのかは重々承知している」
フォッサは銜えた葉巻の紫煙をふぅっと吐きながらそう言った。それにビスタは僅かに眉をピクリと動かした。そして、クツリと笑った。
「成程。お前もラクヨウ以外の理解者か」
「武器だけだがな」
「意外なところに繋がりがあるもんだ」
フォッサは絶命した男の小手具や使えそうな武器を外した。更に、その男以外にもビスタが倒したアサシン達からも同じように小手具や武器を外しに掛かる。
「フォッサ、なにをしているんだ?」
ビスタが不思議そうに見つめながら問い掛けるとフォッサはニヤリと笑みを浮かべた。外した小手具をポンポンと手の上で軽く弾ませるとビスタに向けてそれを放り投げた。
「おっと!」
慌ててそれを受け取ったビスタにフォッサは言った――「アルドの武器のスペアになるからな」――と。片眉を上げるビスタにフォッサは言葉を続けた。
「アルドの武器……あー、特にこのアサシンダガーを仕組んだ小手具ってェのはそう簡単に作れた代物じゃねェんだ。手首を返すだけで刃を出し入れする仕組みは一見簡単そうに思えるが、実際はかなり難しい細工が施されているんでな」
「ほう……、そうか」
フォッサの説明にビスタは納得して頷くと手元にある小手具に視線を落した。見るからに暗殺に特化した武器だ。そう思った時、ふと『暗器を持った少女の話』が脳裏に浮かんだ。十年前、マルコが白ひげに報告した件だ。
―― 例の少女も恐らくアサシンだ。このような若い男で相当の実力の持ち主なら、その少女も恐らく……。
「生きていればマルコにとっては脅威となるかもしれんな……」
「なにか言ったか?」
「い、いや、独り言だ」
ビスタの胸中にふと不安が過った。もし、この者達の中にマルコが会った少女がいたとしたら……――と。そんな思考が浮かぶ頭を振って忘れようとした。しかし、一度でも浮かんだ思考は脳裏にこびり付いて振り払えなかった。
「フォッサ……」
少女がいないことを願いながら胸中の不安を解消すべく助け船を求めるように、ビスタはフォッサの名を呼んだ。しかし――
「あァ、こりゃあ荷物になるな。おれは一度船に戻る」
全く聞こえていなかったのだろう。フォッサは掻き集めた武器を大きな布で一纏めに包むとそれを抱えて歩き出した。
「い、いや、待て!」
「なんだ?」
「船に戻ってオヤジに話したいことができたんでな。おれも戻る」
「おお、そうか。なら丁度良い」
「なに?」
フォッサは葉巻をプッと地面に吐き捨てると足で踏んで火を消した。
「半分、お前も持て」
武器を一纏めに包めたのは良かったが、それは意外にも重かったのだ。船に戻ると言うのならと、フォッサは二つに分けて半分をビスタに持たせた。
「うぐッ……」
―― 半分でもズシリと重いのは何故だ……!?
なんとなく腑に落ちない気持ちを抱きつつビスタはフォッサと共に港に向けて歩き出した。
◇
ロスカ国の城門付近――。
戴冠式が数日後に行われることもあってか異国の貴族風の団体に警備兵や一般民から商人等、多岐にわたり多くの人で溢れ返っていた。そこから少し離れたところに馬小屋があって、アルドはそこで馬を下りた。
「ノルボリで借りた馬です」
「あーはいはい。預かるよ」
忙しそうに馬の世話をしていた主人はアルドが乗っていた馬のタズナを受け取った。
アルドが御礼と労いの気持ちを込めて馬の首元をポンポンと叩いて軽く撫でると「ブフルルッ!」と、馬は尻尾を軽く揺らしながら鼻息を荒く鳴らした。
「まるで別れを惜しんでるようだなァ」
「一生懸命走ってくれたので、名残り惜しいです」
笑顔を浮かべる主人に合わせるように苦手な世辞を口にして、それではとアルドは馬小屋を後にした。
外に出ると向こう正面にある城門に目を向けた。大勢が行き交う人々の流れの中に目的とする者達が紛れているかもしれない――と、眼光を鋭くして意識を集中し始める。
「で、今度はどうする気だ?」
「……え……?」
聞き慣れた声が背後から聞こえた時には遅かった。
ガシッ!
「!?」
アルドは頭を鷲掴みにされる衝撃を突然受けて目を見張った。ギリギリと蟀谷に激痛が走って否が応にも顔が歪んだ。
「うあっ…いい、痛ッ…!」
「痛くしてんだから当然だろうよい」
唯でさえ眠たげな細い目をしているというのに、より細く鋭い目付きでアルドを睨み付けるのはマルコで――。
アルドは咄嗟にマルコの腕を掴んでギリッと力を入れた。だが、痛みが酷くて上手く力が入らなかった。その内にアルドの意思に反してジワリと目に涙が浮かび上がり視界を歪ませた。
それを確認したマルコは漸く手を離した。アルドは蟀谷を手で押さえながらヨロヨロとその場にしゃがみ込んで小さく呻き声を上げた。
―― 本当に、本当に、一瞬だけ、気を失ったような気がする。
蟀谷を両手で擦りながらしゃがみ込んでいるアルドの前に立つマルコは、腰を曲げて仏頂面のまま口を開いた。
「勝手な行動した罰ってェやつだ」
叱責混じりにそう言うとアルドが漸く顔を上げた。
「フォッサ隊長に、伝達を頼んだはずです……!」
「おれは許可を出してねェ」
「ッ……、なら、許可を……ください」
「却下だ」
「……」
マルコの返答にアルドが少しだけ眉間に皺を寄せた。不満なのだろう。小さな感情の変化はある。しかし、抑揚の無い声と感情の色が無い瞳にマルコは溜息を吐いた。
―― 本当にお前は……。
いつか見た海軍の男を殺した直後の顔。情の欠片すら無い無機質な心無い機械仕掛けの人形のよう――。今のアルドはまさにそれだった。
少しでも人らしさを取り戻せとばかりに、マルコはアルドの頭をクシャリと撫でた。
「今回は少し事情が違ェんだ」
「事情?」
「心を殺して簡単に壊滅できるような相手じゃなさそうなんだよい」
マルコはそう言って立ち上がった。アルドは、未だに残る蟀谷の痛みを感じながらマルコに倣う様に立ち上がった。
マルコは黙ったまま城門前を行き交う人々の流れをじっと見つめている。その一方、アルドはマルコの科白に引っ掛かりを覚えてマルコに目を向けた。
「まるで……、ここにアサシンがいるのを知っているかのように聞こえましたが……」
アルドがそう言うと城門を見つめていたマルコはゆっくりとアルドに視線を向けた。
「いるよい」
その返答にアルドは表情一つ変えなかった。そして、「そうですか……」と小さく呟いて頷いた。
「探す手間が省けました」
アルドはマルコを置いて城門へ向かおうとした。しかし、咄嗟に腕を掴まれる感覚にピタリと足を止めた。振り向くアルドの表情は、既に心無い機械仕掛けの人形《完全な無》に変わっていた。
「今回は手を出させねェ」
マルコが鋭い目付きで睨み付けるが効果は無い。無表情のアルドは沈黙したまま掴まれた腕を振り払おうした。
「アルド」
マルコは話を聞けとばかりにアルドの腕を掴む手に力を込めた。だが――
「――な」
「なに……?」
―― おれの目的だ。邪魔するな ――
「ッ……」
これまでに無い程に冷たく言い放たれた言葉。そこに情の欠片は一切無い。そう、無いはずなのだが、その奥底に潜んだ強い殺意をマルコは感じ取った。
―― お前の目的……。
この世で唯一血を分けた弟の仇の為か。しかし、それは白ひげから聞かされただけの話――。
「おれはまだその目的をお前の口から直接聞いちゃいねェ。お前がどうして――」
マルコは言葉を途中で止めた。
「?」
不思議に思ったアルドは少し首を傾げた。どうしたのかとアルドが訊こうとした時だった。マルコがアルドの腕をグイッと引っ張った。そうして自分の背後に隠すようにしながらアルドの腕を後ろ手で掴み直した。
突然の行動に困惑するアルドだったが、マルコが険しい表情のまま城門前を見つめていることに気付いた。そして、その視線を辿るようにして自分も目を向けた。
「!」
白いフード付きの衣服を纏う男が数人。行き交う人込みに紛れて城門内へと向かう姿があった。マルコの行動は、彼らの存在に気付いてのものだったのだ。アルドは自身の腕を掴むマルコの腕を反対の手で掴んだ。しかし、マルコも力を入れて決して離そうとしない。
「ッ…、離して、ください」
「アルド、聞け」
「マルコ隊長!」
「聞けって言ってんだ!」
「ッ……!」
マルコの怒声にアルドの肩が僅かにビクンと弾んだ。
―― 何故……? どうしてそんな……。
冷静な男が見せた一瞬の怒気。それに思わず驚いたアルドは口を噤んで黙り込んだ。マルコの腕を引き離そうとして掴んだ手の力が自ずと緩む。何故かその手が僅かに震えた。
―― 鼓動が……速い。
アルドはドキドキと早鐘を打つ心臓に酷く戸惑った。
「近々、戴冠式がある」
「ッ……、そのよう…ですね……」
「その式典に乗じてあいつらはこの国の王族を殺害するかもしれねェ」
「以前に王族が殺害された事件がありましたが……。今回も……?」
「恐らくな」
「救うと?」
「……」
「オヤジ様はその件に手を出すと仰ったのですか?」
アルドの問いにマルコは首を振った。
「そうじゃねェ。この推測はラクヨウだ」
「!」
「この手の任務を遂行するような奴らは『相当の手練れの奴らって相場が決まってる』ってな。あいつが心配してんだよい」
「それはッ……! そう…でしょうね……」
他人の事なんて何も気にしていないかのように粗暴で横柄な態度。それとは裏腹に、意外にもしっかり気遣って心配りをしてくれる情の厚い一面を持つ男――ラクヨウ。ガッハッハッ!と笑う顔が脳裏に浮かんだ。そして、グララララッと笑う声が聞こえた気がした。
―― ッ……。
アサシンである自分を理解しながら本気で心配してくれる唯一の存在――白ひげとラクヨウ。
「お前とは、そう実力の差が無い連中が大勢いるかもしれねェ」
でも、弟《アルド》の仇の為にアサシンを狩ることも理解して許してくれている。それで例え重症を負う様なことがあったとしても、彼らはきっと理解してくれる。例え、死んだとしても――。
「覚悟はしています。それぐらいのことは」
「覚悟してねェ」
「おれは覚悟していると言っ」
「おれがお前を失う覚悟をしてねェって言ってんだよい!!」
アルドの声を遮るようにマルコが声を張り上げた。
「――ッ……!」
―― おれがお前を失う覚悟 ――
アサシンだと知って、理解しようとしてくれて、そして、本気で心配してくれる唯一の存在になってくれる――最も大切な人――その言葉が、アルドの奥底にある”#イルマ#の心”にまで響き渡る。
胸が苦しいのは何故なのか。
覚悟が瓦解して崩れそうになる。
僅かに手が震えた。
二人が問答している間にアサシン達は既に城門内へと姿を消した。それを見送ったマルコは自分の背後に隠したアルドへと漸く向き直した。
アルドの表情に変わりは無い。しかし、瞳が僅かに揺れているように見えた。動揺か何か――。今、どういう心境にあるのか、それはわからなかったが、アルドの心が微妙に揺れ動いていることはわかった。
「アルド、もっと自分を大事にしろよい。目的を……、仇を取りたい気持ちはわかるが、その為に命を簡単に捨てるような真似だけはするな」
マルコはアルドの両肩を掴んで諭すように言った。だがアルドは頑なに頭を振った。
「おれは目的を遂げなければ生きている意味など」
「全ては家族の為にって言ったよなァ」
「――それは……!」
「おれも同じだ」
マルコは微笑を浮かべた。
「その家族の中に、アルドも当然含まれているってこと、忘れるな」
「!」
「アルドはおれの大事な家族だ。そのお前が弟の仇の為に命を捨てるって言うなら、おれはおれの命を捨てる覚悟でお前を止めてやるよい」
「なっ……!?」
微笑を消して真剣な表情へと変えたマルコは射抜くような目で真っ直ぐにアルドの目をを見つめた。光の無い漆黒の瞳を――。アルドは目を逸らすことができなかった。遠い過去、マルコに助けられたあの日、あの時に見た、あの青い瞳――。表面上は鋭く厳しさを模しているが、奥底に心配と優しさが見え隠れしているのがわかる。そして、温もりも。
―― 待って……。
無機質だった心に光の息吹を与えてくれたあの時と同じように、今また再び一身に受けて、鼓動が大きく跳ね続けて心が大きく揺れ始める。
―― おれッ…、わ、たし、私は……、マル…コ…さん……。
アルドは微妙に表情を変えた。
「!」
とても悲愴的で今にも泣き崩れそうな、そんな表情だった。思ってもみなかった変化にマルコは思わず目を丸くした。
―― お前ッ……、まるで……。
遠い記憶を思い起こさせるのに十分な程に強い衝撃を受けた。見たのだ。見たことがあるのだ。同じ目を、同じ顔を、見たことがある。
―― まさか、#イルマ#……?
マルコは無意識にアルドの頬に手を添えた。
「マルコ隊長、おれ……」
アルドはそれに少し反応して何かを言おうと口を開いた――が、「――ッ!!」途端にハッとした表情を浮かべて一変した。
「!」
先程のか弱い表情は錯覚だったのかと思わせる程に真剣な面持ちに変えたアルドは、鋭い視線を城門前を行き交う人々へと向けた。アルドのその変わり様に流石に何かあったのだと察したマルコも行き交う人々へと視線を移した。
「今……、エースって……」
「なに?」
「マルコ隊長……、さっきいた彼らとは別のアサシンがいます」
アルドの科白にマルコは眉間に皺を寄せた。行き交う人々の中にアサシンの姿を探してみるが見つからない。
「どこにもいねェみたいだが……」
「いますよ」
アルドは馬小屋と城門との間にあった積荷の前で立ち話をしている複数の男達がそうだと言った。それにマルコは眉を顰めた。見るからに一般人と同じ普通の服を身に着けているというのに、どうして彼らがアサシンだと断定できるのか――。
「アルド、どうしてわかるんだ?」
「イーグルアイです」
「イーグルアイ?」
「えっと、視覚変化です」
「視覚…変化……?」
首を傾げるマルコにアルドはコクリと頷いて言葉を続けた。
「敵対者は赤いオーラを纏い、味方は青いオーラを纏って見えます。無関係な人は無色のままですが、対象者となる者は金色のオーラを纏って見えるんです」
「なっ!? それって」
「アサシン特有の能力です」
「――ッ……!」
悪魔の実の能力かと思ったが、そうで無いことにマルコは殊更驚いた。
―― そ、そんなことが可能だってェのかよい!?
「声は……」
「声?」
「どうやってわかったんだ……?」
マルコの質問にアルドは「え?」と声を漏らして首を傾げた。どうしてそんな質問をするのかと言いたげな表情だ。
「話していたから…ですが……」
「いや、こんなにも人が大勢いるってェのに、特定の声を、それも科白を明確に聞き分けることなんて、普通はできねェだろうよい」
「それは……、えっと、訓練…したから……?」
「ッ……」
どうやらアルドにとっては――と言うか、アサシンにとっては当たり前のことのようで、マルコは頬をヒクリと引き攣らせると視線を行き交う人々へと戻した。マルコの耳にはガヤガヤと大勢の声が様々に飛び交っていて騒々しい塊にしか聞こえていない。
―― 訓練ね……。一体どんな訓練を受けりゃあそんな芸当が身に付くんだよい……。
アルドは再び視線を行き交う人々へと戻して聴覚に集中した。聞こえる範囲に限りはあるが、範囲内にいるアサシン達が交わしている会話を盗聴する。
「聞こえたままに言いますね」
「お、おう、わかった」
「『2番隊隊長の男をセルヴァ王宮の地下……、我々が設けた隠し部屋に監禁した』」
「な、なに?」
「『白ひげが動けば殺せとの指示だ』『わかりました』」
「!」
その内容にマルコとアルドはお互いに目を見張った。
「エースが捕まったってェのか?」
「彼らの会話だとそうなります」
「白ひげが動けば殺せってェのはどういう意味だ?」
「恐らく戴冠式において王家殺しを遂行するのに邪魔をされたくないんだと思います」
「ッ……」
マルコは唖然としていた。
―― エースを捕まえた? あのエースを……?
行き交う人々の流れを見つめながら眉間に皺を寄せたマルコは、徐に手で口元を覆うと考え込んだ。そんなマルコをアルドは黙って見つめていた。
―― マルコ…隊長……。
ツキンと胸に痛みが走るのを感じるとアルドは唇をギュッと真一文字に結んだ。―― ……させない。絶対に殺させない。白ひげ海賊団を、この人の家族を、傷つける者は誰であろうと私が許しはしない。全て、私が、殺す―― 自ずと両手をギュッと握り締めた。
「マルコ隊長、おれが潜入してエースを助けます」
「それはッ!」
「言ったはずです」
「待て! ダメだ!」
無表情で無機質な声音に戻ったアルドにマルコは苦渋の表情を浮かべて首を振った。
「許可は」
「守ります」
「――な…に……?」
「あなたと、あなたが大切に思う家族を、おれが必ず守る」
「!」
この場を離れようとするアルドを捕まえようとマルコは咄嗟に手を伸ばした。だがその時、マルコに振り向いたアルドの顔を見たマルコはピタリと動きを止めた。
―― お前……。
初めて見た気がした。初めて心ある感情に触れた気がした。アルドが見せた素直な微笑み。それに驚いたマルコは動くことができなかった。
「ラクヨウ隊長とオヤジ様にお伝えください。エース隊長は必ず船に戻ります」
「アルド……、待て……」
「おれは全て終えるまでもう戻らない」
「お前、それは!」
「アサシンは決して向けてはいけない相手に牙を剥けた。おれは絶対に許さない」
「――アルド!」
アルドは強い声音でそう言うとマルコの制止を聞かずに走り出した。後を追いかけたマルコだったが流石はアサシンと言うべきか、人込みの中に紛れ込んだアルドの気配は直ぐに消えて完全に見失った。
「くそっ! 全て終えるまで戻らねェだと? ふざけるな!」
マルコは悪態吐きながら側にあった木箱を八つ当たり気味に蹴飛ばした。
―― おれは絶対に”二度と”離さねェって決めたんだよい!
ギリッと奥歯を噛んで額に手を当てた。どうするべきかと思考を回しながらウロウロとその辺を歩き回る。
〜〜〜〜〜
守ります
あなたと あなたが大切に思うこの船の者達を 家族を
――あなたの為に――
〜〜〜〜〜
マルコに忠誠心を掲げる誓いのようなものを立てたあの時のアルドの言葉がふと頭の中で大きく響いた。顎に触れていた手に力が入ってギュッと拳を作るとマルコは静かに息を吐いた。そして、両手で自分の頬を強くパシンと叩いた。
「舐められたもんだ……。おれは白ひげ海賊団1番隊隊長、不死鳥マルコだ。相手がアサシンだろうが関係無ェ。アルド、お前がおれに誓った言葉をそっくりそのまま返してやるよい」
アルドと重なって見えた#イルマ#の面影。それがより一層マルコの闘志に火を点けた。
特異能力
【〆栞】