47

#イルマ#を背負ったマルコは、帰路の途中でロスカ国の路地裏に立ち寄った。#イルマ#が隠した衣服や武器を取りに来たのだ。

「ここか?」
「ッ…、」

#イルマ#はコクリと頷くので精一杯といったところか、呼吸が苦しそうだ。
マルコは、通路の端に詰んであった木箱に#イルマ#を座らせると顔を覗き見て額や頬に触れた。洞窟を出た時に比べて熱が高くなっている。

「#イルマ#、もう少しだけ耐えられるか?」
「……」

頷きはするものの辛そうだ。いつも平静で無表情だったその顔に今は余裕が無いように見受ける。

「少し待ってろ」

マルコがそう言うと隠された袋を取りに離れた。
#イルマ#は痛む腹部に手を当てた。意識が時折朦朧としながらも息を深く吐いてなんとか保つ。そうしてチラリと視線を向けた先にはマルコの姿――。
洞窟を出た後も何度となくマルコに呼ばれた本当の名前。それが妙に心地が良くて、その声を聞きたくて、意識を手放したくないと強く思った。その気持ちが#イルマ#を耐えさせていた。

―― とんだ我儘だ。意地を張ってアルドとして生きてきたのに……。

マルコに本来の名前を呼ばれた時点であっさり崩れた分厚い壁は何だったのか――心が瓦解して泣きじゃくった自分に、#イルマ#は目を瞑って溜息を吐いた。
生きる意味。目的。何もかもが揺らいで崩されていく気がした。
脳裏に浮かぶ死に際の弟《アルド》の顔がフッと浮かぶ。そして、それが消えて現れたシルヴァーノ。その途端に#イルマ#はハッとして目を開いた。

「いっ…! うぅ……」

咄嗟に動いたことで激痛が走った。左手で腹部を抱えるように押さえて反対の手は口元を覆った。ズクリと懐かしい『怒り』の感情が心を支配し始める。
アルドが死んだあの日から――いや、もうこの感情はずっと小さい頃から持っていたものかもしれない。

「私が生きてることは直ぐに教団幹部の耳に入る。これから先、私は……」

恐らく教団は追手を放つだろう。これから先、命を狙われ続けることになるに違いない。それは構わない。構わないのだが……――巻き込みたくない……――そう思った。
もう潮時なのかもしれない。
白ひげ海賊団から離れるべきだと考えに至った時、自ずと視線を地面に落とした。その時に気付いた。妙な影の存在に――。だが、遅かった。

―― くそっ!

反応が遅れた#イルマ#は、一瞬にして『死』を覚悟した。そして、衝撃に備えて咄嗟に目を瞑った。

ズガンッ――!!

大きな音と共にビクリと身体が反応したが、予想していた衝撃が一切無い。
#イルマ#はゆっくりと目を開けた。

「!」

マルコが袋を手にして立っていた。

「#イルマ#、大丈夫かい?」

少し呆然としながら#イルマ#は小さく頷いた。
クツリと笑ったマルコは、手にしていた袋を#イルマ#の横に置いた。そして、突き当り先にあったゴミ屑に身を沈めた者の元へ歩み寄った。
白い衣服に赤いサッシュ――ということは、シルヴァーノの手下だ。

「早速#イルマ#を殺しに掛かって来たってェわけかい」
「元の鞘に収まらぬ刃は始末すべき。裏切り者の同胞を消すのは当然のことだ」
「シルヴァーノがそう言ったのか?」
「主命により裏切り者を……。名は知らぬが死んでもらう。貴様もだ。目撃者たる己の運の無さを恨め」

ゴミ屑から飛び出したアサシンは、左腕の小手具からアサシンブレードを出して右手に長剣を持って構えた。
それに反応するように#イルマ#が手首を返してアサシンブレードを出した。しかし、足に力が入らずに膝から崩れ落ちるようにして地面に倒れた。

「くっ……! ま、マルコ、逃げ……うっ…」

―― 頼む! その人に手を出すな!

#イルマ#はマルコを守ろうと必死だった。立ち上がろうとしても身体が思うように動かず苦悶の表情を浮かべた。
マルコは#イルマ#が戦おうとして動いたことに気付いていたが、目の前のアサシンから放たれる殺気に振り向くことはしなかった。――が、その代わりに大きく溜息を吐いた。

「あのな……」

マルコがポツリと声を漏らしすとアサシンはそれに軽く首を傾げた。その一方、痛みに耐えながらなんとか身体を起こした#イルマ#は、背中にゾクリと悪寒が走るのを感じた。

―― な…に……?

#イルマ#は、痛む腹部を庇うように手で押さえながらマルコの背中から発される雰囲気に思わず息を呑んだ。

「アサシンっつぅのは、確かに異質な能力を持つ脅威的な奴らだが、」

マルコはそこまで言うと額に青筋を張り、眼光は鋭く、ガラリと空気を変えた。

「あんまり舐めるのも大概にしろよい」

アサシンはそれに気圧されたのか少しだけ後退った。
マルコから感じるそれは『怒り』だ。しかし、#イルマ#には少し違って感じた。
マルコから発せられる『怒り』の感情と自分が持った『怒り』の感情は、似て非なるものだと――。

「ッ……、死ね――」
「てめェがだ!」
「!」

アサシンはマルコに向かって剣を振り翳したが、マルコは瞬時に地面を蹴ってそれを躱すとアサシンの二の手となる左腕を掴んだ。そして、それを軸に回転して覇気を纏う右足でアサシンの左脇腹に蹴りを放った。
ミシミシミシッと骨が軋む音と共に「ぐっ!」と低く呻いたアサシンは、#イルマ#の上を吹き飛んで地面を転がった。
そのアサシンに直ぐに追討ちを掛けるマルコが右腕を翳した。シャキンと音が鳴ってアサシンが目にしたのは飾りの無い無骨な小手から顔を出す刃。

「貴様!」
「おれは海賊だ。殺すことに何の躊躇も無いよい」

マルコは小さく笑うとアサシンの首筋に刃を容赦無く突き刺した。
ズクリと伝わるそれが右腕を介して感じる。しかし、ビクビクと痙攣を起こして絶命するアサシンをマルコは冷酷な目で見下ろしていた。そして、立ち上がると共に刃を引き抜き、宙を切るようにそれを振って血を掃うと小手の内に収めた。
マルコは小さく息を吐くと#イルマ#の元に歩み寄りながら右腕の小手を外した。唖然とする#イルマ#の前に戻ると苦笑混じりに#イルマ#の頭をクシャリと撫でた。

「#イルマ#が健常なら殺してただろうよい」
「そ、それは……! そう、です…けど、何もあなたが!」
「おれがそうしたいと思ったからしたまでだ。気にするな」
「……何故?」
「ん?」
「何故、あんなに怒って……」

#イルマ#が困惑気味に言うとマルコはキョトンとした。

「当たり前だろい?」
「え?」
「#イルマ#は、おれの大事な部下で家族だ。おれは、家族を殺そうとする奴に容赦しねェ。それに、#イルマ#にとってアサシンが仇なら、おれにとっても仇だ」
「ま、待ってっ――いっ……!」

反論しようとした#イルマ#だったが、痛みに顔を歪ませて俯いた。そんな#イルマ#の肩にマルコの手がそっと触れる。#イルマ#は顔を上げると真剣な表情で見つめるマルコに目を丸くした。

「もう後悔したくねェんだ」
「こう…かい……?」
「おれは、#イルマ#の力になりてェんだよい。おれにとっては、今はもうオヤジと同じくらいに#イルマ#が大事なんだ」
「なっ、そんな――!」

#イルマ#の言葉を遮るようにマルコは唇を重ねた。#イルマ#の身体がビクリと反応した。重なる感触が数日前の記憶を呼び起こす――が、不思議と抵抗する気は起きなかった。

―― どう…して……?

小さなリップ音を残して唇が離れた時、心臓の鼓動がドキドキと忙しなく脈打ち、ただでさえ熱が高いというのに更に熱を帯びた気がして、#イルマ#は困惑しながら思わず唇に手を当てた。そんな#イルマ#に、マルコは「クッ!」と声を漏らして笑い出した。

「ははははっ!」
「な、なに……?」
「思いのほか反応が豊かでつい嬉しくなってなァ」
「?」

マルコがクツクツと笑いながら答えると#イルマ#はよくわからずに首を傾げた。そして、マルコは言葉を続けた。これからどうするかなんてことは、船に戻って傷が癒えてからの話だ――と。

「ッ……!」

考えていたことを言い当てられた#イルマ#はハッと呼吸を止めた。

「白ひげ海賊団に迷惑は掛けられないとかで抜けることを考えていた。違うかい?」
「うっ……」
「普段のお前ェなら殺しに掛かって来たアサシンに気付いていたはずだ。なのに、考えに耽ちまって気付きもしなかった。おれが気付いてなかったらお前はとっくに死んでたろうなァ」

マルコに何もかも見透かされた#イルマ#は、最早ぐうの音も出せなかった。

「その反応は当たらずとも遠からずと言ったところだな」

マルコが笑ってそう言うと#イルマ#は眉をピクリと動かした。そして、溜息を吐くと途端に全身から力が抜けてガクリと膝が折れた。

「おっと!」

マルコは倒れ込む#イルマ#の身体を咄嗟に受け止めた。#イルマ#は支えられるままにマルコの胸元に額を当てた。

「大丈夫かよい」
「隊長……、おれ、疲れました」
「#イルマ#……?」
「すみません……。その、まだ暫くは……、アルド…で……」

意識を手放すようにそのまま身を委ねて#イルマ#は目を瞑った。マルコは#イルマ#を抱き留めながら額にそっと手を置いた。

「ちょっと遊び過ぎたか……」

マルコは小手を袋の中に入れて#イルマ#を背負った。そして、袋を手にしてその場を立ち去ろうとした。――で、思った。

「倒した相手はどうしてんだ……?」

マルコはアサシンの死体を前にしてポツリと疑問を呟いた。気を失った#イルマ#からは当然返答は無い。さて、どうしたものかと思ったその時だった。

「あ、」
「貴様は!? 白ひげ海賊団1番隊隊長不死鳥マルコ!!」

路地裏に現れたのは海軍の制服を纏う男。彼はマルコの姿を発見すると驚きながら叫んだ。

―― 任せるか。

マルコはそう判断して青い炎を全身に纏った。

「逃げる気か!?」
「おれは海賊で、お前は海軍。そりゃあ逃げるに決まってるだろうよい」
「う、うむ、確かにそうだ」
「なら、引き留めの言葉も無駄だよい」

マルコはクツリと笑うと不死鳥と化してそこから逃げるように空を飛んだ。

「あ! こら! 待てェェッ!」
「悪ィがそいつの後処理を頼む!」
「なんだと? うお!? 死体!?」

海軍は足元に転がる死体に驚いて飛び跳ねた。アサシンは恐らく海軍からしても脅威となる存在に違い無い。アサシンの武器等を知る良い機会でもある。

「ま、手の内を知ったところで対応できるかどうかはわからねェが……」

マルコは船に戻るまでの間に#イルマ#を襲いに来たアサシンの言い放った言葉について考えていた。

〜〜〜〜〜

「主命により裏切り者を……。名は知らぬが死んでもらう。貴様もだ。目撃者たる己の運の無さを恨め」

〜〜〜〜〜

 ―― 名は知らぬ ――

アサシンは#イルマ#に向けてはっきりそう言った。シルヴァーノが#イルマ#の名を明かさなかったのは何故か。マルコは疑問に思った。――殺せと命じて名を明かさない理由がわからない――そう考えた時にふと脳裏に過ったのは一つだ。

「狙いは#イルマ#じゃねェ。おれ…か……」

アサシンに対する白ひげ海賊団の隊長たる者の実力を知りたい。
大方その辺りだろうとマルコは思った。

「殺したのはまずかったか……」

正直に言って、心底から怒って限度を超えた。
アサシンと実際に戦ってみて思ったのは、感情の無い連中を相手にすると非常に不快に感じたということ。

何も感じない。
何も感じていない。

機械的で痛みすら感じていないような連中だった。だが、それ以上に不快だったのはシルヴァーノだ。
ほんの一瞬だった。
シルヴァーノが#イルマ#に向けて何かを呟いた際に垣間見た目付きが普通では無かった。そして、シルヴァーノが他のアサシンと異なっていたのは『感情』がそこにあったからに他ならない。

上に立つ者は感情を持つのだろうか?――次から次へと疑問が沸く。

しかし、今は#イルマ#の治療と休息が何よりも大事だ。疑問に関しては、#イルマ#が落ち着いた時に改めて聞けば良い。正体を知った今、話をはぐらかされることも逃げられることも無いだろう。
マルコは、背中に感じる重みと温もりを感じながら漸く視界に捉えたモビー・ディック号に向けてバサリと羽ばたいてスピードを上げた。

抹殺対象

〆栞
PREV  |  NEXT
BACK